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【小説】火と悪夢と境界線

掲載日:2025/12/17

 出前の麻婆丼を半分ほど食べたところで、急に箸が止まった。

 もう食べたくない。歳だろうか。

「──以上がざっとした報告になります」

 メモを見ながらそう言った部下は、机の上にあったエナジードリンクを一息に飲み干した。

「そんなもんよりメシを──」

 いや、俺だって食えてないな。

 それに浮浪者の一人や二人が死んだところでそれが何だと言うのだ、そう言いかけて口を噤んだ。

「いや、なんでもない。行くか」


 部下に俺の車の鍵を放る。

 心得ている部下は運転席に収まり、俺は助手席に腰を下ろした。

 最近はずっと運転していない。

 それでもこの車を売れずにいる。

 寝取られってやつか?ぼんやりと眠い脳みそでそんなことを考えていると、部下がさっきの報告の続きを始めた。

「殺されたのは度外視のヤスと呼ばれる浮浪者で、身元が判る様なものは一才持っていませんでした。

 第一発見者は、と言うか彼もまた被害者なんですけど浮浪者仲間の男でワタナベサツキと名乗っていますが裏は取れていません。

 加害者は地元の不良グループです」


 地元の悪ガキと浮浪者のトラブル。

 よくある話だ。喧嘩慣れしてないガキが手加減間違えて殺しちまう、そこまで含めてよくある話だ。

 俺はコンソールボックスを開けて洗顔シートを出してみたが、殆ど蒸発していてあまり役に立ちそうに無いので不貞腐れた顔をしてみた。

「それ、窓から捨てないで下さいよ」

 舌打ちを堪え、乾いた洗顔シートで鼻くそを穿りダッシュボードに投げる。

「続き、訊かないんですか」

「あるならさっさと話せよ」

 欠伸をしながら続きを促す。

「その学生たちが異常なんですよ」

「異常だから殺すんだろ」

「そうじゃないんです、だから我々が呼ばれたんです」




 我々、ねぇ。

 その皮肉めいた嘲笑が今の俺に向けられたものなのか、それともその怠惰な過去に向けられたのか曖昧なまま、俺は目を閉じた。

 先送りしよう。

 眠りの境界線だって曖昧なのだ。

 矛先も異常だと言われる奴らも全ての境界は曖昧なのだ。

 ざまあみろ。


 カチカチというハザードの音で目を開けると、今まさに車が停まり、運転していた部下がサイドブレーキを引こうとしている瞬間だった。

 眠ったのか。

 ほんの数分だろうが、久しぶりに熟睡した気がする。

「おはよう御座います」

 と言う部下の愛想に返事をしないで車を降りた。

 そしてすぐに、部下の言う通りで確かに何かが狂っていると思った。

 


 俺も狂っている。

 だがコイツらも狂っている。

 閉鎖した産廃処分屋に棲みついた浮浪者たちと、彼らを遊びで痛ぶる若者。

 どこにでもある話だ。

 そうなってまで生きてる浮浪者たちも狂ってるし、そいつらを遊びで殴るガキたちもそうだ。

 だが大抵は途中で飽きて何処かへ消える。浮浪者には抵抗する体力もあまりない。

 それはそのまま飽和だとか死に直結する。

 今回は後者に繋がった。



 それでも今回だけは違う。

 若者たちは何処にも行かなかった。

 その場に残った。

 いや、これは残ったと言うのだろうか?

 残ると言うのは自分の意思で行うものだが、いま現場にいる彼らからは一切の意思を感じられない。




 頭が中国のかぶり面ほどに膨れ上がった男がいた。

 ドス黒く変色した巨大な頭部はもはや鉄かと見紛う程で、しかしその巨大な頭を載せる体は至って普通であり、坐禅を組んで銀杏の木の下に座っている。

 そしてなぜか「うさぎ、うさぎ」と叫び続けている。

 俺はそれを指差して「何だいありゃ」と訊くと、部下は訳もなさそうに「加害者のひとりです」と言った。

「確かに、狂ってるな」

 これが眠りの続きであれば楽なのにな。




 次に見た男も異常だった。

 そいつはフード付きのトレーナーを着ていたが、異常なのは頭まで被ったそれが本来なら頭を出すべき部分や手を出す袖を全て縫い合わされており、そこから細いデニムを履いた足だけを出して立っていたのだ。

「最近はああいう服が流行っている、訳じゃないよな」

 部下は頷いた。

 微動だにしないその男は、しかし良く見ると静かに呼吸しながら肩を僅かに上下させていた。

「蒸れないのか、アレ」

「状況に慣れるの早くないですか」

 それはな、世界が狂っているのを俺は知っているからだよ。お前もいずれそうなるさ。



 異常なツアーはまだ続く。

 さらにその奥には鉄柱に脛をぶつけ続けている男がいた。

 ぶつけると言うよりは鉄柱を蹴り込んでいるようで、まるでムエタイの修行だなと思ったが、目の前にいるムエタイ選手に見えない細い体躯の男は顔ひとつ変えない。

 その男はハンサム顔をこちらに向けると

「刑事さん?刑事さんでしょ?

 ねぇ、そこの棒で俺の脛を殴って下さいよ。お願いします、痛くないんですよ、おかしいんだ。血も出ないし、俺は機械になっちゃったんですか」

 近くにいた制服組に抑えられてもなお、脛を殴ってくれと懇願していた。



 あとは浮浪者の死体。

 昭和の無惨絵画家だってこんなもん描いたりしないだろう。

「それで、薬物反応も無しでこうなっていると言うのか」

「はい」

「そうか、参ったな」

 何も分からない。分かりたくもない。

 異常なガキの事なんか分かったって何にもならない。



 産廃屋の隅に立てかけてあったパイプ椅子を広げて座る。

 特に汚れも何も無い。

「ところで殺された浮浪者、何だっけ。度外視のヤス、何だその度外視って二つ名は」

 待ってましたとばかりに部下が答える。

「何でもアルコールならパーセンテージを問わずに何でもありがたがって飲むから、だそうです」

「何だ、そりゃ」

 アル中の浮浪者ってのはよく聞くが、それにしても凄みがある。



 ふと悪い冗談を思いついた。

「メチルアルコールでも飲むのか」

「それ、あの大学生たちと同じ発想ですよ」

 部下の顔は笑っているのか引いているのか分からなかった。

「何だと?」

「あいつら、度外視のヤスと言う二つ名を聞いてメチルアルコールを飲ませようとしたみたいです」

「そこまでは狂って無いってことか」

 飲ませてないならな。

 だがその遊びがどうしてこうなった?

「ここら辺には祟る神さまでもいるのかね」


 部下は顔を顰めた。

「先輩、冗談キツいですよ」

「そう思うって事は、お前も似たような事を考えられるって事だ。

 ただ境界が俺より曖昧じゃないってだけだろ」

「なに言ってんすか」

「大人になりゃ分かるさ」

 曖昧な言葉で煙に巻いて逃げる。

 大人の狡さだ。

「半人前扱いは良して下さい」

 部下は真剣にムッとした顔をした。

 舐められるのは嫌いだよな。

 俺だってそうだ。



「むしろ境界が曖昧になってるのが老化なら俺の方が半人前だな」

 俺は笑って部下の肩を叩くと、腰に差した拳銃を引き抜いて咥えた。

「アハハ、鉄って不味いよな」

 呆気に取られる部下を再び笑い飛ばして、涎まみれの拳銃を部下のコートで拭った。

「俺が色気を出して一人前に戻ろうとしたら遠慮なく撃ってくれ」

 ポケットの中で指先が煙草に触れた。

 だがライターは見つからない。




「火はあるか」

 煙草を咥えて、火を貸してくれと手を伸ばした時に

「手は境界が明確で良いな」

 と言うと、部下は愛想笑いで応えながら撃鉄が起きたままの拳銃を流れる様に俺に向けると引き金を引いた。

 乾いた鉄の音は、笑っているのか泣いているのか分からなかった。

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