―第30話― フェイク
「ぎゃあっ!」
思わず悲鳴を上げてしまうオレの口を、何者かに押さえ込まれる。
「静かに!」
その声と共に更に暗く狭い部屋へと押し込まれた。辺りは暗く何も見えない。しかし戸を閉める音と、どこかなつかしいにおい、それだけでこの部屋がどこかを察することができた。
『ここは押入れの中……誰だ?』
やわらかな肌触りと、女子特有のシャンプーの匂いが伝わってくる。
「ちょっ……ちょっと動かないでよ」
しばらくしてドアが開く音がした。この旅館の部屋の作りでは、ドアを開けて襖を一枚挟んでから寝室が広がる。そしてその一角に押入れがあった。
やがてゆっくりと襖が開けられた。オレは押入れの隙間からその光景を覗く。
『あれはA組の担任?』
少しざわついていた部屋が静寂に包まれる。オレも固唾を呑まずにはいれれなかった。やがて何事もなかったようにその襖を閉めるA組の担任。まもなくドアが閉まる音がした。耳元でため息がこぼれる。しばらくして押入れの隙間から部屋の明かりが差し込んだ。
「もう大丈夫だよ。コトハ、鷹崎さん」
同時に押入れの戸が開かれた。部屋の明かりが眩しくて周りが見えない。状況を把握できたのはしばらく後のことだった――。
「なんか廊下の方でコソコソ聞こえると思ったら、やっぱりあなた達だったのね」そう言ってスクリと立ち上がったのは姫ヶ谷コトハだった。彼女は軽くお尻を叩くと、はだけた浴衣の胸元を締めなおしながら視線をこちらに下ろした。
「まったくよ。噂どおりのおバカコンビね」
今度は押入れの上段から鷹崎マリが這い出てきた。その後方にコウイチが見える。
「……あれ? 鷹崎もここの部屋なのか?」
「いや、コトちゃんとこに遊びにきたの」
「消灯時間過ぎにかよ」
「あなただって人のこと言えないでしょう」
『……確かに』
それにしても危ない所だった。間一髪の所で女子部屋に助けられるとは嬉しい誤算である。しかしなんだってこんな危ない状況になってしまったのだろうか。こっちにはこの『先生用のしおり』があったというのに。
「学尾くん、もしかしてその右手に持ってるやつ、先生用のしおり?」コトハはそう言って少し身をかがめた。
「ああこれか? 今日の夕食のとき、大広間でコウイチが拾ったんだ。そのおかげで担任の動きはバッチリ……うーん」
「バッチリとまではいかなかったんでしょ?」
「そうなんだ」
「ちょっとその『先生用のしおり』貸してくれる?」
「ああ」
コトハは『先生用のしおり』を手に取りぱらぱらとめくり始めた。
「……うん、やっぱり。これはフェイクね」
「ふぇ?」
呆気に取られるオレとコウイチを前に、今度は鷹崎がそのしおりを覗き込むようにして口を開いた。
「あら、知らないの? 笹枝高校毎年恒例の『追い込み漁』って言われてるらしいんだけど、毎年男子が女子の部屋に忍び込もうとするのを捕獲するための『仕掛け』みたいなものらしいよ」
「仕掛け?」
「うん、仕掛け。正確なことは知らないけど、なんか先生二人一組で夜中にコソコソ出てくる男子を挟み撃ちするとかそんなの。んで、私たち女子がエサってところね。コトちゃんなんて絶品だよきっとー」そう言って鷹崎はコトハに抱きついた。
「……ちょっと、マリ!?」
――次の瞬間、ドアを挟んだ廊下のむこうで先生の怒鳴り声が聞こえた。オレたちは思わず静まり返る。