第13話:全自動ろ過装置とクリスタルスライム
巨大なマッドスライムの体内で、不規則に、そして半拍遅れて明滅を繰り返す弱々しい核。
限界を超えた「自律型フィルター」を救うため、リアンは即座に施工の段取りを頭の中に組み上げた。
「……まずは循環路だ。あの水脈を、借りるぞ」
リアンの明確な工程宣言に、警戒を解かずにいたセレスが即座に反応した。
「本気なのね。なら、その泥と毒素を洗い流すためには、ただの水じゃだめよ。中和剤が必要になるわ」
彼女は元中ボスとしての知識を総動員し、鋭い視線を未開の通路に向けた。
「この『枯れ谷』を少し下った先に、強いアルカリ性を持った『白灰石』の鉱脈があるわ。私が削り出して持ってくる。あなたは水路の確保に専念して」
「助かる。頼んだぞ」
迷宮を知り尽くしたパートナーの的確なサポート。
役割を完全に分担できる相手がいることで、リアンの作業速度は劇的に跳ね上がる。
セレスが音もなく暗闇へと駆けていくのを見届けると、リアンは魔力駆動のツルハシを構え壁面に露出していた岩盤へと向き直った。
第一の工程は『取水』だ。
リアンは、事前調査で把握していた地下水脈の正確な位置へタガネを打ち込み、慎重に岩を砕く。
ゴバァッ!と勢いよく噴き出した冷たく澄んだ水を、彼が瞬時に岩を削って形成した溝が受け止め、狙った方向へと誘導していく。
第二の工程は『一次沈殿』。
リアンはシェルターの端に、深さの違う三つのプール(槽)を階段状に掘り抜いた。最初の最も深い槽に水脈からの水を引き込む。ここで水の流れを意図的に緩やかにすることで、スライムから剥がれ落ちるであろう重いヘドロや大きな不純物を物理的に底へ沈澱させる仕組みだ。
そこへ、大量の白灰石を抱えたセレスが戻ってきた。
「持ってきたわ。これで足りる?」
「十分だ。さすがだな」
リアンは受け取った白灰石を魔力ハンマーで粉々に砕き、自作のフィルターを噛ませて二つ目の槽――『中和槽』へと流し込んだ。
白く濁った水が、かすかに発熱しながら槽を満たしていく。
リアンは魔力ルーペで水質を確認し、ミリ単位で石の量を調整して、スライムの酸性毒素を安全に中和できる完璧なpH値の溶液を作り上げた。
第三の工程『中和』の完了だ。
「よし、準備は整った。……来い、お前を洗ってやる」
リアンは防護手袋をはめた手で、苦しそうにうごめくマッドスライムを抱え上げた。
強烈な腐臭と、手袋の表面をジリジリと溶かそうとする酸の痛みが伝わってくる。
だが彼は顔色一つ変えず、まずはスライムを最初のプール――『一次沈殿槽』の澄んだ水の中へと沈めた。
ボコッ、ボコボコ……。
意図的に緩やかに作られた水流によって、スライムの表面にこびりついていた分厚いヘドロの塊が次々と剥がれ落ち、ゆっくりとプールの底へ沈澱していく。
大まかな物理的汚れが落ちて一回り小さくなったスライムを再び抱え上げると、リアンは間髪入れずにそれを二つ目のプール――『中和槽』の白濁した水の中へと移した。
ジュウウウゥゥゥッ!!スライムの表面を覆っていた猛毒の泥がアルカリ性の水と反応し、激しい白煙と泡を上げて溶け始める。
「温度上昇が速い。あと三十秒遅ければ、核が酸で割れていたな」
リアンは両手でスライムを水の中に押さえつけた。
急激な環境変化に驚いたのか、スライムがパニックを起こして槽から逃げ出そうと暴れた。
「こら、暴れるな!ここが一番きつい工程だ。だが、これを耐え抜けばお前の機能は完全に修復される。元の綺麗な姿に戻れるんだ、もう少しだけ我慢しろ!」
リアンは逃げ出そうとするスライムを、両手でしっかりと水の中に押さえつけた。
表面の泥を落とすだけでは意味がない。
スライムの体内にまでびっしりと詰まった毒素を排出しなければ、自律型フィルターとしての機能は回復しないのだ。
ここからが第四の工程、『循環ポンプ』の作動である。
リアンは自身の魔力を水に流し込み、槽の中に人工的な水流の渦を作り出した。そして、ルーペ越しにスライムの核の動きを凝視する。
(……こいつの呼吸(収縮運動)のリズムに合わせろ。逆らえば、中身が破裂するぞ)
ピクッ、とスライムが縮む瞬間に水流の圧力をかけ、膨らむ瞬間に引く。
リアンは自らの魔力コントロールを、スライムの生体リズムと完全に同期させたのだ。
リアンの作り出す水流が、スライムの体内に清浄な中和液を強制的に送り込み、奥底にこびりついていた真っ黒なヘドロを次々と外へ押し出していく。
吐き出された汚水はオーバーフローして下の槽を通って浄化され、再び水脈へと還っていく。
数時間に及ぶ、息の詰まるような精密な洗浄作業。
リアンの額からは大粒の汗が流れ落ち、魔力を消費し続けた指先が微かに震えていた。
セレスもまた、固唾を呑んでその光景を見守っている。
「……もうひと息だ。全部、吐き出せ……っ」
リアンが祈るように呟いた、その時だった。
ドクンッ!!
半拍遅れて弱々しく明滅していたスライムの核が、突如として力強く、そして正確なリズムで眩い光を放った。
第五の工程、『核の再起動』が完了した瞬間だった。
内側から溢れ出た光が、スライムの表面に残っていた最後の泥の膜をパチンと弾き飛ばす。
チリ……と、薄いガラスを指で軽く弾いたような、美しく澄んだ音が鳴った。
「あっ……」
セレスが思わず感嘆の声を漏らした。
中和槽の中から姿を現したのは、悪臭を放つヘドロの塊などではなかった。
内部の核の光を乱反射し、まるで極上の宝石のように透き通った、まばゆい『クリスタル・スライム』だったのだ。
「……ふぅ。見違えたな、同業者」
リアンが疲労交じりの笑みを浮かべて手を差し伸べると、クリスタルスライムは嬉しそうに震え、プルンと跳ねてリアンの胸元にすり寄ってきた。
酸性の刺激も、腐臭も、もう微塵もない。
ひんやりと心地よい清浄な水の感触だけがあった。
ひとしきりリアンに甘えた後、クリスタルスライムは自らの意思でコロンと床に飛び降りた。そして、リアンがシェルター内に敷設した温水パイプの吸水口を見つけると、躊躇うことなくその中へと自ら潜り込んでいった。
「ちょっと!どこに行くの!?」
セレスが慌てるがリアンは静かに首を振った。
「放っておいてやれ。あいつは『清掃業者』だ」
パイプの中をクリスタルスライムが驚くべきスピードで駆け巡っていく。
リアンが流していた温水だけでは取りきれなかった微細な水垢や魔力の澱みが、生きた洗浄ロボットであるクリスタルスライムの能力によって次々と分解され、ピカピカに磨き上げられていく。
結果としてパイプを流れる水はさらに高い純度を保ち、シェルター内の空気は驚くほど澄み渡った。
「すごい……」
セレスは一切の淀みがない透明な水が満たされた水甕を見つめ、ほぅっと息を吐いた。
「これなら、いつでも極上の水が飲めるし……身体だって綺麗に洗えるわね」
「ああ。あの細いパイプを隅々まで掃除できる手は、俺にはなかったからな」
リアンは腰のポーチから布を取り出し、泥で汚れた魔力ツルハシを丁寧に拭き上げながら言った。
「優秀な配管清掃人が一人増えたな。これで、ここの水回りのインフラは一生安泰だ」
勇者たちに虐げられ、壊れかけていた職人が、過労で死にかけていたインフラ側の魔物を救う。
その結果、殺伐とした地下迷宮の底に、人間と魔族、そして魔物による、圧倒的に清潔で快適な「共生のインフラ」がまた一つ、完璧な形で完成したのだった。




