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第65話 新たな翼





「よし、乗せるぞ。三、二……いけッ!」


谷の朝霧が薄らぐ頃、風鏡山群の旧研究棟の一角――かつて魔導飛行の試験区画だった空洞にて、巨大なクレーン式魔導リフトが、金属の翼を静かに吊り上げていた。


吊られているのは、カイの愛機〈シルヴァ=ヴァルザン〉。


銀白の機体は、普段の凛々しい飛行姿ではなく、翼を閉じたまま“手術台”のような昇降台に縛り付けられていた。装甲の一部がすでに剥がされ、骨格構造がむき出しになっている。


「見てると胃が痛むな……」


カイが、腕を組んで唸った。


「お前が“改造してくれ”って言ったんだろうが」


横でイグザスが、ケーブルを繋ぎながら冷たく返す。


「それはそうだけどよ……裸にされてるみてぇで、なんかこう、落ち着かねぇんだ」


その横で、ゼンは工具箱を持ちながら無言で手を動かしていた。


彼が担っているのは、〈風圧調整ベーン〉の再配置――要するに、“風を読むための触覚”の設置だ。


「空気に好かれる機体」は“空気の抵抗を減らす”のではなく、“風の流れに素直に従う”ことで達成される。


そのために従来の“対抗的装甲”を削り、“受動的な形状記憶合金”に切り替える必要がある。素材には、イグザスが隠し持っていた“曲流鋼フォール・アロイ”が使用された。


「フレーム構造はどうだ」


カイが尋ねる。


「骨格は生きてる。だが、この艇の問題は“自己修正機能”がないことだな。負荷が蓄積すれば、次の飛行で一気に崩れる可能性がある」


「つまり?」


「人間で言えば、“筋肉が動きすぎて関節を壊す”って感じだ」


イグザスの返答に、カイは眉をしかめた。


「そんなヤバい状態だったのか、うちの子」


「今までは“お前の腕力”で無理矢理動かしてただけだ。相当な無茶をしていたんだろう、こいつ」


イグザスは言いながら、慎重に熱処理済みの新型翼端制御板を取り付ける。


〈シルヴァ=ヴァルザン〉の外装材である“シルヴァルコア”は、加工時に魔素が暴走しやすく、通常の溶接やリベットでは固定できない。


そのため、取り付けには“魔導圧着焼結フュージョン・マウント”という高難度の技術が必要だった。


「……なぁ、イグザス」


彼が工具を触っている合間に、ゼンがふと口を開いた。


「ふと思ったんだが、なんでお前は技師になろうと思ったんだ?」


イグザスは一瞬だけ工具を握った手を止めた。そして視線を少しだけ遠くに向けたまま、小さく笑った。


「……昔の話になるが」


彼はふと腰を下ろし、背後の試作パーツの箱に肘をついた。


「俺が生まれたのは、機械都市オルディアの技術研究区画だった。壁も床も金属、空すら見えない鉄の街さ。子供の頃から“数字の優劣”で序列が決まる場所でな。魔力指数、記憶力、計算速度。そんなもんで、幼い俺たちは互いに順位を争ってた」


オルディア――それは大陸の東端、かつて鉱山都市として興った“鉄の街”だった。


帝国によって「技術研究特区」として再構築されたこの都市では、空すら霞む濃灰色の排気が年中立ちこめていた。天を覆うのは鉄骨で組まれた多層構造のドーム。地下には千を超える研究工房と整備管路が走り、地上には巨大な演算機群と魔導炉が吐き出す熱が充満していた。


都市の生活音は、蒸気の噴出音、機械の駆動音、遠くで鳴る警報と、数値入力端末のリズム。子どもたちでさえ、遊びの代わりに回路パズルや実験競技で“頭の性能”を競わされた。


「研究者の卵」として扱われることは名誉だったが、それは同時に“個人”を失うことでもあった。名ではなくIDコードで呼ばれ、定時には血中魔素濃度を測られ、知能指数は常に数値で張り出された。


イグザス・ベルネロもまた、その都市に生まれた。


母は魔導機工学の主任技師、父は帝国軍技術局の軍属兵器開発官。姉は若くして論文を発表し、十代で大学術局に推薦された。家族全員が“完成された理論の中で生きる人間”だった。


だが――イグザスは違った。


彼の成績は中の上。計算も暗記もそれなりにはできたが、いつも「理解は早いが応用が雑」「勝手に改造して故障させる」「規格外に興味を持ちすぎる」と評価された。事実、課題の回路構成を無視して“より速く動く形”を勝手に組み替え、逆に減点されるような少年だった。


そして彼は“数字”よりも“形”を見ていた。


鋼板の湾曲、管の共振、風の通り道――それらに宿る「意味のない美しさ」に心惹かれていた。だからこそ、教室の片隅でスケッチ帳に描くのは、課題の設計図ではなく“誰も見たことのない飛空艇”ばかりだった。


実験室では白衣の少年たちが整然と配列を並べる中、イグザスだけは廃棄部品置き場に潜り込み、壊れたフレームを拾っては組み直していた。


教師たちはそれを「無駄な遊び」と切り捨てた。だが、彼にとってそれは、ただの遊びではなかった。


機械がどう動くのかではなく、“どう在りたいと思っているのか”を、彼なりに探ろうとしていたのだ。


そんなある日、彼はふと見た。実験塔の外壁に沿って吹き抜ける風の流れが排気熱と交差しながら、金属片を一瞬だけ空に持ち上げる光景を。


誰かが投げ捨てた小さな部品だった。だが、風はそれを拾い上げるように静かに持ち上げ、そして滑らかに落とした。


そのとき、彼の中に芽生えたひとつの感覚があった。


――風は、生きている。


それを本気で考えたのは、あの瞬間が初めてだった。


だからこそ、彼は数字では測れない「風の形」を探り始めた。


学会では“未証明の妄想”と嘲笑され、教授には「遊びは辞めなさい」と言われ、家族には「無駄な努力」と見放されかけた。だが、イグザスはやめなかった。


なぜなら、彼にとってそれは“夢”ではなく、“証明されていない現実”だったからだ。


「最初はな、負けないつもりだった。母は技師、親父は軍属、姉も研究員……いわば“血筋が良い”とされてた家系だった。だから俺にも周囲は期待した。だが実際の俺は、ちょっと捻くれていてな。それまでにあった常識的な設計や、“完成された理論”にはまるで興味がなかった」


「完成された理論、ね……」


「そう。誰かが考えた数式や設計書をなぞるだけの毎日は、俺にとっちゃ何より退屈だった」


イグザスは、懐から古びた図面の切れ端を取り出した。


「これは、俺が七歳の時に描いた、初めての“空想機体”のスケッチだ。構造はメチャクチャだし、理論も無視してる。ただ、“空を滑るように飛ぶ船”ってイメージだけで描いたもんだ」


ゼンが覗き込むと、そこには確かに、子供の手で描かれた稚拙な図面があった。だが、曲線の美しさと全体の流れには、すでに今のイグザスの片鱗が宿っていた。


「提出したら、教師にこう言われた。“こんなものは飛ばない。無意味だ”と」


イグザスの声に、僅かな苦笑が混じる。


「でも俺は、それが悔しくてな。自分の思い描いた形が“誰かのルール”で否定されるのが、どうしても許せなかった」


「……だから、自分で飛ばすことにした?」


「そうだ。“飛ばない”と言われたなら、“飛ばせばいい”と考えた。誰かの理論をなぞるんじゃなく、自分の“イメージ”を形にして、それが空に受け入れられるかどうか――それだけが、俺にとっての“真実”になった」


ゼンは無言のまま、イグザスの手元を見つめていた。


彼の工具捌きは、一切の無駄がなかった。それは長年の経験と研ぎ澄まされた直感、そして何より“信じているもの”に対する誠実さが表れていた。


「……空は、拒まないんだよ」


小さく、しかしどこか切ない声音だった。


「帝国でも現場でも、人間はすぐに“選別”する。力があるか魔力があるか、血筋がどうだ……ってな。だが飛空挺は違う。一から作れるからこそ、何にも縛られずに自分が思い描いてる形や線を描ける気がするんだ」


ゼンは黙って、その言葉を聞いた。


言葉には出さないが――どこかで、自分と似ていると感じていた。


戦場に背を向けた者。力を持ちながら、それを使わないことを選んだ者。


「……なるほどな。だから、お前の設計には“否定”がない」


「空に拒まれたくないだけさ」


イグザスは再びケーブルを繋ぎながら言った。


「だからこの艇も、従来の出力増強じゃなく、同調型の魔力制御に切り替える。お前の“感覚”で操れるようになるぞ」


カイが目を丸くする。


「オレの……感覚って、そんなアテになるのか?」


「問題ない。こいつを見りゃわかる。…ずいぶん無茶をしてきたんだろうが、それでもただの飛行士じゃないことは明らかだ。触ってりゃ、操縦者の飛び方の癖や素質、性格みたいなもんが全部わかる。今回は“そいつ”に機体が合わせるようにするだけだ」


言葉に、誰よりも重みがあった。


「……そんなこともわかんのかよ」


カイが呆れたように言うと、イグザスは珍しく笑った。


「まあ任せとけ。悪いようにはしねーさ」



作業は丸二日かかった。


まず初日に行われたのは、〈シルヴァ=ヴァルザン〉の既存フレームの“再解析”だった。


骨格構造は、長年の使用でわずかに歪みが生じており、飛行時の振動が微細ながらも持続的に加わっていたことで、“疲労魔導亀裂”が数カ所に発生していた。これらは肉眼では確認できないため、イグザスは“魔力反応干渉装置デヴィアンス・スキャナ”を用いて検出し、最も劣化が進んでいた中部接合支柱をまるごと取り替える必要があった。


使用された代替材は、“練精化フォージ鋼”に“風素結晶”を融着した複合材で、空間歪曲や気圧変化への耐性を持ちながら軽量性も保たれている。接合は“高周波魔導炉”によって、数秒間のうちに魔力レベルを同調させて固定する方式が採られた。


ゼンは終始、主に補助と調整作業を担当した。


彼が担った“風圧調整ベーン”の設置作業では、まず機体の両翼端にある空力境界層の分離点を計測し、風の流れが乱れるタイミングを細かく測定。その後、イグザスの指示に従いながら、左右非対称のベーン構造を取り付けた。これは従来の「左右均衡型」では対応できなかった“操縦者ごとの飛行癖”を反映させるためである。


また、カイの操作傾向――特に右旋回時にわずかに急激な制動をかける癖――を考慮し、右側後方の気流調整フィンには“方向感知型魔導シール”が付加された。これにより、魔力量に応じた抵抗変化が発生し、無意識の癖を機体側が自動で緩和する構造となっている。


機体全体の制御系統も、旧式の“硬直式魔力管”から、“伸縮反応型マナ・フロー・チューブ”へと換装された。これは圧力変化と同時に内部の魔力流路を動的に変化させる構造で、瞬時の姿勢制御や緊急上昇時の出力補助に極めて有効な仕組みである。交換作業ではゼンが旧管を丁寧に外し、カイが補助器具で内部清掃を施した後、イグザスが新管の調整を行った。


「……このチューブ、触れた瞬間に魔力の流れがわかるな」


ゼンがそう言うと、イグザスは頷いて答えた。


「ああ、“感じる”のが正しい。それが、この艇のコア・フィロソフィーだ。数値で操るんじゃなく、“肌で知る”飛行が軸になるからな」


さらに、機体の中枢には“風律核エア・ハーモナイザー”が新たに組み込まれた。


これは風の流れに含まれる微弱な魔素振動を読み取り、機体の姿勢制御にフィードバックする装置で、要するに“風と会話するための耳”にあたる。設置には音響魔術の知識も必要とされ、イグザスが過去に開発した“音振共鳴板”を流用して取り付けた。


艦橋内の操縦席も従来のレバー式操作から、カイ専用に設計された“半感応型”の制御台へと一新された。


これは座席に組み込まれた微細な魔導センサーが操縦者の身体反応――体重移動、筋肉の微振動、視線の向き――を検知し、必要な操作信号を予測生成するシステムだ。もちろん誤作動を防ぐため、最終的な制御権限は操縦者に残る“セミ・マニュアル型”だが、反応速度は従来比で47%の向上を記録した。


艦体表面の装甲材にも、細やかな調整が施された。


従来の金属系外装では風との摩擦で微細な渦が発生しやすく、それが飛行中の振動やノイズの原因になっていた。今回採用された新素材“シルヴァルコア改Ⅲ型”は、微細な風粒子の流れを表層で“転がす”ように誘導し、摩擦係数を極限まで低減させる。


その仕上げとして、全体の魔力流路を最適化する“オーバーマナ・シンク”が導入された。


これは機体全体の魔力の偏りを調整し、出力ロスを最小限に抑えるための「魔力の血流システム」のようなものである。イグザスが専用の魔導モニターで行った最終チェックでは、全系統の魔力流路が“脈動なく、穏やかに流れている”という理想状態を記録した。



こうして――


ついに〈シルヴァ=ヴァルザン〉は、新たな翼を広げる。


展開式の風切り翼は、形状記憶構造により微細な気流にも対応し、船体全体がかつてないほど“静か”な気配を纏っていた。


「……どうだ?」


イグザスが聞く。


「……完璧だ。あんた、本当にイカれてるな」


カイはそう言って、機体を撫でた。


「準備できたら試運転だ。空に聞いてみる。こいつが、“気に入ってくれたか”どうか」


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