春と過ごした季節
横浜シーパラダイスにおっとせいを見に行った。祝日なんかに行くから偉い人ごみで迷子になりそう。そんな中で必死におっとせいを探したのだが。
「おらんがな」
横浜シーパラダイスにおっとせいはいなかった。
「おい、スプリングガール。おっとせいがいないぞ」
春の妖精、スプリングガール美智子。一七二センチの僕よりも背が五センチほど低い、自称妖精だ。緑色のワンピースがちょっとだけ色っぽい十八歳、彼氏募集中の妖精。赤みがかった腰までの長い髪と、強気な表情がツンデレ属性を匂わせる。春の妖精というように爽やかな性格で裏表がなく、僕の中では最も信用できる親友である。ちなみに告白して振られ済みだ。
「スプリングガール。お前の羽、うるさいぞ。とってやる」
いつも妙なファッションで小さな虫のような羽を背中につけているのだが、さっきからそれがばたばたと顔に羽が当たっていたのがむかついていた。前に羽を取ったりつけたりしているのを見たことがあったから取り方も分かる。背中にひょいと手をかけてちょんとひっぱっただけで取れた。
「何すんねん。あたし、もう飛べないやろが」
スプリングガールは関西出身だった。慌てて僕が持っている羽を取りかえそうとするが、そんなことは許さない。五センチのリーチ差に美智子は涙を飲むのだ。
「この人ゴミの中で結構、人の顔に当たってたぞ。僕が預かっておく!」
美智子の羽をとりあえず、手に抱えることにした。美智子が大切にしているものだから、ぐしゃぐしゃになんかはできない。わきの下に入れるとなんだか、羽の柔らかい感触がくすぐったくて癖になりそうだった。
「ところでよ、おっとせいはどこだ!」
「知らんがな。いないなら、いないでええやろ」
「よくない!」
だって、僕はおっとせいに恋をしたんだから。おっとせいの、おっちゃんに。
それは、二ヶ月前のシーパラでの出来事。僕のファーストキスはおっちゃんに奪われた。
「うおうおうおうお」
「はい、おっちゃんの熱~いキスです!」
黒光りする、滑らかな肌のおっちゃん。つぶらな瞳が僕を捉え、美智子に押さえつけられた僕につっこんできて。
「うおうおうおうお」
「やめろおおおおおおおおおおおおおお! 僕のファーストキスがあああああああああああ」
そのキスは、柔らかくて、しめっぽくて、生臭かった。
そして僕は、おっちゃんに恋をした。
「係りの人にきけばええやん。あたしにきくなや!」
「聞けるかよ、はずい」
おっとせいのおっちゃんが好きだから、会わしてください。この人、馬鹿だと思われる。
美智子は駄目妖精だ。死んだほうがいい。
「あたしがきいたる」
嘘、やっぱり生きろ。そなたは美しい。
美智子は掃除をしているみるからに薄汚いおっちゃんの所にかけていった。緑色のワンピースがヒラヒラとしてなんだか幸せな気分。
「なあ、おっちゃん。おっちゃんはどうしたん?」
「はあ?」
「だから、おっちゃん。おっちゃんはどうしたんやて」
「おっちゃん、おっちゃんて! 俺はまだ四十二歳だってばよ!」
なるとだった。
四十二歳になったなるとは忍者をやめて、横浜シーパラダイスのおっちゃんをしていた。ネームプレートには山田と書いてあったが。
「おっとせいのおっちゃんやて、おっちゃん」
「そうかだってばよ」
なるとの話によると、おっちゃんは家出したらしい。キスのしすぎで疲れた、もう汚れるのは嫌という話だった。
僕はむかついた。髪の毛が全部抜けるほどむかついた。
おっちゃんの唇は、僕以外の人間にもたくさん奪われていたのだ。毎日、毎日、たくさんの老若男女に唇を奪われ、汚され、傷つけられた。
「美智子、おいどんはおっちゃんを探すたい」
「何いうてんねん。家出っていったって、おっちゃんはオーストラリアに帰ったいうてるやろ」
なるとはお洒落なギャグのつもりで家出とかキスとか言ってたが、実は不況の関係で他の動物園も引き取ってもらえず、オーストラリアの海に帰したというのが本当の理由だった。
「シャチに喰われたどうするたい」
「しゃあないやろ。そんな、おっとせいなんかに恋なんかせえとんて、人間の女子に恋せえや」
そんなこと、したのは美智子も知ってるはず。失敗して、失敗して、どうしようもなくておっとせいに逃げようとしただけだ。
「無理だったじゃねえかよ。いつもいつも、失敗に失敗! 人間なんか嫌いだ! おっとせいなら僕にキスをしてくれるんだ!」
言っている自分が情けなくて、僕は涙を流しながら逃げた。人ごみの中、恥ずかしいし、中々早く走れないし、暑苦しい。
それでも走ったのは、世界の中心まで逃げて、おっちゃんの滑からな胸に飛び込みたかったからだ。
「まちーや、運動音痴」
美智子は僕を先回りし、足払いをしやがった。はでにひっくり返った僕は美智子のパンツを一瞬だけ見て、満足した。幸い、他の人はなんだか騒がしい僕らを避けてくれたようだった。
「何するんだよ、ありがとう!」
「お前さんが逃げるのがあかんのやろ……ってありがとう?」
「なんでもねえよ! で、なんで止めた!」
美智子は僕の肩に手を置き、耳元に口をもっていき、ぽつりと……。
「何回失敗したからってあきらめんちゃうで! 男らしいないなあ、我! しゃきとせんかい!」
鼓膜が破れた。
耳がきーんとして、眩暈がしてひっくり返りそうになったけど、それじゃ美智子の思うままだから必死で耐えた。
「なんやねん、そのポーズ」
うんこをするときのポーズをしていた。
「してやろうか?」
「やってみい。勇者だと認めてやるわ」
もちろん、やってみなかった。僕が便秘だというのもあるし、美智子の命令を聞くのが死ぬほど嫌だというのもある。
「ほれほれ、諦めんといてもう一度くらい挑戦してみいや」
美智子は何やら、僕を見て微笑んでいる。何かを企んでいる証拠だ。どうせ、僕に赤っ恥をかかせて爆笑して僕を泣かせるに違いない。
「嫌だね! っておお!」
とっても美人な飼育員さんが僕の目の前を通り過ぎていた。
「よっしゃいくぞ! 最後の挑戦だ!」
「そっちかい! もう知らん!」
美智子は僕をどつくと、どこかに走り去っていった。当たり所が悪かったのか、僕は意識を失いかけ、追いかけることができなかった。そもそも、足の速い美智子を追うこと自体不可能なことだった。
「なんやねん、またふられてんの?」
高校三年の春、僕は最後の春だ! やけっぱちだ! と騒ぎまくって女の子に片っ端から告白して全滅し、自殺しようと屋上のフェンスを乗り越え、本当の端っこまできていた。
「うるさい、僕には春がこなかったんだ! 死ぬしかなかたい!」
「あほか、あたしは春の妖精やで? スプリングガール美智子やで。あたしがあんたに春来させてやるわ」
馬鹿なことをいう女の子、ちょっと赤みがかった髪の毛とリボンが可愛く、気が強そうな目も好みだった。
「好きだ、付き合ってくれ」
「あほ! 切り替え早すぎや、そないだから振られんねん」
頭を叩かれた。並な力でなく、全力で叩かれたせいで目の前に星が飛び、流れ星になりそうだった。
「あたしが協力してやるから、がんばりや」
「ふあい」
意識朦朧に返事をして、それから3ヶ月間、美智子と一緒に楽しく(?)過ごすことになったのだ。
ふらふらとどつかれた痛みのせいで上手く動けなかったが、僕は美智子を探した。なぜなら、一人だと横浜から帰る方法が分からないからだ。
「みふぃくぉ~」
恥ずかしいから大きな声も出せない。
二時間ほど探し回ってやめた。ベンチに腰掛、うつ状態末期。
死のう、無理だ。疲れたし、だめ。ほんと無理。汗かいちゃったし。
そんな時、美智子が口癖のように言っていた言葉を思い出された。
「諦めたらあかん……か」
「あほう、二時間もどこ探しとんや」
「美智子ぉおおおおおおおおおお! 会いたかったよおおおおおおおおおおおおお!」
僕は背後から現れた美智子を下心全開で抱きしめた。こんな時くらい大丈夫だろう。美智子のおっぱいの感触を胸板で味わい、お尻をさりげなく触っても大丈夫だろう。
「あほ、そないなって。ずっと後ろついとんのにあほや」
成功のようだった。相手が美智子といえども柔らかいおっぱいが感じられ、僕の下半身は熱を帯びてきた。やばいやばい、落ち着け。お尻は触れなかった。触った瞬間、僕の機関棒が美智子の腹を貫き、殺してしまうからだ。
「あほたれ。そないだから、ほうっておけんやないか。春が終わったら消えなあかんのに」
美智子は妙なことをくちばしり、そして僕の唇に柔らかい感触があった。
「キス、したかったんやろ?」
十八歳の春、僕は人生で二度目のキスをした。おっちゃんとのキスよりも、衝撃的で僕の下心はふっとび、意識もふっとび、どこまでいったかというと宇宙をさまようボイジャーの衛星までふっとんでいた。
「よお、ボイジャー」
「おお! どうしたん、人間! 久しぶりじゃけん!」
鉄の塊であるボイジャーも、長いこと宇宙をさまよっていると人間みたいになるものでしかも中々のイケメンだった。
「ここ、随分遠いじゃん。何、してんの!」
「いやさあ、ちょっと飛ばされて、なんか写真とか送ってみたいな。しかも、なんか向こうはもう音信不通で振られちゃって」
「ばか、諦めんなよ。一回振られたくらいでどうするん? 二回、三回、がんばれよ!」
「そうだな。サンキュ、人間」
僕はボイジャーと堅く抱き合い、そして地球に戻ることにした。
「おーい! 人間、NASAに行くことあったらよろしく頼むわー!」
「あいよー!」
僕の意識は太陽を過ぎ、月を越えて、ようやく地球に戻ってきた。
「何固まっとんねん! ほれほれ」
頬から音がバシバシとする。そして、ちょっとだけつんとした痛み。
「わあ! 何するんだよ、いきなり!」
僕がそういうと、美智子は罰が悪そうな顔をした。
「ええやん、おっとせいとキスできんで可哀想だからしてやっただけや」
「人間とははじめてだったんだぞ!」
僕の頭はすでに真っ白であり、何を言っているのか、目の前に誰がいるのか分からないくらいになっている。僕が奪い取った羽はいつの間にか美智子が持っていた。
「あ、あたしだってそうや! でも、最後やから。許してや」
目の前にいるのが誰なのか、分からないのは、本当に美智子が薄くなっていたからだった。背中に羽をつけると、すぅっと今見ている美智子が嘘みたいなほど透明に薄くなっていく。
「美智子? 何イリュージョンやってんだよ。おい、いきなりじゃなくてもう一度ゆっくりしてくれよ!」
「あかんねん。無理やねんて。もう、春やないねん」
美智子を抱きしめようとして、手が空を切り、そこに何もなかった。
何度も何度も周りを見渡し、その名前を呼ぼうとした。そして言いたかった。
どうやって帰ればいいんだよ。
分からないよ。
電車の乗り方が。
僕は、一人じゃ何もできない。僕は、美智子がいなければ何もできない。
言えなかったのは、人がたくさんいて恥ずかしかったから。
本当はいつかこんな日が来るんじゃないかと気がついていた。屋上で出会った美智子と会えるのは僕が一人きりの時だけ。クラスの名簿を見ても乗ってないし、友達と一緒にいると美智子に会うことはなかった。
この現代に本当に春の妖精なんているはずがない。美智子は本当はシャイで、僕が一人でいるときじゃないと出てこないんだとも思った。でもある日、僕と遊んで帰った後の美智子が本当に消えていたことに気がついた。バイバイと別れて背を向けて歩いて、もう一度振り返った時、誰もいなかったのだ。
僕は帰ることができた。駅員さんに聞きながら、どの電車に乗っていいのか悩みながら、ようやく戻った時はくたくたになっていた。
そして、僕はもう何をするのか決めていた。おっちゃんに会いに、オーストラリアに行く。じゃなくて、美智子を探すのだ。春の妖精に会いたいのに、もう春はとっくに終わってて夏だ。春になるには後一年は待たなくちゃならない。一年も待てない。
僕はその日のうちに美智子とはじめて出会った屋上に無断で侵入を試みた。真夜中に居眠りしている警備員さんの目をすり抜けてそうっと忍び込んだ。
夜中の学校は不気味で気味が悪いと思ったが、案外そういうわけでもなく、美智子がいると思ったら楽勝だった。
屋上まで寄り道もせずに一直線。
最上階にある階段を登り終えて、ドアを勢い良くあける。風が全身に当たり、かつらをつけていたらふっとんでいただろう。出迎えてくれたのは、満開の星空と満月だけだった。
「ここで、出会って、振られた」
柵に手をかけて登っていく。
「本気で自殺をしようと思ってたのを止めてくれた」
本当の絶壁までたどり着いた。足が滑れば落ちて死んでしまうほど危ないから真似しないように。僕はあんまり怖くなかった。だって、僕には春の妖精が付いているから。
「スプリングガール! 約束だろ? 春をくれええええええええええ!」
警備員さんが起きてしまっても構わなかった。美智子に届くように、声の限り叫んだ。横浜で出せなかった大きな声を、誰に聞かれても構わずに僕は出した。
「あほ」
急に頭をどつかれ、本当に落ちそうになった。
危ね危ねと手をバタバタしてると背中から手がまわり、助けてくれた。
「危ないところをありがとうございます。あなたは僕の命の恩人です」
「どあほ。こないなとこきて危ないやろ」
「すぐ会いたかったからよ」
やっぱり会えた。僕の後ろには美智子がいて、きっといつものように人を刳ったような顔をしているのだ。
「全く、昨日の今日やないか」
昨日別れて、今日になってもう再会。僕は確かにと微笑した。
「せめて春になるのくらいまたんかい」
待つ気なんてさらさらない。
「それに、せっかく会えたんやからこっちみんかい」
僕は彼女の姿を見ることが出来なかった。あの薄っぺらいすけすけの美智子がいたらどうしようかと思いつつ、すけすけなのが服だけなら良いのになとも思っている。透けているだけなら良い、今僕の後ろにいるはずの美智子が僕が見たとたんに消えてしまったらどうしようとか、本当はいなかったとかそういうのが嫌だった。
「もう、こんなことしたらあかん」
「しょうがないだろ、いきなり消えやがって、迷子になったかと思って探してたんだよ」
「それはあたしの気持ちや、本当に帰れるか心配やってん」
「だったら、一緒に帰ってから消えれば良かったじゃねえか」
「あたし抜きでもがんばらあかんて思うたんよ。ううん、これからはあたし抜きでがんばらあかんようになるんや」
分かっていた。もう、これで本当に彼女に会うことができない。美智子と出会っても3ヶ月、いつか会えなくなる日が来ること、こんな日が来ることは分かっていた。でも、そんなことを認めたくなくて、何か理由をつけて美智子を引っ張り出して、迷惑かけて。
「美智子、ごめんな」
「何がやねん」
「迷惑かけすぎた」
「だったら、最後くらいこっち見てや」
見ることなんか出来ない。だって、別れたくなくて僕の目からは勝手に涙が落ちているから。そんな情けない姿を美智子に見せたら、からかわれて笑われるに決まってる。
「お願いや、一生のお願いや。最後に笑顔見せてや」
でも、僕だって最後に美智子の笑顔が見たかった。
「せやな」
振り返ると、はっきりと美智子はそこいた。多分僕と同じような顔をしていただろう。涙を堪えようと目に力を入れ、無理やり作った笑顔。いつも強気な彼女がこんな顔をするなんて、想像もできなかった。僕は一気に胸が痛くなり、締め付けられ、どうしようもなくて笑ってしまった。
「美智子、ありがとう」
本当は大きな声で怒鳴りたかった。なんで、お前は妖精なんだ。しかも、よりによってなんで春の妖精なんだよ。僕はお前のことを一生、忘れられないから一生童貞だぞ。どうしてくれる。いつもいつも頼んでないのに、お節介やいて、馬鹿にして、アホって言って、励ましてくれて。
結局、たどり着くのは、ありがとうだった。
「こちらこそや、ありがとう」
最後の言葉はとても綺麗だった。美智子がたまに言う、優しい声のそのままだった。それに可愛い笑顔だった。目をギラギラさせている美智子とは違い、儚くて、少女らしくて、本当に妖精だったんだなって思えるほどに。
美智子が消える姿を僕は最後まで見届けることができた。
多分、美智子もいいたいことはたくさんあったんだと思う。三ヶ月もひきずりやがってとか、変態すぎたとか、あほとか。
「諦めるなとか」
夏の夜に、一片の桜の花びらが僕の鼻先を掠めていった。もう、とっくの昔に散っていったはずの桜。真っ暗だから、本当にそれが桜だったのかと言われたら違うかもしれない。だけど、僕はそれが桜だったと確信できる。
「あたしが春を来させてやるか」
確かに、有限実行だったなと僕は口もとを歪ませた。
だけど、僕はずっと春を感じていた。
美智子が僕にとって、春そのものだったから。




