0097 オスカー登場
聖職者グラハムは、心の中で苦虫を噛み潰していた。
(まさかこれほどとは。近接戦がこれほど強い魔法部隊など、西方諸国には無かっ……いや、ほとんど無かった。斥候のモーリスが決定力にならないのは仕方ないでしょうが、アッシュカーンまで突破できないとは。いやいや、それどころか、ローマンと互角に打ち合うとか……あの皇女様はどうなっているんですか。実は彼女は魔法使いじゃなくて剣士……とか? まあ指揮官ですから、あり得ないとは言えないですか。いや、そういえば剣戟の最中にも、魔法を放っているから、やはり魔法使い……。よもやローマンが負けるとは思いませんが、あらゆる場所が膠着状態とは……)
グラハムにとっても、現状は初めての経験であった。
(やはり私が前線に出るべきだったでしょうか……しかし、回復役がいきなり前線に出て、もしも倒されてしまうといろいろ問題が……。ですがこの状況ではそうも言ってられません。加勢すべきでしょう。どこに加勢すべきか。さすがにローマンと皇女様の剣戟に飛び込むのは無理です。何もできないうちに細切れになりそうです。かと言って、モーリスと強風吹かしている近接戦になっているのかどうか微妙なところに行くのも……あの風をかいくぐるいい方法は思いつきません。となると消去法で、アッシュカーンと副官のユルゲン殿のところですか……)
グラハムが散々迷っている間に、事態は動く。
アッシュカーンは気付いていた。
戦闘開始直後にかけた<パーティーヘイスト>が、時間が経ったために効果が切れていることに。
<パーティーヘイスト>は、アッシュカーンの周囲半径五メートル以内にいる味方に、ヘイスト効果を与える魔法。
一度かければ、半径五メートルより外に出ても、一定時間ヘイスト状態が持続する。
だが、現状アッシュカーンの五メートル以内に味方はいない。
砲撃戦を展開している魔法攻撃職には、今更不要であろう。
皇女様と戦っているローマンにはかけたいのだが、近付くのは無謀すぎる。
暴風の前に何もできていなさそうなモーリスは、多分ヘイストがあってもあまり関係ない。
そうなると、必要なのは自分だけだ。
だが……目の前の剣士、そう、もはやとても魔法使いとは思えない、驚くべき剣士。
かの爆炎の魔法使いの副官だという男であるが、油断も隙もあったものではない。
しかも何かを狙っている。
そんな雰囲気がある。
何を狙っているのかはわからないが、相手の目の動きから、アッシュカーンはそう感じていた。
(どこかで自分へのヘイストをかけ直したいけど……それが隙に見えれば、その瞬間に魔法を放ってくるか……飛び道具を使ってくるか……わからないけど頭の片隅に置いておきましょう)
そして、おあつらえ向きの状況が生じた。
ユルゲンがバックステップした瞬間、ほんのわずかだが足を滑らせたのだ。
(ここ!)
それに合わせてアッシュカーンも大きく後方に飛び退って距離を取り、地面に着く前にヘイストをかける。
「<ヘイスト>」
「<泥濘>」
そのタイミングに合わせて、ユルゲンも魔法を放つ。
アッシュカーンの予想通り。
空中でヘイストをかけて着地すれば、すぐに反撃が出来る。そう思っていた。
だが、『土属性』の魔法使いであるユルゲンが放った魔法は攻撃魔法ではなく……、
ズボッ
着地した瞬間、地面が泥になっていたのだ。
そのまま両脚が膝上まで泥に埋まった。
「なっ……」
こうなると、簡単には抜け出せない。
当然、この状況を作り出したユルゲンがアッシュカーンの目の前に迫り、剣を首筋に突き付ける。
「……負けました」
アッシュカーンは負けを認めた。
グラハムが加勢に行こうとした瞬間に、アッシュカーンが泥に捕まって敗北。
「ばかな……」
グラハムは、加勢に行こうとしていたために、その瞬間を全て見ていた。
アッシュカーンが大きく後方に飛び、着地する直前、ユルゲンの足元から高速の線が走り、アッシュカーンの着地点で小さく弾けた。
そして、そこに小さな泥地が発生した……。
(爆炎の魔法使いの副官ユルゲン殿……やはり魔法においても一流……。しかし、これで均衡が崩れてしまいました……しかもこちらの悪い方に。こうなると……賭けになりますが、仕方ないでしょう)
「みなさん、モーリスの相手、マリーさんから潰します」
「それは構わないが、どう狙う? そしてこっちに砲撃してくる相手の遠距離攻撃魔法はどうする?」
ゴードンがグラハムに確認する。
「狙いは上方からです。強烈な下降気流でモーリスの動きを阻害していますが、上方からなら風の影響を受けにくいでしょう。相手の砲撃は私が受けます。いいですか? 3、2、1、GO!」
「<ファイアージャベリン>」
「<エアバスター>」
「<石礫>」
火属性のゴードン、風属性のアリシア、土属性のベルロックの一斉砲撃が天上からマリーに襲い掛かる。
同時に、フィオナパーティー後衛陣から、今まで以上の砲撃がグラハムらに放たれる。
「<絶対聖域>」
グラハムが唱えたのは、高位の聖職者のみが使用できる絶対魔法防御。
中央諸国の高位神官が使う『聖域方陣』の西方諸国版と言えよう。
その効果は、聖域方陣同様、全ての魔法攻撃を防ぐ。
絶対聖域の外からの魔法はもちろん、中からの魔法も防ぐため、三人の砲撃の後に生成したのである。
そして三人の砲撃を受けたマリーは……倒れていた。戦闘続行不能。
副官ユルゲンは、一瞬の判断の遅さを悔やんでいた。
相対したエンチャンターを降参させ、ようやく一人多い状態に。
それを活かして、一気に攻勢に出ようとした矢先に、今度はマリーが倒され……再び同数に。
倒されたマリーは、戦闘不能と判断され、救護小隊に演習場の外縁に運ばれて行った。
主席回復士フィンの様子からして、命に別状は無さそうである。
(油断しすぎだぞマリー……それにしても、これは困った。マリーの風魔法は、模擬戦でも使い勝手がいいのだが、私の土魔法は……下手すると相手に刺さるからなあ……。使いにくいんだが、仕方ないか)
未だ勇者パーティーは方針が定まっていない様だ。
ならば攻勢をかけるなら早い方がいい。
そう判断すると、ユルゲンは、青い彩光弾ならぬ彩砂弾を三つ打ち上げた。
火属性魔法使いのフィオナやオスカーは、指揮用にそのまま彩光弾を打ち上げるが、ユルゲンは土属性の魔法使いである。
そのため、光を青く反射する破裂砂である。
青三つ。
意味は、攻撃しつつ最大戦速で前進。
ユルゲンの号令の元、フィオナパーティーの後衛陣は動き出す。
そして、走りながら勇者パーティー後衛に向かって魔法攻撃。
ユルゲン率いるフィオナパーティーの意図は明確であった。
ローマンとフィオナ以外による、近接戦での決着。
それに対して、勇者パーティー後衛が採った戦術は、土属性魔法の泥地生成による遅滞戦術。つまり時間稼ぎ。
近付いてくる、フィオナパーティー後衛に対して、泥地を生成して進軍速度を遅らせる。
(何のための時間稼ぎだ?)
ユルゲンにはその意図が読めなかった。
フィオナパーティーは、中央で戦闘中のローマンとフィオナを迂回して、上方から見た場合に右から、つまり時計と反対回りに、勇者パーティー後衛に迫っている。
途中で、ユルゲンはそれに合流する予定だ。
そんな状況下で、なんのための時間稼ぎか?
(まさか、殿下と勇者の戦闘の終了を待って、というわけではあるまい……まだ均衡は崩れていない。ならば、一体……)
ユルゲンは、フィオナとローマンの戦闘を見て、まだ続きそうだと確認した。
そして、ふと視線はその先へと延びる……。
そこは、マリーと相手の斥候が戦っていた場所……もちろん誰もいない。
「誰もいない?!」
マリーは当然運ばれていないのだが、相手の斥候は?
「しまった!」
ユルゲンの口から吐かれたのと、フィオナパーティー後衛の後方から混乱が生じたのは同時であった。
勇者パーティーの斥候モーリスは、動き出したフィオナパーティー後衛の更に後方に回り込み、そこから襲い掛かった。
フィオナパーティー後衛は、混乱の極にあった。
最後尾にいた第二中隊長ニンが、首に手刀を入れられて、意識を刈り取られて戦闘不能に。
他のメンバーが、何が起きているのか理解する前に、第三中隊長シュトックも倒された。
この辺りは、斥候たるモーリスの面目躍如と言ったところであろう。
正面からの戦闘力は、確かに勇者パーティーの中では低い方であるが、こういった後方攪乱、暗殺、あるいは死角からの敵無力化は、モーリスの最も得意とするところであった。
しかもこの間にも、勇者パーティー土属性魔法使いベルロックによる、泥地生成の遅滞戦術は続いている。
斥候であり、足場の悪い場所での戦闘も苦としないモーリスはともかく、フィオナパーティーの面々にとっては、驚くほど戦力を削られる。
ベルロックの泥地生成以外の攻撃魔法は、合流した副官ユルゲンの土壁によって防がれているが、事態は悪化の一途を辿っていた。
足元は泥地、その上、斥候モーリスは煙幕を張ったのだ。
この模擬戦は、特にアイテムの使用に制限は設けていない。
足元を気にしながら、煙の中で斥候と戦う……まさに悪夢以外の何物でもない。
「これは、もう……」
ユルゲンが呟いた時、立ち合いの第一中隊長エミールの声が響き渡った。
「そこまで! 試合終了。勝者は勇者パーティー」
声の方を見ると、中央で戦っていたフィオナが、エミールに降参を告げたのであった。
「殿下、申し訳ありませんでした。私が、もう少し早く相手の意図に気付いていれば……」
「いや、ローマン殿との戦闘にかかりきりになって、周りを見る余裕が無くなっていた。指揮官失格だな」
そういうと、フィオナは笑った。
「皆にも苦労をかけた。そういえば、マリーが運ばれて行ったみたいだが……」
「回復のフィンの表情からして、問題は無さそうでした。……殿下?」
ユルゲンがフィオナを見ると、フィオナの視線が観客席の一番上に止まっている。
「師匠……」
その視線の先には、帝国皇帝魔法師団副長オスカー・ルスカの姿があった。
オスカーが、観客席の最上段から一歩ずつ降りるにしたがって、師団員たちが立ち上がり敬礼する。
その光景は、事情を全く知らない勇者ローマンとそのパーティーたちにも、降りてくる者が尋常の者ではないことを教えていた。
ゆっくりと、だが遅すぎず、しかして速すぎず。
二百名近い師団員全員の敬礼を受けながら、オスカーはフィオナの前に着き、おもむろに片膝をついて礼を施す。
「殿下、オスカー・ルスカ、ただいま帰参いたしました」
「よく戻った」
ただそれだけの会話であったが、二人の間には他の者には窺い知れない、濃密な思いのやり取りがなされていた。
だが、この場は公の場。
私的な会話は後ほどすればよい。
「副長に知らせておくことがある。こちら、勇者ローマン殿とパーティーが昨日より投宿されている。皇帝陛下は、お主とローマン殿の模擬戦の許可を出されている」
「お初にお目にかかります。ローマンです」
フィオナの紹介に、ローマンが答えた。
「帝国皇帝魔法師団副長を拝命しております、オスカー・ルスカです。しかし、勇者殿とは……。今代の勇者は西方諸国にいらっしゃると聞いたのですが、なにゆえこの中央諸国へ?」
「オスカー殿に、ぜひ一手ご指南いただくためです」
ローマンの両眼は、オスカーを正面からとらえた。一切のぶれなく、全く揺るがず、真っすぐに。
「ふむ……。しかし、私には、勇者殿と戦う理由がありません。また、長らく任を空けておりましたため、やるべきことが溜まっております。それゆえ、模擬戦はまたの機会に」
オスカーはローマンを正面から見据えながら、戦闘を断った。
絶句するローマン。
「お待ちください」
二の句を継げなくなったローマンに代わって、聖職者グラハムが言葉を差し挟んだ。
「オスカー殿。私は、本パーティーの折衝役を仰せつかっております、グラハムと申します。失礼ですが、皇帝ルパート六世陛下は、オスカー殿とローマンとの模擬戦の許可を出されました。ここで、それを拒否なさるのは、いかがなものかと思いますが」
「皇帝陛下はあくまで『許可』されただけであって、戦えと『命令』されたわけではありますまい。とはいえ、なぜ相手が私でなければならないのか、そこにしかとした理由があるのであれば、戦うのもやぶさかではありません。ローマン殿、いかがか?」
(こいつもローマンから言質をとろうとするか!)
昨日、フィオナがやったことを副長のオスカーにも行われ、グラハムは心の中で何十匹目かの苦虫を噛み潰していた。
だが、それが必ずしも悪い事ばかりではないことを、この後グラハムは知ることになる。
勇者ローマンは訥々と語り始めた。
「お恥ずかしい話ながら、私は、先日完敗いたしました。それも、不意打ちやだまし討ちと言ったものではなく、数に物を言わせた戦闘でもなく、一騎打ちで。しかも、私は仲間たちから様々な強化魔法をかけてもらったにもかかわらずです。その相手は魔法使いだったのですが、剣士である私の剣は、掠ることすらかないませんでした。その敗北から、私はもっと自分を鍛えたいと思い、中央諸国で強者と名高い、爆炎の魔法使い殿の元を訪れました」
勇者ローマンを下した者が『魔法使い』であったというくだりの所で、オスカーは小さく反応した。オスカーの脳裏には、水属性の、ある魔法使いの姿が浮かんでいた。
「その、相手の魔法使いについて、詳しく聞きたいのですが?」
「もちろんです。一手ご指南いただいた後なら、いくらでも」
オスカーの問いに、勇者ローマンは笑顔で答えた。
その答えに驚いたのは聖職者グラハムである。
(まさかローマンにこんな返しが出来るとは……)
ローマンに条件を付けられ、オスカーはほんの僅かだけ、口角を上げて答えた。
「いいでしょう。とはいえ、そちらは先ほど戦闘されたばかりですから、昼食後、一時に」
「ありがとうございます!」