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第83話 ほんとそういうところ



「ほんと、あいつは……」


小さくつぶやきながら、指先で点呼端末にエコル・リングをかざす。微かな共鳴音が指先から手首へと伝わり、冷たい振動が体温に溶けていった。


《ID:Zone-A17 / Class-3 / 認証済》

《点呼時刻:06:58 / 許容範囲内》


「雷導候補生、認証確認。Zone-A17、クラス3所属、点呼完了」


無機質なその声が、広場にやけに鋭く響いた。


朝礼が行われるのは、東棟から中庭を挟んで伸びるアーケードの先。女子寮と男子寮はL字に配置され、両棟の中間に広がる中庭が全候補生の共用エリアとなっていた。


この朝礼広場は正確には中央庭園の延長に位置しており、朝の冷気とともにうっすらと霊素の残滓が漂っている。足元には平坦な石畳が敷かれ、靴音が吸い込まれるように静かだ。中庭の低木は霊素循環用に改良されたもので、霧を纏うように薄く輝いている。その淡い光が、まだ目を覚ましきらない広場全体を青白く染め上げていた。


周囲を囲む寮の建物は白銀の外壁と水色に近い反射ガラスで統一され、どこまでも直線的で静謐な印象を与える。冷たい素材でできているはずなのに、不思議と刺すような冷たさは感じない。まるで人の気配や記憶がこの場所に染みついているようで、無機質な空間に仄かな温度が残されているようだった。


上空には未だ朝焼けがかすかに残り、東の空の端に朱が滲む。その微かな紅を反射ガラスがほんのりと受け取っては、どこか遠くに返すように揺れていた。


「おーっす、おはようナツキ姉さん。機嫌なおったかー?」


後ろから聞こえたのは、少しだけ気だるげな声。

振り返らなくてもわかる。


「……おはよ」


隣に立ったのは、いつも通りの気楽な顔で笑うルシアだった。

制服の袖は相変わらず折り返され、髪は適当に結わえてあるだけ。そのだらしなさが気になるわけじゃない。ただ、いつ見てもこの男は“何も背負ってない風”を装うのがうまい。軽口の裏にいくつも考え事を隠して、わざと肩の力を抜いて見せる癖。実際は誰よりも重たい過去を背負ってるくせに、自分から一歩引いた場所に立つその立ち回りはたぶん――誰かが深く踏み込みすぎないようにするための距離感なんだと思う。


「パンツの件、まだ怒ってんの?」


「……」


ナツキは言葉を詰まらせ、眉をひそめた。

一発で思い出すようなワードを、どうしてこうも無遠慮に口にできるのか。


「いい加減許してやったらどうだ?めちゃくちゃ反省してんぞアイツ」


「反省するのは当たり前でしょ」


「気持ちはわかるけど、悪気はなかったんだって」


「悪気があったらもっと殴ってますけど?」


「おー、怖。子供の頃は一緒に風呂とか入ってたりしてただろ?」


「それは“昔”の話」


正直、もう気まずいとか通り越して呆れてる。

あいつにとっては軽いノリのつもりかもしれないけど、こっちはそれで何度振り回されたか。


それに――


「無断でスキルコピーすんなって、今まで何回言ったと思ってるの。今回はそれのせいで暴走まで起こしてるし」


「彼女のためだろ?多めに見てやれって」


……ほんと、そういうところ。


「彼女のため」って言葉を免罪符みたいに使えば、全部許されると思ってる。

結果がどうなったかを見ないで動機だけを切り取るのは簡単だ。

でも暴走したのは事実だし、被害を被ったのは私だし、何より――

あいつ自身が“自分の能力”を制御できてないってことに変わりはない。


助けたい相手がいるなら、まず自分を律するべきでしょ。

誰かのために力を使うなら、その責任も一緒に背負えって何度も言ってきた。

それをまた軽く越えてくるから、腹が立つんだ。


大体「次はない」って言葉をもう何回聞いたことか…。もし何かあったら取り返しがつかないって、ちゃんとわかってるのかな。


「で、その落ち込んでる“本人”は?」


「アイツなら多分訓練棟の裏か、図書セクターの隅で一人反省会してるんじゃね」


――想像がつきすぎて、逆に腹立つんだけど。


ルシアの言葉に、ナツキは思わずため息を吐いた。

きっと今頃頭の中で“あの時の対応はこうすればよかった”とか、“次からはこうするべきだった”とかああだこうだ考えてるんだろうけど、そういうとこばっか器用なんだよね、アイツ。問題の根っこには触れないで、表面だけ整理して反省した気になってる。真面目なのは分かってる。でも、それが余計にタチ悪いっていうか……そもそもなんでこっちが毎回振り回されなきゃいけないのよ。


ま、あんなことあったら無理もないか。


“パンツに憑依”とかいう史上最低の事故案件。


無断コピー。無意識下のスキル暴走。

しかも対象が“布”で、よりにもよって私の下着で、しかも身につけてる最中とか、普通に考えてアウトのフルコンボでしょ。事故だって頭では分かってるし、本人が一番パニックになってたのも見てた。でもだからって「はい、仕方ないね」で流せるほど、私の神経は図太くない。あれは恥ずかしいとか不快とか以前に“一線を越えた”出来事だった。あの時、何が起きたかの全部を言葉にするのは難しいけど――


「……ほんと、あいつは……」


言葉にできない苛立ちが、胸の奥をかすかに波打たせる。


それはたぶん、怒りだけじゃない。


自分でもまだ全部を掴みきれていない感じ。

うまくそれを表にできないまま、胸の奥で霧みたいに広がっていく。

視線を合わせるのが気まずいとか、声を聞くたびに思い出すとか、そんな些細な感情の揺れがどこか自分らしくなくて――

それが一番やっかいだった。


だからって、このまま曖昧にしておきたいわけでもない。

でもちゃんと向き合うには、まだ心の中を整理できてなくて…


「ルシア。朝礼、もう始まるから」


「はいはい、了解しましたよ、お嬢様」


わざとらしい敬礼を返すルシアをよそに、ナツキは寮の廊下を進み始めた。

女子棟の一階から渡り廊下を抜けて、訓練棟へと続く中庭へ。


ガラスの床に霊素の光が滲み、制服のブーツがそれを反射する。

足元に揺れる水のような光。


自分の感情もあんなふうに形を持たず、ただ揺れているだけなのかもしれない。


(……ほんと、面倒くさいのはどっちなんだか)


ナツキは静かに、朝の光の中を歩いていった。


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