3.冒険者とは
ダンジョンを抜け出し、そのまま倒れ込むようにベッドで眠りについた次の日。いくら疲労していようと俺は花の男子高校生である為、否が応でも学校に行かなければならない。そんなわけで、今自分は大泉高校二年三組の教室に頬杖をついている。
結局、目覚めた俺を迎え入れたのは今も視界に映る文字列と、ぽっかりと開き続けるダンジョンへの入り口だった。夢であれば良かったのだが、こうなれば夢と思い込むことも出来ない。小さいダンジョンは大抵攻略後に消えるとのことだが、どうやらうちは例外だったみたいだ。
枕元にとりあえず置いておいた錆びた山刀もそのままであり、これだけみたら猟奇的殺人犯のねぐらに見えなくもない。ひとまずベッドの下に隠すことで対応したが、そのうち処分の仕方も考えなくてはいけないだろう。
ふと、隣の席に座った男が俺に声をかけてくる。
「おーっす佐藤。相変わらず辛気くさい面してるな」
「……挨拶に罵倒を付けるな。別に好きでこの顔になった訳じゃない」
彼は友人の清瀬。下の名前は忘れた。まあまあ親交は深いほうであり、あまり個人的に遊ぶことは少ないが、学校では一番話す相手である。そも、俺が誰かと話すこと自体少ないのだが。
まあ軽口を交わせるくらいには親しい仲だ。悪口の応酬になることも珍しくないのだが、そこは男子。その程度ユーモアくらいは標準搭載である。
「そういえば聞いたか? また新しいダンジョンが出来たって。しかも今度は国会の真ん前だってよ!」
「おーそうか。早く解決するといいな」
「……お前、相変わらずダンジョン関連のニュースには無関心だよな。何て言うか、枯れてるっていうか。普通の男子ならもっと食い付く所だぞ」
「生憎、俺は普通が嫌いなんでな。特別、英語で言うとスペシャルだ。そっちの方がいいだろ?」
「相変わらずひねくれてるねぇ」
まあこの通り、一般的な認識として冒険者やダンジョンは人々の憧れとされている。もちろん俺のように興味を示さない奴もいるにはいるが、そういった人は奇特な奴だと思われる事が多い。実に肩身が狭いものである。
と、いつもの通り話を流そうとしたが、よく考えれば俺はすでにダンジョンと切っても切れない関係にある身。ここで少しばかり話を聞いておくのも悪くないだろうと、数字だらけの清瀬の顔を見上げる。
「……そういえば消えるダンジョンと消えないダンジョンってどう違うんだろうな」
「お、お前が興味示すなんて珍しいな? どういう風の吹き回しだ?」
「……別に良いだろたまには」
まさか『自室にダンジョン出たから』なんて言うわけにもいかず、適当に誤魔化す。勝手にダンジョンに入ったことがバレてしまえば、下手すれば警察のお世話になってしまうからだ。
「ま、いいけどな。でもそんなん俺もよくわかんねぇからなぁ……本当に細かい情報は一般公開されてないわけだし」
「んだよ使えねぇ」
「うるせぇ! 考えてやってるだけ感謝しろや! それに、うちのクラスにはもっと詳しそうな奴がいるだろ」
癪だけどな、と付け加えて清瀬が顎でしゃくった先には、教室でもっとも賑わっている場所……俗に言うリア充グループが駄弁っている姿があった。
「そんでさー、こないだのダンジョンがまたひでぇの! 一層は普通のモンスター系が出てきたのに、二層からは死霊系のやつばっかでさ! もうお化け屋敷かって」
「えー、こわーい!」
「石神井くん、そんな危ないのと戦ってるんだね~……」
多少見目がよかったり、社交性が高かったりと魅力の高い人員が集まってキラキラしているが、その中の一人である石神井という男。この男はお世辞にも良いやつとは言えず、少しばかり他人へとマウントを取ろうとする悪癖がある。
さらに失礼を承知で言うなら、顔面の方もあまり宜しいとは言えない。それでも彼がリア充の一員としてグループに属している理由として上げられるのは、ひとえに彼が冒険者であるからだ。
冒険者は国家資格の一つではあるが、なにぶん急造の資格のため特例も多い。今でこそ厳格化されてはいるが、かつてはダンジョンが出現したせいで家が破壊された家庭には全て冒険者資格が配布されたという歴史がある。基本的に資格を取れるのは二十才以上である為、彼が年齢詐称をしていない限りはそのルートで得るしか無い筈だ。
実力ではないとはいえ同年代のダンジョン実録には興味が大きいらしく、冒険者であることをカミングアウトした瞬間、目立たない一男子だった彼は劇的ビフォーアフターを果たしたのである。まあ良くあるシンデレラストーリーだ。
ちなみに上記の情報は全て清瀬情報である。恋人かよ、と茶化したら冗談でもやめろ、と本気の真顔で言われたのでそれ以降は言わないようにしている。
「ああ、俺も冒険者ならなぁ……そしたら桜台さんに秋津さんと親しくなって、こんなむさ苦しい高校生活を送らなくてすんだだろうに」
桜台さんに秋津さんというのは、先のリア充グループに属している見目麗しい女性陣だ。お互いタイプの違う美人であり、俗に言うと桜台さんは清楚系、秋津さんはギャル系である。
ファンクラブ、なんて現実離れしたものが存在する程ではないが、頻繁に誰かが告白して玉砕しているという話はよく聞く程度ではある。
ちなみに俺は桜台さん派だ。黒髪清楚、プラス巨乳。好きにならない要素がない。
「まあ聞きたいことがあれば聞いてみれば? ダメもとで」
「いや、遠慮しとく。マウントとったニヤニヤ笑いが頭に浮かんでくるからな」
「だよなぁ……ま、それなら動画サイトの配信者とか良いんじゃない? 結構裏の話までしてたりするよ。信憑性はちょっと薄いけど……」
──結局、クラスのモブキャラとして生きる者達などこんなものだ。
陰から日向に移る事など、現実には早々あることではない。その数少ない成功例である石神井に陰で文句をつけるのは、もしかしたらその嫉妬の現れでもあるのだろう。
……いや。俺も心のどこかではそう思っているのかもしれない。ただ諦めて、心の奥にしまいこんでいるだけで。
教師が入ってくると同時に、クラス中が慌ただしくなる。そんな中で一人、俺は思考の海に沈んでいった。
『この間ようやく筋力のステータスが五十超えたんですよ! そのお陰でほら……車だって!』
画面の中の若い男が、軽々と車を持ち上げている。少し前ならばトリックを疑う光景だが、今の世の中ならば誰もこれを事実として疑わない。何故なら、レベルとステータスの存在があるからだ。
家へ帰りあれやこれやをしていると、気づけば時間は十二時近く。既に深夜へ片足を踏み込みかけている時間帯。折角なので、俺は清瀬が勧めてくれた動画サイトの配信者を見ていた。
動画を止めて一つ溜め息を付き、俺はベッドに倒れる。仰向けになって、改めてステータスのことを考えた。
彼は筋力が五十を超えて、漸く車を片手で持ち上げられるようになったようだ。大体車を一トン、そして俺の筋力値を鑑みると、オリンピックのバーベル選手は大体ステータス二十相当に値すると考えられる。
そう考えると、一つステータスが上がるというのは結構な変動であると考えられる。今のスキルポイントを全て体力に振れば、おそらくすぐにマラソン日本代表の座を狙えるだろう。
魔力の欄はよくわからないが、これに関しては技術から魔法を習得すれば効果が分かるのだろう。あればダンジョンにおいての探索がより楽になるであろうことは容易に想像でき──
「って、何を考えてるんだよ俺は」
目の前に移るステータスポイントが、俺の思考を惑わせている。そもそも命の危険が付きまとうダンジョンなんかに好き好んで入るのは、愚か者のやることだ。昨日は偶発的に入ってしまったが、もう入る必要なんてない。そうだ、また本棚で被せてしまえば良いだけだ。
結局、今さら俺が何を為すことも出来ない。肝心なのは諦めだ。はじめから期待しなければ、なにかに失望する事もない。俺が望むのは、平穏無事な生活だけだ。
思えばステータスという目に見える物を目の当たりにして、どこか舞い上がっていたのかもしれない。これで何かが出来るという期待と、敵を倒すという滅多にない行いを為した事への達成感。そういったものがない交ぜとなって、心を苛んでいた。
結局行ったことはどことも知れない生物を一匹殺しただけ。自衛のためとはいえ、誇れることでもない行為だ。昨日の肉を断つ感触は、思い出そうとすればすぐに思い出せる。
石神井なんかはこんな行為を繰り返して誇っていたのか、と考えるとどこか複雑な感情になる。冒険者を否定する気はないが、どうしても微妙な気分になるのだ。
そうだ、このダンジョンも明日国に報告しよう。まだ入ったこともバレないはずだし、仮にバレても事情を説明すればなんとかなる。別に故意で足を踏み入れたわけではないのだから。
そうと決まれば目の前に浮かぶステータスも鬱陶しいだけ。適当に魔力辺りに振っておけば、この表示も消えることだろう。さあ、魔力の欄に指を滑らせて──。
だが、なんとなく指が止まってしまう。
「……あほらし」
口ではそういいながらも、何故か指は動かない。さあやれ、という己の理性に蓋を閉め、俺はベッドへと潜り込む。
カチリ。壁にかけてある時計が、十二時丁度を刻んだその瞬間。
──ヒタ、ヒタ
「っ!?」
足音だ。それも、裸足で石畳を歩く音。
まさかダンジョンから──? そんな疑問に答えるように、徐々に足音は近づいてくる。それも、真っ暗闇の方から。
一体何故、ダンジョンからモンスターが出てこないなどと決めつけていたのだろう。前例がないだけで、それが可能な環境下にあったというのに。俺は護身のため、ゆっくりとベッドの下から山刀を取り出す。
先日のような小鬼だろうか? 昨日はラッキーショットで幸運にも勝つことが出来たが、今日もそれが可能とは言い切れない。下手を打てば殺されていてもおかしくない相手だ。
ならば逃げるか? いや、ダメだ。家族がまだ寝ている。ここから全員で逃げる時間はないし、自分一人だけ逃げるなどというのはもっての他。
逃げ場はない。たかが一高校生に求める運命としてハードすぎるだろう、と神様を呪ってみたりするが、現実逃避以上のものにはならない。
「──選択肢は無い、か」
早鐘を打ち鳴らす心臓を必死に押さえつけ、緊張をごまかすように手に持った山刀をくるりとひと回し。仕上げに御守りとしてスマホを握り締めると、どこまでも深い闇の中へと足を踏み入れた。
色々あって前回の分は全て削除しました。迷走中に見えると思いますが実際その通りです。私の我儘にお付き合いいただければ幸いです。