第43話 それでも手を動かす
第二棟――それはあくまで“間に合わせ”のつもりだった。
だが、一度図面に線を引き始めたら、俺の中で何かが変わっていた。
「……本気で、やるんですね」
ライルの声に、俺は頷いた。
図面は魔導紙ではなく、手漉きの羊皮紙に。墨は炭灰と鉄粉を混ぜた自家製。測定は目視と経験によるアナログ作業。だがそれがいい。紙の上に手を這わせ、道具を使い、慎重に、少しずつ描いていく。
「俺は、設計士じゃない。魔導建築士でもない。ただの中年親父だ」
「でも、こういうの得意っスよね、ゼン親父」
「得意じゃない。好きなだけだ」
「それって得意ってことだと思いますよ?」
ライルの軽口に苦笑する。だが、否定はしなかった。
この手で何かを作るというのは、戦いとはまるで違う。命を賭ける代わりに、命を支えるものを作る。剣ではなく、スコップで。魔法ではなく、知恵と汗で。
そんなことを考えながら、俺は線を引く。
第二棟の中心には厨房。これは絶対に譲れない。従来の構造を見直し、調理台は“回遊式”に。中心に立てば、焼き、煮込み、盛り付け、洗い場まで一手にこなせる動線となる。忙しいときでも、なるべく手を止めずに回せるように考えた結果だ。
客席は三十から四十。配置は四方に広げず、L字型に寄せる。これは、客同士が程よく距離を保ちつつも、自然と会話が生まれるようにするため。音が響きすぎないよう、天井には音吸収用の魔繊布を編み込む予定だ。
待合室は簡素に。靴を脱いで座れる長椅子と、魔導暖房石ひとつ。雨の日でも濡れずに済むように軒は深めに設計。簡単な小棚を設けて、傘や荷物も置けるように。
「……こだわってるねぇ」
背後から声をかけてきたのは、カイだった。
「図面引くだけで、そんな真剣な顔する?」
「するさ。どうせ作るなら、後悔しないものにしたい」
「ま、そういうとこは昔から変わんないよな。やるって決めたらとことん"徹底的”って言うかさ?」
「無駄なこだわりってやつだな。だが、俺はそれでいいと思ってる」
手を止めず、言葉を返す。
この食堂に必要なのは機能性だけじゃない。
雰囲気、空気感、居心地――そういった“形に見えないもの”も含めて、すべてが料理の味に繋がる。客が笑って帰るために、空腹だけじゃなく心も満たされる空間を作りたい。
「それに、俺はな……」
「ん?」
「誰かに作ってもらったものより、自分の手で作ったものの方が信用できるんだよ」
「……へぇ」
カイが低く笑った。
「なんだ?」
「いや、そんだけ自分を信じてるって中々すげーなって思ってさ?」
「信じてるわけじゃない。とにかく自分自身を“納得”させたいだけだ」
人に任せて何かが上手くいかなかったとき、「あいつが悪い」とは言いたくない。逆にすべて自分でやっていれば、結果がどうあれ納得できる。
“力”も“食”も“暮らし”も――俺は、それが自分の生き方だと思ってる。
「……ふーん」
そう言って、カイは背を向けた。
その後ろ姿を見送って、俺はふと昔を思い出す。
戦場での設営。負傷者のために作った簡易庵。雨よけ一つ、焚き火の位置一つで生死が分かれた日々。
――そういえば、あのときも図面を引いていたな。
“守るため”の陣地を。“奪わないため”の拠点を。
そして今、俺はまた図面を引いている。
「……さて、次は構造材の計算か」
夜は深い。焚き火もとうに消えている。
だが、俺はまだ手を動かしていた。




