0094 勇者の訪問
デブヒ帝国帝都マルクドルフは、未明から降り始めた雪により、うっすらと白に染まっている。中央諸国随一と言われる巨大経済圏の中心である帝都の通りではあるが、人通りは決して多くなかった。
帝国全体の景気の悪化を象徴しているかのように。
帝都中央を南北に貫く大通り、その行き着く先は、帝国全ての中心、帝城。
帝城の主、皇帝ルパート六世は執政ハンス・キルヒホフ伯爵から一つの報告を受けていた。
「勇者が到着しただと?」
「はい。先ほど帝城に御着きになり、約定に基づき陛下への謁見を願い出ております」
ルパート六世は、明らかに嫌そうな顔を見せながら訊き返し、執政ハンスは理解はしますがやむをえません、という顔で答える。
「国境を越えたという報告が以前あったな。一週間前か。ということは、どこにも寄らず、帝都まで一直線にやってきたという事か」
「そうなります。明確な、何らかの目的があるのでしょうが……謁見を願い出ているだけで、目的の方は不明です」
やはりルパートの顔は、嫌そうな顔である。
勇者など、面倒ごとを持ち込む存在以外の何物でもない、ルパートはそう思っているのだ。
「その、約定とかいうのは何だ? 俺は、勇者との間に約定があるなどと聞いたことが無いのだが……」
「私も分かりませんでしたので、図書館の司書長チューラン殿に調べてもらいましたところ、約三百年前、まだ王国であった時代の国王カール十二世陛下が、勇者にお墨付きを与えられたとの記録がございました」
「三百年……大昔だな。内容は?」
「いつの時代においても勇者に協力する、と」
それを聞いて、ルパート六世は大きく溜息をついた。
「まったく、面倒な。まあ『協力』はしてやろう。謁見で勇者とやらが求める内容次第だがな」
『略式』の謁見ということで、本来なら居並ぶ廷臣たちは、今回はほとんどいない。
階の下には、勇者ローマンを筆頭に、パーティーメンバー七人が片膝をつき、皇帝ルパート六世から声がかかるのを待っている。
「勇者ローマン殿と仲間の方々、面をあげられよ」
執政ハンス・キルヒホフ伯爵がそう声をかけると、勇者パーティーの面々は不躾にならぬように俯いていた顔をあげた。
「勇者ローマン、並びに仲間たち、大儀である」
ルパート六世が声をかける。
「もったいなきお言葉」
それに対して、勇者パーティー最年長の聖職者グラハムが答えた。
パーティーリーダーは、勇者ローマンなのであるが、未だ十九歳と様々な経験が決して豊富ではないため、最年長のグラハムが、対外面で折衝役となることが多かった。
「この謁見は略式故、固くなる必要はない。名高き勇者ローマン殿一行が、我が帝国を訪れていただいたのは大変名誉なことであるが、その理由をお尋ねしてよいかな」
皇帝ルパート六世は、内心の嫌悪などおくびにも出さず、むしろ丁寧に問うた。
「私は、爆炎の魔法使いと名高きオスカー・ルスカ殿に、ぜひ一手ご指南いただきたいと思いまして、帝都を訪れました」
勇者ローマンは、その両目で力強くルパート六世を見据えながら答えた。
国によっては、あるいは権力者によっては、これは大変不敬な行為である。
そのため、パーティーメンバーはハラハラしながらローマンを見守っている。
「ふむ、オスカーとの模擬戦か」
ルパートにとっては相当に意外な申し出であった。
なぜ勇者がオスカーと戦いたがる?
「オスカー・ルスカ殿と言えば、冒険者としても非常に高名な方です。それゆえ、まず冒険者ギルドを訪れたのですが、既に軍籍に入られていらっしゃるため、ギルドに来ることはないと言われました。それゆえ、皇帝陛下のご寛恕におすがりしようと、こうして失礼を顧みず登城した次第にございます」
聖職者グラハムが、謁見を願い出た理由を説明した。
「ハンス、オスカーはどうしておる?」
「陛下、オスカー殿は魔法演習場に詰めておられます」
ハンスの予想通りの答えを聞き、ルパートは思った。
(演習場にこもっているのはいつもの事。とはいえ……師団の指導は全部フィオナたちに任せ、自分は第四魔法演習場にこもったままとか。ウィットナッシュの件が相当に堪えたと見える……。あの状況で、結局はフィオナを無事に守り通したのだからよくやった方なのであろうが、納得できずと。まあ、これでまた強くなるであろうさ。善き哉善き哉)
ルパートは心の中で、そう、ほくそ笑んだ。
(そう言えば、まだあの凶行を起こした連中の手掛かりはあがっておらんと言っておったな。国内を掃除するついでに、コンラートが国外の反帝国分子を釣り上げてくれればと思って行かせたのだが……フィオナまで明確にターゲットにするのは想定外であったな、ぬかったわ。この借りは必ず返すぞ)
ルパートは心の中で、今度はギリギリと歯を食いしばった。
(ウィットナッシュで仲裁したのは、「あのアベル」だったとか。ということはその水魔法使い、王国の切札の可能性があるということか。それほどの秘匿戦力を明らかにできただけでも、帝国としては大きな情報を掴んだわけか。まあ、良しとせねばなるまい)
だが、口から出たのは、もちろん心の中で考えていたものとは全く違う内容である。
「よかろう、勇者ローマン殿の希望をかなえよう。演習場への訪問を許可する。とは言え、演習場は帝都からも今少し離れておるため、今夜は城でゆるりとされ、明日出立なさるがよろしかろう。馬車を用意し送らせよう」
「皇帝陛下のご厚意に感謝いたします」
勇者ローマンは深々と頭を下げた。
「勇者が来る?」
皇帝魔法師団長フィオナ・ルビーン・ボルネミッサは、副官マリーに訊き返した。
「はい。帝城より連絡がございました。こちらが連絡文です」
そういうと、副官マリーはフィオナに連絡文を渡した。
フィオナは三度、読み返した。
「お父様は何を考えておいでになるのか。この演習場に外国の者が入る許可を与えたのもそうだが、師匠との模擬戦も許可とは……。ユルゲン、師匠はいつも通りなのだろう?」
「はい。副長は今日も、いつも通り、第四演習場に一人でこもられています」
フィオナの問いに、副長オスカーの副官であるユルゲンが答えた。
昨日今日の事ではなく、ウィットナッシュから戻ってからこちら、毎日の事である。
とうに一カ月を超えている。
オスカーは、朝食と報告はフィオナに直接行うが、その後は一人で第四演習場にこもるのだ。
もちろん、師団長たるフィオナが許可しているため問題はない。
師団員への指導や演習も、フィオナを中心に副官のマリー、ユルゲンと、各中隊長が中心となって行い、オスカーがいなくとも支障はない。
そういうシステムが構築されている。
「まあ師匠は仕方ない。時々あることだから」
付き合いの長いフィオナは知っているのだ。
負けたり、大きな失敗をした場合に、そういう行動をとることを。
その原因が、自分の魔法にある場合に、である。
自分の魔法の力が足りないと痛感した時に、オスカーは一人でこもるのだ。
(負けた屈辱を思い出し、怒りに身を震わせるのだと師匠は以前言っていた。何度も何度もその光景を思い出し、脳に焼き付け、自らを焼き尽くす炎をイメージするのだと。それによって、強くなると。実際に、あの過程を経た後の師匠は、私でも分かるくらいに強くなる……特に魔法の威力と生成スピードの向上が、異常なほどに。私にもやってみろと言われたが、全然変わらなかった……正直、まったく理解不能なのだが……師匠だけが出来ることなのか? そうではなく、もしかしたら、魔法の深奥に類する何かがそこにあるような気がしてならないのだが……。師匠が出てきたら、今度はいろいろじっくり聞いてみよう)
ここ二年程は、オスカーが魔法に関することで追い込まれることなど無かったために、フィオナですら久しぶりに目にする光景であった。
半年前から召集された師団員はもちろん、二人の副官となって一年半のマリー、二年以上ではあるユルゲンも、オスカーのこの行動は初めて見るものであり、戸惑っていた。
「時々あるのですか……」
オスカー付きの副官であるユルゲンも、初めての経験ということで戸惑っているのだが、フィオナが理解しているということは分かっているために、深く考えないようにしていた。
「明日の昼過ぎに、勇者一行は着くらしい。師匠が相手をするかどうかは分からないが、師団員が模擬戦をしてもいいだろう。そういう趣向と、彼らが泊まる場所を手配しておいてくれ」
「かしこまりました」
副官マリーが一礼して、とりあえず勇者を迎えるミーティングは終了したのであった。
帝都から演習場に向かう馬車の中には、勇者ローマンとそのパーティーメンバー、合計七名がゆったりと座っていた。
「これほどに巨大な馬車、見たことがありません」
「十頭立てとか、相当な訓練をこなした馬でなければ、難しいでしょうね」
口々に馬車を褒めている。
だが、その中に一人だけ面倒そうな顔をした男性がいた。
「なあローマン、マジで行くのか? 中央諸国の魔法のレベルなんて、ものすげー低いんだぞ? 俺やアリシアの足元にも及ばないぐらいに。行くだけ無駄だって」
そう言うのは、火属性魔法使いのゴードンである。
年齢は二十三歳、傲慢な物言いであるが、それだけの実績を西方諸国で冒険者として積み上げてきていた。
中央諸国の魔法使いに対する低い評価は、西方諸国、あるいは東方諸国の魔法使い達の中では、ここ半世紀以上、常識となっていた。
「ええ。ぜひ指南いただきたいと思っています」
勇者ローマンの中では、軽くあしらわれた悪魔レオノールの記憶が重くのしかかっていた。
「あの、レオノールだっけ? あいつが言ってたのが本当だとは言えないだろう? お前の一万倍強いとか……そんな人間がいてたまるかよ。西方諸国の強い奴は、確かにだいたい知っているし、その中でお前と互角ならともかく、圧倒するような奴はいない。それは事実だ。だから中央諸国に行く、まあ分からんではないが……それでも、その『強い奴』は魔法使いじゃないと思うぞ?」
「ですがゴードン、中央諸国で、今最も有名な冒険者、あるいは強い冒険者と言えば、真っ先に名前が挙がるのが『爆炎の魔法使い』です。もしかしたら、求めている人とは違うのかもしれませんが、強くなる何らかの手がかりにはなると思うんです。僕のわがままです。もう少しだけつきあってください」
そういうと、勇者ローマンは深々と頭を下げた。
こうやって正面から来られると、もう誰も抵抗は出来ない。
ローマン以外の勇者パーティー六人は、皆そのことを嫌と言うほど経験していた。
「はぁ……」
ゴードンは深く、本当に深く溜息をついた。
「わかったよ……まあ好きにしろ」
ローマンが下げた頭の髪を、手でくしゃくしゃにして、ゴードンはローマンの希望を受け入れた。
「はい。ありがとうございます」
勇者ローマンは、にっこり微笑んだ。
この笑顔が、勇者パーティーの面々を繋ぎとめているという自覚は、まだローマンにはなかった。