あー、聞かなければよかった!
タカさんは、ため息ひとつと肩を同時に落としてから、言葉を口にした。
「ヴィレッジのみんなは、順調にいっているように見えるけれど、大きな挫折や心の傷を持っている人が多いのよ。
エマちゃんだって、怪我さえなかったら、今頃、ニューヨークの舞台の上よ。エマちゃんのお母さんが、コーチングの分野では有名だったけれど、同じ職業を選ぶなんて信じられなかったわ。
そのぐらい、順調にいってた子なの。今は、明るく振舞っているけれど、車椅子に乗って日本に戻ってきた直後の彼女の荒れ方は、凄まじかったわよ。ノリコさんみたいに、幸せに生きてきた人なんかには、想像も出来ない落差を経験してるの」
タカさんが、ノリコを、幸せに生きてきた人と位置付けたのは、ショックだった。
「ノリコさんの場合は、自分を取り戻すことなの。自分自身を諦めないで、毎日を全力で過ごしていく過程で、結婚に頼らない自分を見つけて幸せになって欲しいの」
クラブの空間を膨張させるぐらいの大音量で流れる音楽は、ハウスミュージックだった。タカさんの見事なルーズレッグが宙に舞うのを、周りのゲストが、羨望の眼差しで見ている。
「あれだけ動いて、頭の位置、ほとんど変わんないなんて、有り得なくない? 」
男の人達の会話が、ノリコの耳に届く。
黒の上下に合わせた植物の柄の同系色のべストは、タカさんが回る度にひらひらしたが、頭にのせているハットが床に落ちることはない。フロアーの雰囲気を独占出来るくらい格好いいタカさんにも、自身で乗り越えるしかない辛い過去があったのだ。
明け方、クラブを後にしたノリコは、そのまま、スポーツクラブが毎週末、皇居で開催していウオーキングツアーに参加するつもりだった。
わき腹の肉を減らすには、有酸素運動も必要だと思っていたが、スポーツクラブのランニングマシンを利用するのは、池田に会う可能性が大きい。皇居一周、五キロを走るのは無理そうだが、ウオーキングなら、ついていけるかもしれないと思って申し込んだ。
エマ先生の話によると、マラソンランナーも、骨盤が高い位置の姿勢を保ちながら、一本の線の上を走れるらしい。そういう視点で、走り方を見るのも初めてだ。
ランナーズステーション内のシャワーブースで、軽く汗を流して、着替えを済ませた。集合場所に行く途中で、ノリコは、ランナー達が準備運動している側道で、その走り方を観察していた。
「鈴木さん!」
自分の名前だが、この場所では、絶対呼ばれるはずないと、恐る恐る振り返ると、立っていたのは、高田部長だった。
「えー、びっくりだな、鈴木さん、走る人だっけ? 」
ノリコは、思いもよらない展開に、正しい言葉を選び出せない。
「え、違います」
と答えてから、自分の格好を見て、言い直さなければならなくなった。
「あっ、夏に向けて、少し、頑張ろうかなーって……。その、コソ練です。今から、スポーツクラブのイベントに参加するんです」
「コソ練? にしては、目立つ場所でやるんだね」
「部長は、いつも皇居で走ってるんですか? 」
「いや、今日はたまたま。会社のみんなで来てるんだけど、鈴木さんに会ったって言ったら、びっくりするんじゃないかな」
そうなんだ。出来れば、あまり会いたくなかった。 すぐに、話を終わらせようとしたノリコだったが、 ふっと、エマ先生の言葉を思い出した。 ノリコをヴィレッジに推薦してくれたもう一人のメンバーは、実は、高田部長なのではないかとずっと思っていたからだ。
聞いても大丈夫だろうか。
エマ先生にも詳しくは聞けないが、リカ以外にもう一人、ノリコを推薦してくれた人が居たという話だ。ノリコの予想では、倉庫勤務になっても、ノリコの現在の仕事ぶりを、諦めずに頑張っていると評価してくれている高田部長が、ヴィレッジに関係しているかもしれないと、密かに期待していた。
ついこの前の、インヴォイス件の問題も、翌日には改善されていた。リカが報告してくれたのだと思うが、素早い対応にノリコは驚いた。ノリコ達の倉庫業務をいつも気にかけてくれていなければ出来ないはずだ。
どうしても知りたいわけではなかったが、尋ねるには、絶好の機会だった。
「あの……」
高田部長は、ノリコの言葉で、周回の道路に戻ろうとする動きを止めた。
「あの、ヴィレッジにいらしたんですよね」
自然に声が小さくなる。
「ヴィレッジ? 」
驚き方で、ノリコは、自分が間違っていたことに気づいた。
「何でもないです、失礼しました」
背を向けて、早歩きでその場を離れる姿は、本当に失礼になっていたかもしれない。
聞く必要のない事を聞いてしまったのだ。
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今日の夜、9時前後の活動報告で、作品の楽屋話と第34話の投稿予定日時をお知らせします。宜しかったら、そちらもご覧くださいませ。




