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何でもするって言ったから。

作者: 阿漕悟肋

「まっ――待って待って待って! 違うの! そうじゃなくて! 多分絶対勘違いしてると思うから、説明! 説明をさせて―ーえ? あ、うん。そう。そうなんだけど―ーあっ、や、違う違う! そうだけどそうじゃないの! お願い、ゆるして、誰にも言わないで! 内緒にして、秘密にして、一生胸にしまっておいて! ……いや、どうしようかなって、どうもしないでよ! 別に、話したってなにも面白くないでしょ? ね? だから――あ、笑った! 笑ったでしょ今! 口元隠しても分かるってそんなの! 肩震えてるし息漏れてるし! きみは楽しそうでいいね! わたし!? 私は今すっごい恥ずかしいの! 見たら分かるでしょ!? あーもう普段絶対笑わないのになんで笑うかなぁ! お願い、おーねーがーいー! いいから、絶対、誰にも言わないで! 一人でつぶやくのもダメ! ネット!? ダメに決まってるじゃんそんなの! いい!? そんなことしたらわたし死ぬよ!? いいの!? 遺書には絶対書くからね、きみに恥ずかしい秘密をばらされたから死にますって! そう! お母さんも悲しむの! 泣くよ!? だから、絶対、一生、秘密にしてて! そしたらわたし、何でもするから!」

 ようやく。

 長い長い言い訳と説得を聞き、ようやく待ち望んでいた一言を引き出して、ようやく少年は頷いた。

 放課後の教室、高校設立以来初のインターハイ出場を決めたサッカー部員の机の前で少女はへたりこみ、少女はしばらくしてから自らが口にした言葉の意味を考える。

 今まさに少女の人権を掌握した少年は、腐れ縁の少女が見たこともないくらい、朗らかに笑っていた。




 ――不思議なのは、少年がいつまでたっても命令を下さないことだった。

 高校を卒業し、大学に入って、お互い恋人が出来たりもしたけれど、かつて少年だった彼は何も言わない。

 チョーヤの梅酒に力を借りて、誘ってみたりもしたのだけれど、今はまだいいと言うばかり。

 最初はどんな命令をされるのかと戦々恐々としていた彼女も、いずれは慣れて、いつの間にか、逆に利用するようになっていた。

 夜、つまらない深夜番組を見ながら、なんとなーく寂しくなった時とか。

 イヤな上司に、酒臭くタバコ臭い口で言い寄られたときとか。

 その時付き合っていた恋人に、プロポーズされてしまったときとか。

 ねぇ。

 今してほしいこととかあったりする?

 ほら、昔さ、わたしなんでもするって言ったでしょ。

 いいよ、聞いてあげるからさ、なんて命令するの?

 そんな風に、口実として。

 けれど、どんなときだって、彼が命令することはなかった。

 それでいて、彼女の愚痴を延々と聞き続け、欲しかった言葉を言い、彼女を元気づけてくれる。

 まるであべこべだ。

 これでは、どっちが命令しているのか分かったもんじゃない。

 彼女にばかり都合のいい彼との付き合いは二人が結ばれるまで長々と続き、結ばれてからも、延々と続き続けていた。

 子どもを授かり、あの子たちにはつくづく悩まされ、ようやく三人巣立たせたあと。

 彼女は「あ、こやつ忘れておるな」と思い、口にすることもなくなった。

 言葉にしなければ、人は自然に忘れていくものだ。

 一年に一度か二度、古いアルバムを掘り起こした時に思い出す。歳をとればとるほど恥ずかしいことはなくなって、子どものころの約束はいつの間にか風化している。

 だから――今際の際、病床の彼がその命令を口にしたとき、彼女は思い出すのに大層苦労した。

「ああ、ようやく言えた。きみが一生秘密にしろと言うから、こんなに時間がかかってしまった」

 それだけのセリフを言うにも十分ほどの時間をかけて、それきり、彼は静かになった。

 お医者さまが何か言ったのもまるで聞き取れず、彼をがんじがらめにしていた機材の数々が厳かに片付けられ、顔にかかった白布はもう揺れることもない。

 他県に嫁に行った娘が肩を揺らしてようやく、彼女は我に返る。

 慰めやら後悔やら、娘がひとしきり語り終えたあと、彼女は彼の最期を口にした。

 あのね。

 わたし、あの子よりもずっと若いころ、おとうさんと約束したの。

 なんでもするから、あることを一生、秘密にしてくれって。

 おとうさん、ほんとうに律儀でね。ほんとうに一生、秘密にしてて。

 今さっき、思い出したようにぽつりと、命令してくれたの。

 きみさえよければ、次の人生でも一緒にいてくれないかって。

 ねぇ。ぜんぜん、命令じゃないの。

 最後まで、ほんとうに……。




 おじいさんが一生かけて守った秘密は、もう、とっくに意味のないものでした。

 それでも、おばあさんは誰にも言いません。

 おじいさんが一生秘密にしてきたことですから、おばあさんもまた、秘密にしていたのです。

 かつて少女だったおばあさんは、おじいさんが亡くなってから十数年もあとに、ようやく息を引き取りました。

 おばあさんは、おじいさんのお願いを聞いてあげるためにまず、その瞼をゆっくり、ゆっくりと落とします。

 駆け足しないと。

 あのひと、ずっと待ってるだろうから。

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