幸せとはゼロなのかもしれない
私はずっと、幸せはプラスの感情だと思っていた。
でも、幸せはゼロだから感じる事ができないんじゃないかと思った。
人はなぜ、失ってからそれを守るべきだったと気づくのか。
それについて、考えてみる。
零は本来、認識できない。
それでも人間は、零を概念として扱える。
"在る"が解るから"無い"が解るのである。
幸せの定義が千差万別なのは間違いないが、ここでは"心が満たされている"事を定義として考えてみる。
幸せになった瞬間にはプラスαで、それを獲得した達成感や快感が得られる。
私はそれらを合わせて幸せなのだと思っていた。
しかし、幸せが零でプラスαが壱だ。
零が心を満たした後、壱がすぐに溢れ出てしまう。
満たされた心に壱が入る余地はない。
感じる事は出来たとしても、すぐに溢れて消えてしまうのだ。
つまり何が言いたいかと言えば、私達は溢れ出た壱だけを幸せと勘違いしてしまう事が多いのではないかと言う事だ。
壱を追う者が幸せの奴隷になり、零を認識できる者が自分の人生にとって大切な何かを守れる人ではないのかと思う。
幸せの奴隷になる事は必ずしも悪い事ではないと思う。
隷属の対価として、際限なく壱を与えてくれる。
雇い主としては申し分ないだろう。
悪者の様な書き方をしているが、これは私が過剰に酷い書き方をしているだけだ。
これに対して零を認識するのは難しい。
一見"無い"のだから。
しかし、人間は零を概念として扱える。
零がそこに"在る"のだ。




