第16話:湯加減はいかが?セレスとの大浴場チェック
クリスタルスライムによる水質浄化と、熱源である魔獣の器官の安定稼働。
これら二つのインフラが完璧に噛み合ったことで、リアンは次なる大型施工へと着手し、そしてついに完成させた。
「……よし、注水完了。熱交換の効率も計算通りだ」
シェルターの居住区から少し離れた岩肌を大きくくり抜いて作られた空間。
そこには魔獣の分厚い甲殻をタイル状に敷き詰めた、優に十人は入れる巨大な『大浴場』が広がっていた。
天井には結露した水滴が落ちないよう絶妙な傾斜がつけられ、新設した強力な換気ダクトが余分な湿気を吸い出している。
岩の浴槽には青白く澄み切った極上の湯がたっぷりと満たされ、心地よい湯気を立ち昇らせていた。
「本当に、こんな巨大なお風呂を作ってしまうなんて……」
入り口で様子を見ていたセレスが、信じられないといった顔で湯気を見つめている。
彼女はリアンが用意した、魔獣の薄い被膜を加工して作った湯着(ワンピース型の防水布)を身に纏っていた。
「水と熱があるなら、入浴設備を整えるのは保全士として当然のタスクだ。肉体の疲労回復と衛生管理において、これ以上のインフラはない」
リアンは腰までお湯に浸かりながら、手にした魔力温度計で湯の表面と底の温度差を計測している。
その目つきは娯楽として風呂を楽しんでいるというより、納品前の最終テストを行う現場監督のそれだった。
「セレス、お前も入ってくれ。水質と肌への影響、それに種族ごとの体感温度のズレをチェックしておきたい。あくまでテスト(仕事)としてだ」
「え、ええ。わかっているわ」
セレスは少し頬を赤らめながら、ゆっくりと岩風呂の縁から足を入れた。
ちゃぷん、と澄んだ音が響く。
「……あっ」
足先から伝わる、とろけるような温かさ。
クリスタルスライムが磨き上げた純水は肌にまったく引っかからず、真綿のように全身を優しく包み込んでいく。
セレスは肩までお湯に浸かると、たまらず「ふぁぁ……」と色気のない、しかし心からの安堵の吐息を漏らした。
魔王城での血なまぐさい生活でも、こんな贅沢な真似はできなかった。
温かいお湯に全身を預け、何の警戒もせずに無防備になる。
それは彼女にとって、究極の「癒やし」だった。
「どうだ、温度は?ダークエルフの平熱から逆算して、四十一度に設定してあるんだが」
リアンが真面目な顔で尋ねてくる。
「完璧よ……。熱すぎず、ぬるくもない。体の芯の、ずっと凍りついていた部分まで溶けていくみたい……」
湯気でほんのりと上気したセレスの顔は、普段の鋭い中ボスの面影はすっかり消え、年相応の美しい少女のものになっていた。
濡れて肌に張り付く湯着が、彼女のしなやかな体のラインを強調している。
「そうか、ならよかった。あとはお湯の『対流』だな。熱源の配置上、少し右側の水流が強いはずだ。手でかき混ぜてみてくれないか」
「こ、こう?」
セレスが言われた通りに、水面の下で手を動かす。
リアンもまた、温度のムラを確かめようと腕を伸ばした。
お湯の中で、二人の手が、ふいに重なり合った。
「あ……」
「ん……」
ツルリとしたお湯の感触越しに、互いの体温が直接伝わってくる。
普段の作業中なら、道具の受け渡しで手が触れることなどいくらでもある。
だが、この温かい湯気と、互いに薄着であるという非日常的な空間のせいか、その一瞬の接触は、電流のように二人の意識をショートさせた。
セレスはビクッと肩を震わせ、慌てて手を引っ込めた。
紫色の瞳が激しく揺れ、湯気以上に顔を真っ赤にしている。
「ご、ごめんなさい、私……」
「い、いや、俺の方こそ、確認もせずに手を出して悪かった」
リアンもまた、普段の冷静な職人の顔を崩し、気まずそうに視線をそらした。
静寂に包まれた大浴場に、チャプ、チャプという微かな水音だけが響く。
先ほどまでの「テスト(仕事)」という建前が吹き飛び、二人きりの男女という事実が、急に強烈な輪郭を持ち始めていた。
互いに命の危険を潜り抜けてきた間柄だ。
信頼は既にある。
だが、こういう「平穏な時間」を誰かと共有することに、二人はひどく不慣れだった。
「……でも」
沈黙を破ったのは、リアンだった。
彼は手元のお湯を弄りながら、ぽつりと言った。
「一人で入るには、少し広すぎたな」
「え……?」
「インフラの稼働効率を考えれば……こうして誰かと一緒に入ったほうが、お湯の熱を無駄にしなくて済む。実に合理的だ」
それは、照れ隠しのための理屈っぽい言い訳だった。
だがその不器用な言葉の裏にある「これからも一緒にこの時間を共有したい」というメッセージを、セレスは正確に受け取っていた。
「……ふふっ」
セレスは小さく吹き出すと、赤い頬のままリアンに向かって柔らかく微笑んだ。
「ええ、そうね。あなたが作ってくれたこの素晴らしいお風呂……一人で使うなんて、もったいなさすぎるわ。明日からも効率のために協力してあげる」
「ああ。頼む」
温かいお湯から上がり、リアンは防水の羊皮紙に『大浴場・初期稼働ログ』を几帳面な文字で書き込み始めた。
セレスは何も言わず湯冷めしないように毛皮を羽織ると、リアンのすぐ隣に極めて自然な動作で腰を下ろした。
記録を続ける木炭ペンの微かな音と、二人の穏やかな呼吸音だけが、ぽかぽかと温かい空間に静かに溶け込んでいった。
ついにお風呂が完成しました!リアンの徹底した温度管理と、セレスの無防備な姿。
仕事熱心すぎるリアンと、少し意識し始めたセレスのやり取りにニヤリとしていただけたら幸いです。
殺伐とした迷宮の底に「文化」が生まれるワクワク感を、これからも大切に描いていければと思います。




