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彼とその心情について

作者: 輪村

前回投稿した作品とリンクしている部分があるので、先にこちら→「彼とその行動について」 http://ncode.syosetu.com/n7090be/ を読んでいただいた方がよいかと思われます。

「お前が何を考えているのかよく分からない」


彼は、人からそう言われることが度々あった。

そうだろうな。彼はその度に心の中でそう呟いた。



他人が何を考えているかなんて分かるわけがないじゃないかと彼は投げやりにそう思う。

少なくとも彼自身は、日夜変化する自分の心情を的確に表現しうる言葉に巡り会えた試しがない。ひとたび言葉となって記号化した感情は、一見非常に的を射ているようで居て、まったく異質なモノにすり替わってしまう。

ダンボール箱の中身にすれすれの所まで触れているのに、結局掴み取り手の内にあるのは周辺にあった緩衝材のみである。そんなもどかしさを、幾度となく彼は感じたことがあった。


いつからそう思うようになったんだったかな。

彼は、一人きりの図書館でぼんやり考える。

昔はそこまで饐えた目線は持ち合わせていなかった。むしろ、他人に自分の心情を伝えるのに意欲的ですらあった。どんな相手も話し合えば分かってくれると固く信じて疑わなかった。今思えば、自分は、良くも悪くも子供だったのである。経験値が少ないが故に、感情のバリエーションが今より遙かに少なく単純だった。

彼は、相手に自分を気持ちをより効果的に、より正確に伝えるために、たくさんの言葉を知ろうと思った。

だから彼は、たくさんの本を読んだ。

一つの言葉を知る度に、自分を表現する新しい術を身につけたような気がして、とても嬉しかった。


しかし、そんな純粋な気持ちは、多感な年頃に差し掛かると同時に脆くも崩れ去ってしまった。

多くの青少年がそうであるように、彼もまた気付いてしまったのである。家族も、友達も、誰一人彼のことを完全に理解出来ていないということに。

誰も彼もが、本心の見えない相手の中身を勝手に、しかも自分に都合の良いように妄想して解釈しているだけだった。

理解などでは無かった。そんなものは、どこにも存在していなかった。


子供の頃、紙の上に不規則に散らばった点と点を線で結んで絵に昇華する遊びをやったことがある。人間の他者に対する理解とは、その程度のものだ。星座のようなものだ。

他者が目の前で行った行動を、観察者が頭の中で好き勝手に線で結びつける。そうして、線を引く順番も選択する点も、全て観察者の独断と偏見によって完成させた絵こそが、観察者の思う、その人の性格や印象である。


それでもまだ彼は、自分の心情を上手く説明仕切れない自分自身に非があるのだと感じていた。以前にも増して、もっとたくさんの言葉を知ろうと思った。しかし、複雑化した彼の心情に、ぴたりと合う言葉がなかなか見つからなかった。

嬉しい楽しい寂しい悲しい悔しい辛い切ない…

ありきたりな感情表現では伝えることの出来ない感情があるのだと、彼はやっと悟った。

言葉はいつだって、本当に伝えたい気持ちのすぐ近くを虚しく上滑りしていった。彼が焦って言葉を重ねれば重ねるほど、確実に着実に、彼が本当に伝えんとする確信からは、ずれていってしまった。


結局、数年間に渡る彼の徒労は、「他人同士の相互理解はあり得ない」という、なんとも救いようのない結論に達した。

それ以来彼は、「もう他人からどう思われてもいい」という、かなり投遣りなスタンスを手に入れた。

これは、他者に縛られない自己同一性の獲得ともとれるし、臆病な彼の他者への理解に対する逃げともとれるし、面倒くさがりな彼の性質の発露とも受け取れる。

その辺も含めて勝手に僕の人間性を妄想すればいい――――――

それが、長年に渡って苦悩した末に、彼が彼なりに他者に対して出した答えだった。

あいつは根暗だ。

実はひょうきんだ。

達観している。

人を見下している。

鈍感だ。

敏感だ。

ガサツだ粗野だ。

謙虚だ謙遜家だ。

傲慢だ自惚れ家だ。

これまで多くの自分に対する評価を耳に入れてきた。彼はその全てに弁解する気も訂正する気も肯定する気も起きなかった。

それらの評価は恐らく全て当たっていた。そして、恐らく全て間違っていた。



…考え事をしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

夕日を浴びた図書室は朱に染まっていた。

彼はよく高校の図書室に通った。彼は生来の書痴であったから、結果的にどのような結論が出たとしても読書を辞めるつもりは元より皆目無かった。それに何より、立地場所の関係で来訪者の乏しいその空間は、彼が昼寝をしたりだらだら読書をしたりして無為に時間を過ごすことを咎める者が誰もいなかった。

だから彼はそのこぢんまりした一室に好んで通っていた。

そして今日もまた、いつものように放課後の図書室で惰眠を貪っていたのだった。

----寝過ぎたみたいだ。

すっかり黄昏時である。薄暗くなって人の見分けがつきにくく、「()そ、彼は」と問うことからその呼び名がついたらしい。

乱雑に積み重ねられた本や古傷だらけの本棚からは濃い影が伸びている。逆光だとたしかに誰が誰だか分からなくなりそうだな…寝起きの頭でそんなどうでもいいことを彼は考える。

それはそれとしてだ。

頭が痛い。

彼は、寝起きがあまり良くなかった。

くらくらと目眩がする。湿り気を帯びた蒸し暑い空気が、倦怠感と頭痛に拍車をかけている。

身体の底から不快感がこみ上げてくる。不快感を消すためにもう一度寝てしまおうか。

そうしてもう一度目を瞑ろうとして、彼は目の前に人が立っていたことに気がついた。

本棚にもたれかかって寝転んでいる彼を、その人物はすっくと見下ろしていた。

それは、近頃よく図書室に顔を出していた女子生徒だった。

夕日を浴びて、二つの大きな瞳がきらきらと光っていた。

何か用事でもあるのか。無いならさっさとどこかへ消えて欲しい。

朦朧とした不確かな現状認識が、不愉快な気持ちを増長させる。

ふいに目の前が暗くなった。

それは、女子生徒が彼にしなだれかかってきたことに起因しているのだと、彼はしばらく把握出来なかった。

艶々した黒髪が、さらりと彼の顔にかかる。


あなたのことが好きだと、その女子生徒は言った。


前々から気になっていた。

ここ数週間何度か図書室に足を踏み入れて、その気持ちが本物だと確信した。

私には交際中の人がいるけれど、それでもあなたのことが好きだ。


先輩。


女子生徒はそんなことも言った。

彼はというと、その高い声を不快に感じただけだった。


密着している部分が熱い。シャツと肌が汗でくっついて不快だ。

長い髪が頬に貼り付く。息が出来ない。

くらくら、くらくら、目眩がする。

頭痛がする。

見えている景色が歪んで霞む。

ねえ、先輩――――――。笑っている。

女子生徒の腕を押しのけようとする。

着衣が乱れる。

なんだかどうでも良くなってきた。

彼は、そのまま、









彼がその現場に遭遇したのは、それから数ヶ月ほど経ってからのことだった。

昼休み、彼が体育の時間に置き忘れた体操服を取りに行くために更衣室に足を向けたとき、体育館裏の通路で険悪な雰囲気を孕んだ集団を見かけた。一人の人間を囲むようにしてて十四五人ほどの人間が責め立てるようにして何かを言っている。見知った顔も何人か混じっていることから推測すると、どうやらバスケットボール部の面子であるらしい。

人気の少ない体育館裏、一様に敵意を剥き出しにしている彼らの表情、恐怖と困惑で硬直している様子の男子生徒。このシチュエーションから察するに、どうも人前で出来ないような穏やかでない話をしているらしい。出来ることならあまり関わりたくない。しかし、その中を通らないことには忘れ物を取りに行くことが出来ない。


取り巻き連中の中から、一人の男子生徒がずいと前に出て、何かを言った。ゆっくりと口が動く。何を言っているのか、彼は聞き取れない。

取り巻かれている方の男子生徒は目を大きく見開き、何かを否定するかのように大きく首を横に振る。

俺はやってない、やってない。狂ったように叫んだ。その瞬間

その男子生徒は殴られた。


やってないわけがあるか。確かにあいつがお前だと言ったんだよ

殴った方の男子生徒が、彼にも聞こえるぐらい大きな声で叫んだ。相当怒っている。

頬は上気し、目は血走り、呼吸で肩が大きく揺れている。その姿は必死で理性を保っているようにも見えた。


やってない。俺はそんなことしてない。

壊れたラジオのように、殴られた男子生徒は涙声で叫ぶ。

確かに俺は何度か図書室でそいつに会った。

正直魅力に惹かれてもいた。

でもあいつとはそういう関係じゃない。

俺は、俺は――――――


そこまで言ったところで、その男子生徒は再び殴られた。威力は前回の比でない。骨と拳がぶつかる嫌な音がして、男子生徒は昏倒した。


そんな言葉信用できるか。

あいつは確かにお前だと言った。言ったんだ。

あいつは、あいつは――――――――――――


そこでその男子生徒は、一人の女子生徒の名を口にした。


その次の瞬間、その男子生徒は地を揺るがすような咆哮じみた奇声を発した。箍が外れたように、すでにぐったりと動かなくなっている男子生徒の顔を、猛然たる勢いで殴り始めた。

取り巻き連中も、少々の困惑を見せながらも加勢する。怒声と罵声が一帯に飛び交う。



その様子を、彼はじっと見つめていた。


男子生徒が口にした女子生徒の名前

それは、彼と同学年の女子生徒の名前だった。


それは、あの時、図書室で笑っていた女子生徒の名前だった。


蛸殴りにされている男子生徒は激痛で意識を取り戻したらしく、泣きながらくぐもった呻き声をあげていた。

その髪型は、背格好は、なんだか彼によく似ていた。


黄昏時。誰そ彼は。

隣人の顔が見分け難くなった時分。



涙と血と鼻水で汚れ、腫れ上がった顔を苦痛で歪めながら、ごめんなさいごめんなさいと譫言のように呟いている。

汚い。とても汚い。

お前は一体誰に対して謝っている。


修羅の如く憤怒に狂った顔は、上気して真っ赤になっている。訳の分からぬ金切り声を発し、一向に暴力を止める気配は見当たらない。

醜い。とても醜い。

お前は一体誰に対して怒っている。



見当違いな相手に愛の告白を述べた女子生徒も

誰にも分かって貰えない真実が弁解と取られる男子生徒も

見当違いな相手に嫉妬と憎悪の炎を燃やす男子生徒も

全員が、相手に伝わらない言葉を発している。

一生通じない言葉を発している。



届かない交わらない理解出来ない分かって貰えない




なんだかまるで――――――――――


滑稽だ。茶番だ。下劣だ。矮小だ。醜悪だ。愉快だ。不毛だ。不憫だ。痛快だ。愉快だ。



現状を表す様々な言葉が、彼の胸の内に怒濤の勢いで押し寄せ

そして

その全てが彼の感情と合致せずにすれすれのところを擦り抜けていった。

いつだってそうだ。




******************************





それからまた、一年近くが経過した。

月日は早いものだと、彼は思った。

あれから後、被害者側の男子生徒は全治3ヶ月の重傷に、加害者側の男子生徒は退学処分になったらしい。

それを聞いても、彼は特に何の感慨も持たなかった。

正確には何の感慨も持たないことも無かったのだが、その感情は言葉では表現し難いものだった。

彼は相変わらず学校の図書室に通い、相変わらず惰眠と書を貪っている。今もちょうど、昼寝から目覚めたところである。

初夏の爽やかな風が窓から吹き込み、レースのカーテンが彼の髪をそわりと撫でた。

目の前には、彼より一年後輩の女子生徒が机を挟んでこちらを向いて座っていて、大きな目でじっと興味深げに彼の方を見ている。彼は、その視線に気付かないふりをしている。


彼女は彼と同じ図書委員で、大抵の者図書委員は来訪者の乏しい図書室の存在に疑問を覚え職務を放棄している中、当番三度目以降も面倒くさがらずに図書室に訪れる希有な存在である。(図書室にきちんと来る図書委員が希有な存在というのもどうかと思うが)


どうもその女子学生は年頃の乙女特有の視点で彼を捉え、寛大で理想化された甘い解釈を加えている節がある。

もっとも、本人に直接確認した訳ではないので、憶測の域を出ない。彼の妄想に過ぎないのかもしれない。

焦げ茶色の瞳が、じっとこちらを見つめている。

日の光を浴びて、きらきらと輝いている。


少なくともこの子は、彼を理解しようと努力をしてくれている。

もしかして、この子なら


興味が沸いた。

話してみようか。

自分のことを。






「現実だか非現実だか、分からなくなることがあるんだ。」


実際に口を衝いて出てきたのは、実にどうでもいい話だった。

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