第17話:衝突する熱気と冷気:喧嘩する精霊たち
大浴場が完成し、極上の住環境が整ってから数日後。
拠点に予期せぬ「バグ」が発生した。
「……あっつ!なにこれ、息が詰まりそう……!」
毛皮の寝床から跳ね起きたセレスが、たまらず湯着の襟元をパタパタと仰いだ。
いつもは『瘴気燃焼甲殻』による温水パイプと清浄な温風で、春の陽だまりのように保たれているシェルター内部。
しかし今の室温は、ゆうに四十度を超え、まるでサウナの中にいるような息苦しい熱気に包まれていた。
入り口で警備に当たっていたワーウルフも、分厚い銀色の体毛から滝のように汗を流し、ハァハァと犬のように舌を出して苦しそうに喘いでいる。
「リアン、空調システムが暴走してるんじゃないの!?」
セレスが叫ぶと、すでに壁のパネルを開けて内部の配管をチェックしていたリアンが、汗だくの顔を上げた。
「いや、甲殻の燃焼効率も、温水パイプの循環も完璧だ。クリスタルスライムも正常に動いている」
リアンは手にした魔力温度計の数値を睨みつけ、眉間を深く寄せた。
「俺の作ったインフラに欠陥はない。だが大気中の魔力密度が異常な数値を示している。……外から、強烈な『熱源』が干渉してきているんだ」
その直後だった。
ヒュオォォォッ!
突如として、熱帯のような空気が一瞬で吹き飛び、代わりに肌を刺すような絶対零度の冷気がシェルター内になだれ込んできた。
「ひやぁっ!?」
セレスが悲鳴を上げ、慌てて毛皮を頭から被る。
ワーウルフは急激な温度変化にクシャミを連発し、自分の尻尾を抱え込んで丸まってしまった。
たった数秒の間に、気温が四十度からマイナス十度まで乱高下したのだ。
魔獣の甲殻で作った強靭な壁面が、急激な熱収縮に耐えきれずにピキピキと悲鳴のような軋み音を上げる。
「……チッ。熱の次は冷気か。ふざけやがって」
リアンは舌打ちをし腰から魔力ハンマーを引き抜いた。
「このままじゃ、温度差による結露と建材の膨張で、拠点の基礎構造が破壊される。元凶を叩きに行くぞ、セレス!」
「え、ええ!わかったわ!」
二人は、極端な熱波と冷気が交互に押し寄せてくる暗い通路の奥へと走り出した。
温度異常の発生源は、拠点から少し離れた、巨大な地下空洞だった。
そこに広がっていた光景を見て、セレスは思わず息を呑んだ。
「あれは……『精霊』!?」
空洞の右半分は赤蓮の炎に包まれ、岩がドロドロに溶けてマグマの池を作り出している。
その中心には、純粋な炎で構成されたトカゲのような姿の『炎の精霊』が、怒り狂ったように火の粉を撒き散らしていた。
一方、空洞の左半分は分厚い氷柱に覆われ、すべてを凍てつかせる吹雪が吹き荒れている。
その中心には、半透明の氷でできた鳥のような姿の『水の精霊』が、鋭い冷気を放って炎に対抗していた。
『ギチチチチッ!!(もっと乾燥させて温めろ!)』
『キィィィィン!!(湿気と冷却を優先しろ!)』
二体の精霊は互いの「快適さの環境設定」を主張するように、強烈な熱波と冷気をぶつけ合っている。
その余波がダンジョンの気圧と魔力脈を伝わり、リアンたちの拠点の空調を狂わせていたのだ。
「……ダンジョンの環境悪化で地脈が乱れ、精霊たちの『縄張り』が衝突してしまったのね」
セレスは短剣を取り出し紫色の瞳を細めた。
「精霊は気まぐれで、一度怒り狂うと手がつけられない。あれだけの質量を持った自然現象の塊よ、まともにやり合えばただじゃ済まないわ。……リアン、どうする?私が囮になって、なんとか遠くへ追い払う?」
彼女は、中ボスとしての戦闘経験から「排除」という選択肢を提示した。
しかし。
「……おい、セレス。よく見ろ」
リアンは魔力ハンマーを下ろし、代わりに左目に魔力ルーペを装着して、二体の精霊を凝視していた。
その顔には恐怖も焦りもなかった。
代わりに浮かんでいたのは、極上の「建材」を発見した時のような、プロの保全士としての狂気的なまでの『熱狂』だった。
「あいつらがぶつけ合っているあの熱と冷気……一切の魔力ロスがなく、完全に自律して発生し続けているぞ。しかも、あの莫大な出力」
「リアン……?」
セレスが怪訝な顔を向けると、リアンはニヤリと、獲物を見つけた肉食獣のような、あるいは難解なパズルを前にした学者のような笑みを浮かべた。
「追い払うだと?冗談じゃない。あんな無尽蔵の超高効率エネルギー(ボイラーと冷却装置)を、みすみす野に放って捨てるなんてあり得ない」
「えっ……まさか」
「ああ。今の拠点の空調は、瘴気を燃やす熱を一方的に利用しているだけの『暖房』に過ぎない。だが、あいつらのあの相反する二つの力を上手く制御してぶつければ、拠点内の温度を一年中、熱と冷えの位相を完璧に噛み合わせた『熱交換セントラルヒーティング』が構築できる!」
リアンにとって、目の前で暴れ狂う精霊たちは、神聖な自然の化身でも、恐ろしい脅威でもなかった。
拠点のインフラを次の次元へと引き上げるための、極上の「動力源」でしかなかったのだ。
「セレス、作戦変更だ。あいつらを追い払うんじゃない。『捕獲』して、俺たちの空調システムに組み込む」
「ほ、本気で言ってるの!?あの怒り狂った精霊たちを、配管の中に押し込めるって言うの!?」
「当たり前だ。俺は保全士だぞ。あんな極上のエネルギーが目の前に転がっていて、拾わない手はない」
リアンはポーチから防水羊皮紙と木炭ペンを取り出し、猛烈な勢いで配管の図面を引き始めた。
熱波と冷気が吹き荒れる戦場のど真ん中で、ただ一人、彼だけが「施工プロセス」に没頭している。
「……あなたって人は、本当に……」
セレスは呆れたようにため息をついたが、その口元にはどこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
「わかったわ。じゃあ、あなたがあの無謀な配管図を完成させるまで、私が暴れる精霊たちを押さえ込んでおけばいいのね?」
「ああ、頼む。ただし、殺すなよ。傷つけるとエネルギー効率が落ちる」
「無茶ばかり言うわね。……でも、悪くないわ」
「捕獲じゃない。“隔離して循環に噛ませる”……まずは安全マージンを探るための『試験ループ』を一つ組むぞ」
リアンの鋭い声とともに、熱と冷気が荒れ狂う空間での前代未聞の「インフラ拡張工事」が幕を開けた。




