過去の俺
ろくな会話もないままに、俺と騎士は珍妙な通路を進み続けた。だからやっと出口と思われる扉を見つけたとき、俺は思わずふーと息を吐いた。その扉には、「魔王、ココニ封ズ」と赤文字で書かれた和紙が貼ってあった。
扉を抜けると、これまでの物騒な雰囲気はどこへやら、とんでもなく華美な場所に出た。俺を封じていた牢屋とは比較にならない広大なスペースに、白銀に輝くシャンデリヤ、壁一面に設置されているキャンドルが、これでもかとばかりに眩い光を放っている。床にはローズ色の絨毯が敷き詰められていて、世間知らずの俺でも、ここにあるものすべてがかなり高額なものであることが推察できた。
他にも、銀色の鎧をまとった戦士が各所の扉を守っていたり、召使いらしき女が忙しそうに動き回っていた。
騎士が無機質な声で告げた。
「国王様の城だ。おまえは地下に監禁されていたんだよ」
神父は教えてくれた――人はみな神の名のもとに平等であると。
だがその言葉には疑問符をつけざるをえない。俺が十七年間も狭い部屋に監禁されていたのに反して、いったいその国王とはどんな暮らしを営んできたのか。
「なあ」
と俺は言った。
「いったい俺は誰なんだ。なぜあんなところでずっと縛られてたんだ」
「……心配しなくてもこれから明らかになる。とりあえず、これから国王様の部屋まで――」
瞬間。
「おわっ!」
俺は思わず片膝をついた。すさまじい震動が発生したからだ。おどろおどろしい地鳴りが轟き、王城全体が激しく揺れている。見回すと、俺だけでなく、戦士や召使いも大声をあげながら足をふらつかせていた。
震動にやられたか、シャンデリアやキャンドルの照明ががくんと落ちる。さっきまで絢爛に輝いていた室内が、突如にして暗闇に包まれた。
途端、天井に設置されている赤のランプが頼りなく灯った。ぶおーんぶおーんという警報が周囲に響き渡る。と同時に、どこからともなく機械音声が発せられた。
――非常事態、非常事態。警戒レベル十。敵を殲滅せよ――
「くそっ、こんなときに!」
鞘に手を置きながら、騎士が大声で毒づいた。かなり切迫したようすでしきりに周囲を見回している。城内は惨憺たるありさまだった。召使いたちが、悲鳴をあげながら逃げ惑っている。
なにがなんだかわからない。いったいどうなっている。
俺が戸惑っていると、またも信じられない出来事が起きた。けたたましい音を立てて、壁の一部が倒壊したのである。美しかった装飾がみな、あっけなく瓦礫の波に飲まれていく。そして、崩れた壁の向こう側には――おびただしい数の化け物。
ざっと確認するだけでも百体は下らないだろう。巨大な虫の姿をしていたり、炎を身にまとっている竜であったり、その姿は様々であるが、すくなくとも彼らは『人間』ではない。それだけでなく、明らかに人間を敵視して――
ふと、ゾンビのような怪物がこちらに視線を向けてきた。
危ねえ!
とっさに隣の騎士を守ろうとしたが、しかし両手を縛る手錠のせいでその動きがままならなかった。ゾンビは目にも止まらぬ速度で騎士に駆け寄ると、どこからそんな力が湧いてくるのか、騎士の腹を鎧ごと素手で貫通した。
「あ……ぐ……」
倒れる瞬間、騎士が俺をひたと見据えた――気がした。声もなく膝を落とし、そのまま力なく床に崩れ落ちる。
「おい、しっかりしろ! おい!」
俺は片膝をつき、不自由な両手で騎士の身体を揺すった。しかしながら一切の反応はない。脈を確認するまでもなく、彼はもう帰らぬ人となった。
俺はぽかんと口を開けたまま騎士の遺体を見下ろした。出会ってからまだ数十分のことであるが、この騎士は俺の身体を解放してくれた恩人だ。それが国王に命じられたこととはいえ、俺にとって初めて、自分とまともに会話してくれた人間だった。
なのに……こんなに簡単に、死ぬなんて。
城内はまさに地獄絵図だった。怪物どもにかかれば、人間などたいした敵ではないらしい。ひとり、またひとりと、戦士たちが怪物たちにやられていく。殺されていく。さきほどまでの豪華絢爛な国王城が、一転して血みどろの戦場になってしまった。人間の身体の部分部分が、あちこちに転がっている。
俺は立ち上がり、ケラケラと笑っているゾンビを睨みつけた。近くで見てみると改めてモンスターじみた風貌しているとわかる。見た目そのものは人間に近いが、紫がかった髪がゲルにまみれているかのように湿っている。身体も腐敗しきっており、黄土色に汚れた全身からはなんともいえぬ悪臭がする。
俺はゾンビの血眼をぎっとにらみつけた。
「おまえら……いったいなにをしにきた」
「おやおや」
ゾンビは口元を醜く歪ませた。
「しばらく見ない間に、ずいぶん甘いことを言うようになったものですな――魔王アレン様」
魔王アレン様。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にいくつもの映像がフラッシュバックした。
何体もの化け物がひざまずいていた。みなが恐怖のあまり引きつった表情をしていた。失態をしでかした『部下』を、俺は聴衆の前で殺していた。
別の映像が蘇る。
俺の目の前で、女の子が泣いていた。まだ四、五歳だったと思われる。女児に抵抗の素振りはなかったが、俺に容赦はなかった。母親の名前を呼ぶ女の子の首を、俺は髪の毛ごと引っ張った。
――なんだこれは。
俺なのか? 俺の記憶なのか? 俺は昔、こんなことをしていたのか――?