第2話:金属の悲鳴と、砕かれた職人の魂
深夜の野営地。
テントの横に置かれた通信用の魔道水晶が不気味な青白い光を放っていた。
普段は連絡など寄越さない王都の文官からの定期通信。
水晶の奥から響いてくるその声は、どこまでも無機質で氷のように冷徹だった。
『――以上の理由により、王国議会は勇者パーティーの攻略遅滞を看過できない状況と判断しました。期限は三日後。三日後の日の入りまでに、第五層の階層ボス「迷宮喰らい」を討伐し、次層への到達を証明すること。それが成されぬ場合、巨額の国家予算の投資は全額打ち切り、並びに「勇者」の称号を剥奪するものとします。以上』
プツン、と一方的に通信が切れる。
薄暗い空間に、重苦しい沈黙が落ちた。
「……称号剥奪、だと……っ!」
ゼクスは水晶を睨みつけたまま、親指の爪をガリガリと音を立てて噛んでいた。額にはべっとりと脂汗が浮かんでいる。
「ふざけるな!俺たちがどれだけ命を懸けて、寝る間も惜しんでここまで来たと思ってるんだ!王都のふかふかな椅子に座ってるだけの連中が、偉そうに数字だけで俺たちを測りやがって!」
ゼクスは立ち上がると、近くにあった人間の頭ほどもある岩を力任せに蹴り飛ばした。岩が砕け散る音に、エルナとガレスがビクッと肩を跳ねさせる。
怒鳴り散らすゼクスの背中は、微かに震えていた。
彼にとって、「勇者」の称号と王都からの支援は、自分と仲間が生きるための全てだ。
もしそれを失えば、彼らは一瞬にして路頭に迷う敗残兵へと転落する。
その強烈なプレッシャーと恐怖が、彼の精神から余裕と冷静さを完全に奪い去っていた。
そんなギリギリの精神状態で怒り狂うゼクスを、リアンは少し離れた岩場から無言で見つめていた。
リアンの膝の上にはゼクスの聖剣が置かれている。
ゼクスが発する怒声を聞き流しながら、リアンは指先にスライムパテを取り剣身の亀裂にそっと押し込んだ。
――いつもと違う。
パテを塗る指先が、不自然に冷たかった。
亀裂にパテを擦り込んでも、金属がそれを「吸わない」のだ。これまでなら、リアンの魔力に反応して金属と同化していくはずのパテが、まるで油に弾かれるように表面から滑り、ポロリと床に落ちた。
「……!」
リアンは魔力ルーペを目に当て、息を殺して剣の芯を覗き込んだ。
その瞬間。
『――ピキッ』
静寂の中で、微かな、しかし決定的な金属の悲鳴がリアンの鼓膜を打った。
リアンの背筋を、職人としての底知れぬ恐怖が駆け抜けた。
表面の刃こぼれなどというチャチな問題ではない。
剣の「芯」そのものが、これまでの過剰な衝撃と魔力負荷に耐えきれず完全に死にかけているのだ。
(……ダメだ。もう魔力を一切受け付けない。この剣は、次に硬いものを全力で叩けば、間違いなく砕け散る)
リアンはゆっくりと立ち上がりゼクスの元へ歩み寄った。
「ゼクス。報告がある」
「なんだ!?俺は今、気が立ってるんだ。下らない話なら――」
「聖剣が限界だ。芯が死にかけてる。もう魔力パテが定着しない」
リアンは淡々と、しかし強い危機感を込めて告げた。
「このまま第五層のボスに挑めば一撃で折れる。一旦地上に戻って名工に抜本的な打ち直し(オーバーホール)を頼むしかない」
その言葉は、プレッシャーで限界を迎えていたゼクスにとって、最悪の導火線だった。
「……地上に戻る、だと?」
ゼクスの目が血走った色を帯びてリアンを睨みつける。
「三日だぞ!?三日以内にボスを倒さなきゃ、俺たちの人生は終わりなんだよ!なのに地上に戻れだァ!?間に合うわけがないだろうが!」
「戻らなければ、あんたが死ぬぞ。剣が折れれば全滅だ」
「うるさい!!」
ゼクスが獣のように吠え、リアンの作業着の胸ぐらを荒々しく掴み上げた。
「お前は俺の剣を研ぐのが仕事だろうが!それをなんだ、定着しない?限界だ?自分の無能を棚に上げて、俺の足を引っ張る気か!」
「違う。これは物理的な限界で――」
「言い訳すんじゃねええっ!!」
ゼクスの怒りに任せた蹴りが、リアンの足元にあった「革の工具箱」に深く突き刺さった。
ボゴォッ!という鈍い音と共に、古い革箱が宙を舞い、岩壁に激突して中身をぶちまけた。
リアンが命より大切にしているタガネ、ハンマー、微細なピンセット、様々な魔力触媒が入った小瓶が、無残にも氷と泥の床に散乱する。パリンと小瓶の一つが割れ、貴重な調合液が泥に吸い込まれて消えた。
「……!」
リアンの目が限界まで見開かれた。
その箱は、ただの入れ物ではない。
職人としての「魂」であり、かつてゼクス自身が「俺の命(剣)を預けるんだ、いい道具を使え」と、不器用な笑顔でプレゼントしてくれたものだったのだ。
ゼクスは荒い息を吐きながら散乱した工具を見下ろした。
一瞬自分が何をしたのか気づいたようにハッと目を見開いたが、すぐに自己正当化の怒りでその顔を強引に歪めた。
「……っ、お、お前が余計なことを言うからだ!いいか、何がなんでも明日までに俺の剣を直せ!できなきゃ、本当にてめぇを追放してやるからな!!」
ゼクスはそう吐き捨てると、乱暴な足取りで自身のテントへと消えていった。エルナとガレスも、蔑むような冷たい視線をリアンに向けた後、急いで後を追う。
冷たい地下の風が吹き抜ける広場。
リアンは一人、無言で泥の中に散らばった工具を拾い集めていた。
(……直せ、だと?)
不可能だ。
死んだ金属は二度と蘇らない。
それすら理解しようとせず、あまつさえ職人の魂である工具を泥水に蹴り落とすような男にこれ以上何を言っても無駄だ。
リアンの中でゼクスたちに対する最後の「責任感」と「情」が、音を立てて凍りついていくのを感じた。
泥まみれになったタガネを拾い上げようとした、その時だった。
ふと床の岩盤に視線を落としたリアンの目が、わずかに細められた。
散らばった工具のすぐ横。
ダンジョンの黒い岩壁から床にかけて走る微細な「ひび割れ」が目に入ったのだ。
「ん……?」
リアンは泥を拭い、プロの目でその亀裂の形を凝視する。
(……ただの自然劣化じゃない。このひび割れの入り方……一定の間隔で、上の階層からずっと同じ角度(応力)で連なっている……?)
それは、無作為な自然の造形ではなく、この巨大な迷宮全体に潜む構造的な『弱点の規則性』を示しているように見えた。
「……いや、今はどうでもいいか」
リアンは小さく息を吐き、思考を打ち切ってタガネを壊れた革箱に戻した。
このパーティーという「現場」で、これ以上「保全」を続ける前提は完全に崩壊した。
死に体の足場をいくら補修したところで、上物(勇者)自らが基礎を叩き割るのなら、もう施しようがない。
ただ冷たい決別への予感だけが、極寒の地下に重く横たわっていた。




