第8話:解体と保全、そして命の仮設工事
真っ白な粉塵が完全に晴れた地下迷宮の第六層。
何十トンもの瓦礫の下敷きになり完全に沈黙した巨大魔獣『迷宮喰らい』の死骸を前に、リアンは静かな、しかし確かな歓喜に打ち震えていた。
戦利品を得た勇者としての興奮ではない。
極上の「建材」を前にした職人としての高揚感だ。
「……素晴らしいな」
リアンは魔力駆動の回転ノコギリを取り出し、ひしゃげた魔獣の残骸から手際よく素材を切り出していく。
「この甲殻の厚みと絶妙な湾曲率……規格外の強度だ。最高の防壁材になる」
ガガガガッ、と火花を散らして黒い外殻を剥ぎ取ると、次は体内へと手を入れる。
「ほう、やはりな。この極寒の深層に適応するためか。外殻の裏側にこれほど良質なインシュレーション(断熱層)を蓄えているとは」
強固な甲殻の直下には、外気の冷気を遮断し、体温を逃がさないために発達した銀灰色の分厚い毛皮が、フェルト状に圧縮されてびっしりと張り付いていた。
甲殻が外壁なら、この毛皮は天然の最高級断熱ライナーだ。
リアンは手際よくその「裏地」ごと素材を切り分けていく。
「酸袋の圧力弁も無傷だ。これをパイプに繋げば、岩盤を溶かして自在にトンネルを掘れるぞ」
さらに解体を進めていたリアンは、魔獣の背中に並ぶ分厚い甲殻の一部が、異常な高熱を帯びて陽炎を作っているのに気づいた。
「……排熱器官か?」
耐熱コーティングを施した特殊なやっとこを取り出し、その部位の切り離し作業に取り掛かる。
ふと、リアンは違和感を覚えた。
この第六層は有毒な瘴気が深く淀んでいるはずなのに、その甲殻の周囲だけは息苦しさがなく、極端に瘴気の濃度が下がっていたのだ。
「……どういうことだ?」
切り離された甲殻は、母体から離れたことで次第に温度を下げていった。
リアンは頭の中で一つの仮説を立てると、その甲殻をやっとこで掴んだまま、まだ瘴気が色濃く残る岩場の影へと足を踏み入れた。
するとどうだ。
甲殻は周囲の瘴気を吸い込むようにして、再び微かに赤熱し始めたではないか。
同時に、リアンの周囲を漂っていた不快な瘴気がスッと薄れていく。
リアンのプロとしての頭脳に、完璧な方程式が閃く。
「なるほど。こいつは迷宮の瘴気を吸い込み、内部で燃焼(エネルギー変換)させて熱に変え、無害化して排出する特殊なフィルター甲殻というわけだ。……最高のボイラー兼、空気清浄機になるぞ」
彼にとって、この巨大な死体は宝の山だった。
必要な建材を次々と「解体・回収」していくその手つきに、一切の無駄はない。
一通りの素材回収を終えたリアンは、続いて「現場の整理」に取り掛かった。自分が起こした崩落とはいえ、せっかく平らに均した床に瓦礫が散乱している状況は現場監督として見過ごせない。
邪魔な岩塊をタガネで砕きハンマーで端へと寄せていく、その最中だった。
「……ん?」
リアンは手を止め砕けた氷の床を見下ろした。
魔獣の青黒い体液とは違う、鮮やかな『赤い血痕』が点々と瓦礫の山の奥へと続いている。
リアンは血痕の先にある巨大な岩の塊に手をかけ、テコの原理を利用して一気に横へ転がした。
「……なるほどな」
岩の下敷きになっていたものを見てリアンは冷静に状況を分析した。
そこに倒れていたのは、漆黒の服に身を包み銀色の髪を血と泥で汚した美しいダークエルフの女性だった。
状況証拠が、彼女のこれまでの行動を雄弁に物語っている。
彼女が強く握りしめたままの折れた短剣、ボロボロにすり減った靴底。
彼女はただ崩落に巻き込まれた不運な被災者ではない。
全身の傷の古さと土汚れから見て、おそらく上層で強力な魔獣の群れにでも追われ、逃げ場を失ってこの未踏破の深層へと落ちてきたのだろう。そして、この階層の岩陰で息を潜めていた矢先、俺が起こした『精密解体(崩落)』の余波を食らい、力尽きたのに違いない。
彼女の細い体は氷のように冷たくなっており、右の脇腹からは絶望的な出血があった。
青白い唇は微かに震えているが、もはや命の灯火が消えるのは時間の問題だった。
かわいそうに。
助けてやらなければ。
――そんな感傷は、リアンの胸には一ミリも浮かばなかった。
彼が見ているのは「かわいそうな少女」ではない。
(……外装に致命的な亀裂(裂傷)。動力源の急激な熱損失(体温低下)。このままでは、あと数分で構造体として完全に機能停止(死)するな)
目の前にあるのは著しく損傷し崩壊しかかっている『構造体』だ。
ならばプロの保全士としてやるべきことは一つしかない。
「……応急の保全工事(救命)を開始する」
リアンは腰のポーチを開き一切の躊躇なく作業工程に入った。
まずは床からの冷気を遮断するための「基礎工事」だ。
先ほど解体したばかりの魔獣の分厚い毛皮を氷の床に敷き詰め、強力な断熱層を形成する。
その上に彼女の体を静かに寝かせた。
次は「外装の修繕」。
リアンは魔獣の肉片から白く強靭な筋繊維を引き抜くと、それを糸の代わりに使い彼女の脇腹の痛々しい裂傷を均等なテンション(張力)を保ちながら裁縫のように手早く縫合していく。
一切の歪みがない完璧な縫い目によって開いていた傷口がピタリと閉じ合わされた。
さらに消毒薬と接着剤の代わりにスライムの粘液を薄く塗布し、患部を完全にシーリングする。
粘液の強烈な収斂作用によって、滲んでいた血が完全に止まった。
最後は「熱源の供給」だ。
リアンは先ほど回収したばかりの『瘴気燃焼甲殻』を、直接肌に触れて火傷を負わないよう分厚い毛皮で何重にもしっかりと包み込み、湯たんぽ代わりに彼女の足元へと配置した。
甲殻は周囲の微量な瘴気を吸い込んで、安全で心地よい熱を放ち続ける。
さらに上からもう一枚の毛皮を被せて密閉した。
解体、整理、そして修繕。
リアンにとって、魔獣の解体も、拠点の整備も、人体の救命も、すべて同じ「施工ロジック」の線上にあるものだった。
リアンは一連の緻密な作業を終えると、ふぅ、と小さく息を吐き、張り詰めていた肩の力をスッと抜いた。
魔力と集中力を極限まで酷使した彼の指先がほんのわずかに震えている。
数十分後。
仮設の熱源と断熱材の効果により、彼女の肌を覆っていた霜が溶け、青紫だった唇に微かな赤みが戻り始めた。
やがて長いまつ毛が震え、彼女――セレスの紫色の瞳がゆっくりと開かれた。
視界が焦点を結んだ瞬間、セレスの瞳に強烈な警戒の色が走った。
ここは危険な地下迷宮の底。
見知らぬ人間の男が目の前にいる。
(殺される……!)
彼女は反射的に跳ね起きようとし、隠し持っていたナイフを探すために右手を動かした。
同時に迎撃のために体内から魔力を練り上げようとする。
だが損傷した体がその急激な負荷に耐えられるはずもなかった。
「ゴホッ、ガハッ……!」
激しい咳き込みとともにセレスは再び毛皮の上へと崩れ落ちた。
痛みに顔を歪め荒い息を吐く。
「急な出力は基礎を壊すぞ」
冷たい無機質な声が降ってきた。
セレスが視線を向けると、少し離れた岩場に座ったリアン、布でタガネの汚れを拭き取りながら淡々と言い放った。
「無理に魔力を通せば、せっかく繋ぎ直した配管(血管)が破裂する。施工が台無しになるから、大人しく寝ていろ」
リアンはそれだけ言うと、手元にあった金属製の水筒を床を滑らせるようにして彼女のそばへと転がした。
コトン、と鈍い音を立てて止まった水筒。
毛皮の温もり。
脇腹の痛みが引いている感覚。
そして足元から伝わってくる信じられないほどのポカポカとした熱。
(……縫い目が、異常なほど正確だ。この熱源の配置も、すべてが私の生存に最適化されている……こいつ、何者?)
セレスは混乱した。
人間は魔族を見れば有無を言わさず殺すはずだ。
それなのに、なぜ自分は「修理」されているのか。
彼女は警戒を解ききれないまま、震える声で絞り出すように尋ねた。
「……あんた、勇者じゃないの?」
その問いにリアンはタガネを腰のポーチにしまい、立ち上がりながら短く答えた。
「違う。保全士だ」
極寒の奈落の底。
殺伐とした死の迷宮に、二人の静かな、しかし確かな温もりを持った時間が作られようとしていた。




