[第一部]第二章 皇国の娘
資源惑星N227の領有権を巡ってグリーン連邦と紛争中であるアムテス皇国は、宇宙大航海時代初期に建国された由緒ある国である。
社会構成としては、国民の九割以上が地球の日本国出身者を祖先とする単一民族国家である。宇宙大航海時代初期に勃発した悪名高い人種世界大戦によって、他民族との共生を拒否した日本国出身の人々によって作られた国であるためだ。
人口はおよそ二億、辺境国家の中ではかなりの強国に位置する。いろいろあって自らを日本国の正当な後継者と位置づけており、星の文化もそれに準じたものとなっている。国の名前も、今でこそ変質してしまっているが、もともとは日本神話の太陽神である天照大神から取ったものである。
もっともこれはアムテス皇国に限った話ではなく、他の星でもいくつか似たようなものが存在している。歴史を受け継ぐというのはそれだけで権威付けとなるためだ。
アムテス皇国は建国当初より立憲君主制での政治体制をとっている。もちろん民主主義による議会も存在するが、国民そのものが国王を第一と考えていて、うまくいっている政治体制をわざわざ変更する必要はないという判断から、今もそれは続いている。
国王の条件は、日本国の象徴である天皇家の血を引くことが条件となっているが、長い時間の中でその血は七つの貴族に広がっており、今ではその貴族の中から選ばれた代表者が国王として選ばれるシステムとなっている。
なお、アムテス皇国の代表者が天皇ではなく国王と名乗っている理由は、この時代でも地球において日本国および天皇家が存続しており、彼らに対して敬意を表すためである。
さて、そんなアムテス皇国のトップエリートである七貴族の中で、最近、一つの問題が持ち上がっていた。
七貴族でも序列第一位とされるフソウ家において、傍流とはいえ一族の姫が、あろうことか公の場において、条件付きとはいえ敵国へ嫁に行く宣言をしたことである。
そう、カエデ伍長の話だ。
宣言の内容は、交戦中であるグリーン連邦宇宙軍に所属する操縦士との決闘に彼女が負けて、かつ、お互いが生き残っていた場合、その操縦士の嫁になるというもの。極めて限定された話であったが、フソウ家の人々にとっては十分にありえる未来だった。
なにしろ貴族ともなれば、今も昔も権威の塊である。当然、結婚は一大イベントであり、面子や家柄などが複雑に絡み合ってくる。
それを軽々しく勝負のダシにしたのだから、騒ぎにならないはずがない。
まして敵方の、どこの馬の骨とも知れぬ男の所へ嫁として出るかもしれないなど、前代未聞である。
カエデが本国に呼び出されたのは、かの放送があってから僅か一時間後のことだった。
「いったん後送し、カエデを再教育すべきだ!」
「馬鹿をいえ、あの放送はすでに全国に流れてしまっているのだ。今更後方へ下げたとなれば、逃げたと思われるぞ」
「ええい情報部は何をしていたんだ、なぜ放送前に差し押さえなかった!」
「むしろ今のうちに打撃艦隊を送り込んで、その相手もろとも粉砕すべきでは」
大貴族フソウ家の本宅にある純和風の大きな広間、そこで繰り広げられる大人達の狂乱に、カエデは冷めた視線を送り続けていた。
どこの世界もそうだが、長い権威主義は、組織に一定の歪を引き起こす。
アムテス皇国もその例外ではなく、周囲の厳しい目があるために今はまだそれほどでもないが、実力や実績とは無関係に権威へ縋りつく者たちは一定数存在していた。
もちろん、権威全てが悪いわけではない。それによって守られるものや得られるものもあり、うまく使えば多大な利益をもたらしてくれる。
だがその姿は、とくに光ある未来を見続けている若者にとっては、時として醜悪にさえ見えるものである。
そう、今このときのように。
「まったく、カエデよ、黙ってないでお前も何か言ったらどうだ?」
イラついた声が広間に響く。
この日に集まったのは、フソウ家一族の中でもとくに高い地位にいる者たちである。肩書きは武を重んじるフソウ家の風潮から軍人が多かったが、中には大臣や知事といった者もいた。
「言うも何も、皆様方はまさか私が負けるとでも?」
さすがに不機嫌を隠そうともせず、カエデが言った。
武門の家となれば、戦う前から負けを決めてかかるのは、どんな立場であれさすがに失礼にあたる。それに気がついた何人かの者はさすがに落ち着きを取り戻し、そのうちの一人が言葉を続けた。
「そうは言っていない。だが、万が一ということもある。いらぬ騒ぎがおきる前に手を尽くすのは当然だろう」
「待ってくれ、確かにカエデの言うことにも一理ある。我らは武門の家、手を尽くすのなら、我らが一丸となってカエデを勝たせるための支援をすべきではないか」
話の内容を聞くと、会議の場はおおむね意見が二分しているようだった。
つまり、カエデを勝たせるために全力を尽くすべきだという意見と、その前にこの件そのものを消し去るべきという意見。
どちらの意見も一長一短があり、かつ、主張している勢力の力関係がほぼ拮抗しているため、容易に結論がつかない状態となっていた。
「御前も、このカエデに厳しい一言を言っていただけませんか?」
人々の視線が、上座に陣取る一人の老人に集中した。
フソウ家の当主、ゲンゴである。
「カエデよ」
「はい」
「自信はあるのか?」
「もちろんでございます、御前」
ざわつきかける周囲の空気を、ゲンゴは視線のみで止めた。
「武人の娘として、自らを追い込むか」
「いずれにしても、あの者を取り逃がしたことにより、我が技術の一端が向こうに漏れました。その汚名を返上するには、戦功を挙げるよりないと考えました」
これは事実である。
カエデが使用した様々な兵器は、皇国軍が開発中の最新試作実験兵器であり、攻撃した敵機を逃がしてしまったことでその存在が相手に知られたというのは、軍にとって一大事であった。
もっとも、前線で運用試験を行った時点でそのリスクは皇国軍も織り込み済みであり、そこに責任があるとすれば作戦を立案した軍本部であって、カエデの失態にはならない。
だが、彼女はそう考えてはいなかった。
「負ける話をするのは本意ではないが、あえて聞こう。生きて敗北したときは、わかっておるな?」
「はい、その時は家を捨て名を捨て、相手のところへ身一つで向かいます。どのようなことが待っていたとしても、決して家を辱めるようなことはいたしません」
本来ならその時は、家に対して命をもって詫びるべきというのが彼らの論理だが、それでは嫁に行くという相手との約定を違えることになる。
また、この状態で嫁に行くということは、敵国へ敗残者の女としてその身を晒すことになる。そこでどのような罵声を浴びせられるか、想像するのは容易い話だ。
あえて死ぬより辛い選択を覚悟している、という言い方もあった。
「よかろう、覚悟のほど、しかと聞いた」
「御前!」
思わず次の言葉を止めようとした者たちを、ゲンゴは再びひと睨みだけで黙らせた。
「ゆけ、そして勝ってこい。フソウの女として選んだその選択、この爺が見届けてやる」
「ありがとうございます」
周囲の空気が、諦めにも似たものに包まれた。
当主が決定したことは絶対である。本人がそれを翻さない限り、誰もそれに逆らうことはできない。
「みなもよいな?では解散だ」
そう言ってゲンゴが立ち上がり、広間から出て行くと、慌てたように大人達がその後ろについていった。いまの決定をやめるよう、説得するためだ。
しかしこれで広間の中が静かになったのは事実で、カエデがようやく一息つけるかと思ったとき、彼女を呼ぶ声が聞こえた。
それは、白い背広を着た若い伊達男であった。
「タツヒコ兄様」
カエデの声に明るいものが混じった。
彼はカエデの従兄にあたる人物で、幼少の頃には遊び相手にもなってもらったことがある、家族同然の人物であった。
「やれやれ災難だったね」
そのタツヒコの顔に苦笑いが浮かんでいるのを見て、カエデは拗ねた表情を見せた。
「武門の家であるフソウの家で、武人の決闘に対して文句を言われるとは思いもしませんでしたわ」
「はは、そう言うな。彼らとて家の権威を守りたい一心での行動さ」
しかし、と反論しようとするカエデに、タツヒコはその頭を大きな手で撫でて止めた。
「おまえも、もう少し歳を取ればわかるよ」
「お兄様はいつもそればかり。私とて、タツヒコ兄様やコジロウ兄様と共にフソウの一人として戦いたいのに」
やれやれまいったな、とタツヒコが頭を掻いた。
このタツヒコは直系の一族で、現在の当主であるゲンゴの孫にあたる。現在は宇宙軍参謀本部に所属しており、そこでは若手のホープとして知られる人物であった。
「正直なところ、カエデには料理や歌のほうが似合ってると思うんだが」
「昔、男子の遊びに私を混ぜたお方はどなたでしたかしら?」
「はは、これは一本とられたな」
と、ひとしきり笑った後、タツヒコは真面目な顔になった。
「カエデ、今回の戦争は、いつもとは相手が違う。彼らは地獄のような戦闘を一年以上も乗り越えてきた、経験豊かな軍人達だ。カエデに限って油断は無いとしても、それでも厳しい相手であることは間違いない。もしもの時は必ず命を選べ、命があれば次がある」
その忠告に、カエデは柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございますお兄様。大切なご忠告、しっかりと胸に刻ませていただきます」
「うむ、さてと、今日はもう暇だろう?実はユリカやトモチカもこっちに来ているんだ、せっかくだし久々にみんなでどこかへ食べに行こう」
「はい!」
その笑顔は、歳相応の少女のものであった。
古来より、軍隊において誰もが一番楽しみにするのは食事の時間である、という。
他にも飢えた軍隊に勝利無し、など、軍隊と食事に関しては何かと格言めいたものが多く残されている。
そしてそれらの言葉は、宇宙戦争時代の今でも変わらぬ常識となっている。
軽巡洋艦ブルーフォレストにおいて乗組員に提供される食事は、だいたいが弁当のような食事パックと飲み物である。種類は豊富だが、基本的に合成で作られたものなので、たとえば肉料理でも全て同じ味加減のものが出てくるという具合である。
それでも、出される食事は栄養面に関して完璧に計算されており、味もそこそこ満足できるものである。贅沢を言わず軍隊での食事を続けていれば、よほどの不摂生をしなければ、まず健康に生きられる。問題は兵士向けということで食事のカロリーが高いということだが、これは兵士としての義務を毎日きちんとこなしていれば問題ない。
もっとも、これは全て普通の兵士や士官の話。
例えばショウジ=クリスティ二等兵のような、人体改造を受けた兵士の場合は、その食事内容は若干異なるものとなっていた。
「ステーキ食べたい」
滅多なことでは食事に関して文句を言わないショウジが、今日の昼食で出てきたものを見て、思わず声に出して呟いた。
食事トレイに乗せられた昼食の献立は、改造人間用に特別調整された豆スープやパンに、ソーセージと思しき何か、である。
ボリュームは兵士用なのでそれなりにあるし、味も一般兵士用とそれほど変わるものではない。
だが一つだけ、致命的な欠点が存在した。
それは、料理のレパートリーが極めて少ないということである。
改造人間用の食事は、体内のナノマシンや強化筋肉などの組織を維持するため、専用の栄養剤を混ぜ込んで作られている。しかしこの栄養剤は強い熱や電磁波に弱いという欠点があり、調理に使用される加熱機を使うことができなかった。
加熱方法が限られるとなると、料理の幅は極端に限られるようになる。加えて軍が用意できる栄養剤入り食材の種類も多いわけではないため、その食事メニューはダブルパンチで限定されたものとなってしまっていた。
ちなみにショウジの場合、軍艦に搭乗しているときは、全ての食材が三日でローテーションされる状態である。年齢的に食べ盛りの感覚が残っているショウジにとって、いまの食事環境は精神的に決して良くないものであった。
救いがあるとすれば、これは環境が制限される宇宙での話であり、改造人間用の環境が整っている地上に戻れば、普段通りの食生活に戻れるというところか。
変わり映えしないとはいえ、味と満腹感は確かなので、もしゃもしゃずるずると昼食を機械的に食べ終えると、ショウジは愛機バンシー4のいる格納庫へと向かった。
宇宙軍哨戒機乗りの任務は、大きく三つに分けることができる。
戦闘哨戒、機体整備、訓練である。
エブリタイム人手不足のグリーン連邦宇宙艦隊で、さらに運用限界ギリギリの人数を強いられている軽巡ブルーフォレストにおいては、ショウジに与えられる任務のほとんどは戦闘哨戒という状態となっており、整備と訓練の時間は規定の半分以下である。
このローテーションの悪さは軍も認めているが、人がいないのだから仕方がない。
さすがに主力である第一や第二艦隊ではこのあたり改善されているようだが、逆を言えば主力艦隊ですらそんな心配をする必要があるのが、いまのグリーン連邦宇宙軍ということである。
本日のショウジに与えられた任務は、バンシー4の機体整備である。しかも、先日の戦闘で機体を大きく振り回したため、整備点検項目はいつもの倍という状況だった。
「こんにちは、機長」
ショウジが機体に近づくと、聞きなれた女性の声が頭の中に響いた。
この機体の対人インターフェースユニット、バンシーである。
「やあ、バンシー。今日は機体整備なんだけど、何か報告することはある?」
「整備項目スケジュールは確認を完了しています。必要部材の準備も完了、指示あり次第、いつでも開始可能です」
軽巡ブルーフォレストに搭載されている哨戒機、正式名称エアロライト社製AL2Y-7型宇宙哨戒機の特徴は、信頼性の高いワークホースというものである。
ブルーフォレストには定数七機のうち、現在は五機が搭載され、実戦での任務についている。定数に満たないのは毎度おなじみの人手不足である。
なにしろ操縦士がいないのに、機体ばかりそろえたところでデッドウェイトにしかならない。その上、保管や整備で無駄な手間も発生する。
哨戒機は前線での敵艦探知という重要な役割を担う機体なので、定数不足は作戦遂行能力に重大な悪影響を及ぼす事態なのだが、無い物はないということだ。
救いは、予備パーツだけは十分な余裕があるので、損傷などした場合でもすぐに修理できるということくらいか。
また、この哨戒機は操縦士と副操縦士の二名体制が基本なのだが、これまた人手不足で操縦士のみでの運用となっている。副操縦士の任務は哨戒機のコンピュータが行うことで、今のところは何とか運用できている状態だ。
よって、ブルーフォレストに搭載されている各哨戒機については、結果的に操縦士それぞれの専用機として運用される状態となっている。専用機ともなると愛着も出るようで、ショウジは素直にコードネームと同じバンシーという名前をつけているが、操縦士の中には恋人のような愛称をつける者もいた。
「よし、バンシー、整備ロボット起動、整備を開始して」
「了解いたしました、機長」
バンシー4の大きさはおおよそ三十メートルほどあるが、それを操縦士一人で整備するためには、さすがに機械の助けがいる。きちんとした整備員は艦内にいるが、彼らは常に様々な作業で十分に忙しいため、とくに深刻な状況でなければ、基本的な整備は操縦士が行う決まりとなっていた。
作業そのものは簡単で、哨戒機を構成する数百万の部品に何十もの整備用ロボットがチェックを行い、問題があればその部品の交換を命令するだけである。たまに整備用ロボットそのものが不調で止まったりするので、それを管理するのも人間の役目だ。
かつての宇宙大航海時代には、未熟な技術力から不幸にして整備用ロボットでの作業がうまくいかず、大事故に発展してしまった事例が大量に記録されているが、今となってはむしろ人間が整備したほうがミスが多いという時代になっている。
ショウジが整備開始の指示を出すと、周囲からわらわらと整備用ロボットが集まり、バンシー4の各所に張り付いた。
まず最初に、耐久時間を超過した部品ブロックについて交換が行われる。
まだ動く部品ではあるが、故障率というのは時間経過と共に値が跳ね上がるもので、適切なタイミングでの交換が機体をトラブルから救うことになる。
このあたり、まだ動くのにもったいないと言う人間は多いのだが、遠い昔よりそういった整備交換を惜しんだ末に致命的なトラブルを招いてしまった話は事欠かない。壊れても買いなおせばいい家電製品と、トラブルが死に直結する装置とでは、整備というものの概念が別世界なのである。
整備作業は基本的にロボットまかせであり、命のやりとりが無いので気楽な時間帯ではある。一点だけ憂鬱な部分があるとすれば、この整備によって機体の消耗状態が把握されてしまうことくらいである。
なぜ損耗状態の確認が憂鬱になるのかといえば、とくに理由もないのに機体の消耗が平均以上であればそれは操縦者の腕が悪いということであり、ひどい場合は再教育が待っているためだ。
幸いショウジの腕は人並みであったようで、そういった再教育の経験は無いが、それでも無理な戦闘機動命令で機体を傷めて、あちこちから小言や嫌味を言われることは多い。
「んー、やっぱりエンジンと姿勢制御は要チェックか。明日までに間に合うかな」
「戦闘機動で全力を出しましたので、想定の範囲内です、機長」
ため息をつくショウジに慰みの言葉をかけるバンシー。
コンピューターの言葉とはいえ、彼女達の感情表現は、多くの技術者達が数百年もの時間の中で積み重ねて作り上げてきた、気の遠くなるような試行錯誤の賜物である。
彼女達を作っている学者や技術者達によれば、その感情表現はあくまでプログラムによるもので、人間が表現するものとは根本的に異なるらしいが、それを見分けられる人間は極めて少ない数である。
それだけリアルだと、人々の中にはそれらに心奪われた挙句、美男美女を模した機械の体を与えて生殖能力まで持たせ、一生の配偶者とした者さえいるという。
さすがに異端すぎて人々のバッシングを受けた彼らは、噂によればどこかの居住可能な星に集まって、ひっそりと隠れて暮らしていると言われている。
その話を整備員との雑談で聞いたショウジは、最初の頃はまさかそんな事はありえないと思ったものだが、しばらくこのバンシーと過ごすうちに、コンピュータを伴侶に選んだという人々の気持ちも分かる気がしていた。
美しく、賢く、優しく、気が利いて、逆らわず、それでいて冗談を言い、理論的で、絶対に浮気しない。
対する人間のほうはどうか?
取材でいろいろやり取りをしていた新聞記者が、実はかつて自分と同級生だった顔見知りの少女であることをつい先日に知って驚いたショウジだが、ある時に彼女が見せた表情は、ショウジの胸の奥に棘のようなものを残した。
クラスメートだったときには何の気兼ねもなく話をしていた少女。だが、二回目くらいに送ってくれた映像で見せた表情は、どこかよそよそしく、何かを我慢しているものであった。
もちろん、流れた月日や変化した立場はあるだろう。こっちは軍人、あっちは記者、かつての学生という身分から考えれば大きな変化だ。
だが、映像で彼女が見せたあの表情が、兵士となるために改造されたこの体を見た結果であることは間違いないところだった。なぜなら、両親や兄弟姉妹、かつての友人も、みな同じ表情を見せたのだから。
どこか遠くへ行ってしまった、かつてのその人とは異なるショウジ=クリスティという少年を見たときの表情に。
そんなものをいつまでも見続けるくらいならば、作り物であっても変わらぬ笑顔を向けてくれる存在のほうが、ありがたいと思ってしまうのだ。
「クリスティ二等兵、いるかしら?」
整備用ロボットから送られてくる機体状況にショウジが苦い顔を浮かべていたころ、格納庫で彼を呼ぶ声が聞こえた。
特徴ある家庭的な声から、ルブラン兵長だとショウジは気がついて、顔を上げた。
「隊長、ここです」
「ああ、いたいた。ちょっと時間、いいかしら」
軍隊において、上官の命令は絶対である。
それなのに下の階級にいる兵士に対してそんなことを聞いてくるというのは、やはりどこかズレていると言わざるをえない。
だがショウジはそんな彼女の性格を好ましく思っていた。少なくとも、彼を徴兵したかつての政治家達や、それを止められなかった大人達、息が詰りそうな職業軍人とかを相手にするよりは、彼女のために戦っていると思うほうが何倍もマシだと思っている。
「はい、大丈夫です。いまそっちに行きます」
「ああ、いいわよ。整備中だったんでしょ?そのまま続けてちょうだい。私からそっちへ行くから」
そういうと、慣れた動きで無重力の中を軽く跳び、器用に移動用のエアガンを噴かせつつ、ルブラン兵長はショウジの近くへと降り立った。
宇宙船での勤務だけで言えば、ルブラン兵長はショウジより半年以上の経験差がある。さすがに職業軍人や長年の宇宙船乗組員と比べるとその動きは大雑把であるが、少なくともショウジよりその動きは上手であった。
「勤務中、ごめんなさいね」
「いえ、それで、なんでしょうか?」
「実は情報部からいろいろとネタが入ってきてね。急いで見せようと思って」
ついでに言えば、彼女のショウジに対する口調は、公的な会議などの場を除いては、どこか学校の後輩に対するようなフレンドリーな口調となる。
これは、他の哨戒機操縦士の中で、ショウジが最年少ということも関係しているだろう。
もしくは、少年の若さで兵士にされてしまった彼に対する、どこか同情めいたものもあるのかもしれない。
「情報ですか?」
「ええ、ちょっとこれ、見てくれるかな」
ルブラン兵長が取り出したのは、彼女専用の薄型モニターだった。
彼女はショウジに体を寄せると、手に持ったモニターを見せる。
仄かにシャンプーの良い匂いがする。やや肉感的な体つきも相まって、胸やら尻やらに視線が行きかけるが、嫌われたくないので頑張ってそれは止めた。
それに、周囲にいる整備員や他の哨戒機操縦士達がちらちらと二人の方を見ている。これは不謹慎とかそういうのではなく、抜け駆けは許さないぞという意思表示だ。
なにしろ艦内でもトップクラスの人気を持つ女性であり、戦争が終わったらと思っている男性は数多い。どのような暗闘が繰り広げられたのかショウジは知らないが、今の所は紳士協定という形で抜け駆け禁止となっている。
それを破ったらどうなるか、仲間達から総スカンにされた兵士の未来など、まず良い方へ向くことはない。
ちなみに男性陣有志投票、もちろん極秘で行われたもの、によるブルーフォレスト女性兵美人コンテストのナンバーワンは、艦橋で戦術オペレーターを務めているフェリシア=フィッシャー少尉である。二十五歳で士官学校出身というバリバリのエリートだが、美人であることはもちろん、軽妙な会話センスとオペレーターとしての的確な指示能力、さらには彼女の指示を聞いた哨戒機は例外なく生き残るという別名エンジェルボイスといった要素から、幅広い支持を受けての結果となった。
さらにもう一つ追加するとすれば、この投票結果については後日に艦内女性兵の知る所となり、参加した男性兵士は全員、艦長命令で罰として艦外での清掃作業を命じられることになった。ショウジもまたその一人であったことは、言うまでもないことである。
「どう、このまえ挑発してきた皇国軍操縦士の情報なんだけど」
「たしか貴族の一人とか言ってましたよね。ふむふむ」
本来、兵士の個人情報というのは重要機密に属するものである。
もともと個人情報そのものが重要機密と言えばそれまでなのだが、兵士の場合はテロの標的や敵工作員に狙われたりするため、基本的なレベルで公開は避けるべき情報である。
もしそれでも公開されているとすれば、それは宣伝や情報工作を疑うべきだろう。
たとえばこの皇国軍操縦士のように。
「フソウ=カエデ、十七歳。フソウ家の一族であり、宇宙軍幼年学校卒業後に実務教育として最前線勤務につく、か。僕と同い年かあ。前に映像で見たときも驚きましたけど、皇国軍でもそんな歳の兵士っているんですね」
「フソウ家そのものが軍事に強い貴族だから、その義務としてというのもあるみたい。それに、彼女のような存在が最前線で戦ってるとなれば、ほかの兵士達に対する示しにもなるし」
そのあたりはショウジにも十分に理解できた。
貴族のお姫様が同じ戦場にいて戦っているとなれば、男性の心理としてはやはり良い所を見せたいとなるだろう。士気に与える影響は確実にプラスとなる。
もっとも、その彼女を預かる艦隊司令部の心労は計り知れないレベルであろうが。
「戦績は、公式記録として哨戒機三機を撃墜、か」
「アルファ共和国との戦いで二機、こっちとの戦いで一機のようね。開戦時に戦艦エメラルドマウンテンの哨戒機がやられたみたい」
「この艦隊の旗艦じゃないですか」
ショウジはため息をついた。
いくら人手不足とはいえ、艦隊旗艦を母艦とする哨戒機の操縦士が未熟であったはずはない。それを撃墜したとなれば、かなりの腕ということだ。
そしてもう一つ、この記録には、ショウジが一番知りたかった情報が抜けている。
「彼女、どうやって哨戒機を撃墜したんでしょうね?」
ショウジの問いに、ルブラン兵長が黙った。
数秒、ルブラン兵長は考える仕草をした後、あまり自信が感じられない声でこう言った。
「あるとすれば、どこかで単独行動していた機体を狙ったというところかしら。ちょっと考えにくい話だけどね」
いまの宇宙戦争において、哨戒機のような小型機同士が戦うことは、無いわけではないが、極めて稀である。
いまの宇宙戦争において、亜光速の攻撃ミサイルすら瞬時に検知して打ち落とす戦闘艦や無人偵察機から見れば、低速かつ戦闘機動性能に劣る有人の哨戒機などカモでしかなく、前に出ようものなら一瞬で火達磨にされてしまう。このため、哨戒機の運用は味方の勢力範囲ギリギリのところでこそこそ隠れつつ、配下の無人偵察機の管理を行うことのみが求められ、ドッグファイトなど論外という世界だ。
そんな時代において、三機もの哨戒機を撃墜したというお姫様の戦績は極めて特異であり、ショウジ達二人が首を傾げるのも無理のない話であった。
「隊長、落とされた機体の交戦記録は見れそうですか?」
「エメラルドマウンテンの?うーん、話はしてみるわ。ただ、あまり期待はしないでちょうだい」
ルブラン兵長が苦い顔をした理由は、ショウジにもわかっていた。
相手はまがりなりにも旗艦である。その所属機が撃墜された記録など、表向きはどうあれ、格下の相手に見せるのは気持ちのよいものではない。
もちろん、軍隊なのだからある程度のルートを使えばきちんとデータを見せてくれるだろう。だが、それに伴う人間の感情は、また別のものである。情報がもらえるまでどれだけの手間がかかるのか、非常に面倒な話となるのは間違いない。
「無理はいいません、よろしくお願いします」
「ええ、わかったわ」
「他にも情報はあるみたいですね。なんだろう」
と、ショウジはぱらぱらと画面をめくった。
すると出てきたのは、写真集かと思うほどの大量の写真データであった。
貴族のお嬢様というのはパパラッチの標的になりやすいので、本人の意思がなくとも大量の写真が撮られてしまうわけだが、幼少の頃から今現在に至るまでの成長っぷりが分かるほどの量というのはさすがに驚く。
そして特に多いのが水着姿の写真。もとはプールや海辺などでバカンスを楽しんでいる時のものだが、スタイルの良い女性の水着姿というのは、なんというか、年頃の男の子には刺激的であったのは間違いない。
おもわず見入るショウジに、ルブラン兵長がため息をついて、思いっきり頬をつねった。
「あう」
「こらこら、もう少し真面目にやりなさい。まったく、情報部も何のつもりでこんなデータを送ってきたのかしら、もう」
「ま、まあ、何か意味があるのかもしれませんし、精査しますのでデータはこっちに」
じとー、と不潔なものを見る目をして、それでもルブラン兵長はデータをショウジの管理フォルダにコピーした。
「でもいいの?自分を殺そうとしている相手なのよ?」
「それはそれ、これはこれ、です」
きっぱりと言い切るショウジ。
たしかにこんなのを見てしまったら、いざ戦闘となったときに自分が引き金を引ける自信は、ショウジには無い。
だが、ショウジだって黙って殺されるつもりはない。相手が命を狙ってくるのなら、全力で殴り返す、それだけだ。
もっとも、ショウジとしては実のところ、彼女を殺す気は毛頭無かった。
なぜなら、貴族の娘である彼女を戦争とはいえその手で殺してしまった場合、彼女の家族達がショウジをそのまま放置するなどまったく考えられないからだ。普通であれば殺し屋が派遣され、いつかショウジは殺されるだろう。それでは勝利した意味が無い。
そうなると残された選択肢は、撃退か生け捕りだ。
とくに彼女を生け捕りにできれば、その後の危険性は完全に消滅する。捕虜交渉でショウジの将来的な安全を貴族の名で約束させればいい。目指す目標としては、これが一番なのは間違いない。
問題は、その辺りに関して彼女が嫁入りがどうのこうの言っていたことくらいか。
ちなみに、その話については、ショウジは完全に冗談として受け取っていた。
一介の平民の所へ貴族の娘が来るなど、ショウジにとってはファンタジー世界のお話である。個人の思惑はどうあれ、ショウジが勝利した場合はその話を有耶無耶にするための交渉が始まるだろう。
それにショウジとしても、もちろんガールフレンドは欲しいが、そういう相手はもう少しお互いを見知ってからにしたいと思っている。少なくとも結婚という話は、恋愛の結果でありたいと思う少年であった。
「あ、そういえば、先日撮影した機体の情報はどうですか?」
「それは、まだね。情報部はあれを見て頭抱えてたし、技術研究所なんかカーニバルになって、ぜんぜん話が通じなかったわ」
はあ、とため息をつく兵長。
「確かに、人型兵器なんて、いつの時代の古典物語って感じですよね」
「一応、前例はあるみたいだけど、どれも道楽レベルだからねえ」
情報部や軍事技術研究所が大混乱に陥った理由、それは遠い過去より何万回も否定された人型の大型兵器が、実際に稼動して戦果を上げたところを目の当たりにしたせいである。
人型というのは、おおよそ人類が思いつく構造において、もっとも高い万能性を持つ姿である。少なくともその万能性によって人類は地球の頂点に立ったのであり、これ以上の実績はないと言える。
その最強の万能性に強力な兵装を持たせれば究極の兵器が出来上がるのではないか、幾多の研究者達がその思念に囚われてしまったのは仕方のない話である。
なにしろ地球における神話の時代ですら、巨人による恐怖が描かれていたほどである。もう呪いといってもいいかもしれない。
だがここで、一つの問題が出てくる。
人体の構造は万能だが、同時に繊細である、ということだ。
繊細ということは、信頼に足る装甲はつけられないし、整備に多くの手間がかかる。部品代は天井知らずに跳ね上がっていく。
噂レベルの話だが、どこかの国で本格的に人型兵器の検討を行ったところ、どんなに甘い試算を行ってみても、その人型兵器一機で哨戒機が数機買える金額になってしまったという。これではまったく話にならない。
とはいえ、ショウジは実際に人型の兵器をその目で見ている。
それが事実である以上、信じられないからと言って目を背けてはいけない。
生き残りたければ、出鱈目と思っても真っ直ぐに事実を見据えて対応しなければ。
「せめて運動データの解析とか、進んでくれればいいのですが」
「ええ、まったくね。本当に、あなたが生き残ってくれて助かったわ。もしあなたが撃墜されて何の情報も無くなってしまったら、私達は完全に未知の敵を相手にするところだったから」
「未知の敵という意味では、今もあまり変わりはないように思いますけどね」
だが事態は深刻である。
相手はこちらの機体情報を熟知しているのに対して、こちらは相手のことをほとんどわかっていない。これは、多少の性能差など簡単にひっくり返せるほどのまずい状況だ。
「とりあえず、研究所には解析を急ぐよう、要請を出すわ」
「お願いします」
そうやって話が進んだころ、ルブラン兵長の腕についていた端末がぴかぴかと点滅した。
艦内連絡用の個人端末である。
ちょっとごめんね、とルブラン兵長はその端末を操作して、流れる文章を読み取った。
「あら、呼び出しね。部屋に戻るわ」
じゃあね、と手を小さく振って、兵長は格納庫から出て行った。
あとにぽつんと残るのは、ショウジと整備用ロボット達。
「あの、機長、私が行える整備は終わりましたので、確認をお願いいたします」
そして、おそらくは二人の会話を邪魔しないように気を使っていたのか、今になってバンシーが声をかけてきた。
時計を見ると、かなりの時間が経過してしまっている。そんなに話をしたつもりはなかったが、夢中になってしまったか。
「わかった、急いでチェックポイントをまわろう。バンシー、手伝って」
「了解いたしました、機長」
そして結論から言えば、今回の整備で見つかった要交換箇所は通常の倍に及び、それに必要となる作業計画書の作成量を考えて、ショウジは心の底からため息をついた。
だが、果てしなく面倒な作業であっても、生き残るためにはやらねばならない。
天国から地獄、隊長と会話していた時のことを懐かしく感じながら、ショウジはのろのろと自室へと向かったのであった。
カエデが所属艦である戦艦コンゴウに戻ったのは、不毛な呼び出しから一週間ほど経過した後のことだった。
「フソウ伍長、ただいま戻りました」
コンゴウの航海艦橋で、すらりとした姿勢も美しく敬礼するカエデ。
「うむ、災難だったようだな」
その姿を見て、コンゴウ艦長であるヤマダ中佐は頷いた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
「まあ、フソウの家は、な。オレのように文官系の貴族ならば、多少の事など呆れられて終わりなんだろうが」
と、苦笑いするヤマダ中佐。
この男、皇国七貴族であるヤマシロ家に連なる家系の出である。
また、男の母親はフソウ家の出身で、カエデの家とも交流があったため、この戦地においてはカエデの後見人のような立場となっていた。
「それで、あれから戦況のほうはいかがでしょうか?」
「軍広報の通りだ。先日の会戦以降、相手方は守りに入って動かん。司令はもう少し戦果を増やしたいようだが、なかなか、な」
本来なら伍長ごとき立場の人間が中佐に戦況を問うなど、たとえ質問や雑談としてもありえない話なのだが、貴族の力というのはそれが普通となる世界であった。実際、十七歳の子供が伍長という階級を得ている時点で、その力の大きさは推して知るレベルであろう。
「とはいえ、動きのないままというのもまずい。おそらくもう一度、場合によっては二度くらいは艦隊戦があるだろう。それまで準備を整えておくといい」
「はい、艦長、ありがとうございます」
惑星N227での紛争において、アムテス皇国宇宙軍は主力の一翼を担う第四艦隊を中心に軍を展開、グリーン連邦宇宙軍の第六艦隊と対峙していた。
皇国軍が虎の子といえる主力艦隊を派遣したのは、連戦で消耗しているとはいえ、実戦経験においては確実にグリーン連邦軍のほうが上回っていると判断したためである。実際に、装備や参加人数などの要素を考慮しても、グリーン連邦軍はよく動けているというのが軍本部の評価であった。
主力艦隊を派遣した以上、皇国軍としては一気に敵艦隊を粉砕し、この紛争の早期決着を図るつもりであったが、事態の急変を受けて、その意図は急停止してしまった。
グリーン連邦において発生したクーデターである。
皇国政府や宇宙艦隊司令部もさすがにクーデターまでは想定しておらず、その戦略計画は大幅な変更を強いられた。さらにはクーデター首謀者となってそれを成功させたグリーン連邦宇宙軍のフランクリン中将より、停戦と和平の申し入れが超極秘の扱いで皇国政府に伝えられ、混乱はさらに大きくなった。
数日に渡る激論の末、皇国政府はこの申し入れを受けることを決定、関係各所への通達と停戦の準備を始めた。
だが、政治的にはともかく、一度始まってしまった紛争をいきなり止めることは難しかった。それが領有権に関することとなればなおさらで、皇国軍としても確実な成果を得た上でないと、簡単に停戦できないという事情もあった。
ちなみに今回の紛争、カエデ本人としてはプラスの状況であった。
彼女が所属しているフソウの家は、軍人の家である。
このため、一族で相応の立場を得るには、軍人として成果を挙げるのが一番となる。
一族の立場というとかなり時代錯誤な感じがあるが、あまり低い立場のままでいると、一族より意に沿わない命令をされてしまう場合があった。
一番分かりやすいのは婚姻で、ある程度の力があれば相手を選ぶこともできるが、何もなければどんな相手と組まされるか知れたものではない。中にはそんな強制された相手でも相思相愛の間柄となって幸せな家庭を築き上げた例もあるが、もちろん逆の場合のほうが多く、カエデのような若い男女にとっては、やはり自分で選んだ相手と添い遂げたいと思うわけである。
幸いというべきか、フソウの家は自分の意見を通したければ実績をもって行えという風潮が強く、実際に軍の最前線で戦果を挙げた上で、意中の相手との結婚を認めさせた者もいた。これは他の貴族では考えられない話であった。
ちなみにカエデが軍で戦っている目的というのは、結婚を望む意中の相手がいるといった甘い話ではなく、他人の意思で人生を左右されたくないという、若者特有の思いからである。
十七歳という、戦場に出るには若すぎる年齢であったが、貴族の子弟がその義務によって戦いに出ること自体は別に珍しいことではない。もう少し、せめて二十代くらいになってから出るべきではないかという意見はあったが、実戦に参加できる機会などそうそうあるものではないため、カエデとしても無茶は承知で参加をしていた。
カエデはコンゴウの艦橋から退出すると、すぐに自機のある格納庫へと向かった。
艦内移動用の自動コミューターに乗り込み、格納庫で待機している整備員達に通信端末で連絡をとる。
「カエデお嬢様、おかえりなさいませ」
通信端末からそんな声が聞こえてきた。
それもそのはず、彼女の機体を整備しているのは、フソウ家直属となっている研究機関の者たちである。彼らは立場的に民間人となるが、それはそれ、フソウ家に所属しているというだけで軍人に準ずる扱いとなる。
軍隊という組織から見れば特例尽くしの話であるが、もともと皇国軍そのものがフソウ家と繋がりの強い組織であり、フソウ家もトップクラスの貴族として軍に対して一定の配慮を欠かさないため、そういった話が通りやすい環境となっていた。
「機体管理のほう、ありがとうございました。そちらの方はいかがですか?」
「はい、まとまった時間ができましたので、先日までの戦闘データも含めまして機体と装備の再調整を行いました。結果のほうはあとで直接説明させていただきます」
「それは楽しみですね。わかりました、もうすぐそちらに到着しますので、その時に」
カエデが格納庫に入ると、何人かが彼女の方を振り向いた。
その姿を見慣れてるとはいえ、やはり一回りも小さい彼女の姿はかなり目立つ。年齢的に言えば彼女と同じ年頃の子供がいる者も少なくない。
格納庫の中は哨戒機や連絡用シャトルが整然と並び、多くの軍人が忙しく動き回っていた。不本意にもカエデが帰国しなければならなかった時と、中の状況にそう変化はない。整備員達の顔にも余裕が見える。
ということは少なくとも、補給などのバックアップ体制がきちんと機能しているということだ。もし自軍が劣勢の状態にあれば、こうはならない。
伝え聞くところによれば、現在交戦中のグリーン連邦宇宙艦隊は、物資の補給こそ何とかしているが、人的資源の枯渇が激しいらしい。そんな情報が、貴族とはいえ末端であるカエデの耳にも聞こえてくるようでは、皇国の勝利はそう遠い未来のことではないだろう。
そしてカエデは、戦艦コンゴウの航空隊指揮官や同僚達、そして研究員達への挨拶をすませると、すぐに機体のチェックにとりかかった。
もちろん研究員達のことを彼女は信頼しているが、自分の乗る機体のチェックは操縦士としての勤めであると教育されている彼女にとって、この行動は常識レベルの話である。
それに、先ほど聞いた研究員達の話によれば、機体や搭載装備の再調整を行っているという。再調整ということは使い勝手が変わった可能性もあるわけで、なおさらおざなりにはできない作業であった。
「雲隠れも随分と有効範囲が広くなっていますね」
「はい、いままではこの機体を隠すのが精一杯でしたが、今回の再調整により、広範囲でのカバーが可能となりました」
「範囲を広げすぎれば、こちらも自分の目を今まで以上に失うのではありませんか?」
「そのためのセンサーユニット改良です」
カエデは、人型をしている自分の機体を見上げた。
フソウ兵器研究所が独自に開発したテスト機、シラユキ。
美しい機体だ、とカエデは思う。
女性をイメージした機体はなだらかな曲線で構成されており、頭部は美しく作り上げられた女性の面が取り付けられている。
また、頭髪をイメージした形状の放熱ワイヤーや、女性の象徴ともいえる乳房を連想させる胸部装甲など、芸術品と言われても通用しそうな姿である。
能力的には哨戒機の偵察能力を維持しつつ、対無人偵察機用の装備やドッグファイト対応能力など、従来の哨戒機から見ればオーバースペックな能力を多数付加している。問題点があるとすれば、やはり超がつくほどの高額な機体という点と、整備性の低さだろう。
「ところで、例の機体の情報は何か集まりましたか?」
点検を続けながら、カエデが近くにいた研究員に言った。
例の機体とはもちろん、彼女が取り逃がし、国営放送で喧嘩を売った、グリーン連邦宇宙軍哨戒機バンシー4のことである。
「はい、パーソナルデータや戦績など一式、手に入りました」
カエデの手が止まった。
「一部ではなくて一式ですか?いくらなんでも軍に所属する人間の情報が、そんな簡単に手に入るとは思えないのですが」
「クーデターですよ」
こともなげに研究員は言った。
「内部に潜入していたシノビが、あのクーデターのおかげで大量の情報を仕入れるのに成功していまして。パーソナルネームさえわかれば、あとは調べ放題です」
グリーン連邦の人間が聞いたら、絶望で卒倒しそうな言葉である。
情報において遅れをとる国が、戦争で生き残ることは難しい。その点において、軍部にスパイが入り込んで成果を挙げている状況というのがいかに危険であるかは、もはや言葉にする必要もない話だ。
「ふむ、そうなのですか。データはどこに?」
「こちらに、いま転送します」
カエデが持っていた個人用の端末へ、喧嘩を売った哨戒機操縦士の情報が流れてきた。
彼女は整備の手を止めて、その情報をじっと眺めた。
「同じ歳の、徴兵された男子ですか」
「ここ数ヶ月ほど、前線で哨戒任務についています。その期間に行われた主要なグリーン連邦宇宙軍の戦闘において、その多くに参加していますね」
「戦歴は十分ということですね」
カエデが、端末に映し出された顔を見る。
それはまぎれもない、ショウジ=クリスティその人の姿であった。
「しかし、私が言うのもおかしいのですが、若いですね」
「グリーン連邦は、軍人や裕福な家庭から十代の少年少女を数百人徴兵して、短期間の訓練を行った後に、前線へ送り込んでいます。彼はその氷山の一角ですよ」
「敵ながら、惨い話ね」
この数年間においてグリーン連邦で何が起きて、どんな理由をもって戦争への道を彼らがひた走ったのか。敵として相対する関係から、カエデはその調査結果にきちんと目を通していた。
そこに書かれていたのは、理想しか抱いていなかった無責任な人々が巻き起こした、世にも無残な転落の光景であった。
そんな彼らがクーデターという武力によって失脚、幽閉されたのは、ある意味では彼らに対する大いなる神の慈悲であったのかもしれない。そう皮肉交じりに報告書は終わっていた。
「同じ歳で徴兵された男子、少し興味が沸いてきました。他の情報は何かありますか?」
「さすがにあとは家族構成とかですね。ふむ、興味、ですか」
研究員がにやりと笑った。
「実はこのシラユキに搭載されている装備で、面白いのがあるのですが、いかがでしょう?」
「面白い装備、ですか」
カエデが不安げな表情を浮かべる。
彼らは優秀だが、その優秀さゆえに、時としてとんでもないものを作り出すことがある。
もちろんそれが役立つものであれば万々歳なのだが、中には常識を悪魔に魂ごと売り渡したとしか思えないものもあったりして、カエデ本人としてはその辺りについてあまり信用をしていない。
「もとは相手システムへのハッキングを目的としたものだったんですが、いろいろあって、なかなか効果が出なかったんですよ」
「ハッキング、ですか?別に面白くも珍しくもない気がしますが」
コンピュータが生まれて数百年、もはやそれ無しでは武器一つ操作できない軍事の世界において、そのコンピュータシステムを狙うハッキングの技術も当然のごとく進化を続けていた。
なにしろどんなに劣勢であっても、相手システムへの侵入に成功すれば、一発逆転も可能なのだ。たとえば、ハッキングによって自爆コードが作動して敵艦隊全滅、などという事も可能性として有り得るのである。
もちろんそうならないように、いまこの瞬間も、各国の技術者達はコンピュータの世界で熾烈な消耗戦を展開している。ハッキングに成功して敵軍全滅、などという展開が夢物語のレベルとなっているのも、彼らによる日々の努力の結果であることは間違いない。
それだけに、軍人の中では対コンピュータ戦も戦争の一つとして十分に認知されており、カエデの言う通り、ハッキングは珍しくも面白くもない話の一つとなっていた。
「もともとは従来の通信系に頼らない、まったく新しい形での機体間通話を目的としていたのですが」
「ダメだったのですね?」
カエデのざっくりとした返答に、研究員は苦笑いを浮かべた。
「ええ、どうしてわかりました?」
「当たり前ではありませんか。もしそんな新技術が実用化されていたら、もっと大々的に公表されるはず。それが無いということは、なにか致命的な問題があったか、それとも使い物にならなかったか、くらいでしょう?」
「さすがですね。ええ、なんといいますか、両方ですね」
「両方って、いったい何を私にさせようとしているのですか?」
思わず詰問口調になるカエデ。
技術者の暴走はよくある話だが、それに自分の命がかかってるとなれば、さすがに責める口調にもなる。
「まあとりあえず、説明からどうぞ」
そう言って、すでに用意してあったのか、技術者は手持ちの端末にそのデータシートを展開し始めた。
最初は訝しげな表情を崩さなかったカエデだったが、説明を聞くうちに、その表情が不敵なものに変化した。
そして説明を聞き終えた後、彼女はこう言った。
「面白いですね、早速使ってみましょう」