5.魔王を誘惑してはいけません─2
「ミカエラの執務室はこちらにございます。」
恭しく胸に手を当て、頭を下げるダミアンである。だが先程のテンションが残っているのか、頬が少し赤みを帯びている。
コイツの一人絶頂に付き合っていたら俺の精神衛生上問題が出る為、その辺りは華麗にスルーさせてもらおう。
俺が頷いた事を確認すると、ダミアンがその扉をノックする。
「はぁ~い。だぁれ?」
間延びした返答と共に内側から扉が開けられた。金髪ウェーブがフワリと揺れ、花の匂いが辺りに拡がる。
魔族にも香水があるんだなとか、見えたミカエラの服が相変わらず水商売のねぇちゃんだなとか。俺の感想はその一瞬で脳内に浮かんだもの。
だが次の瞬間、俺の感覚は柔らかく温かなものに覆い尽くされていたのだ。
「ちょっ!ミカエラ、魔王様を放しなさいっ!」
「嫌よぉ。蒼真ってば、最近本当に顔を見せてくれなかったんだもん。」
ダミアンとミカエラの押し問答が微かに聞こえるが、俺を拘束する力は緩まるどころか強くなる一方である。
つまりは俺、マシュマロに顔だけではなく頭ごと埋められているのだ。─死ぬ。
完全に呼吸を奪われ、手の自由すらもない俺。そのうち外部の音すら聞こえなくなってくる。
いよいよヤバい。
そう思った時、俺の身体から黒い靄が沸き立ってきた。
「魔王様っ!」
「うきゃっ!!」
ダミアンとミカエラの声の後に激しく己の肉体が揺さぶられた感じがして、同時に勢い良く気管に空気が入ってくる。
「ゴホゴホ…ッ、ゴホゴホゴホ…ッ、ゲホゴホ…ッ!」
噎せた。それも盛大にである。
「~…っ。」
「大丈夫ですか、魔王様。」
何とか呼吸が落ち着いた頃合いで、タイミングを見計らっていたようにダミアンが静かに問い掛けてきた。それまでは俺の背を撫でてくれていたのである。
本当にコイツ、普段は物凄く空気を読むのが巧い。
「あぁ…、何とか、な。」
酷く咳き込んだせいで滲んだ涙を指先で拭い、改めて状況を確認した。
何故か先程俺が立っていた筈の床が、高濃度の塩酸でも振り掛けたかのように溶けている。
何だ、これ。…まさかとは思うが、俺の闇魔力か?
「さようでございます。」
「マジか。」
視線をダミアンに向けると、俺の心の問いに答えてくれた。
思わず素で呟いちまったぜ。
ってか無意識とはいえ、この力をミカエラに向けようとしていたって事で。
「魔王様に非はございません。ミカエラが悪いのでございます。」
俺の顔色が悪くなったのを逸早く察したダミアンは、静かに微笑みを浮かべてみせる。
何だよ…。何かちょっと気にくわない。