[第一部]第三話 感知
グリーン連邦は、人口一千万人ほどの小さな国である。
本星はその国名の通り惑星グリーンであり、人々はその星を中心にして展開するスペースコロニーに住居を構えている。
主な産業は惑星グリーンにある水や鉱物資源の採取。いずれは惑星グリーンのテラフォーミングを完了させて、今以上の発展をしたいと願っているが、テラフォーミングには千年単位の時間が必要であり、計画によれば最短でも数百年先とされている。
この小さな国で政変が起きたのは、五年ほど前の話である。
政権交代が発生し、平和と弱者救済をモットーとする政党が国政選挙で第一党となったのである。
だが、結論から言えば、この政権交代は失敗だった。
理想論ばかりで実行力に欠けた彼らは失政を繰り返した。マスコミなどのバックアップがあったとはいえ、落ち込む経済や低下する行政サービスを前にして、その支持率はたちまち急降下していった。
平和と弱者救済の理想が実現しないのは外に敵がいるからだ。増大する自己保身の結果として、彼らは隣国への戦争という手段での政権維持を画策した。矛盾した話であったが、信じられないことに彼らの中では完璧に正しい論理だった。
普通ならここで市民によるストップがかかるものだが、マスコミによる全力バックアップの結果、政権を批判するものは平和の敵として排除された。
後に人々はこの狂騒を心の底から後悔することになるのだが、救われないことに、この時は誰もが大真面目だった。
戦争の相手は小惑星帯C113の領有権で紛争状態にあった隣国ウィングランド。建国以来、幾度となく小競り合いを繰り返してきた間柄である。
彼らがいなくなれば、そこに使う軍事費も削減できるし、小惑星帯の開発で国を豊かにできる。
時の首相はそう主張して、準備がまったく整っていないという軍の猛反対を粛清込みで押しつぶし、本格的な戦争を開始させた。
このとき宇宙艦隊を指揮したのは、のちにクーデターを起こすことになるフランクリン中将その人。彼とその部下達は二年に渡る過酷な消耗戦を、多大な犠牲を払いながらも辛うじて勝利で収め、小惑星帯からウィングランド艦隊を退けることに成功した。
だが、戦争に勝利した国が必ずしも豊かになれるわけではなく、国民の生活は上向くどころかより一層困窮した。
これは当たり前の話で、ひとたび戦争となれば大量の軍事費が必要になるのと同時に、物価のインフレも激しくなる。戦争に勝利したとしても、その影響が収まるまでには相応の時間がかかるものだ。
さらに失政はあいかわらず続き、本格的な経済破綻までも見えてきた中で、勝利から僅か三ヶ月後に、彼らは再び戦争による支持率アップを望んだ。
同盟国であったはずのアムテス皇国との戦いを。
主義と理念を見失い、徴兵してまでの戦争に走った彼らは、結果として軍のクーデターによって政治の舞台から追い出されることになる。
「閣下、お時間です」
グリーン連邦の首相室。
あちこちに生々しく弾痕が残るこの部屋で、副官からの報告を聞いたフランクリン中将は、一つ頷いて立ち上がった。
年齢は六十ほどであるが、それ以上に老けた印象のある人物である。
ウィングランドとの戦いに勝利したことや、温厚かつ誠実な人柄ということもあって、国民からの人気は高い。その彼がクーデターを起こしたことは国民の間で驚きをもって迎えられたが、すぐに彼に対する支持が広まったことも、その人気ぶりを示していると言えるだろう。
「映像回線、開きます。アムテス皇国宇宙軍司令長官、フソウ=リョウイチ大将です」
中将の正面にある大きなスクリーンに色が入る。
その色は、一つの像を作り出した。
中将より一回りほど若い人物である。この人物が、今日の会談相手であった。
「お久しぶりです、フランクリン中将」
「フソウ司令もお変わりなく」
会談の目的は、資源惑星N227を巡って現在行われている紛争の停戦である。
惑星N227は確かに魅力的な資源惑星だが、いまこの時に強大なアムテス皇国と争ってまで手に入れるべきものではない。今はまだ紛争レベルだが、これが全面戦争にまで情勢が悪化した場合、兵力に劣るグリーン連邦に勝ち目はない。
開戦から一ヶ月ほど前、当時のグリーン連邦国首相は、ちょっとこちらの強いところを見せれば実戦経験に劣る彼らはすぐに撤退するはずだ、と根拠のない考えを中将に語っていた。
もちろん中将はそんなことは有り得ないと抗議したのだが、結局その男は聞く耳を持たなかった。
当然の結果として、アムテス皇国は強力な主力艦隊を惑星N227へ派遣し、グリーン連邦の艦隊をまるで嬲るかのように攻撃を仕掛けた。本星から増援の艦隊を派遣したくとも、そのすぐ後方には先日戦ったウィングランドの艦隊がいる。下手に派遣すれば、復讐に燃える彼らに後背を突かれて、グリーン連邦は滅亡する。
最後の手段として無能な政府をクーデターで排除し、なんとかアムテス皇国との停戦交渉を行えるまでに状況を改善させたが、問題はまだまだ山積している。
なにしろクーデターだから、周辺の国々のみならず、地球にある銀河連合会議からも極めて悪い印象を抱かれている。事実、外務省には連日多くの国から抗議が届いている。早期にアムテス皇国との停戦を実現し、戦争の意思が無いことを内外に示さないと、今度はグリーン連邦そのものが宇宙から孤立しかねない。
「極めて身勝手な申し出ですな」
落ち着いた口調ながら、苛烈ともいえる言葉をフソウ司令は中将にぶつけた。
「仕掛けたのはそちら、我が方には死者も多数出ている。その上で、何の言葉もなくいきなり停戦とは、通り魔と変わりませんぞ」
「見解の相違ですな。N227については我らにも主張をすべき言葉はある。だが今、私がここでトップとなった以上、私の判断として、これ以上の殺し合いは無意味であると考えます」
「いまの紛争を止めたいという、中将の心だけは理解します」
実際のところ、この両者の会話は芝居である。
感情論をぶつけてはいるが、実際のところ国益を優先するという考えであれば、ここで両軍が戦う意味はない。
それに、二人が話をする前に外交官などによる事前の打ち合わせが何回も行われている。打ち合わせができるということは、双方に停戦の意思があるということだ。
もちろん停戦となれば、沸騰してしまっているお互いの国の国民感情を考慮する必要が出てくるが、それは情報の流し方でいかようにもできる。もっと言ってしまえば、どういう形でも自分達が有利に戦争を終わらせたと思わせれば、文句は少なくなるものだ。
「だが停戦を言うのであれば、まずそちらが先んじて軍を引くべきではありませんか?」
「至近距離で対峙している艦隊を撤退させるのは、なかなか骨の折れる作業です。それは司令とて経験しておられるでしょう?」
「ではこちらから命令して、後退するそちらの軍には手出ししないよう通達を出してもいい。少なくとも今の状態で停戦というのは難しいですな」
「ふむ、では軍を下げれば停戦に応じていただけると」
「いやいや、停戦はそちらの勝手。我らがそれに応じるならば、N227の領有権と賠償金は必須です」
「それは困りましたな」
中将がにやりと笑う。
その表情を見て、フソウ大将は自分が何か致命的な選択ミスを犯したのではないかと、心の奥底で不安を覚えた。
「残念ながら我が国は、いま大変な財政危機でしてな。そのような要求を言われてしまうと、降伏するよりほかない」
数秒、沈黙が流れた。
「この、狸め」
フソウ大将が小さく悪態をついた。
彼は、中将が何を意図してそんな事を言ったのか、ほぼ正確に理解したのだ。
現在のところ、軍事的にはともかく、グリーン連邦の内情は悲惨の一言である。
外交的にも、クーデター政権ということで極めてその印象は悪い。周辺国の中には、民主主義政治に戻すためクーデター政権討伐軍を派遣すべきという意見もあるほどだ。
だがここでグリーン連邦がアムテス皇国に降伏すれば、事情はどうあれ、諸外国はこれ幸いとグリーン連邦関連の後始末をアムテス皇国に押し付けることになる。後始末の負担が決して軽いものではないからだ。
結果、グリーン連邦は軍事、外交、経済的な問題を全てアムテス皇国に丸投げすることができるようになる。
もちろんその先にあるのは植民地化か傀儡政権による支配だろうが、いまここで国家の独立を守っても、待っている未来は経済破綻か、討伐軍や侵略軍による蹂躙である。ならばある程度信頼のおける国に従って、国民の命や財産だけでも守るというのは一つの考え方である。
普通の場合、国のトップがそんな事を言い出せば、売国奴という声とともにその座から引き摺り下ろされるものだが、今がクーデターでの政権である以上、諸外国の圧力に屈してその座を退くことになるのもまた時間の問題である。
だとすれば、あえてその地位に固執せず、国民が生き残れる最大限の選択をして退場したほうが、後世の評価を期待できるだろう。
つまり、フランクリン中将にとって、降伏の選択は決してマイナスではないのである。
そうなると、さすがにフソウ司令としても、彼だけで判断できる問題ではなくなる。これは軍事より、むしろ政治の世界の話だ。
「いずれにしても、ことは国家の一大事、閣下のご判断が必要です」
そう言って、フソウ司令はこの件に関する話を断ち切った。
「理解しております」
「今月中には結論が出るよう、話はしましょう」
その返答に中将は小さく呻いたが、話が前進し肯定的に受け入れられただけでも、この会談は成功といえるだろう。問題は、その間に無意味な戦死者が出てしまうことだ。
「では、そろそろ時間ということで、今回はここまでと。中将、次回はぜひとも先日の戦いでのお話を聞かせて頂きたいと思いますな」
「はは、特別なことは何もしていませんよ。あれは兵達の頑張りあってのことです」
「ご謙遜を。では、また次回に」
フソウ司令の姿が消える。
それを確認して、中将は魂が抜けたように椅子に沈み込んだ。
「閣下?」
その様子を心配した副官が声をかけるが、中将は手を振って問題ないことを告げた。
軍隊で鍛え上げられたとはいえ、人間一人でできることには限界がある。
クーデターを主導し、前政権の後始末をし、相手国との停戦交渉を行う。それ以外にも諸外国からの様々なトラブルを、この老人は解決し続けている。もちろんそれはこの老いた体に無視できぬダメージを与え続けている。
官僚組織がしっかりしていれば中将への負担はかなり軽減されたはずなのだが、前政権が行った構造改革という名の魔女狩りによって、有能であった彼らは公職から追放されており、その建て直しにはなお時間がかかると見られている。
国のために殉じる覚悟は中将にもあるが、命を落とすにしても、それはせめてこの国が再び一人立ちできることを見届けてからにしたい、彼はそう深く強く思っていた。
「少佐、第六艦隊のレミントン司令と話をしたい。通信できるか?」
「了解しました、すぐに連絡をとります」
そしてもう一つ、前政権が起こしてしまった戦争を一刻も早く終わらせて、送り込まれてしまった若者達を平和な本国に戻さなくてはならない。
それができるまでは、倒れる訳にはいかない。
副官が、第六艦隊と連絡がついたことを告げる。
フランクリン中将は再び顔を上げた。
どんな理由があろうとも、人手不足の艦隊において、生きている限り、操縦士は哨戒任務のローテーションから逃げることはできない。
軽巡洋艦ブルーフォレストの搭載機は、臨戦態勢時の哨戒として三機が出撃して一機が待機、残る一機が整備という体制になっている。
これは哨戒のローテーションとしてギリギリの体制で、これ以上哨戒機を失った場合、作戦行動そのものに影響が出る。
当然、ウッド艦長や航空隊の隊長であるルブラン兵長などは本国に対して再三の増援要請を出しているが、それが叶ったことは今までに一度もない。救いといえば、物資補給だけはきちんと行われているという事くらいか。
そんな状況もあってか、ブルーフォレスト所属の哨戒機操縦士が、敵の、それも貴族の一人に名指しで決闘宣言を受けるという異常事態に対して、軍の対応はあまり芳しいものではなかった。
もちろん、情報部による情報収集や、技術研究所による相手機体の調査は今も行われている。艦隊本部からは協力を惜しまないという連絡も来ている。だが成果は乏しく、ルブラン兵長などは、このままではショウジが撃墜されてしまうと真剣に悩む日々だった。
そして当のショウジはと言えば、まわりの心配を気にする風もなく、淡々と自らの愛機バンシー4に乗り込んでいた。
「せめて支援機を一機、つけてもらってはいかがですか?」
出撃前の機体調整を行う中、バンシーはショウジにそう言った。
コンピュータとはいえ、バンシーも長い年月をかけて作り出された戦術用プログラムである。何万回というシミュレーションをその中で繰り返し、その結果が良くない事を、人間以上に理解しているのだろう。
「それだと相手が釣れない」
「つれ、ない?」
意味を理解できなかったのか、首を傾げるバンシーに、ショウジは苦笑いを浮かべた。
「僕の予想だけど、相手は一対一の状態でないと出てこない。相手はおそらく新型兵器、機密保持の観点から観客は少ないほうがいいからね」
「しかし、この状況で戦闘を仕掛けられたら、現状の我々では不利です」
「ああ、だから今回はセンサーを増量した」
言いながら、ショウジは今回用意した追加兵装をチェックした。
どれも各種さまざまな特性を持つセンサーである。機体装着式から射出式まで、よりどりみどりだ。
そのかわり、敵機攻撃用の兵装が激減している。無人偵察機や宇宙塵に対する防御のみで、それ以上の哨戒機などはまったく相手にならない。
「僕らの不利な状況は、相手のことを何もわかっていないことが原因だ」
「ええ、機長の言葉は正しいと判断します」
「だから、情報がほしい」
ショウジが、操縦席用のカプセルに乗り込む。
「情報が増えれば、対処する方法も増える。うまくすれば、あの魔法のような煙の対処法もわかるかもしれない」
「では、今回襲撃された場合は、情報収集に徹する、と?」
「うん、情報が無いまま戦っても、いずれ撃墜される。だったら今のうちに勝つための動きをしたいんだ」
「わかりました、機長」
ショウジの意識と視界が、自身の肉体からバンシー4の操縦席に切り替わる。
同時にカプセル内に対Gジェル剤が注入される。スーツ内にはナノマシン溶液が満たされ、ショウジの体に浸透する。呼吸や排泄などは浸透したナノマシンによって完全に管理され、操縦士はここに機体と一体化する。
このとき、操縦士の全身はカプセル内で完全に固定され、身動きはほぼできなくなる。そのかわり、激しい戦闘機動時やダメージを受けたときの衝撃から、もちろん限界はあるが、操縦士の肉体を守ることができる。
また、運悪くこの機体が破壊された場合でも、操縦士はカプセルごと脱出することで致命的な宇宙放射線からその肉体を守りつつ救助を待つことができる。少なくとも宇宙服だけで宇宙空間に放り出されるよりは、生存率は何倍も高い。
「クリスティ二等兵、準備はどう?」
コントロールから通信、ルブラン兵長からだ。
「こちらバンシー4、状態良好、発進シーケンス中、問題なし」
「わかったわ。ごめんなさい、こんな状態であなたを送り出さないといけないなんて」
それを聞いて、ショウジは苦笑いを浮かべた。
この隊長は、優しすぎる。
だが、嫌いではない。こんな戦場で相手のことを真剣に気にかけてくれる人がどれほどいるというのか。
「心配しないで下さい、前の戦いでは大乱戦の真っ最中で哨戒に出たこともあります。たかが一機、危なければ逃げますよ」
「強がりね。まあ、でも、確かにそうね。その作戦でお願いするわ」
兵長の言葉に、ショウジが思わず自分のメンタルデータを見る。数値は落ち着いている、強がりを示すようなものは何もない。
だが、過去の経験から、ルブラン兵長は部下達が抱くものに鋭く反応することがあった。彼女が言うのなら、そうなのかもしれない。
「わかりました、隊長。コントロール、機体チェックオーケー。カタパルトのスタンバイ願います」
バンシー4の機体が宇宙に運び出される。
クレーンが大型のカタパルトにバンシー4を固定する。
「こちらコントロール、射出準備オーケー、最終チェック」
「最終チェック、オーケー」
「バンシー4、射出」
宣言と同時に、対ショック装置で軽減された圧力が体にかかる。
周囲の光景が動き、すぐにブルーフォレストが後方遥か彼方にまで遠ざかる。
「コントロール、射出問題なし、任務開始」
「こちらコントロール、了解、グッドラック」
いったん発艦すると、哨戒エリア到着までは暇である。
現地までの基本的な運行はコンピュータが行ってくれる。
だが、この余裕のある時間だからこそ、できる事もある。
ショウジは自分の目の前に、今まで集めたデータを並べ始めた。
その何割かは例のカエデの水着姿だったのはご愛嬌といったところか。
「前回の時は、相手はおそらく奇襲を狙っていた。だけど、あの煙幕に何かがあって、こちらのセンサーに一瞬だけでも機影が引っかかったことから躓いた」
「再現映像、出します」
ショウジの周囲が、前回の時と切り替わる。
バンシーは哨戒機なので、その時のスクリーン映像を全て記録しているのだ。
映像が、先日の戦いにおいて一瞬だけ敵機の反応があった時のものとなる。よく見ると、ある場所で不自然に、ほんの僅かに銀色をした機体の一部が見える。
「彼女にとって、これはイレギュラーだったはず。ということは、この煙幕はまだ彼女の望む性能を満たしていない」
淡々と言葉を繋げるショウジ。
この分析結果はショウジだけでなく、ルブラン兵長や情報部も同じ結論に至っている。
「しかし機長、次の時は、おそらくその点は改善されていると考えるべきかと」
「うん、バンシーの言う通り、次は無い。だからこそ僕らは正攻法であの煙幕のトリックを破らないといけない」
ショウジの正面に、今までに対策案として出されたアイデアが並べられた。
これらの対策案は、ショウジだけでなくルブラン兵長、そして他の操縦士達が必死になって考えたものである。
「やっぱ強力な手としては艦砲射撃なんだけど、相手の位置が分からないと効果がなぁ」
と、ショウジが第一案として出された映像を消去する。
これは、怪しい物体が発見された場合は、手当たり次第に味方艦の艦砲射撃を行うというものである。艦砲射撃の能力なら掠っただけで煙幕は蒸発してしまうはずで、そうなれば敵機の発見も容易になるというものだ。
第一案というだけあって一番の正攻法であることは間違いないが、ショウジの言う通り、見当外れの場所を攻撃してしまう可能性も十分にあり、確実性に欠ける案でもある。
また、ショウジが担当する哨戒エリアは、外れの区域ということもあって味方艦の砲撃が届かない場所も多い。カエデが普通の操縦士であれば、仕掛けるのならそういった自分にとって有利なエリアでやってくるはずだ。
よってショウジはこの案を、使えないものとして判断した。
そして次の案を開く。
「次は、先日の交戦時に機長が行ったセンサーの再調整ですね。いくつかの案が提示されています」
「このあたりはすでにセンサーの動作パターンに組み込んであるから、とりあえず今すぐに確認する必要はないな」
と、ショウジが第二の案を消去する。
「最後は、相手の貴族を説得するというものですね」
「誰だ、これ考えた奴は」
やれやれとショウジは肩をすくめた。
説得というが、いったい何を話せというのか。この凛々しいお姫様は、己の名誉を賭けてこのショウジ=クリスティという男を倒そうとしているのだ。
そんな状況下でラヴアンドピースを叫んだ所で、次の瞬間には銃弾が飛んでくるだけだし、小細工の提案などした日にはさらにその数倍の攻撃がやってくることだろう。
それともナンパしろとでも言うのか。いや確かにこの女性は、そういった男女関係にはとても疎い気がする。だが残念ながら、疎いという話ではこのショウジもあまり変わるところはない。最近になって、かつてのクラスメートだった女性と仕事で会話するくらいか。
もしカエデを恋人にしたいと望むなら、正攻法でもって彼女を生かしたまま勝利したほうが、何かと平和的に解決できるだろう。もっともその場合、己に対する罰のようにやってくる彼女と良好な関係を築けるとは、正直、とても思えないが。
「うーん、やっぱりこれと言って効果的なものは無いなあ」
「機長のおっしゃる通り、情報があまりにも不足していると思います。せめて相手の機体の特性がわかれば、戦いようもあるかと」
「あとは彼女の性格もわかればなあ。冷静なのか激情しやすいのか、映像を見る限りだとお嬢様っぽいけど」
情報部が集めたものの中には、彼女について取材した雑誌も含まれていた。
フソウ家の傍流にあたる一族の出で、文武両道の才女として知られている、らしい。貴族社会にデビューしたときは大人気で、とくに同世代の女性から圧倒的な支持を得ていた、とか。
そこまで来ると、物語などに出てきそうなお金持ちのプリンセスという感じである。文武両道というところから考えると、プライドも高そうだ。実際、そうでなければ決闘など言い出すわけがない。
さらに言えば、そんなことを公然とテレビ放送の前で宣言できるのだから、相当な自信家なのだろう。かつてのクラスメートでもそういった女性はいたが、それでもここまでの逸材はいなかった。
「情報部の分析によりますと、やや男勝りながら、きちんとした教育を受けた淑女という結果となっています」
「淑女が戦場出て殺し合いするかね」
学生時代とかにクラスメートで出会っていたら、憧れくらいは抱いたかな。眩しささえ感じられる彼女の水着姿を眺めながら、ショウジはぼんやりとそんな風に思った。
「機長、ハイパードライブ十分前です」
バンシーの報告に、ショウジは一つ頷いた。
短時間で光速に近い速度を出すハイパードライブは、跳躍航法であるワープと共に、人類が宇宙へ進出するために作り出した究極の大発明である。
それは同時に、人類発祥から続く戦争の範囲が、とてつもなく広大になったことも意味している。
「対ショック、対宇宙塵防御フィールド形成、移動ルート確認。機長、速度指示を」
「速度は巡航速度を指定」
「了解、巡航速度に設定完了、ハイパードライブ前の戦況確認完了、ハイパードライブ準備完了」
「機体最終チェック」
「機体最終チェック完了」
「オーケー、定刻になったら移動開始だ」
そしてショウジは、再び戦場に戻った。
「バンシー1、応答ありません」
無情ともいえるバンシーの報告に、ショウジは押し黙った。
ここは、同じブルーフォレスト所属機のバンシー1が担当している哨戒エリア。いや、もう、過去形で語るべき時に来ているのかもしれない。
バンシー4が作戦目標の哨戒エリアへ定刻通りに移動していた時、ショウジはブルーフォレストからの緊急通信を受け取った。
バンシー1からの定時連絡が来ない。
戦場において、哨戒機の定時連絡が途絶えるというのは、間違いなく一大事である。
事故か故障か、それとも撃墜か。
そして、問題の哨戒エリアに最も近かったのは、ショウジの乗るバンシー4であった。
至急、問題の哨戒エリアを調査し、バンシー1および乗員を探し出せ。ブルーフォレストからの通信はそう締めくくられていた。
「周辺にいる無人偵察機の様子は?」
「記録確認中。ただし、現時点までに確認できた情報からは、敵機と思しき反応はありませんでした」
「攻撃反応も、か?」
「はい、機長」
もしバンシー1が攻撃を受けたのなら、無人偵察機が何らかの記録を残しているはずである。
それがまったく無いということは、事故か故障の可能性が高いということか。
いや、その判断は早い、ショウジは小さく呟いた。
つい最近に自分達が受けた攻撃は、あれは無人偵察機を無力化して不意打ちを行うというものだった。もしあの機体がバンシー1に襲い掛かったのだとすれば。
そして、バンシー1が助けを呼ぶ時間もなく撃墜されてしまったのだとすれば。
「バンシー1と思われる物体は見えるか?」
「光学撮影では見当たりません。捜索範囲を広げるため、無人偵察機の発進を推奨します」
「許可する、無人偵察機を展開して」
無人偵察機といっても、数と稼働時間には限りがある。本当なら例の機体が出てきた時に使いたかったが、今はそれどころではない。
それに、バンシー1が何者かに襲われたと仮定した場合、その相手がまだ近くにいる可能性もある。監視体制の強化は当然であった。
「無人偵察機展開中、設置済の機体とのリンク完了」
「本機の対物質センサーも最大感度、なんでもいい、破片でも何でも見つけたい」
「了解いたしました、機長」
スクリーン上に、無人偵察機の展開状況が表示される。
広がる探知範囲を見ながら、ショウジはいやな予感を拭えないでいた。
反応が無さすぎる。
「機長、周辺にいた無人偵察機の情報から、バンシー1の状況がわかりました」
「ふむ、それで?」
「バンシー1と周辺の無人偵察機で行われていたメンテナンス信号ですが、ある時間を境にして、急激にエラーが多発しています。そのタイミングから六十秒後に通信断絶、以後バンシー1からのメンテナンス信号は出ていません」
「信号エラー?故障か妨害か、判別できるか?」
「妨害と判断します。私達哨戒機の通信システムは四系統あり、それらが同時に故障する確率は極めて低い状態です」
ショウジは、じっと周辺の映像を見渡した。
電波妨害は、今も昔も重要な攻撃手段である。通信、レーダー、メンテナンス、どの電波も一度妨害に成功すれば、相手に与えるダメージは計り知れない。
だが、その技術は極めて専門的であり、小型の哨戒機程度が行えるものではない。ある程度の大きさを持つ宇宙船、具体的には戦艦や巡洋艦クラスといった大型艦でなければ、効果的な妨害を行うことはできない。
また、その設備は極めて繊細かつ高額な装置の集合体であり、そういった電子戦を専門とする情報艦一隻に必要となる価格は、建造費や維持費も含めて、戦艦のそれと変わらないとさえ言われている。
そして、戦略兵器である宇宙戦艦がそうであるように、同じ戦略兵器にカテゴライズされる情報艦は、戦略的な意味が大きいとされる戦場にしか投入されない。
少なくとも、こんな主戦場から遠く離れた場所に出てくるような軍艦では、ない。
可能性はゼロではないが、限りなくありえない。
だから、相手は、彼女だ。
ほかにこんな芸当ができるのは、彼女しかいない。
「バンシー1は撃墜されたと判断。このエリア一帯の安全が確保されるまで、バンシー1の捜索は中断する」
「了解いたしました、機長」
「敵は先日遭遇した機体、またはその類似か発展系と判断。全センサー感度そのまま、光学映像判定処理にリソース割り振って」
「映像処理にリソース割り振ります、エネルギー消費量、戦闘レベルに増加。機長、本機は戦闘モードへの移行を推奨いたします」
「わかった、戦闘モード移行」
「了解、戦闘モード移行します。機体および兵装に問題なし。現在のところ、敵影なし」
「無人偵察機のクリアリング状況は?」
「現在、三十五パーセント。全宙域クリアまで二時間五十分」
ここから先は神経戦である。
いるかいないか分からない相手を、長い時間をかけて見つけ出していく。
油断や慢心は命に関わるので、精神は常に緊張した状態となる。
これで敵がいなければ取り越し苦労だが、撃墜されて命を落とすよりは、ずっと良い。
そして、一時間が経過した。
「無人偵察機に反応」
「なに?」
「メンテナンス信号にエラー、複数です」
「パッシブセンサー射出!回避運動と対空防御シールド用意!」
「なるほど、判断が早いのね」
ショウジの息が止まった。
今の声はなんだ?
同時に、両手の緊急用操縦桿と推力制御装置に力が入る。
「役に立たない装置とは思ったけど、会話はできそうね」
「バンシー!機体ハッキングチェック!」
「ああ、それ、無駄よ」
ぬめるような感覚、その中でショウジは慌てて周囲を見渡した。
いや、その行動は無駄であることを、ショウジは知っていたはずだった。
ショウジが見ている光景は、このバンシー4がショウジの脳に見せている、いわば幻である。操縦席は対Gジェルで満たされ、手元にあるはずの操縦桿も、推力制御装置も、これは全てイメージである。
だから、他人である誰か、という存在がここにいるはずはない。
ここはバンシー4によって管理された世界なのだから。
そう、ここにいるのは、彼自身のほかは、機長の補助を行うバンシーだけのはず。
「誰、だ?」
だが、バンシーのイメージはそこに無く、いたのは見覚えのある少女の姿だった。
長い黒髪、同じくらいの年頃の、水着姿の綺麗な少女。
「あらいやだ、この姿ったら、このまえ写真週刊誌の記者にやられた写真ね。もう、こんなイメージで話さないといけないなんて、あいつら帰ったらおしおきしなくちゃ」
「君は、フソウ=カエデ?」
その名を言った瞬間、彼女、カエデがにっこりと微笑んだ。
「はじめまして、かしら、ショウジ=クリスティさん。私の名前を知っているということは、先日のインタビューは見ていただけたということね」
注意を彼女の方に向けつつ、無駄と言われたが、それでも両手両足は手動での機体制御を即座に行えるよう、ショウジは準備した。
「この状況、何のつもりだ?」
「ああ、安心していいわよ。いまの私達は、ただ夢を共有して見ているだけらしいから。ちなみに、いまその操縦桿を動かしても、何もできないわよ」
思わず操縦桿を動かして彼女の言葉を確認したくなるところを、ショウジは寸前で思いとどまった。
彼女の今の言葉が罠でないという保証はどこにもない。操縦桿を動かした瞬間、機体制御のジェット噴射を検知されて撃たれるということも考えられる。相手の言葉に惑わされてはいけない。
「ふうん、用心深いのね」
微動だにしないショウジに、カエデが感心したように頷いた。
「かなりの実戦経験があるとは聞いていたけど、私の相手として十分に相応しい相手ということね」
「相手、か。戦争を勝負事みたいに言うなんて」
「でも強敵に勝てば、それだけ認めてもらえるというものよ」
会話が繋がったのが嬉しいのか、にこにこしながらカエデはショウジの前に足を組んで座った。美しい太ももの曲線が魅力的すぎて、思わず唾を飲み込みたくなるのをショウジは我慢して止めた。
「それで、これはどういうこと?まさか仲間になれとでも言うわけじゃないんだろ?」
「ええ、もちろんよ。そんなことを言ったら、貴方に対する侮辱になるもの」
貴方に対する侮辱とは、まるでショウジがひとかどの戦士みたいに扱われているようで、何とも持ち上げられたものである。
「僕はただの徴兵された兵士だよ。敵である以上、狙うのは勝手だけど、戦果として誇れるようなものじゃない」
「ウィングランド戦では四回の偵察任務に従事、うち二回は艦隊戦における至近での強行偵察任務で、生還率五割のところを両方とも生き残った。それだけの戦歴は、宇宙でもなかなか無いわよ」
ショウジの言葉が止まった。
それはショウジの戦歴であり、守られているはずのパーソナルデータである。マスコミだって、それだけの情報を得るには何十枚もの書類にサインが必要だ。
それを、敵であるこの少女は手にしている。
本国の情報部はいったい何をしているんだ、ショウジは心の中で罵りの声を上げた。
「買いかぶりすぎだよ。僕らの艦隊には、それくらいの人は沢山いる」
「そうかもしれないわね。だからこそ、私達も勝利する価値がある」
カエデが不敵に笑う。
少し前かがみにショウジを真っ直ぐ見つめているものだから、年齢相応とはいえ形のよい胸が強調されて、その整った顔から視線を少し下へと思わず動かしそうになる。
「ところで、世間話をするためにわざわざ通信をしてきたの?」
「いえいえ、まさか。研究所の連中がハッキングとかの技術によらず相手と会話できるって言うから使ってみたんだけど、ダメね、会話しかできない」
「会話しか?」
「ええ、本当は性格とか癖とか、いろいろ調べたかったんだけど、こんな形じゃ警戒されてばかりで、肝心のものは何一つもわからないわ」
「ふうん、なるほど、調べたかった、か。じゃあ僕と同じ、かな」
「同じ?」
カエデが怪訝な表情を浮かべた。
「僕は勝つために君の情報を調べている。そして君もまた勝つために僕のことを調べている。つまり、僕らはまだ同じステージにいて、どちらにも勝機はある」
もちろんショウジの言葉はハッタリである。
今までの話から、ショウジの情報はほぼ全てカエデに知られてしまっていると見ていいだろう。対するショウジが持つ情報は絶対的に少数である。どちらが有利かなど言うまでもない。
だからこそ、あえてお互いが対等であると彼女に印象付けないといけない。彼女に自分の有利さを気づかせてはいけない。
無駄な行為かもしれないが、それでもやる価値はある。
全てを諦めるのは、最後だけでいい。
「あら、この状況下でなお勝つつもりがある、と?」
「もちろんだよ。放送だと、僕が勝ったら君はお嫁さんになるんだよね?君の慌てふためく姿を見るのが今から楽しみで仕方ないよ」
怒るかな、とショウジは思ったが、カエデの反応は真逆だった。
大笑いしたのだ。
「笑ってしまってごめんなさいね。これほど不利な状況にありながら、それだけの大口を叩くなんてね」
「そうでもないさ。君は自分の機体に絶対の自信を持っているようだけど、このバンシー4だって僕と共に多くの戦場を生き残った機体だ。信頼性もある。君の機体は、はたしてその辺りどうかな?」
「ふぅん、先ほど相手した機体は、私の完勝だったけどね」
バンシー1だ、ショウジはその言葉から直感した。
「撃墜したのか?」
思わず声のトーンがワンランク低くなる。
だが、そんなショウジの姿を見ても、カエデはまったく怯まなかった。
「安心して、殺してはいないわ。ただ、情報をそちらに渡すわけにはいかないから、脱出カプセルともども後方に送ったけど」
その言葉を聞いて、ショウジは一つ息をした。
もともとショウジは他の操縦士達との接点があまり無かったので、彼らに対してどこか感情の薄いところがあったが、それでも同じ釜の飯を食べた仲間が死なずに済んだというのは安堵に値するものがあった。
それに、ルブラン兵長も部下が生きているとなれば安心するだろう。彼女はショウジ以上に長く軍人であった割に、人の死に不慣れすぎる。
もっとも、それは慣れないほうがよい部類の話であるが。
「という訳で次は貴方、と言いたいところなんだけど、運が良かったわね、今日は見逃してあげるわ」
さすがにこれは嘘だな、とショウジはすぐに察知した。
普通であれば、攻撃できるチャンスならそれを躊躇う理由はない。それをせずに見逃すというのは、厚意などではもちろんなく、何か理由があるのだろう。
「へえ、僕としては今から始めても構わないんだけど」
「せっかちねえ、そういうのは嫌われるわよ。なに、大丈夫よ、次はすぐだから」
ショウジの煽り言葉に動じることもなく、余裕の表情でカエデが宣言した。
「すぐって、こんな狙われてるって分かってる状況で、僕が次も出撃すると思ってるの?」
「当たり前じゃない。さっき一機撃墜した以上、あなたの母艦は満足な哨戒行動を取れなくなってしまったはずよ。だからあなたは出るしかない」
そこまで敵にバレているのかとショウジは思ったが、これはまだ理解できるレベルの話である。
この宙域に展開する艦艇の数を調べれば、そこで運用される哨戒機の数も自然と導き出される。また、過去の戦闘などで存在が確認された哨戒機の状況を分析すれば、その運用状態も当然見えてくる。
もちろん相手に悟られないよう、哨戒機のローテーションや配置については十分な検討と注意がなされているはずだが、相手もその道のプロなのだから、全てを隠すのは難しい話である。
「そうか、じゃあ僕と君が戦うのは時間の問題ってことか」
「そういうことよ。覚悟はいい?」
「そっちこそ、嫁入り修行の用意を忘れずに」
ショウジの言葉にカエデがあらあらと驚いた顔をした。
「嫁入り修行なんて、皇国や祖国の言葉よ。よく知ってるわね」
「婆ちゃんと母ちゃんは日本系で、爺ちゃんもその血を引いてるよ。妹なんか、婆ちゃんから今もよく言われてる」
「ふうん、グリーン連邦の三割はもともと祖国の出身とは聞いていたけど、なるほど、そう聞くと納得するわね。そういえばショウジという名前も、こちらの響きよね」
ちなみにグリーン連邦の基礎となった初期移民団や、その後の開拓移民団を総合しての割合では、EU圏が四割、アメリカ北部系が三割、日本系が三割である。
彼らの祖国が地球時代の俗に言う先進国に偏っているのは、当時発生した悪名高い人種戦争の名残である。
これは別に珍しい話ではなく、たとえばカエデが所属するアムテス皇国も、初期の移民条件は百年以上日本国籍を有する一族の出身であることという、偏ったものであった。
もちろん、雑多な人種や国籍によって構成された移民団も数多く作られ、それぞれの星で繁栄を築き上げているが、宇宙開拓時代から数百年が経過した今も人種や国籍の縛りから抜け出せないでいるのが、いまの人類の嘘偽りない姿であった。
「だからそっちの言葉も、翻訳機を使わなくても少しはわかるよ」
「あら、そっちはもうみんな北部系銀河標準語になっていると思ってたけれど、意外ね。わかるなら皇国の言葉で喋ればよかったかしら」
「わかると言っても固有名詞に毛が生えた程度だよ。さすがに文法まではぜんぜんさ」
(本当かしら、嘘をついている気もするけど)
「本当だって、だから試すようにそっちの言葉を入れないで。本当に少ししかわからないんだから」
ショウジの切り返しに、カエデが目をぱちぱちと瞬かせる。
この空間では、機械の助けは無い。夢を見ているのと同じ状況だからだ。
だからこそ、カエデが試した言葉はストレートにショウジの耳に届いていたはずで、それを理解したということは、程度の差こそあれ、ショウジには皇国の言葉に対する適性がある。
おそらく日本系の血を引くという彼の祖母や祖父が、彼に日本の言葉を教えたのだろう。カエデはそう勝手に解釈した。
翻訳機が実用化された現在といっても、複数の言語をナチュラルに扱うというのは、それなりに特別なスキルである。ショウジの親達が教育の一環として日本の言葉を彼に教えたとしても、それはまったく不思議な話ではない。
実際、カエデも母国語は日本語をベースとした皇国語だが、第二外国語として北部系銀河標準語も翻訳機無しでの会話も可能である。貴族社会の中には翻訳機を使わずに会話することが求められる場面があり、第二外国語を覚えるのは義務だからだ。
「なるほどね、これは次に戦うのが楽しみになってきたわ」
「楽しみって、殺し合いだよ?」
「戦士の決闘という名誉ある行いよ?大丈夫、あなたを倒したその時は、あなたの武勇は私が責任をもって誇るから」
どれだけ昔の思考だと思わずショウジは呆れたが、よくよく考えてみれば彼女は貴族の少女、そういった名誉などの権化なのだから、その考えも当然である。
「さてと、そろそろ時間のようね」
カエデが、腕にあった時計を見て、そう言った。
「じゃあね、ショウジ=クリスティさん。次に私と会うまでに、どこかの馬の骨か何かにやられないでよね」
「当たり前だ、君の困り顔を見るまで死ねるか」
くすくすと笑いながら、急速にカエデの姿がぼやけ、そして消えていった。
そして次の瞬間、ショウジは正気に戻った。
「警告、警告!機長、反応をお願いします。三十秒反応無き場合は電気ショックによる治療を行います、警告!」
周囲は暗黒に包まれていた。
どこだ、と手足を動かそうとして、何か柔らかいものでがっちりと全身が固められていることに気がつく。操縦席に満たされている対Gジェル剤だ。
そして脳内には、バンシーの叫びが響き渡っている。
何か起きたのか、パニックになりかける心を辛うじて抑える。
「バンシー、返事して」
「機長の反応を確認、電気ショック準備中止」
「何があった、いや、その前に僕のメディカルチェックを」
「メディカルチェック、本機との操縦接続断絶、身体異常なし」
「バンシー1の捜査はどうなった?」
「現在、四十パーセントを完了」
となると、先ほどからさほど時間は経過していない。
「本機は機長の異常を感知したため、現在緊急後退中です」
「僕はどうなってた?」
「十五分の間、昏睡状態となっていました」
もちろん、ショウジには昏睡状態を引き起こすような身体の病気は無い。というより、肉体の人工的な調整を行った際に、そういった異常を引き起こすものは全て取り除かれる。
そのショウジが昏睡状態に陥ったということは、何らかのトラブルが発生していた可能性が極めて高いことを意味している。
その原因が、先ほど夢で見たカエデとの会話にあることは、いくら夢物語といえど、無関係と思うほうがおかしいだろう。
「バンシー、コントロールに連絡。バンシー1は撃墜された可能性が高いが、機体は発見されず。拿捕の可能性もあり。なお、本機も何らかの未知なる攻撃を受けた可能性があり、後退中」
「了解いたしました、機長」
そして、しばらくして少し落ち着きを取り戻してくると、ショウジの脳がいろいろと動き始めた。
自分が受けた攻撃は一体なんだったのか。あの夢を見せることが攻撃であるとすれば、カエデはいったい何を狙ったのか。
会話しかできない、彼女は確かにそう言った。
もしあれが想定以下の攻撃であったとすれば、彼女が望んだのは一体何か。
アバウトにはわかる。情報収集だ。
ショウジが今も手当たり次第に情報を集めているように、彼女も勝つためにショウジという操縦士の情報を望んだのだ。
だが、かけた手間の割に実現できたのは、単なる会話だけだった、ということか。
もちろんこの技術が将来とんでもない超兵器へと発展する可能性はあるが、少なくとも今回の結果は、彼女の目的を達するほどではなかった、と。
そしてもう一つ、こちらがメインだが、なぜ彼女はこんな中途半端な攻撃を仕掛けてきたのか。
今回の戦闘、内容はどうあれ、カエデが圧倒的に有利であった。しかも十五分もの間、ショウジはバンシー4と完全に切り離された状態となっており、カエデにその気があればいくらでもバンシー4を撃墜できたはずだ。
少なくとも、ショウジが彼女の立場なら、躊躇わず攻撃しただろう。
だが結果は見ての通り、カエデはバンシー4に何もしないまま、戦闘を終わらせてしまった。
では、彼女がバンシー4を攻撃しなかった理由は何か?
まずはバンシー1が実は善戦してダメージを与えていて、カエデの機体が戦闘を行える状態ではなかったという可能性。
いや、もしそうなら、この近辺に何らかの影響が必ず残っていたはずだ。少なくとも無人偵察機に何も情報が残っていないということは有り得ない。よってボツ。
次に、本当に今回は情報収集だけが目的だったというもの。バンシー1はおそらくショウジを呼び出すための餌にされた、というところか。
いや、この予測は目的と手段が逆転してしまっている。これもボツ。
次に、あの不思議な会話の最中は、ショウジと同じように、彼女も意識不明の状態に陥っており、攻撃そのものを行うことができなかった可能性。
確かにその可能性はおおいにあるが、それなら復帰直後に攻撃を開始すればよいだけである。よってこれもボツ。
次に、バンシー1を撃墜した時に弾薬を使いすぎて、残弾が無かったという可能性。
これは、ありえる話だ。
哨戒機の場合、強力な艦載砲相手は無理でも、同じクラスの敵機に対する防御力はそれなりに持っている。少なくとも、一発二発の攻撃が当たった程度で、哨戒機が戦闘不能に陥るようなことはない。
「バンシー、前回出撃時に遭遇した謎の敵機の攻撃、確かレールガンだったよね?」
「はい機長、確認された攻撃の一つは、レールガンから射出された物質弾です」
もし、もしも、彼女の主兵装がレールガンだとすれば。
レールガンは多大な質量があるため、持ち運びにはかなりの労力が必要となる。そのかわり、きわめて単純な兵器なので、環境に対する信頼性は高い。
「バンシー、もしこの機体でレールガンを運用しようとすれば、弾薬はどれくらいかな」
「対小型機用一丁を装備すると仮定して、三十連装のマガジンを五つです。」
合計百五十発。
「この前の、敵のレールガンによる攻撃、何発来たかわかる?」
「三点バーストを五回、計測しています」
ショウジの口元に、笑みがこぼれ始めた。
推測ばかりだが、勝てるかもしれない。
おそらくだが、彼女は奇襲をメインとしているがゆえに、自分の存在を暴露してしまうような、威力の大きな武器が使えない。コンパクトで強力な武器は他にもあるのに、レールガンのような古典的なものを使っているのがその証拠だ。
それでも、ひとたび奇襲に成功すれば、哨戒機のシールドを突き破って行動不能にできるだけの力はあるのだろう。バンシー1が撃墜されてしまったように。
だが、弾数は決して多くない。
この哨戒機で百五十発の搭載量となれば、彼女がそれ以上の弾数を持っているとは考えにくい。複雑な構造を持つ人型兵器に、そんな余裕があるとは思えないからだ。
カエデがバンシー1を攻撃した際に、どれほどの弾を消費したのかは分からないが、それでも次の攻撃を行えなくなるほどの状態に陥ったのなら、間違いなく所持している弾数は少ない。
そんな程度の弾数ならば、それを消費させることは十分に可能なレベルの話だ。レールガンの弾を使いきってしまったら、彼女は何もできなくなる。
他にも隠し玉はあるかもしれないが、今それを気にしても仕方がない。
あとは、どう弾を消費させるか、だが。
「やっぱり基本は精神戦か」
「え?機長、何かおっしゃいましたか?」
「ああ、いや、次の作戦を練ってただけだよ」
そう言って、ショウジは思いつく案をメモに残しはじめたのだった。