―第12話― お見舞い
翌朝、オレは香ばしい匂いで目を覚ます。珍しく親父が手料理を振い、オレの部屋まで運びにきていた。とはいうものの、目玉焼きにベーコン、トーストという有り合わせの簡単な物だが、オレは昔からその組み合わせが大好きだった。昨晩何も食べなかった事もあって腹も減っている。
「体調はどうだシゲル。少しは食っとけよ」
「ああ……」
朝食を済ませ、薬を飲む。昨日ほど頭痛は酷くないものの、オレは今日一日、学校を休む事にした。
親父は仕事へと向かい、オレはそのまま自分の部屋で横になっていた。昨日とは打って変わって外は晴れている。窓を閉めていても蝉の声が聞こえていた。この部屋で、唯一暑さを凌げる物といえば扇風機くらいで、オレはその風で我が身を冷ましていた。
『みんな今頃どうしているだろうか』
昨日の事もあってか、姫ヶ谷の事が頭に浮かんだ。
普段、早起きして学校に行くのも億劫だと思っていたが、行かないなら行かないで、なんかもどかしい。そんな一日もあっという間で、日も沈みかけ空を赤く染めていた。さすがに寝すぎて眠れないオレは、リビングでテレビを見ていた。だいぶ体調も良くなってきている。ただ、喉の渇きに絶えられず、偶然にも席を立った時に玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
オレは玄関でサンダルを履き、鍵を開けるとドアの隙間から来客の顔を確認する。
「ちぃす! シゲル。 お前風邪だってな」
「なんだコウイチか」
「なんだとは失礼だな! 『心友』のコウイチくんだぞ?」
「まぁ、上がれよ」
オレはコウイチを招き入れると、そのドアを再び閉める。その音に気づいたコウイチが振り向いた。
「あれ?」
「ん? どうした」
コウイチは閉ざしたドアを再び開けると、顔を外に出しては『何か』に手招きをした。
「他に誰かいるのか?」
そのドアの隙間からスッと顔を出したのは、申し訳なさそうな表情をした姫ヶ谷コトハだった。彼女はまだ視線を反らしている。
「ああ、姫ヶ谷か」
「……お見舞いに来ました」
「ああ、わざわざありがとう(なぜ敬語?)。まぁ、上がれよ」
コクリと頷く姫ヶ谷。オレはコウイチと姫ヶ谷をリビングへ招き入れた。
「なんだ、思ったよりも元気そうで安心したよ」
遠慮なくソファーに腰掛け、コウイチはそう言った。姫ヶ谷はその横でスカートにシワができぬようにと、やや遅れて腰を下ろす。
「お茶でいいか?」
オレは二人に尋ねた。
「すまんね、見舞いに来たのはこっちなのに」
「いいんだよ、だいぶ体調も良くなってきたし」。オレはコウイチに言う。
ついさっき腰を下ろしたばかりの姫ヶ谷が、再び立ち上がった。
「あ、あの、ケーキ買ってきたんだけど、食べる? お茶も私が入れるから学尾くんは休んでてよ」
彼女はそう言うとキッチンに立った。オレと親父、男だけの二人暮しのこの部屋はいつもならば散らかっている。しかし幸いにも先日、ひと月に一度の大掃除があったばかりで、部屋は案外片付いていた。キッチンも日頃からコンビに弁当ばかりの『学尾家』にとっては無縁の物で、綺麗さっぱり片付いていた。
「お皿はこれでいい?」
オレは頷く。
「お茶は?」
「冷蔵庫に麦茶が入ってる」
そんな姫ヶ谷の後ろ姿を、オレとコウイチは眺めていた。
「いいもんだな」と、コウイチがつぶやいたが、本人は恐らく口にしたことさえ気づいてないようだ。
「ところで、今日は水泳の特訓は?」
「ああ、他の連中はちゃんとやってるよ。大会まであと四日だからなぁ」
「そうか、オレも明日は学校行けると思うよ(姫ヶ谷をなんとかしないと)」
しかし、思っていたよりも皆マジメに練習している事に驚いていた。残り四日間で、姫ヶ谷コトハを人並み程度に泳げるようにするにはどうすればいいだろうか。そう考えているうちに、姫ヶ谷は人数分のケーキと麦茶をトレーに乗せて運んできた。その慣れた手つきを、無意識に目で追っているうちに彼女は口を開く。
「あっ、そういえば昨日の傘……」
その眼差しは明らかにオレに向けられていた。
「ったーーーーーーっと、このケーキ美味そうだな」
コウイチの手前、オレは思わず昨日の話をはぐらかした。案の定きょとんとしたコウイチの表情が見受けられる。何の脈絡もなくケーキの話を振ったにもかかわらず、姫ヶ谷コトハは嬉しそうにケーキの話をし始めた。が、申し訳ないけど話の内容は覚えていない。傘はまた後日返す事にするよ。