0102-2
翌朝。
火が回ることなく無事であった宿『紅玉館』で、早い朝食をとり、ゲッコー一行は日が昇る前にスランゼウイの街を出立した。
「三日後にハルウィル、さらに三日後に国境の街レッドポストに到着だな」
「順調にいけば、ですよね」
ラーが地図を頭に浮かべながら述べ、それを受けて涼が答える。
「リョウ、不吉なこと言うなよ……」
ラーが顔をしかめながら言った。
昨晩、ラーは宿をこっそり抜け出すのをスーに止められたが、そのおかげで、深夜の騒動時にはゲッコー一行として行動することができ、問題になることはなかった。
もし、あの時スーに捕まっていなかったら……どうなっていたかわからない。
そのため、剣士ラーは感謝の気持ちを込めて、自分の分の朝食から、斥候スーにデザートの果物を渡していた……と、『スイッチバック』の公式記録には記されているらしい。
実際は、泣く泣くスーに渡していたのだが。
「スランゼウイから、国境の街レッドポストまでは『東街道』の一部だ。こいつは、王国内でも重要な街道の一つだから、あんまり変なことは起きないと思うんだ……うん、きっと起きない……起きないはずだ……起きないといいなぁ」
ラーの願望が入った言葉は、終わりの方では小さくなっていった。
スランゼウイを出て一日目は何事もなく過ぎた。
そして二日目午前。
もうすぐ昼食休憩予定地、というところで涼が突然行動した。
「ラーさん、前方から敵が来ます。マックスさんに知らせてきます」
そういうと、ラーの反応も確かめずに、涼は馬車列の一番前に走った。
先頭馬車は、御者席にゲッコーと、若い水属性の魔法を使える部下、馬車の周囲をマックスたち四人が歩きながら護衛している。
「マックスさん、前方から、スランゼウイで捕まえた三人が入った集団が来ます」
「なに!?」
「リョウさん、どういうことですか?」
マックスは驚き、ゲッコーは涼に聞き返した。
「あの三人、解放する時に、発信機……ああ、近付いてくると分かる水を、おへそに埋め込んでおいたんです。で、今それが反応して、前方からやってきます。速度は、けっこうゆっくり……そう、この商隊と同じくらいのスピードです」
「ゲッコーさん、商隊に化けているとか、そういうのかもしれないですね。よくある賊の手口です」
「ありましたね、それ。わかりました。そこの河原で休憩するように見せかけましょう。すれ違いざまよりは、対処しやすいでしょうから」
ゲッコーがそう言うと、マックスの号令の元、商隊は河原に降りていった。
ゲッコーの部下と馬車は中心に集まり、護衛隊はそれとなく周囲に座って、休憩している風を装う。
「<アイスウォール10層パッケージ>」
涼は、ゲッコーと部下たちの周囲に座り、何が起きてもいいように先にアイスウォールで囲っておいた。
ゲッコーと部下たちも、さすがに何度もアイスウォールに囲まれる体験を繰り返したため、慣れたものである。
「近付いてくるのは、例の三人を含めて十人」
涼は、近くで指揮を執るマックスに囁く。
「了解」
マックスは細かな指示を出すために、最前線になるであろう所まで行っては戻りを繰り返した。
ゲッコー一行が河原に降りてから二十分後、例の十人と思われる一団が通りかかる。
馬車二台の御者席に四人、護衛に四人である。
(つまり馬車の中に二人……)
涼はそう思いながら、十人から意識を外さないように……だが直視しないようにしていた。
そろそろすれ違うはず……そう思って来たら、対象が河原に降りていて機先を削がれた……そんな雰囲気を、先頭馬車の御者席に座った人物の表情から読み取れた。
もちろん、涼の想像が多分に含まれているが。
だが、チッという小さな舌打ちをしたのは確かだと思う。
そして、それに続く、
「しょうがねぇ」
という言葉は、確かに聞こえた。
その言葉と同時に、御者席の四人が、自分たちと河原のゲッコー一行との間に、何かを投げつける。
投げつけられたものは地面を転がりながら、白い煙を吐き出した。
「毒……じゃないよな、自分らもあれだし。煙幕か!」
涼はそう判断すると、こういう場合のいつもの魔法を発動する。
「<スコール>」
辺りを、瞬時に土砂降りが襲い、そしてすぐに去って行く。
雨によって、空気中を漂っていた煙は地面に叩き落され、地面を流れて行った。
煙に紛れての攻撃は、一瞬にして無効に。
だが、その時にはすでに、襲撃者たちは馬車を飛び出し、河原に向かって走り出していたのだ。
「なっ……。一瞬で煙が消されやがった」
驚いたのは襲撃者のリーダー、シャーフィーである。
煙は、彼ら特製の、屋外ですらかなり分厚い煙幕を作り出すアイテムで、これまでにもよく利用してきた、ある意味必殺の襲撃手段である。
それが、突然の雨によって無力化されたのだ。
だが、走り出している以上、今更引くこともできない。
そうこうしているうちに、戦闘が始まっていた。
「ゲッコーは……あそこか!」
シャーフィーは、人が集まっている辺りを見て、ほとんど一瞬でゲッコーの顔を確認した。
そして、右手に持った槍をふりかぶり、全力で投げる。
カキン
だが、投げた槍は、ゲッコーに到達する前に、見えない何かに弾かれ音高く跳ね返された。
「障壁? くそったれが」
そういうと、シャーフィーは、ゲッコーに向かって走り出した。
もちろん、それをそのまま見過ごす護衛隊ではない。
ゲッコーに向かって走るシャーフィーに、横から剣を突き出す。
だが、シャーフィーは走ることを止めず、剣をかわしながら、突き出された腕を切りつけて走った。
視界の片隅に、部下が次々と倒されて行くのが見える。
(なんだこの護衛の強さは。報告と全然違うだろうが!)
ゲッコー商隊は、ルンの街に到達する前に、他の部隊が何度か襲っている。
それによって、五人の護衛を倒している。
その際の報告書には、これほどの強さだとは書かれていなかったのだ。
シャーフィーの部下を次々に倒しているのは、マックス率いる護衛隊精鋭と、ラー率いる『スイッチバック』たちである。
マックスはともかく、『スイッチバック』はルンの街からなので、報告書に記されていないのは仕方のない事であった。
そうして、ついに、シャーフィーは、ようやくゲッコーまで二十メートル弱の距離に到達した。
そこで、腰に提げていたバレーボール大の袋を右手に持ち、ずっと消えないように左手に持っていた火縄を、袋から伸びている紐に押し当て火を点ける。
「これでもくらいやがれ!」
そういうと、袋をゲッコーに向かって投げた。
<物理障壁>があったとしても、特製の『爆発袋』であれば間違いなく破壊できる。
「これは特別製だ。死んでもらうぜ。悪く思うな」
シャーフィーは、この場から逃げることは諦め、両手をクロスさせ、爆発から顔を守る体勢をとると、『爆発袋』の行方を見守った。
『爆発袋』は狙い違わず、ゲッコーに向かって放物線を描き、先ほど槍を弾いた壁あたりにぶつか……る前に、氷が周りを囲み、そのまま地面に落ちた。
「……は?」
シャーフィーの口から、思わず間の抜けた声が漏れる。
氷漬けになった『爆発袋』は、紐、いわば導火線についていた火も消え、地面に転がった。
「氷かよ……」
シャーフィーは膝をつき、頭を抱えた。
だが、すぐに下を向いていた頭をあげ、大声を張り上げた。
「降伏する! 俺は降伏するぞ!」
そういうと、腰に差したナイフを地面に捨て、左手に持っていた火縄も捨て、両手を上げ抵抗の意思が無いことを示す。
「は? 降伏だと?」
シャーフィーに後ろから迫っていた、斥候グンが口に出す。
「ああ、降伏する。抵抗する気はない。命を助けてくれるなら、ゲッコーにとって有益な情報も提供する」
さすがにここまで言われると、どうすればいいのかグンには判断できなかった。
この時点で、シャーフィー以外の襲撃者は、全員死亡している。
襲撃に失敗し、一縷の望みを託しての命乞い……あり得ないことではない。
「<アイスウォール10層パッケージ>」
その声と共に、シャーフィーの周りに、透明な氷の壁が生成された。
「とりあえず壁を作っておけば、その人が自爆しても被害はこちらには及びません。安心です」
もちろん、涼である。
あえて、シャーフィーにも聞こえる大きさの声で、周囲に告げていた。
「はは……。氷使いは、なかなかえげつないな」
「暗殺者に言われたくはないですね」
シャーフィーの毒づきに、涼も毒を含んだ言葉を返した。
そんな二人の周りに、マックスとラーが集まってきた。
「あんたが降伏したところで、悪いが部下は全員殺しちまったぞ」
「ああ……役に立ってくれた奴らだったが仕方がない。あいつらの犠牲のお陰で、『爆発袋』を投げるところまで近づけた。まあ、一矢報いることも出来なかったんだがな」
ラーが無慈悲なことを告げると、シャーフィーは首を横に振りながら答えた。
二人が話している間に、涼は地面に転がった、氷漬けの『爆発袋』を手に取って眺めていた。
(これは……爆発袋って言ってるくらいだから、爆発するんだろうなぁ……。導火線みたいなのについてた火は消えてるけど……やっぱり、何が起きるかわからないから、このままにしておこう)
そう考えると、氷漬けのままラーに渡した。
「え? リョウ?」
「氷漬けにしてあるので、大丈夫です。爆発したりはしませんよ」
なぜ渡されたのかわからないまま尋ねるラーに、全然答えになっていないことを言う涼。
もちろん、二人の会話はかみ合っていない。
「そう、大丈夫です。僕を信じてください」
「それなのに、なぜ離れていく、リョウ……」
その間、マックスは何も言わずに、シャーフィーを睨みつけていた。
しばらくすると、ゲッコーが彼らの元にやって来た。
「ああ、皆さん、ご苦労様でした。傷を負った者たちは、今治療しています。幸い、死者も重傷者もいませんし、ポーションだけでなんとかなりそうです」
そういうと、ゲッコーはアイスウォール内のシャーフィーを見た。
「で、あなたが降伏した襲撃者のリーダーですね?」
「ああ、シャーフィーだ」
ゲッコーは表情を変えずにシャーフィーを見下ろし、地面に膝をついたままのシャーフィーもゲッコーの顔をしっかりと見て答えた。
「死ぬ気で向かってきたのに、最後に降伏ですか? ちょっと信じられませんね」
ゲッコーはそのままの表情で、淡々と問う。
「まあ……そう言うよな……。だが、どう考えてもあんたを殺すのは無理だろ? かといって、部下全員を死なせ、襲撃に失敗した俺が戻っても死ぬ以外の未来はない。任務のために死ぬのならまだ受け入れられるが、犬死を命じられて死ぬのはごめんだ」
「ふむ……」
ゲッコーは、何かを考えるかのように、その一言だけ呟いた。
そして一分後。
「まあ、いいでしょう。全面的に信用は出来ませんが、とりあえずその説明を受け入れるとして……」
ゲッコーはそこで言葉を一度区切ってから、さらに続けた。
「ただ、盗賊は、降伏しても、その場で殺すことになっているのですが?」
「知っている。だが俺は、盗賊ではなく、暗殺者だ。あんたが欲しいと思える情報も持っている。助けてもらえるなら、その情報を提供する用意がある」
「例えばどんな情報ですか?」
「助けてくれるなら、渡す」
少しだけゲッコーは首をかしげて続けた。
「しかし、助けるに値する情報を持っているかどうか判断できないことには、何とも……。リョウさん、このシャーフィーさんは、やはり信用できないので氷漬けにしてください」
「はい、わかりました」
涼はそういうと、詠唱を始めた。
「天の理 地の理 天地に満ちる万物の創造者 煌めく氷の女王よ 汝に背きし愚か者を……」
「ま、まて、ちょっと待て!」
「その棺に横たえ 永久の眠りに……」
「待てっつってんだろ! なんでスランゼウイで破壊活動を行ったのかを言う!」
シャーフィーが叫ぶように言うと、ようやくゲッコーは涼の前に片手を出し、詠唱を止めさせた。
「三十秒以内に言ってください」
「ああ、わかった。スランゼウイの破壊は、ナイトレイ王国東部を機能不全に陥れろという依頼のためだ」
涼を含め、全員が息をのむ。
想像以上に大きな破壊活動の一環だったからである。
「簡潔に答えたのはポイント高いです。ということは、ロー大橋が崩落したのも、あなたたちが行い、目的は王国東部へダメージを与えることですか?」
「ああ、そうだ。とは言っても、まだ始まったばかりだし、数年かけて行う活動の、本当に最初に過ぎない。俺も全体像は聞いていないために、その依頼に関して言えるのはそれくらいになる」
シャーフィーが言うのを聞いていたゲッコーはため息を一つついた。
「まあ、その辺りはマスター・マクグラスに知らせて、恩を売っておきましょう」
囁くような小さな声で、ゲッコーは言った。
「で、他には?」
「いや、ちょっと待ってくれ。まず命の保証をしてくれ。そうすれば、他にも多くの情報を流してもいい。どうせ、もう俺には命の他には何もない」
「いいでしょう。ゲッコーの名において、あなたの命を保証しましょう。もちろん、変な行動をすれば、その瞬間にその保証は消えます。よろしいですね?」
「ああ。感謝する」
ゲッコーの言葉に、シャーフィーは安堵して頷いた。
「その……非常に言いにくいんだが、一つ頼みたいことがある」
シャーフィーは、言いにくそうに、視線をゲッコーから逸らしながら言った。
「おい、お前は交渉できる立場にはないんだぞ!」
それまでずっと黙っていたマックスが、シャーフィーを一喝する。
「いや、わかってる! わかっているが……そうじゃなくてだな、あんたたちが俺を利用するためには、俺が生き続けなきゃいかんだろ? 俺は、このままだと死んじまうんだよ」
「なんだと!?」
声を出したのはマックスだけであったが、驚いたのは、その場にいた全員であった。
「『教団』……俺が所属していた組織の事を、俺らはそう呼んでいるんだが、その『教団』を裏切らないように、俺らには呪いみたいなものがかけられている。裏切ると死ぬ、そんな呪いが」
「で、情報が欲しければ、その呪いを解いてくれと」
「そういうことだ」
マックスの確認に、シャーフィーが頷く。
「そうは言っても、ただ『呪い』というだけではどうにもならんだろう。詳しく説明しろ」
「どうやって発動するのかは俺も知らない。呪いなのか魔法なのかもよくわからん。『教団』の奴は錬金術も関わっているとは言っていた」
「錬金術!?」
シャーフィーの説明に錬金術という言葉が出て来て、涼が思わず小さな声をあげる。
最近、涼の中で、急速に、趣味としての地位を確立している錬金術!
『錬金術』という言葉に反応したのは当然なのかもしれない。
「俺らは、胸にタトゥーで紋章を入れている。その紋章から石の槍が生じて、胸、というか心臓を貫き、死ぬ。二度ほどその現場に遭遇したことがあるから、間違ってはいないはずだ」
シャーフィーの説明が終わっても、しばらく誰も喋らなかった。
口火を切ったのは、マックスである。
「そのタトゥーを消す、または皮膚ごと剥ぎ取る、か」
「ま、待ってくれ! 皮膚ごと剥ぎ取るとかの場合は、すぐに高位の神官が治療してくれるようにしてくれよ」
「そのために降伏したと?」
「ああ……否定はしない」
大きくえぐり取られた皮膚と筋肉組織を、正常に回復できるほどの神官となると、かなり高位な神官でなければならない。
大都市や国都レベルでも一人か二人いるかどうか……そして回復を依頼するための人脈も普通の人は持っていないうえに、喜捨、つまり差し出す寄付の額も相当なものとなる。
下級貴族程度では、到底望むべくもないほどなのだ。
「ハルウィルには、もちろんそんな神官はいないし、国境の街レッドポストくらいか……」
「レッドポストのジャリガ司教は、現在王都に戻られていますので無理ですね」
マックスの口から洩れた言葉に、ゲッコーが答えた。
「マジか……」
それを聞いて、さすがにシャーフィーは落ち込んでいる様に見えた。
当然である。急いで除去しなければ、自分の命が危ないのだから。
降伏する以外の選択肢が無かったとはいえ、タトゥーで死んでしまっては結局いっしょだ。
ゲッコーは、「錬金術!?」と呟いた以外、ずっと無言で考え込んでいる涼の方を向いて言った。
「リョウさん、さすがに、こういう場合にちょうどいい水魔法はないですよね?」
そこまで都合のいい答えは期待していない様である。
「確かにちょうどいい魔法はないですが……もしかしたら上手くいく方法はあります。他に何も方法が無いなら、試してみるのも悪くはないかと……」
「あるんですか!?」
涼が言った瞬間、ゲッコーの声のトーンが一つ上がった。
それだけで、ゲッコーが、出来ればこの暗殺者の命を救いたいと思っていることが、涼には分かった。
元暗殺者ですら人材として使いこなそうとする……その商人魂に感心しながら言う。
「簡単に言うと、心臓そのものを氷の膜で覆って槍の到達を防ぐ。もう一つは、タトゥーそのものを氷の膜で覆って槍が生じても心臓に到達しないようにする……」
「なるほど!」
涼の説明を、一度受け入れ、その後で何度も考えながら頷くゲッコー。
「え……っと……氷の膜って……なに……。冷たくない? 心臓止まらない?」
ただ一人、被験者たるシャーフィーだけが、理解できていなかった。
いや、もしかしたら、理解したくなかっただけなのかもしれない……。