0102 スランゼウイ
魔物と五人の襲撃があってから二日後。
商隊は、その後は何事も無く旧街道を進み、東部第二の都市スランゼウイに到着した。
ロー大橋が無事なら、東街道を通って、ルンの街から二日で到着するはずであった路程であるが、旧街道を回ったせいで、六日を費やしていた。
久しぶりの大きな街ということで、商隊が全員泊まれる宿に入った。
そこは、『紅玉館』という、スランゼウイにおけるゲッコー商隊の定宿でもある。
「久しぶりの宿です。ゆっくり休んでください。ああ、一階の食堂で、好きなものを食べてくださいね。この宿での食事代は、うちの店が出しますので」
ゲッコーのその言葉を聞いて、涼と『スイッチバック』の面々は思わずガッツポーズをした。
基本的に、今回の旅は、公都アバディーンまでノンストップである。
もちろん街では宿に泊まるのであるが、街で取引や売買を行う予定はない。
すでに持っている品物を、一刻も早く公都に届けるのが最優先。
そのため、街に泊まる場合でも一泊だけであることは、最初にゲッコーから告げられている。
涼としては、初めての街がほとんどなために、観光したい気持ちもあるのだが、依頼なのだからしかたがない。
アバディーンからルンの街に戻る時に、いろいろ寄ればいいだろうと割り切っていた。
だが、割り切れないC級剣士もいる。
ラーは、こっそり宿を抜け出そうとしたところを、斥候スーに見つかって連れ戻されていた。
一体どこに行こうとしていたのか……涼には知る術も無い……。
だが、ラーは後程、この時連れ戻されたことに感謝することになる。
スランゼウイ郊外。
そこには、黒ずくめの十人ほどの集団が。
「シャーフィー様、本部からの至急文です」
黒ずくめの男の一人が、一枚の手紙を恭しく差し出す。
「なに? このタイミングでか?」
シャーフィーと呼ばれた男は、顔をしかめながら至急文と呼ばれた紙を受け取り一読した。
そして小さく唸る。
「まったく。本部のアホどもが。やむをえん。第三目標を変更。『紅玉館』に宿泊中の商人ゲッコーの暗殺。方法は問わず。第三目標の貴族街破壊は、第四目標にする。第四目標は、第一から第三で早く終わった部隊がとりかかれ。以上」
「了解しました」
彼らは、各国中枢近くにいる人間の顔は全員覚えている。
ゲッコーは、インベリー公国のお抱え商人であり、民間人としては最もインベリー公爵に近い人物でもある。
そのため、すでに顔を覚えられていた。
午前二時半。草木も眠る丑三つ時。
突然の轟音に、涼は飛び起きた。
「地震?」
だが、『ファイ』に来てから一度も地震というものに遭遇していないことを思い出す。
とりあえず、宿の部屋着からいつもの服に着替え、二本のナイフをベルトに差し、ローブを羽織り、窓を開けて外を見る。
視線の先に、燃え上がる大きな建物が見えた。
「あれは、領主の館じゃなかったっけ?」
不穏な空気。
部屋を飛び出し、階段を駆け上がる。
一階上の階に、ゲッコーとその部下、あとマックスたち護衛隊の半分が宿泊している。
涼が上の階にたどり着くと、マックスが廊下に出て指示を出していた。
「マックスさん!」
「リョウ。ゲッコーさんたちの守りを頼む」
涼は、守りにおいて、マックスから絶対の信頼を得たらしい。
一番奥の大きな部屋に、ゲッコーとその部下たちは集まっていた。
すでに着替えも済ませていることを考えると、かなり素早い行動だと言えるだろう。
「ああリョウさん。外で、何か大変なことが起きているみたいです」
「はい。窓から、領主館が燃えているのが見えました」
「なんですと……」
涼の報告に、ゲッコーは驚いていた。
ゲッコーの部屋は、安全最優先で、窓の鎧戸が締められているらしく、領主館の炎上は見ていない様だ。
どんな街においても、領主の館というのは、最も警備が厳重な場所である。
それが炎上とは異常な事態である。
そんな話をしている時に、再び轟音が響いた。
しかも、最初のよりも大きい気がする……。
轟音というより、爆発音と言うべきなのかもしれないが。
「失礼」
涼はそういうと、奥の窓の鎧戸を少しだけ開けて、外を覗く。
「ゲッコーさん、領主館の……ここから見て左手、石造りの三階建ての建物って……」
「それは恐らく騎士団詰所や兵器庫だと思います」
ゲッコーは、不安げな顔の部下たちをなだめながら、そう答えた。
他国の街の事であってもかなり細かく知っているのは、さすが情報が命の商人と言えよう。
「なんというか……燃えるというより、爆発している……」
(ミカエル(仮名)は、火薬の類はまだ一般的ではないと言っていた……けど、あれって、どう見ても誘爆とかな気が……)
「火属性魔法の<爆炎>みたいなやつですか? もしかしたら、『黒い粉』が燃えているのかもしれません……」
「まさか……」
さすがに涼でも、その後の『火薬』という言葉を出すのははばかられた。
「この、王国東部地域でのみ作られ、このスランゼウイで保管されているもの……おっと、これは機密ですね。さすがに喋りすぎました」
そういうと、ゲッコーはにっこり微笑んだ。
何のためかは分からないが、涼に聞かせるつもりで喋ったのは確かなようである。
「商人は情報が命とはいえ、さすがですね……」
「ふふふ、商人というのは、諜報員とあまり変わりません。王国と公国が友好国、というよりほとんど同盟国に等しいからこそ、私も自由に動くことが出来ています」
涼は『商人』という仕事の複雑さを、少しだけ垣間見た気がした。
「ゲッコーさん、宿の近くでも火の手が上がりました。燃え移ると厄介です。外に避難しましょう」
マックスが飛び込んできて進言する。
とりあえず、全員、本当に大切なものだけを持って外に出ることにした。
「四十秒で支度しなさい」
ゲッコーから部下たちへの指示が飛ぶ。
そして自分も、肩掛け鞄一つだけを持っていた。それだけで準備完了らしい。
貴重品は、鞄一つにまとめてあるようだ。
(十秒で支度した……まさにどこかのアニメのお頭みたいだ……)
涼は素直に感心していた。
「リョウ、ゲッコーさんの安全を最優先で頼む」
涼に近付いてきたマックスが、小声で囁いた。
「ゲッコーさんに言うと、部下たちの安全を最優先で、って言うんだが、ゲッコーさんにもし何かあったりしたら、うちの国は立ち行かなくなる。頼んだぞ」
それだけ言うと、マックスは指示を出しに部屋を出て行った。
(やっぱり『商人』って複雑な仕事だわ……諜報員の様に国から国を飛び回り……そのうえ、一人の商人の肩に、国の命運がかかっているとか……)
涼も、自分の鞄を持って、一階入り口付近の広間に降りていた。
「ゲッコーさん、皆さんを氷の壁で囲みます。壁も一緒に移動しますので、今いるくらいの集まりで移動してください」
「わかりました」
ゲッコーが代表して頷く。
「<アイスウォール10層パッケージ>」
10層で、さらに全方位を透明な氷の壁で覆う。
10層なら、たいていの攻撃は跳ね返すだろうと涼は思っている。
もちろん、悪魔レオノールほどの火力があればどうしようもないのだが……あれは例外である。だって、ものすごいとか言われている爆炎の魔術師の攻撃だって、弾いたんだし!
完全じゃなかったけど!
宿の外の混乱はかなり酷い。
これだけ混乱していると、涼の<パッシブソナー>も絶対ではなくなる……人や空気が動きすぎるからである。
そのため、絶対の安全のために<アイスウォール>は必要であろう。
転ばぬ先の杖というやつである。
マックスを先頭に、護衛隊が安全を確認しながらゲッコーたちを先導する。
宿である『紅玉館』前は広場になっており、宿泊客だけではなく、周りに住んでいる者たちも、ちらほらと避難してきていた。
ゲッコーたち一行が、そんな広場の隅に移動して落ち着いた時……。
ゲッコーの喉に向かって、正確に、投げナイフが飛んできた。
カキン
落ち着いた後も、アイスウォールは解除されていない。
そのアイスウォールに弾かれて、ナイフは地面に落ちた。
涼は、ナイフの飛んできた方向を見る。
建物の間の通り、その陰の中に誰かがいる。しかも……三人。
「<氷棺><氷棺><氷棺>」
距離は二十メートル程度。これならば、確実に魔法が届く。
前回は、<アイスバインド>で捕まえようとしたら、口封じをされ、あまつさえ死体すら焼かれようとしたのだ。
今回も同じ相手なら、同様の手を打たれる可能性がある。
ならば、最初から氷の棺に入れてしまおう。
おおざっぱな涼らしい判断と行動である。
この時点で、マックスとその部下三名が、賊が潜んでいる陰に走る。
「うぉっ」
小さな驚きの声。
一度見たことがあるとはいえ、街角に、三つの氷漬けオブジェがあれば、誰でも驚くであろう。
マックスたちを追って、涼も通りに来ていた。
「リョウ……」
「ええ、焼かれる前に捕まえてみました」
涼はそう言いながら、大きく一回頷いた。
「とはいえ……どうしましょうか。多分、街に侵入している賊って、この三人だけじゃないですよね……」
「ああ……。こいつらが失敗したとなると、別の仲間がまた襲ってくるか……。そんなところで、こいつらを調べるわけにはいかないな。他の者が割ることが出来ないんだったら、このまま置いておくか? いろいろ終わってから回収ということで」
マックスも、たいていおおざっぱなところがあるらしい。
「賊の仲間が、これを回収に来るかもしれませんしね。来たら、その人たちも捕獲しましょう」
言ってる内容と涼の笑顔は、かなりのギャップであった。
「第四目標の貴族街の破壊……まあ、これくらいやっておけばいいだろう。半数くらいは殺したか。ん? おい、第三部隊はどうした」
集合した部下が、三人足りないことに気付き、シャーフィーは傍らの第一部隊長に問いかける。
「まだ合流していません」
「はぁ? なにやってるんだ。商人の暗殺なんて簡単だろうが……」
だが、そこまで言って、気付いた。
(さすがに三人とも戻ってきてないってのは、変だろ。三人ともやられるとか、あり得ないが……護衛隊にとんでもなく強い奴が入ったか? ああ、くそっ。標的を、直前に入れ込むからこういうことになるんだ! 本部の馬鹿どもが……)
シャーフィーは、心の中でひとしきり悪態をつく。
だが、それによって落ち着きを取り戻していった。
「とりあえずゲッコーの周辺を見に行くぞ」
「なんだ、ありゃ……」
ゲッコー一行がいる広場、そこに繋がる通路の一つに、三本の氷の四角柱が立っている。
柱の中にはシャーフィーの部下たちが入れられていた。
(あんなことが人の身に可能なのか……? 火の魔法使いが、相手を体内発火で焼くことが出来ないように、水の魔法使いも、相手を氷漬けにすることは出来ないと聞いた覚えがあったんだが……何か強力なアイテムでも使ったか? 人が入ってるってことは……簡単には割れない氷だろ、あれ。置いていくわけにもいかんし……)
シャーフィーが見ている場所は、氷漬けの部下たちからは多少離れている。
騒動の混乱に紛れて観察しているのだが……。
シャーフィーが悩んでいると、街の城門の方から一際大きな歓声が聞こえてきた。
「副団長殿の御帰りか」
そう呟き、少しだけ笑うと、シャーフィーたち七人は、その場を去った。
広場で待機しているゲッコー一行の下に、四十人ほどの騎士団がやってきた。
騎士の一人が一行に話しかける。
「こちらは、スランゼウイ騎士団副団長のボールドウィン閣下だ。インベリー公国商人ゲッコーらであるな。貴殿らが、怪しい者たちを捕らえているという通報があった。以後、騎士団で取り調べる故、その者たちを即刻引き渡してもらおう」
「なっ……ふざっ」
マックスが叫びそうになるのを、ゲッコーが片手を出して制する。そして、
「そうきましたか」
ゲッコーは誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
もっとも、隣にいた涼の耳には聞こえたのであるが。
「これは、お役目ご苦労様です。私がゲッコーにございます。あちらの通路に捕らえてありますので、ご案内いたします。マックス、リョウさん、ついて来て下さい」
そういうと、ゲッコーは通路に向かって歩き出した。
(<アイスウォール10層限定解除><アイスアーマー>)
涼はゲッコーに、いちおうアイスアーマーを着せてみた。
アイスウォールほどには防御力が高くないが、投げナイフくらいならば防げるであろう。
「さ、こちらにございます」
そういうと、ゲッコーは三つの氷の柱を指し示す。
「なんだ、これは……」
先ほどの騎士と、副団長ボールドウィン、二人から異口同音に驚きの言葉が漏れた。
「私共の護衛の一人が氷の棺で捕らえました。どうぞお持ちください」
「う、うむ。殊勝である。協力的なその方の振る舞い、よく覚えておく」
そういうと、副団長ボールドウィンは鷹揚に頷いた。
「では、氷の棺は解除してよろしいですか?」
涼は誰ともなしに尋ねる。
「うむ」
頷いたのはボールドウィンであった。
「<捕らえし四肢を解き放ちたまえ 氷棺解除>」
涼は、いつもの適当詠唱を唱え、三人の氷棺を消し去った。
三人は地面に崩れ落ちる。
「い、生きておるのか?」
「はい。生きておりますので、手かせなどつけたほうがよろしいかと思います」
ボールドウィンの問いに、涼的には、きちんと丁寧に答えた。
手かせ、足かせをつけられた三人は騎士団が曳いてきた護送車に乗せられた。
「して、ゲッコー殿は、いつ街を出られるのかな?」
「明日の朝には出立いたします」
ボールドウィンの問いに、ゲッコーははっきりと答える。
「さようか。三人の取り調べは、こちらで責任を持ってやっておくゆえ、道中気を付けて行かれるがよい」
「お心遣い、ありがとうございます」
そういうと、ゲッコーは深々とお辞儀をした。
そして、騎士団一行は、焼け落ちた騎士団詰め所の方に去って行った。
「ゲッコーさん、あいつら……」
「ええ、十中八九、この騒動を引き起こした者たちと繋がっているでしょうね」
「ならなぜ!」
ゲッコーの冷静な指摘に、マックスが激昂する。
「マックス、事の軽重を見誤ってはいけません。我々が最優先に考えることは、商会の者たちの安全です。次が商売。それ以外のものは、その後です。ボールドウィン殿に目をつけられた以上、下手なことをすれば部下たちの安全が脅かされます。昨日までならともかく、領主館のあの状況では、領主様、騎士団長殿、おそらく両方とも無事ではないでしょう……そうなると、現在、この街で最も力を持っているのは、ボールドウィン殿です。物理的な危害を加えられる前に、街を出ます」
そういうと、ゲッコーは涼の方を向いて頭を下げた。
「リョウさんには、わざわざ捕らえてもらった証人を、許可なく引き渡して申し訳なかったと思います。ですが、部下たちの安全のためです。どうか、ご理解いただきたい」
「もちろんです。僕の事は気にしないでください。商会の方たちの安全が第一、素晴らしいと思います」
涼はそういうと、大きく頷いた。
「ありがとうございます」
ゲッコーは笑顔を浮かべ、再び頭を下げたのであった。