モデルウォーキング (下)
「鏡を見てー」
スタジオの隅で、ノリコのレッスンが始まったのを、生徒さん達が見ている。
腰骨の位置にベルトのように、細いリボンを巻いて、レギンスの下腹部にキャラクターのシールを貼られた。 左胸にはトライアルNorikoと書かれた長方形のシールをつけた。
「鏡を見て、シールの面が鏡に対していつも平行になるようにして! 骨盤の位置のリボンは斜めにならないで……」
五センチのヒールで、前かがみになっているノリコは、気持ちばかりが先行して一歩も進めない。
「膝伸ばしてー、そのまま体重移動、下向かないー、テープの上を歩いてー」
先生がノリコの背後から一歩ずつ、身体を使って押し始めた。
「正しく歩くのって、大変なことなんですね」
「そうよー。だから、姿勢がきちんと取れるまでは、体型を隠すトップスは着ないでね。この骨盤周りは、常にまっすぐを意識して欲しいの」
五メートルのテープの上を、何とか歩ききった後、さくらさんは、鏡の側にノリコを立たせた。
「ここに居るモデルさん達みたいに、背も高くないし細くない、って諦めてるでしょ。その通り。容姿は平等に与えられるものじゃないの。 あなたが持っている脚が短くても長さは変えられないの、でも太さは変えられるわ。太いままじゃ短く見えるの、細くしましょ! 」
さくらさんは、鏡の前で、ポージングの練習をしている女の子の一人の名前を呼んで「ログを持って来て」と頼んだ。十代と思われるその女の子はこのままでもモデルになれそうだ。
「素敵ね」
綺麗なものを見た時と同じ素直さで、言葉が出た。
「ありがとうございます」
嬉しそうにな表情に、まだ幼さが残る。
彼女が手に持っているリングノートの表紙には、世界的なスーパーモデルの切り抜きが貼ってある。左手に持っているバックも、そのモデルさんが宣伝しているものだ。ノリコも、一時期、大好きだった。
さくらさんが彼女に、見ていい?という合図を目で送る。
ノートは、体重をコントロールする為のログだった。毎日食べた食事の内容と一緒に、低カロリーのメニューのレシピが貼り付けてある。 目標に向かう気持ちが強ければ、ここまで出来るんだというお手本のような記録の積み重ねだ。 しかも、彼女はその低カロリーのメニュー全てを写真に撮って残しておいてくれた。
五大栄養素の円状グラフに、 食べた物を書き込み。バランスが一目見たわかるようになっている。果物、野菜も、ジュースで採った場合は、備考欄に記載するなど、丁寧に分けられている。
「ノリコさん、これ、写真撮って下さい。 ここにいるモデル志望の子たち全員、栄養士さんの指導受けて、しっかりやっているから、是非参考にしてみて下さい」
ページをめくるうちに、ファストフード店のメニューがあったりして、 ノリコは少しホッとした。
裏表紙の内側に、太めのサインペンで書かれた「なりたい自分に必ずなれる」の文字が目に入って、咄嗟にノートを閉じた。
見てはいけない物を見てしまった心境になったのは、何故だろう。
ノリコぐらいの年齢になると、なりたい自分になれる人はほとんど居ない、という現実を知っている。
自分が今やっていることの現実をいつか知るのだろうか。
ノリコは、必要なページを写真に撮って、彼女にノートを返した。
「ありがとう。スゴイの見せてもらって刺激になったわ。家に戻ったら、早速やってみるね」
丁寧にお礼を言ったつもりなのに、彼女の顔は冴えない。ノリコの胸に貼られたシールをチラリと見た後
「Norikoさん、ダメです。家に帰ったらじゃ、「二十四時間全方向」にならないです。今、もう始まってるんです、ノートの最初のページが……。昔、エマさんがそう教えてくれました」
彼女は、今度は得意げに微笑む。
「あ、そう、そうよね、まだ慣れなくて」
エマ先生は、ノリコには、舞台を意識するのは、外に出る時と限定してくれた。モデル志望の彼女の言った二十四時間全方向は、いつでもどこでも、寝ている時でさえ、見られることを意識して過ごすということなのだろう。 プロ意識を幼少の頃から植え付けられたエマ先生ならではのメソッドだ。
家に帰ったノリコは、撮った写真を次々に拡大しながら、考えていた。近い将来、今、頑張っている事が、吉祥寺で過ごした無駄な三年間と同じ経験になる可能性を否定できない。
カメラロールの最後の一枚は、彼女に内緒で撮ったノートの裏表紙の内側の言葉だ。
「なりたい自分に必ずなれる」
ノリコは、買ってきたリングノートの裏表紙の内側に、同じ文字をサインペンで書いた。
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今日(7/21)夜、9時前後の活動報告で、作品の楽屋話と第22話の投稿予定日時をお知らせします。よろしかったらそちらもご覧くださいませ。




