第44話 土台を支えるもの
もともとこの土地――灰庵亭の裏手に広がる畑の一画は、約百坪ほどの広さがあった。
今ある建屋を建てたとき、将来的な拡張も見越して整地だけはしておいた。とはいえ、当時は「どうせ使わんだろ」と思っていたんだが……まさか本当に使う日が来るとは。
「……まあ、備えておいて損はなかったか」
地形はなだらか。南に向かって微妙に傾いているが、水捌けとしてはむしろ好都合だ。周囲は自家製の防獣結界で守られているし、地中に古い魔力鉱脈もない。
そう、ここは“建てられる場所”なんだ。
「さて、土台だが……」
この世界の建築技術では、基礎の土台に“魔力混練石”を使うのが一般的だ。これは砕いた石材と特定の魔法陣によって加工された砂を混ぜ、魔力を通して圧縮・強化するもので、いわば魔法と物理の融合技術だ。
通常の建物であれば、五坪程度に対して一本の“基柱石”を配置する。しかし、今回は五十坪。
単純に考えて、基柱石は十本以上、加えて連結用の“練岩ベース”を全体に敷き詰める必要がある。土台だけで、建材の三分の一が消えるだろう。
「ゼン親父、こっち、鍬で掘りきれない岩盤があるよー!」
「了解。少し下がってろ、今、刻み符を――」
手元の符に魔力を込める。紫の光が閃いた瞬間、地面の硬い岩盤が“すうっ”とナイフで切り取ったように分断された。
「うおっ……これが“分割刻み”か……!」
ライルが目を丸くする。初めて見る魔導工法に、空賊団の連中も興味津々の様子だ。
「これはな、精密工事用の刻み符。帝都の建築局の旧型だが、精度は高い。岩を傷つけずに切り分けられる。魔力量は喰うがな」
「へー……魔法で切れるのに、なんでスコップも使うの?」
「魔法だけだと地中の感触がわからん。地脈に触れれば建物が歪むし、水脈を壊せば湿気がひどくなる。だから、最後はやっぱり“手”だ」
俺の言葉に、誰もが静かに頷いた。
文明がどれほど発展しようと、最後に頼るのは、足と、目と、手の感覚。建築とは、“触れる”技術でもあるからな。
第二棟の設計において、俺は床面をあえて土間式にしようと決めていた。石敷きではなく、魔法加工を施した土床。夏は涼しく、冬は熱を保ち、足裏から伝わる感触も柔らかい。
「親父ー! 柱石、あと三本運び終わったっす!」
「よし、角は“嵌め組み”にするぞ。あらかじめ墨を打っておいた。そこに合わせて水平を取れ」
「親父、水平器とかあるの?」
「あるにはあるが、信用してない。水壺を使う」
ガルヴァ式建築では、昔ながらの“水壺水平法”が主流だ。壺に水を張り、周囲の水面の位置で傾斜を測る。魔力の影響も受けにくく、精度も高い。
「……で、親父。この土台が終わったら、いよいよ棟上げ?」
「いや、その前に“地鳴止め”だ」
「地鳴止め?」
「基礎の四隅に“地固符”を埋めておく。これで地震や地竜のうねりにも耐えられる。山中では、風と土が敵だからな」
地鳴止めの魔符は、かつて帝国軍の陣地構築でも使われていた。俺の旅団が使っていた旧式を再調整し、今では“店”の土台に使っている。
――昔は命を守るため。今は、食を守るため。
変わったようで、何も変わっていない。
「ふぅ……今日の作業はここまでだな」
陽が傾く頃には、土地の半分に柱石が入り終えていた。
手も腰も重い。だが、不思議と“嫌な疲れ”ではない。ひとつの皿を仕上げた後と、よく似た感覚。
「明日からは練岩のベース敷きだな……」
ライルたちが片付けを始める中、俺はひとり、地面に手を当てた。
土が、あたたかい。
そして確かにここに、一つの“店”が立ち上がろうとしている。




