―第53話― 心理的トリック
「状況を再現しましょう。シゲルくん、携帯電話もってるよね?」
「ああ」
オレは二つ返事でポケットから携帯電話を取り出した。コトハはオレの両肩をつかんでは横断歩道の前へと誘導する。
「画面を眺めていればいいんだよな?」
「うん」
それは現代社会ではよく見られる光景だった。信号待ちをする人間が携帯電話を操作している。メールをしようがネットをつないで小説を読んでいようがその注意は画面の中にあった。
「皆さんはこのような光景をよく目にしたことがあるかと思います。」
風間刑事は何かを思い出すようにうなずきながら答える。
「確かに最近多いですね。自分も車で巡回してるときよく見かけますよ」
「本来ならば歩行者信号が青に変わったと自分の目で確認したときに、横断歩道をわたるのが普通です。しかし携帯電話を眺めているときは、その判断を周りの人に委ねていませんか?」
コトハはそう言ってオレの横へと並び立った。画面を眺めているオレには、コトハの履く青い靴と白いワンピースのヒラヒラが見えるだけだが。
……青い靴?
いつ履き替えたのか、コトハは青の長靴を履いていた。
「第一の心理、『同調効果』。被害者は隣に立つ何者かによって無意識的に誘導させられた」
コトハは路上を眺め、皆に背を向けたままそうつぶやいた。
「無意識的に誘導……ですか?」海堂はコトハに問い返す。
「今ここで私が一歩でも前に足を踏み出せば、例えそれが赤信号だったとしても、隣にいた人はつられて渡ろうとしてしまう……」
海堂は口元に手をやった。
「なるほど『同調効果』ですか……。しかしそれだけでこのような事故が多発してしまうようであれば、世界中で同じような事故が勃発していますね」
海堂は目をつむっては薄ら笑いを浮かべていた。確かに海堂の言う通りだと思う。コトハ自身、よく目にする光景だと言っていた。これについてはこの横断歩道に限ったことではない。
となると、おのずと答えが見えてくる。彼女の言葉を借りて言うのであれば、この横断歩道たるゆえんがあるということだろう。
やがてコトハも海堂に対して薄ら笑いを返した。
「では同時に、効果を最大限にするための三つの心理的トリックが仕組まれていたとしたら?」
彼女の言葉と同時に海堂の笑みが薄れていくのを感じた気がした。
誰もが固唾を飲んで彼女が次に発する言葉を待っていた。もちろんそれはオレも例外ではない。その期待に答えるかのようにコトハは口を開いた。
「第二の心理、『ストループ効果』。皆さんは、色が持つ心理効果をご存知ですか?」
色が持つ心理効果。それなら前に学校で聞いたことがあった。色そのものが人の感情をコントロールするもので、そのジャンルは様々なものがある。暖色、寒色など色の違いから感じる色温度の違いや、インテリアや照明の色の違いから生じる体感時間の違いなど、色が人に与える影響は意外にも大きいこと。
「色の持つ心理効果、その代表的なものとして『ストループ効果』というものがあります。それは色そのものが持つ意味と言葉の意味が食い違う現象――」
コトハはそう言って一枚のパネルを掲げた。そこには誰もが良く知っている二つのマークが印されていた。しかしこのマーク……。
「みなさんなら、どちらの『トイレ』を使用しますか?」
コトハの質問に対し、周りにいた誰もが口をつぐんだ。
情報が正確ならば即答できただろう。しかしここで提示された『トイレのマーク』は、色情報と形が逆転していた。赤色の男子トイレのマークと、青色の女子トイレのマーク。オレが入るべきはどちらだ? どちらが正解なんだ?
やがてカウントダウンを始めるコトハ。
「5、4、3、2、1……ゼロ、はい残念でした。ここにいるみなさんトイレに間に合いませんでした」
むっ! なんか悔しい。と思っている矢先、菊袖が口を開いた。
「なるほどね……。私の頭の中では、そのマーク、赤色の男子トイレマークと青色の女子トイレマークって言葉に置き換えられたから、色よりも形を優先するかも」
「あー確かに……」警察関係者の低い声がうなった。