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というわけで女の問題、世界経済的問題、といろいろ人間解放考えてる道草だがそれはあるところから恩を受けてそれを返さねば人間が腐ってしまうからなんだな。この恩については一切これ以上書かないがまあこのブログ海外ニートさんのブログみたいなことを昔は考えてたけど、開発経済学を学んで、第三世界ってこんな悲惨なのかと知って、その解放も目指した。一つにはこれは自己防衛の問題でもあるんだな。経済的に恵まれていれば幸せなんて事は全然なくて実存主義心理学のヴィクトル・E・フランクル、この人はナチスのユダヤ人収容所に入れられて生きてたんだけど、まあこの人が言うには繰り返すが豊かな人が人生の意味を見つけられないなんてことは全然なくて、豊かな人でも人生の意味を求めてこころを病むらしい。まあ釈迦なんかその典型だよね。道草もこの人間解放運動が人生の意味になるからやってるんだよ。だから経済的に豊かな人は是非この運動に賛同してもらいたいと道草は思っている。あと簡単に死ぬな。この前14歳でいじめられて自殺したやつが14歳の人生楽しかったっていってたけど14歳の頃いじめられてて自殺してない道草から言うとおまえ完璧にその自殺は間違いだ。道草はただのオヤジじゃないぞ。躁鬱病で精神障害者一級という国家資格持ってて、躁と鬱と不眠を繰り返しいまはぐっすり眠っているオヤジだ。その経験から言えば人生が楽しかったかどうかは生きていなければわからない。死んだら終わりだ。まあ不治の病で生きたいけども死ななければならないやつだけが過去の人生に意味があったといえるわけで未来があるなら未来を生きようよ。学校なんか止めて大検でも目指せばいい。生きて苦悩しろ。人生の意義を見つけろ。その可能性は生きている内にある。死の場所にはない。これは自殺志望者用に書いている方便(その人用の説得)なので不治の病で死に意味がないと書かれると傷つく人用にも書いておけばフランクルも書いているがあなたはたしかにいきていた。生きていたことに意味があった。まあ死は避けられない。道草もいつか死ぬわけで、そのときのことを考えれば生の場所に何を残すかそれが人生の意味になるだろう。あなたも過去に何かを残した。そう思って死ぬがいい。