くじの糸
十二月二十八日。
ちらちらと風花の舞う札幌、せわしなく行き交う人込みの中を、奸田太一は俯いて歩いている。彼女から借りた金をG1レースに全て注ぎ込み、懐は見事にスッカラカンだ。
太一は地下街のベンチに座り込んだ。
「ここだ、この予想が甘かったか・・・」
競馬新聞を何度も読み返しては、後悔の言葉を繰り返していた。
その頃、天上界では、八百万の神様が師走の繁忙期も大詰めを迎えていた。
同僚が天手古舞する中、福の神に昇格したばかりの福之平は、休みを前にウキウキとした気分で昼食へ向かった。
「福之平くん、こっちこっち」
声に振り向くと、天女の白瀬が手を振っている。
弁財天様の部下として働く白瀬は、美人が多いと評判の「福の神事業部」でも、なかなかに美しいことで知られていた。
「すずちゃん、お待たせ」
「明日から、予定通りに休めそう?」
白瀬は小さくしなをつくった。
「もちろんだよ。そのために頑張ってきたからね。絶対に休むよ」
誰が何と言おうと休むのだ。休むなと言われても休むのだ。僕はこの日のために生まれてきた、と言っても過言ではない。
「よかった。私、竜宮城って初めてなの。楽しみだわ・・・じゃ、私もう行くわね。午後からあいさつ回りなのよ、急がなきゃ」
白瀬は立ち上がり、ウィンクをした。
超絶かわいい。
「出発は明日の朝だからね。迎えに行くからね」
笑顔で離れてゆく白瀬に手を振って、福之平はほくほくとした気分で昼食を終えた。
ふわふわとした足取りで所属先の個人コンシューマー部へ戻り、退社時刻までのプランを頭に思い描いた。
「さて、午後は残務整理をして、時間でもつぶそう。明日はすずちゃんと・・・うふふふふ」
緩みがちな口元を押さえながら、福之平は個人用「幸福」割当ファイルを開いた。
ここのところ、天上界では人間のシステムを参考にして、業務改善が進んでいる。そのせいか、デスクワークの効率が上がっていた。昔ならいざ知らず、今は「たかが人間」などと言う者はいない。
「福之平君、ちょっと」
恵比寿様からお呼びがかかった。
「はい」
上司の席へ向かう途中、福之平は恵比寿の眉間に刻まれたシワを見て、嫌な予感がした。
「なんでしょうか」
「福之平君、君の担当している個人配布割当だが、今年分がまだ未達成だね」
恵比寿は手元の書類を見てから、おもむろに顔を上げ、福之平を一瞥した。恵比寿顔の目だけが笑っていない。
「・・・はい。年明け早々には、取り掛かる予定です」
「残額は一億か」
「はい」
実を言うと、残額は覚えていなかった。
「今年の割当を来年に回すのは感心しない。すぐに着手して終わらせたまえ」
席に戻ろうとした福之平に、恵比寿は念を押して言った。
「今年は今日を入れてまだ四日ある。必ず終わらせるんだ。いいね」
「はい」
今年中だって?
「冗談じゃない!」と言いたかったが、福之平にその資格は無い。業務の遅れは、百パーセント自分の責任である。
恵比寿の奴、貧乏神との折衝に失敗して、お釈迦様から叱責されたに違いない。きっとその腹いせに、こんな無茶を言ってきたんだ・・・ちくしょー!
福之平は席に戻ると、担当地域の人間を猛然と調査し始めた。
これから福を配るとして、対象が複数名だと、時間内に終わらないかもしれない。かくなる上は、一人に一億を渡すしかない、となれば・・・あ、そうだ、過去十五年の重大犯罪者は対象外だもんね。危なかった。それ以外で・・・ほどよく不幸な人間は・・・と。
いた。
福之平は、条件に一致する該当者を見つけ、ニヤリとほくそ笑んだ。
「こちらへどうぞ。貸出は蜘蛛の糸、一本で間違いないですか?」
「はい」
「今どき珍しいですね、蜘蛛の糸なんて」
「そうなんですか」
蜘蛛の糸を受け取る福之平に、半神半人の備品係が教えてくれた。
「ええ、今はもっと効率の良い道具がありますよ。随分前になりますが、これを使って地獄から人間を釣り上げようとした方がいましてね、途中で切れてしまって人間は地上に落下、大問題になりました」
それは聞いたことがある。当時の上級神が何人か処分されたはずだ。
「それからは験が悪いと言われて、すっかり廃れました」
「福の配布には、不向きですかねえ・・・」
「老婆心ながら、緊急に備えて地上派遣の申請をしてはどうですか。その方が無難ですよ。この糸、切れやすいから。最近は外資系のやり方を参考に、羽根を付けて飛んでいく方もいらっしゃるみたいですが」
あれは好きじゃない。
シースルーの白い布をまとって半裸になるのは、身体に自信のあるやつだけだ。
「地上派遣の申請は、どれくらいかかるでしょうか?」
「今日は戻ってくる方が多いですから。たぶん、2時間もあれば済むでしょう」
福之平は貸し出された蜘蛛の糸を持って、少額備品管理課を後にした。
地上派遣申請を自分の席で終わらせて、今度は余剰資産管理課へ出向くことにした。ここでは、身寄りが無いまま亡くなった方の箪笥預金から、台風で沈んだ船の財宝まで、使われることのない資産を一定期間、管理運用している。
「すみません、福之平です。さきほどお願いした品物を受け取りに来ました」
「少々お待ちください・・・。これですね、昨年末の宝くじ、当選前後賞一枚、一億円相当」
「そうです。ありがとうございました」
これで道具がそろった。
時刻は午後2時を過ぎたばかりだ。なんとか間に合うだろう。
「よく見つけましたね、そんな品物」
「ええ、まあ」
白瀬すずの顔が頭に浮かんだ。彼女のために、というより自分が彼女と旅行をするために、これくらいの努力は当然であった。
「最近は単に現金を拾わせるとか、楽な仕事しかしないような風潮があるけど、こういう福の配り方は、いいと思いますよ」
「はあ、ありがとうございます」
福之平は宝くじと蜘蛛の糸を持って、急いで地上連絡通路に向かった。
現世連絡課の係員が、通路入り口で待っている。係員は間接通路9番へ案内してくれた。
「直接通路の申請はしなかったんですか? 間接通路はここ数年、使われていませんよ」
「たった今、申請したところでして。とりあえず、間接通路ならすぐに使えると思って」
福之平は蜘蛛の糸をほどきながら答えた。
「そうですか。利用が終わったらそのままにしておいて下さい。今日は仕事納めなので」
そうか、ここも仕事納めだった。
「ひとつ教えてください。直接通路の利用時間は、何時まででしょうか?」
「24時間です。17時に係員は居なくなりますが、利用申請済みの方には影響ありません」
よかった。なんとかなりそうだ。
「わかりました。ありがとうございます」
福之平はほどいた蜘蛛の糸を宝くじに結び、ターゲットの座標を確認して、よくよく狙いを定め、地上目掛けてするすると下ろしていった。
「さあ、拾え・・・拾ってくれ」
奸田太一はベンチに座ったまま、はずれ馬券を手に、何度目かの深い溜息をついた。
いつまでこうしていても、埒が明かない。帰るか。
競馬新聞を捨てようと立ち上がった時、何かが新聞から落ちた。
ひらひらと落ちた紙切れを拾うと、一枚の宝くじだった。
「宝くじ・・・しかも去年のか」
くしゃくしゃに丸めて、新聞と一緒に捨てようとしたその時、「やめろ」と誰かに言われたような気がして、辺りを見回した。
誰も彼もが、足早に通り過ぎてゆく。太一に注意を払う人はいない。
「気のせいか。それにしては、はっきりと聞こえたような・・・・・」
丸めた新聞を開いて、捨てようとした紙切れを、もう一度よく見た。
間違いない。去年の年末ジャンボ宝くじだ。
「チッ・・・今年のならまだしも、去年のじゃあな。ゴミにしかならねえ」
じーっと宝くじを見る太一に、またも声が聞こえた。
「それを持って銀行へ行け」
誰だ?
咄嗟に声の方向を見たが、そこには地下街の天井があるだけだった。
太一は気味が悪くなり、急いでその場を離れることにした。後ろを振り返りながら地下街を進むうちに、街の中心部に出た。みずほ銀行の文字が目に入る。
丸めた宝くじをポケットから出して、今しがたの声を思い出してみた。
拾った宝くじを銀行へ持っていけだと? ふん、そんな馬鹿がいるものか。ここで捨てちまえ。
だが、宝くじを捨てようとしても、手が固まったように動かない。
太一は愕然とした。
捨てては駄目だと、またもや声が聞こえた。
「わ、わかった。換金する」
体の硬直が解けた。
「うそだろ?」
怖い。
正直に言えば、逃げ出したかった。でも、無視するのはもっと怖い。仕方がないから、行くだけ行ってみよう。
ばかばかしいと思いながらも、太一は地下入口から地上一階へ上がり、拾った宝くじを銀行窓口へ差し出した。
「いらっしゃいませ。少々お待ちください」
窓口の女性はよれよれの宝くじを受け取り、奥へ消えた。
ロビーで週刊誌を開いたと思ったら、すぐに男性銀行員がやってきた。
「宝くじをお持ちになったお客様、奥へ来て頂けますか?」
「はあ・・・」
太一は男性の後について、応接室へ通された。
「おめでとうございます。昨年の年末ジャンボ宝くじ、前後賞の当選です。一億円になりますが、現金をご覧になりますか? それとも入金なさいますか?」
なんてこった。本当に当たりくじだったのか。
「お客様?」
「・・・はい」
「現金をご覧になりますか?」
「あ、うん。見せてほしい」
男性銀行員は一度出て行き、しばらくして台車を押しながら戻ってきた。
台車の上には、紙封された札束が十個載っている。
夢じゃないのか。夢なら覚めないでくれ。
「これ・・・」
太一は茫然と札束を指さした。
「はい、どうぞ手に取ってご覧ください」
おそるおそる札束を手に取り、重さを確かめた。夢ではない。本物の札束だ。
それから5分後、太一は行員が止めるのを聞かずに、ガムテープでぐるぐるに巻いた紙袋を強く抱きかかえ、地下鉄に乗って自宅まで戻った。預金をしませんか、と言われたような気もするが、そんなことはどうでもよかった。
ドアを後ろ手に閉めてカギをかけてから、熱に浮かされたような面持ちで、そっと包みを床に置いた。
「やった」
これで俺は億万長者だ!
福之平は、太一が自宅へ着いたのを確認して、一息ついた。
「ふぅ・・・これで良し」
ここまで来れば、仕事を終えたも同然だと思うが、もう少しだけ監視は続けよう。万が一、ここで強盗にでも入られたら、苦労が水の泡だ。
福之平は呟いた。
何事も明日のためさ。
明日の今頃は、うふふふふ・・・。そのために、石橋を叩いて渡るのだ。
「それって、やばくね?」
「やっぱ、そうかな」
金田貢子は、友人の知美に太一のことを話すと、即座にこう言われた。
「絶対にやばいよ。あたしだったら、今日にでも取り立てに行くね。昨日貸した三万円だっけ? それがどうなったか聞いてごらん。もし競馬で擦ってたら、即刻縁を切るべきよ。もちろん、今まで貸した分は返してもらってから」
知美に言われるまでもなく、太一とは別れる方が良いと思っていた。
頼りないところが気になって今まで面倒を見て来たけど、賭け事は止めないし、私の言うことなんて全然聞いてくれないし。セックスは下手だし。
「そうね・・・知美の言う通りかも。わかった。行ってみようかな」
「そうこなくちゃ。でもその前に、お腹空いてない?」
貢子と知美はファミレスで食事をして、職場の愚痴を言い合ってから、太一に連絡を入れてみた。
「この時刻なら、たぶん部屋にいると思うんだけど。・・・携帯がつながらない」
「なら、直接行こうか」
その頃、当の太一はビールで盛大に乾杯をしてから、一億円分の札を部屋いっぱいに敷き詰めて、札片のシャワーを楽しんでいた。
「ヒャッハー、とったどー!」
その声は隣と下の階に響き渡り、苦情連絡がアパートの大家に入った。
大家の田中は、苦情の元凶が太一の部屋だと知り、腕まくりをして自宅から5分の賃貸アパートへ向かった。
「夜中に騒ぎおって。今日こそは許さん。溜まりに溜まった家賃を払ってもらうぞ」
「了解。これから向かいます。」
「何の連絡ですか?」
コンビニで飲み物を買って戻った後輩の加藤が、先輩の佐々木に尋ねた。
「ただの酔っぱらいだろう。大騒ぎしてうるさいってさ」
なんてこった。
今日は娘の誕生日だから、定時に速攻で帰ろうと思っていたのに。
ああ、きっとカミさんは怒るだろうなあ。とほほ・・・。
許せん。
まったく、年の瀬に迷惑な奴だ。厳重に注意してやろう。
待ってろよ。3分もあれば着く距離だ。
二人の警官は、車で現場へ向かった。
ピンポンピンポンピンポン
「うるさいなぁ、誰だ?」
灯りを点けているから居留守は使えねーな。
太一は仕方なく玄関へ行って、ドア越しに声を張り上げた。
「誰? 忙しいんだけど」
「貢子だけど、開けてくれない?」
まずい。そう言えば、金を借りたままだった。その金は競馬で全部パーだ。宝くじのことがあったせいで、すっかり忘れていた。
振り向いて自分の部屋を見た。
一万枚の紙幣が、部屋いっぱいに散らばっている。とてもじゃないが、すぐには片づけられない。
まあ、貢子ならいいか。
ドアを開けようとチェーンを外しかけたその時、
「ちょっと、あなたたちは、どちら様?」
「え、あの、太一くんの友人ですけど」
「ああ、そう。私はここの大家で田中と言います。今しがた、この部屋が騒がしいって苦情が来てね。見に来たんだ。おい奸田くん、居るのはわかっている。大家の田中だ。騒ぐのは止めて、半年分の家賃を払いなさい。今日は絶対に払ってもらうぞ」
まずい、大家が来た。
どうしようかと右往左往しているうちに、外が騒がしくなってきた。
「こんばんは」
「あ、おまわりさん」
なんだと? どうして警察が?
「ここの住人から、異常者が騒いでいると通報があって参りました」
まずい、まずいよ。
窓から逃げるにしても、金をこのまま置いては行けない。大家が入って来たら大変だ。どさくさに紛れてネコババされてしまう。きっとそうなる。
制服警官を見て、ここぞと知美が訴えた。
「ちょうど良かった。聞いて下さい。ここにいる貢子が、この部屋の男に三十万円も貸したまま返してもらえないんです。捕まえてください」
太一の顔色が変わった。
にゃろー、余計な事を言いやがって。ブスの知美だな。いつもいつも貢子につきまといやがって。モテないもんだから、俺に当たりやがる。ったく、出て行って殴ってやりたいが、そうもいかない。
警官二人は顔を見合わせ、苦笑した。
「私的な借金の取り立ては、お手伝いできません」
「でも、通報されたんでしょう? その元凶が、この部屋にいる男で、しかも三十万円を踏み倒そうとしているの!」
知美は地団駄を踏まんばかりだ。
絶対にゆるすもんか。あたしを捨てて貢子に乗り換えたこと、絶対にゆるすもんか。貢子は大切な友達だから、そんなこと言えない。でも、私はお前をとことん追い詰めてやる。ちくしょう、地獄へ堕ちろ。
そこへ大家の田中が口添えをした。
「ついでだから言わせてもらうと、彼は家賃半年分を滞納しているんです。そのうえ乱痴気騒ぎで苦情が来ました。全く迷惑な話だ。説教の一つもしてやらんと」
こうまで言われて、佐々木巡査は少しばかり心が動いた。
「普段からこんなに騒ぐ男ですか? 違う? そうですか。何か薬物でもやっているのかな」
佐々木巡査は、後輩の加藤に目配せをした。
開けてもらうか。
そうしましょう。
後輩は眼で応えた。
「大家さん、鍵はお持ちですか?」
「ええ、ここに。おい奸田くん、開けるぞ」
「ダメ、困ります。待って」
うわあ、どうしよう。
これを見られたら、どんなことになるか。
少しでも時間を稼ぐんだ。
外に聞こえる様に大声で言った。
「ちょっと待って! ちょっとだけでいいから!」
「いいや、待てない。もし裸だとでも言うなら、服を着なさい。3分だけ待つ。いいかね?」
3分・・・何もできないじゃないか。
「仕方ないですね。開けられないように内側から押さえましょう」
太一は腰を抜かした。
隣に知らない男が立っているではないか。
「あんた・・・いったい誰だ? どうやって入った?」
「今はそんなこと気にしないで。連中が入って来ますよ」
「あ、はい。・・・でも、誰?」
まだ若い男だ。二十歳過ぎ、といったところか。ずいぶん古風な出で立ちである。
あ、そうだ、これって衣冠束帯とかいうのじゃなかったか。いや、それとも違うなあ。
とりあえず誰なの?
「一つ聞いていいかな?」
男がこちらを見て口を開いた。育ちの良さそうな面差しだ。
「キミ、聞いてる? 質問があるんですけど」
「あ、はい。・・・どうぞ」
「キミ、窃盗で一度捕まっているよね。三年前に。この状況を見られたら、やっぱり疑われるかい?」
男の白い顔を、太一は茫然と見つめた。
なんで、そんなことまで知っているんだ。
ガチャ
太一は玄関ドアを全力で押さえた。
「わー、待った待った待った」
窃盗のことなんて、すっかり忘れていたぜ。
確かに男の言う通り、この状況を見られたら、盗んだと思われても不思議はない。絶対にドアを開けられてはならない。
「誰だか知らんが手伝ってくれ。あんたの言う通り、疑われるのは間違いない」
「そうか・・・」
福之平はドアを押さえながら、心の中で目まぐるしく計算していた。
この男が警察に捕まりでもしたら、まるで貧乏神の仕事だ。減点は避けられないだろう。やっとのことで、座敷童から福の神に昇格したばかりだというのに、もし降格なんてことになったら、白瀬さんがなんと思うことか・・・。
「キミ、奸田太一くん、だったね。とりあえず時間を稼ごう」
「・・・はい」
って、なんで俺の名前まで知ってるの? おかしいでしょ。つうか、恐いよ。
「あんた、名前は? いったいどこの誰だ」
あ、こいつ名前を訊きやがった。困るよ、僕は嘘がつけないんだから。
「福之平、と申します」
「どこかでお会いしましたっけ」
「いいえ」
「どうしてここに?」
「く・・・まあ、通りすがりの・・・福の神です。アフターサービスに参りました」
うそーん。
ヤバい。ヤバいヤバいヤバイ。
警官と大家が乱入してくるより、こいつと一緒にいる方がヤバいかもしれない。
「もうしばらくの辛抱です。頑張れ、太一くん」
何がもうしばらくなのか、さっぱりわからん。
外からは、開けろ開けろと言う声が、だんだん大きくなってきた。
騒ぎを聞きつけて、近所の住人が出て来たらしい。
それにしても、この危ない人、福の神だと言っていたけど、すごい力持ちだ。何人かが外からドアを開けようとしているのに、ビクともしない。
「あの、ええと、福の神さん?」
「うん、何でしょう」
「金を隠したいので、このドアを開けられないように押さえてもらっていても、いいですか?」
「ええ、元よりそのつもりです」
「じゃ、よろしく」
太一はドアを福之平に任せて、万札の回収を始めた。
「あ、太一くん、今何時かな?」
「え、ええと、もうすぐ零時。夜中の十二時です」
何時だっていいだろう。おかしな奴だ。いや、それより金の回収が先だった。
太一が足元の万札を数枚握った時、テレビの番組が十二時を知らせた。
ポーン♪
12月29日です。今週は特番、突撃XXの時間ですよぉ・・・
「あ、日付が変わった。よかった、これで安心だ」
「はあ?」
意味不明な言葉を聞いた次の瞬間、玄関ドアが「バン」と勢いよく開けられた。
「君、ちょっと警察まで来るんだ。薬物検査を受けたまえ」
「こら、奸田くん、先に家賃を払いなさい!」
「太一、貢子に金返せ! 私の青春も返せ!」
天上界へ戻るまでの間、ずっと下界から届く阿鼻叫喚の声が聞こえていた。
「いやー、間一髪だったな。直接通路の申請をしておいてよかった」
間接通路だけなら、残業になっていただろう。運が悪ければ、明日も仕事になっていた可能性さえある。
福之平は大きく息をついて、胸をなでおろした。
仕事としては十分だ。うん。義務は果たした。帰るとするか。
あ、待てよ。恵比寿に報告をすべきかな・・・いや、今日は直帰でいいだろ。うん。
「一応ルールだから、アナウンスはしておこう」
福之平は懐からメガホンを取り出し、下界へ向かってはっきりと伝えた。
「お届けした福のアフターサービスは、当日限りでございます。なお、クーリングオフは受け付けておりません。ご了承くださいませ」
これでよし。
帰ってから、すぐに旅行の準備をしなくちゃ。
福之平の頭の中は、すでに明日のことでいっぱいであった。
了
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