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ダンジョンリノベーション 〜無能と蔑まれ追放された最強保全士、奈落の底で極上の家を造り、魔物たちと快適スローライフを始める〜  作者: 早野 茂
第1章:奈落の底の工務店、開業

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第5話:迷宮喰らいと脆き勇者の一行

地下迷宮の第五層。

その最奥に位置するボス部屋へと続く回廊は、靴の甲まで埋まるほどの深い泥濘ぬかるみに覆われていた。

勇者ゼクスは一歩踏み出すたびに数十キロの重さになった金属鎧が泥に沈み込み、チュポッ、ズブッという不快な音を立てることに、限界以上の苛立ちと疲労を感じていた。

「はぁっ、はぁっ……くそっ、なんだってこんなに歩きにくいんだ……っ!」

ゼクスが血走った目で振り返ると、後ろを歩く仲間たちも一様に疲労困憊の極みに達していた。

魔法使いのエルナは泥水と湿気を限界まで吸い込んだ純白のローブを忌々しげに引きずり、幽鬼のような虚ろな目をしている。

神官のガレスに至っては自らのメイスを杖代わりにし、ぜえぜえと豚のように荒い息を吐いていた。

昨晩は結界が消えたことによる毒虫の襲来と異常な湿度のせいで、誰一人として一睡もできていない。

「文句を言っても仕方ありませんわ、ゼクス……。早くこの階層のボスを倒して、地上に戻って熱いシャワーを……」

エルナの掠れた声に、ガレスも力なく頷く。

「ええ……これもすべて、去り際に呪いをかけていったあの無能な保全士のせいですよ……っ」

その言葉にゼクスはギリッと奥歯を噛み鳴らした。

彼らはまだ自分たちの身に起きている不調が「呪い」などではなく、単なる「インフラの喪失」と「バフの切れ」に過ぎないことを理解していない。

これまでリアンが先回りして足場の泥を土魔法で硬化させ、彼らの防具に重量軽減のコーティングを施し続けていたという「事実」から必死に目を背け続けていた。

やがて一行は巨大な両開きの石の扉の前に到達した。

ボス部屋の入り口だ。

ゼクスは恐怖で震えそうになる膝を必死に叩き、気合を入れるように首の骨を鳴らすと、重い扉を押し開けた。

ギギギギギ……と重低音を響かせて扉が開く。

中にはドーム状の広大な空洞が広がっていた。

床は通路以上に酷い泥濘に覆われており、ところどころに強酸性の腐臭を放つ緑色の水たまりができている。

そしてその空間の中央に巨大な岩山のようなものがうずくまっていた。

「出たな、第五層のヌシ……『迷宮喰らい』!」

ゼクスの声に呼応するように、その岩山がゆっくりと身を起こした。

全長十メートルを優に超える巨大なムカデ型の魔獣。

全身を覆う漆黒の甲殻は金属光沢を放ち無数の鋭い足が地面の泥を削り取る。

頭部には巨大な二本の大顎が備わりそこから滴る唾液が床の岩をジュゥゥゥッという音とともに溶かしていた。

「いくぞ、お前ら!俺が正面からあいつの装甲を叩き割る!エルナは俺の動きに合わせて最大火力の魔法を撃ち込め!ガレスは防御魔法の準備だ!」

ゼクスは虚勢を張って指示を飛ばすと、錆の浮いた聖剣を抜き放ち、泥を蹴り立てて一直線に魔獣へと突進した。

これまでの彼ならリアンの足場補正のおかげで矢のように鋭く踏み込み、魔力研磨された聖剣でボスの甲殻をバターのように切り裂くことができた。

「オオオオオオッ!砕け散れえええっ!!」

ゼクスは跳躍しようと軸足に渾身の力を込めた。

――ズズッ。

「なっ……!?」

軸足が泥濘に深く滑り踏み込んだはずの筋肉の力が、すべて泥に吸い込まれて空振りする。地面がまったく力を返してこない。。

下半身から上半身へと伝わるはずの運動連鎖が崩壊し、へっぴり腰のまま手打ちのような形で聖剣が振り下ろされる。

ガギィィィィィィィンッ!!!!

鼓膜を劈くような甲高い金属音が広大なボス部屋に響き渡った。

「がっ、ああぁぁっ!?」

ゼクスは、両腕の骨が砕けたかと思うほどの強烈な痺れと反発に悲鳴を上げた。

手打ちになった聖剣の刃は、魔獣の黒い甲殻を傷つけることすらできず、無惨にも弾き返された。

刀身の芯から『ピキィッ!』という致命的な亀裂音が鳴る。

ゼクスは確かに、自分の手の中で金属が悲鳴を上げて泣くのを聞いた。

泥のせいで全力の衝撃が乗らなかったため、かろうじて「完全な破断」だけは免れた。

しかし刀身のヒビはさらに深く広がり、もはや聖剣は「なまくらな鉄の棒」以下の存在に成り下がっていた。

「ば、馬鹿な!?俺の聖剣が、弾かれただと!?」

体勢を崩したゼクスに向かって『迷宮喰らい』が怒りの咆哮を上げ、丸太のような太い前足を振りかぶった。

「ゼクス!危ないっ!」

後方にいたエルナが悲鳴を上げ援護の炎魔法を放とうと杖を構えたしかし、彼女の足元もまた最悪の泥濘だった。

呪文の詠唱に合わせてステップを踏もうとした瞬間、重く水を吸ったローブが足に絡みつき、ずるりと靴が滑る。

「きゃあっ!」

エルナは無様に泥水の中へと転倒し、杖の先から放たれた炎は明後日の方向へと飛んで虚しく空を切った。

「エルナ!何をやっている!ガレス、俺に防御魔法を――!」

空中で魔獣の攻撃を避けきれないゼクスが神官に叫ぶ。

だがガレスもまたズブズブと沈み込む泥に足を取られ、体勢を立て直すのに必死で祈りのポーズをとることすらできていなかった。

誰も彼らの足元を支えてくれない。

ドゴォォォォンッ!!

「がはぁっ……!?」

『迷宮喰らい』の強烈な一撃がゼクスの胴体を容赦なく薙ぎ払った。

凄まじい衝撃とともにゼクスの身体が泥の上をバウンドし、部屋の壁に激突する。

「ゼクス!!」

泥だらけになったエルナが悲痛な叫びを上げた。

壁際で崩れ落ちたゼクスは、口から大量の血を吐き出しながら信じられないものを見るような目で自分の胸元を見下ろした。

王国の国宝級と言われる強固なミスリル製の胸当てが、たった一撃でまるで薄い空き缶のようにベコベコにひしゃげ、ひび割れていたのだ。

折れた肋骨が肺に突き刺さる激痛が走る。

防具もまたリアンが毎日のように施していた衝撃吸収の魔力コーティングを失い、ただの「脆い金属の板」へと成り下がっていたのである。

「なんでだ……どうして、俺の装備がこんな……!こんなの、俺の力じゃない……ッ!!」

ゼクスは激痛と絶望に顔を歪めながら折れ曲がった防具を握りしめて呻いた。

そこへ獲物を確実に仕留めるべく『迷宮喰らい』がシャカシャカと無数の足を動かしながら不気味な速度で迫ってくる。

連携は完全に崩壊し武器は限界を迎え、防具は紙のように脆い。

そして、まともに動くことすらできない劣悪な環境。

圧倒的な戦力差と迫り来る巨大な死の恐怖。

これまで「自分たちの実力」だと信じて疑わなかった無敵の強さが、自分たちが切り捨てた「見えない基礎工事」の欠如によって、音を立てて崩れ去っていくのを、ゼクスは肌で感じていた。

「ヒィィィッ……!く、来るな……っ!!」

死の恐怖に耐えきれなくなったガレスがメイスを放り出して後ずさった。

「ガレス!逃げるな、私を置いていく気!?」

泥の中で立ち上がれないエルナが金切り声を上げる。

「う、うるさい!こんな化け物、勝てるわけがないだろうが!」

パニックに陥った仲間たちの姿を見て、ゼクスの中で辛うじて保っていた勇者としてのプライドが完全に砕け散った。

今の自分たちでは絶対に勝てない。

殺される。

「……逃げるぞ!!全速力でこの部屋から出ろ!!」

ゼクスは這うようにして立ち上がると、無様にもボスに背を向け入り口の扉へ向かって泥を這いずりながら逃げ出した。

勇者の面影などどこにもない、ただの恐怖に駆られた敗残兵の姿だった。

「ま、待って、ゼクス!助けて……!」

「自分でどうにかしろ!俺に構うな!」

泣き叫ぶエルナを無視してゼクスは入り口の巨大な扉へと必死に手を伸ばした。

だが彼らが逃走を選択したその瞬間、『迷宮喰らい』の口から強酸性の粘液が大量に吐き出された。

粘液はゼクスたちの頭上を越え入り口の石の扉に激しくぶち当たった。

ジュゥゥゥゥッという嫌な音とともに、扉を支えていた蝶番と周囲の岩盤が急速に溶かされ、崩落していく。

轟音とともに退路であった扉が巨大な瓦礫によって完全に塞がれてしまった。

退路を絶たれた暗闇の中で、エルナが「あなたのせいで!」とゼクスを激しく睨みつけ、ガレスが「ああっ、私の称号さえ守れれば……」と虚ろに呟く。

ゼクスは反射的に「黙れ!」と怒鳴り返し、崩れ落ちた瓦礫の山を前に、絶望に顔を染めてへたり込んだ。

逃げ道はない。

背後からは獲物を追い詰めた『迷宮喰らい』の、ギチ、ギチという大顎を鳴らす死の足音だけが、無慈悲に迫ってきていた。

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