「幸せ女子」の落とし穴 (上)
恋も仕事も上手くいく。
「幸せ女子」のレールが目の前に敷かれて、ノリコの気持ちに余裕が生まれた。
サトシの話が予定通りに進めば、あと数年でこの仕事を辞めることになる。例え、サトシの勤務先が国内でも、最初から単身赴任は望まなかった。
今の仕事を前任者から引き継いだ時は、地味な内容で気っhが進まなかったが、最初から関わっているのは、ノリコを含め数人しか居ない。仕事が面白くなり始める時期と結婚や出産のタイミングが重なるというが、ノリコも例外ではなかった。
この会社も最初は純粋な日本の企業だった。時代の波の影響を受けて、吸収合併を数回繰り返すうちに、社内の雰囲気はガラッと変わった。全く知らない部署の人が、ノリコ達がやっている仕事に興味を示した。今までの経緯を伝える立場になって、「やりがい」を感じる機会が増えた。それと対照的だったのが名刺の減り方だ。配る枚数が尋常じゃない。
その頃になると、ノリコが上級管理職の会議に出席していても、「何でこの子が? 」という表情をされなくなっていた。
役員室フロアーの来客用のコーヒーを、自分の同僚達にこっそり運んでいた事も咎められなかった。むしろ、防災訓練の時しか使わない非常階段を使った裏技に、目の付け所が違うねと感心されたくらいだ。
サトシとの関係がきしみはじめたのは、年齢が上がるにつれ、二人を取り巻く状況が変わってきたからだと思う。出張が多くなったサトシと争うように、ノリコの毎日も忙しくなった。
インド行きが決まれば、全てを手放さなければならない。サトシとの結婚は大前提だったが、自分の何処かに、このまま仕事も続けたいという「欲」が残っていた。
サトシが、平日の夜ノリコを食事に誘うことは稀だったから、不思議に思った。
彼は待ち合わせのお店に先に着いていた。テーブルの上に置かれた大きめのガラスのコップの水が僅かしかないのを見て、確か自分はこう言ったのだ。
「ごめーん、たくさん待った? 」
首を横に振るサトシに、いつもの明るい表情が戻らない。しばらく前から、一緒に過ごしていても何かが違ってきていた。カウンターの席が空いているのに、フロアーの真ん中に位置する四人掛けのテーブルを取っておいてくれたのも妙だった。
今日、何かが起こる、そんな気がした。
「ずっと言おうと思っていたんだけど、なかなか言えなくて……」
ノリコを気遣ってなのか、敢えて言葉を言おうとしない。
「東京を離れることにしたんだ」
「えっ、どこ行くの? ま、まさか、急にインド行き決まったとか? 」
サトシの背中越しに、ノリコが注文したモヒートが運ばれてきて、「福岡に行くんだ」という言葉と重なった。
福岡はノリコにとって想定外の地名だ。
「実家も近くなるし、良かったじゃない? 」
ショックを最小限に抑えたつもりでも、声がうわずっているのがわかる。
「そうじゃないんだ、もっと複雑なんだよ」
サトシが声を荒げた相手はノリコのはずだが、彼自身に対してのようにも聞こえた。
「結婚式なら、インド行きの前に、福岡であげるんだって大丈夫よ、心配しないで」
サトシを安心させるように、優しく話したつもりのノリコだったが、彼は下を向いたままだ。
「会社辞めるんだ。インドも行かないよ」
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最後まで読んでいただきましてありがとうございました。今日のお話の続き、「幸せ女子」の落とし穴 (下)の投稿予定日時は、今日の夜9時前後の活動報告でお知らせします。ノリコさん担当出来るかな〜。