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異世界転生者は黒船になりうるか。  作者: バネ屋
第二章 スタートライン
6/7

#06 もう一人の転生者 


 グレイス侯爵家の長男トーマス・グレイスは、5歳になった日の朝、ベッドで目覚めると混乱に陥った。


 ここはどこだ?

 たしか、病院で入院していたはずだが?

 いやまてよ?

 あれ?おかしい・・・俺は誰だ?

 末期癌で入院していた記憶があるのに、昨夜は久しぶりに父上とチェスをした記憶も・・・

 末期癌は夢でも見たのを記憶と混同しているのか。

 いや、それにしてはリアルすぎる。

 離婚した幸子や、結婚して子供を産んだ娘の真紀の記憶も、ただの夢だとは思えない。

 しかし、今の俺はグレイス家の子供で、トーマスだ。


 ベッドの上であぐらをかいて、混乱した頭を整理しようと熟考していると、扉がノックされて、返事をする前に入ってきた。


「あ、失礼しました。起きてらっしゃるとは知らずに」


「いえ、今起きたところなので大丈夫です」


「御召し物を用意しましたので、お着替えを、って、トーマス坊ちゃま、顔色がよろしくないようですが、お体の加減でも悪いのでしょうか?」


「少し気分がすぐれませんが、大丈夫です。それよりも、今日は僕のパーティーでしたね。お客様を出迎える準備をしなくては」


「あまりご無理をなさらないでください。準備でしたら私どもがしますので、トーマス坊ちゃまは、もう少しお休みになられたほうがよろしいですよ」


「甘やかしてはダメですよ。グレイス家の長男として、恥ずかしい姿は見せられませんからね」


「畏まりました。でも本当に、ご無理はなさらないでくださいね」


 ベッドから降りて、初めて体の違和感に気づき、腕を回したり膝を曲げて屈伸をしてみる。

 いままで気づかなかったが、俺の体、こんなに軽かったのか。

 それに、眼鏡がなくても輪郭がはっきり見えるし、耳鳴りはなく、布がこすれるわずかな音でも聞こえる。


 そこで、その違和感の正体に気づいた。

 末期癌で闘病中だった体と比べれば、5歳の子供の健康体に違和感を感じるのは当然。

 つまり、昨日まではトーマスの脳みそでトーマスの体を動かしていたのに、記憶の混濁のせいで、50代の中年男性の脳みそとしてトーマスの体を稼働させていると誤認しているのか。

 ただ、一つ核心したのは、俺は今日5歳になったばかりのトーマス・グレイスなのは間違いない。この体こそ俺という人間の本質であり、トーマスとしての存在証明だろう。


「坊ちゃま?どうされましたか?」


「あ、いえ。今日のパーティーで着る服のことで少し悩んでいました」


 記憶の混濁に関しては、咄嗟にごまかした。


「なにかお気に召さないことでもございましたか?」


「胸に飾りがあれば、5歳の僕でも少しは立派に見えるかと考えていたんです」


「なるほど。アクセサリーでも用意しましょうか?」


「いえ、貴金属の類では子供らしくありません。そうだ。グレイスの家紋の胡蝶蘭なんてどうでしょう?白い胡蝶蘭を胸に一輪だけ挿したら、派手過ぎず子供らしさも失わず、でも、グレイス家の長男としての威厳も、5歳なりに出せると思いませんか?」


「それは本当に、素晴らしいと思います。しかし・・・いえ、すぐに庭師に用意させますね」


 5歳の子供らしからぬ発想とセンス、そして物言いに、世話係は驚きを隠せなかったが、それを口に出してしまえば主人への不敬になりかねないので、口をつぐみ、トーマスの要望に応えた。

 そしてトーマスも、そんな世話係の態度に自分の言動が不自然だったことに気づいた。


「あ、いえ、自分で選びたいので、庭師には食事のあとに案内するように伝えてください」


「畏まりました。では、お食事の準備ができておりますので、参りましょう」


 記憶の混濁のせいで、どうやら無意識に言動がおかしくなっているようだ。

 怪しい挙動や子供らしからぬ発言は、矯正教育の対象になってしまう。

 50代の思考に引っ張られないように、常に気を付ける必要があるな。


 まだまだ整理しきれていない状況だったが、『当面は記憶の混濁については口外せずに、矯正教育の対象になるような言動を慎むように気を付ける』との方針だけ決めた。


 それにしても、改めて体感する5歳の体は素晴らしい。

 若さと健康のありがたみに、自然と心が躍るのが分かる。

 いや、ダメだ。また、50代の思考に引っ張られている。

 余計なことばかり考えるから、50代の思考が出てきてしまうのか。

 とにかく今日は、パーティーに集中しなくては。


 その日のパーティーでは、30組程度、計80名を超えるゲストを迎えた。

 そこで、最初に気づいたのは、記憶力の凄さ。この時点で、半分以上のゲストへの挨拶回りをこなしたが、すべての顔と名前を覚えることが出来ている。

 貴族の社交場にて、相手の名前や顔を忘れてしまうのは、重大な失態になるだろう。それだけで見ても、俺は貴族として優秀だと言えるかもしれない。


 そして、そのことに気づける俺は、やはり5歳児の思考とはいえないだろう。

 つまり、若くて吸収力のある5歳の脳細胞に、データや思考ロジックに分析力などが50代なみに成熟しているということか。

 最新の高スペックのハードに、何度もアップデートを繰り返したOSをインストールしたようなものだろうか。


 にこやかにふるまいながら挨拶周りをこなしていると、ブラン侯爵が婦人と娘のクリスティーナ嬢を伴ってやってきた。

 侯爵ということは、父上と同列の爵位。ブラン侯爵だけでなく夫人も豪勢な装いだが、クリスティーナ嬢は淡い色使いのドレスで、落ち着いたイメージだ。


「トーマス様、この度はお誕生日、おめでとうございます。胸の胡蝶蘭が、とてもお似合いです」


 背筋を伸ばして美しいカテーシーに、落ち着いた所作。

 この花を胡蝶蘭だとすぐに理解できる知性。

 派手さよりも自分のイメージにあった色使いのドレス。

 クリスティーナ嬢は俺よりも1つ歳下なのに、侯爵の令嬢としては完璧だろう。

 こういう存在がいると、周りの未熟さが際立ってしまう。


「ありがとう。今日はクリスティーナ様にお会いできて、とてもうれしく思います」


「グレイス侯爵殿、やはりあの話、進めてはどうだ?」


「そうですな。この二人なら、両家をさらに繁栄させてくれるだろう」


 ん?なんの話だろう。

 父上とブラン侯爵の二人の意味深な会話が気になったので、クリスティーナ嬢の反応を見ようと視線を送ると、扇で口元を隠して目を伏せた。

 そのしぐさから、どうやらクリスティーナ嬢には会話の内容が理解できているようだ。


 結局、どのような話だったのか分からないまま、ブラン侯爵一行は離れ、ゲストへの挨拶回りは続いた。







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