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―第13話― 水泳大会と夏の『始まり』

 笹枝高校二年のトップアイドル姫ヶ谷コトハ。しかし彼女は――「泳げなかった」


「ゴポボボ……」

『あっ…… しまった』

 今日も放課後の後、姫ヶ谷の特訓に付き合わされていた。きっと傍から見たら羨ましい限りなのだろうが、沈みゆく彼女を前にオレは物事を客観的に捉える余裕といったものがなかった。オレは彼女の両手を取りを引き上げる。

「ぱなぱないねよ!」

「ん?」

 もう一度頼む。

「…………放さないでよ! もう!」

「ああ、ゴメンゴメン」

 オレは金辻にやった時のように、姫ヶ谷の手を取りバタ足の練習からさせていた。自転車の訓練のそれのように、急に補助手を放してみたのだが水泳ではそう上手くいかないらしい。

「これも駄目か、こりゃ重症だな」

「うるさいわね! こんな事ならジャンケンで勝つんじゃなかったわ」

「まぁまぁ」

 オレは機嫌を損ねる彼女を、ギリギリの所までからかっていた。とはいうものの、クラスマッチの水泳大会まであと二日。これは金辻よりもカナヅチかもしれない。

 水泳の実力が人並み程度のこのオレが、つい先日まで泳げなかった女の子を泳げるようにするなんてミラクルは漫画や小説の中のお話……でもあり得るはずもなく、オレたちC組はあっという間に大会当日を迎えることになった。


******


 さぁて、どうしたもんか。この時のオレは既に、C組の勝利よりも姫ヶ谷が恥をかかなくて済む方法を考えていた。オレ自身は泳げない事を恥とは思っていない(というか誰でも最初は泳げないだろう)が、放課後の雨の中を一人で練習しようとしていたほどの負けず嫌いの彼女は、そうは思わないだろう。こんな時でも人の悩みは放っておけない。オレの解は『姫ヶ谷が泳がなくて済むシュチュエーション』を作る事だった。そんなクラスマッチの開会式での事。


「なぁ姫ヶ谷。リレーの順番だけど……」。オレは先頭に立つ彼女に耳打ちをする。

 姫ヶ谷にはこのクラスマッチ、リレーの順番の理想を伝えた。幸いクラス委員という立場上、オレ達にはその権原がある。

「いいけど……私が最終競技者アンカー? 何か策があるの?」

「この際どこに入っても一緒だろ?」


 オレは彼女を説得するように言った。姫ヶ谷は平常心を装っているつもりだろうが、その曇った表情から読み取れる不安感は隠しきれない。

 ならば今度はオレが見せてやろうではないか。学尾シゲル、一世一代の大芝居を。



 ――間もなく水泳大会が始まった。各クラスA組からF組までの第一泳者が飛び込み台に足をかける。泳法は自由だ。やがて審判長の銃声アイズと同時に選手が水中へと飛び込むと、観衆の声がこだました。

 オレはオレの作戦をイメージトレーニングする。オレは7番手。その引継ぎはアンカーの姫ヶ谷に繋がれるはずなのだが、もとよりそのつもりはない。

 オレは姫ヶ谷に繋がない。なぜならオレは『溺れたフリ』をするからだ。恐らくその時点で大会は一時中断。その流れで姫ヶ谷は泳がなくて済むだろう。

 大会の中盤。4番手のコウイチあたりまでは六クラス中3位と好成績だった。しかし6番手の金辻辺りから、徐々に他のクラスとの差が開き始め、7番手のオレが引き継ぐ頃には5位まで落ちていた。内心ほっとしていた。本当にいい勝負をしていたら、頑張っているみんなにも悪い。しかし5位なら勝敗にはこだわらないだろう。次はオレだ。手足をブラブラさせ、あたかもやる気があるかのようにストレッチを始める。少し遅れて金辻が壁に手をかけると同時にオレは飛び込んだ。その二十五メートル先の飛び込み台で、アンカーの姫ヶ谷が不安そうにこちらを窺う姿がちらと見えた。オレはクロールをしながら考えている。

『溺れるフリをするなら中間の十二メートル辺りか?』

 

 次の瞬間、オレの左足に激痛が走った。

 なんだろうかこの痛みは。

 そしてすぐにその理由を把握する。

 ――つった

『本気で足つった! イテッ!』

 オレは溺れるフリをすることなく本当に溺れていた。ストレッチを怠ったのが原因だった。パニックに陥った時、大量の水を飲んでしまった。沈み行くオレは、けして夕日のように鮮やかではないだろう。どんな状況でもオレは泳げると甘く考えていた。次の瞬間、覚えのある柔らかな手の感触がオレの手を引っ張った。その手が導くがまま、プールサイドまで引き上げられる。

ぼやけたのは視界か意識か。それさえも分からない。しかし声だけは鮮明に聞こえた。

 「学尾くん! しっかりして!――」

 

 ――後で知った。驚く事にオレを助けたのは姫ヶ谷コトハだった。泳げないはずの彼女は、溺れたオレを真っ先に泳いで助けに来たのだ。火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。その時の彼女は珍しく心理の限界を超え、理性ではなく本能で動いていた――。

 

 保健室で横になり、オレは一人考える。

 水泳大会で勝つことも、姫ヶ谷を泳がせないようにすることさえ出来ず、恥をかいたのはオレだった。けれど、結果はどうあれ一生忘れられない夏の『始まり』となった。

 

 今まさに、スタートの銃声アイズが鳴る。


******クラスマッチ編・完 

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