ビンディー、約束の印
サトシはノリコの肩を抱いたまま腕を伸ばして、テーブルの上のパソコンの画面を二人が見える角度に向ける。
画面にはさっきまでサトシが観ていたインド映画が流れていた。
「インド映画? 面白いの?」
「ダウンロードしたの初めてだけど、ノリコと一緒に見たかったんだ」
パーティーの場面なのか、ブーゲンビリアのピンクとヒマワリの黄色の色彩が、ダンスと一緒に舞っている。結婚した女性が額につける赤色の印ビンディーも、豪華なサリーの衣装に合わせたビーズ素材で出来ていて、おしゃれなファッションアイテムに見える。
ノリコは、ハリウッドが作るエンターテインメント的大作が好きだが、サトシは、ミニシアターで上映される芸術性の高い作品を好む。派手な衣装とダンスシーンが満載の映画は、サトシに髪をやさしく撫ででもらいながら観るには騒がしすぎた。
「違うの見ない? 」
「ダメ、これ見て」
「じゃあ、あの主役の女の子って可愛いと思う? 」
「まだ気にしてるの? 」
「ああいう大っきな二重の目になりたいから」
「大丈夫、寝不足の朝はノリコも二重だよ」
それは事実だったが、はぐらかされて気分は悪い。
「前にも言ったけれど、顔のパーツが派手過ぎるのは苦手なんだ。それに……、横顔はノリコのがずっと美人だよ」
サトシの返事は、客観的な意見のようだった。
「派手」の意味がわからなかったが、サトシはノリコの横顔が好きだ。自分では横顔を見れないのでピンとこなかったが、サトシは二人でお店に入った時、空いていれば、横並びの席やバーカウンターの希望を伝えていたからだ。
サトシは、ノリコの長い髪を肩の後ろに流した後、伏し目がちのノリコの顔をそっと持ち上げ、小鼻の上にその柔らかい唇で最初の愛情を置いた。唇はゆっくりと坂を下りながら顔の上部に進み、目と目の間の谷で一旦止まる。
いつもしてくれるキスとは違う、ノリコの肩に力が入る。
座っているすぐ後ろのベッドのフレームに背中をつけて、ノリコはサトシを受け入れる甘い装いをうっすらとまとう。パソコンの画面は、アップビートのダンスシーンに変わっていた。リズミカルな音楽に合わせて踊るダンサー達で画面は隙間もないくらいだ。エキゾチックな音楽と衣装の鮮やかな色彩が画面からはじけて、部屋中に撒き散らされていくような錯覚に陥る。
ノリの良いリズムに合わせて下半身をくねらせると、抗えない身体の欲求が触発されて、大胆なポーズでサトシの体に密着した。
ノリコの誘うような動きをいさめるように、サトシは唇を一旦離した。不意を突かれてキョトンとした表情で見つめるノリコに、サトシは首を横に振る動作を見せて、額の中心に唇を移動させた。さっきまでのキスと違って強く押し付けて吸っている。
額から動く意志のない唇の感触が、サトシの生命の息吹きに僅かに呼応してノリコに伝わってくる。実際には数分だったのかもしれなかったが、とてもとても長い時間が経過したように思えた。
唇を離したサトシの顔を間近に見つめながら、ため息と言葉を同時に漏らす。
「赤くなっちゃった? 」
「赤くしたの」
サトシのまっすぐな表現に、何かの意図を感じた。。
サトシは、インドの結婚した女性が額の真ん中につける赤い印ビンディーを、唇で付けてくれたのだ。
「ビンディってこと? 」
「そうだよ」
「まだ、結婚してないのに」
「二人がインドに行く頃には必要になるよ」
「どういうこと? 」
「秋から始まるプロジェクトに参加が決まったんだ、これからはそっちが主な仕事になるから、新人の子にも少しずつ仕事を下ろしていくように言われたんだ」
ノリコは自分の心配が薄らいだのと同時に、新たな不安が湧き上がった。
「いつ、いつ、インド行っちゃうの? 」
焦るノリコに、その質問待ってましたという表情のサトシが笑顔で答える。
「まだまだ、まず、国内の施設で安定させてから……。そうだなあ、二年後に国内開始かな? 」
「よかった」
返事というより、自分自身を安心させる独り言のようだった。
「その時は、ついてきてくれる? 」
「もちろんよ!」
唇で置かれた儚い赤い印がノリコの額から消えても、その温かな記憶がビンディーの代わりとなった。
「こんな可愛い人が僕のことを好きになってくれたんだから……。誰にも渡したくないんだ」
言葉を濁さない、素直な愛情表現がノリコの全身を包み込む。
頬を伝う涙を一筋も逃さないように、次々と舌で受け止めていたサトシの顔を両手で包み、自分の額をサトシの額にくっつけた。
「好き……、大好きよ、これからもずっと……」
私はサトシと結婚する。
事実上のプロポーズだと信じて疑わなかった。
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