第27話 枯骨の谷
「で、その枯骨の谷ってのにはどうやって行くんだよ?」
乗り気なのか乗り気じゃないのかよくわからないテンションであごをしゃくってくるカイに、俺は静かに指をさした。
店の裏手、菜園と薪小屋の間にある獣道だ。
「……あんなとこ通れるのか?見た感じ、獣の寝床かってくらい草ボーボーだが」
「それが正規ルートだ。農作業の合間に踏み慣らしてる。まあ、あんまり人には見せない道だけどな」
「やっぱケチじゃねーか」
「うるさい。あとで迷子になられても困るから言っておくが、ここの山はな――一本道を外れるとどこが北かもわからなくなる。魔力の流れも乱れてるから、感知系の魔法も使えん。下手すりゃ二度と戻ってこられんぞ」
「……っへぇ~。あんたにしては随分と脅してくれるじゃないの。怖い怖い」
そう言いながらもカイは目を輝かせていた。
この手の危険な話をすればするほど、コイツのやる気は上がる。全く困った性格だ。
一通り注意喚起を済ませたところで、俺は倉庫から小型の獣避け鈴と風除け用のマントを手に取った。カイにも予備の装備を放ってやる。
「着とけ。谷に入ると風の流れが変わる。下手に肌を晒すと、魔素を吸って具合が悪くなるぞ」
「へーへー。親父のありがた~い山講座、聞いて損なしってわけね」
カイはぶつくさ言いながらもきっちりと装備を身につけたあたり、なんだかんだで真面目なやつだ。見た目は無頼でも、経験は豊富。だからこそ連れて行けるという面もある。
準備を終え、裏の獣道へと踏み出す。
踏みしめた足元から、早速ぱきりと乾いた枝の音が鳴った。
そこから数歩先、細い杉の木が並ぶ合間にまるで誰かが一人通れるだけの幅の道がうっすらと続いていた。
「これが……正規ルート、ねぇ。いやまあ、悪くはないが。なにより――」
「なにより?」
「――ワクワクしてきた!」
俺の肩を力いっぱい叩きながら、カイは笑った。まったく子供か。
だが不思議と、その無邪気さに救われる時もある。かつて幾度となく戦場で背中を預け合った相手は、今や俺の静けさを乱す張本人でもあるのだが。
「調子に乗って走るなよ。転んでも助けないからな」
「誰が走るか。私はな、冒険ってやつをじっくり味わう主義なんだよ」
そう言いながら、もう少し先を歩いている。絶対聞いてないなこいつ。
踏みしめるたびにサクサクと乾いた草が砕ける音がする。
道なき道とはいえ、足元の岩や根の位置は俺が全て把握している。
何百回と通ってきた道だ。たとえ霧が出ようと夜になろうと、迷いはしない。
「しかしまあ、こんな道があったとはなぁ。おいゼン、こっちの苔やけに青くないか?」
「その苔は“喰い苔”だ。水気に反応して胞子を出す。踏むなよ、靴底が溶けるぞ」
「おい!?」
「そうやって踏もうとしたから言っただけだ」
「おま、もうちょっと早く言えや!!」
2人はまるで漫才のようなやり取りをしながらも、徐々に山の奥へと進んでいく。
道の両脇には低木と苔むした岩が点在しており、ところどころに奇妙な地形が顔を出す。
岩が泡立つように丸く盛り上がっていたり、木の根が地面から浮き出て天井のようになっていたり――この一帯はかつての火山活動と魔素の混ざり合いによって地形が大きく歪んでいる。
「おい、ゼン。あれ見ろよ」
カイが指さしたのは、岩陰に咲く一輪の黒紫の花だった。
「あれは“灰涙草”だ。魔素汚染地にしか咲かない。強い酸を分泌するから触るなよ」
「毒ばっかじゃねーか……この山……」
「だから人が来ないんだよ。静かでいいだろ」
「まぁな……」
その言葉に、カイが少しだけ苦笑いを浮かべた。
30分ほど歩いただろうか。
前方が少し開け、灰色の空が見えてくる。
風が止み、代わりに耳鳴りのような静寂が辺りを包む。
「……ここが、“枯骨の谷”だ」
眼前に広がる光景は、まさに“死の静寂”だった。
樹木はほとんど立ち枯れ、まるで骨のように白く乾いた幹だけが風に軋む音を立てている。
地面は黒い火山灰と斑に広がる苔で覆われ、不気味なまだら模様を描いている。
ところどころ魔獣のものと思われる白骨が半ば土に沈みながら点在していた。
「うわ……名前の通りだな、こりゃ」
「この一帯は、かつて火口だった場所が崩れて形成された地形らしい。噴火と共に死んだ獣や木々がそのまま埋まり、地熱と魔素で変質した……今では“音”が籠もって抜けない構造になってる」
「確かに、なんか息苦しい感じがする……」
カイが肩をすくめたその時、地面の奥から「ゴウン……」という低い音が響いた。
「気をつけろ。グラウベルクが近いかもしれん」
「おう、任せときな」
カイは腰の双剣に手をかけると、緩やかに魔力を解放する。
その気配に反応するかのように、周囲の空気がぴりりと張り詰めた。
「……しかしさぁ」
「なんだ」
「この谷、雰囲気ありすぎだろ。どこかでホラー劇場でも始まりそうな感じだぜ」
「その通りになったら最悪だけどな。魔獣ってのは、驚かす前に無差別に攻撃してくるもんだしな」
「ハッ、上等。私を食えるもんなら食ってみろってんだ」
そう言って剣を抜くカイの姿はどこか楽しげで――
俺はその横顔に、一瞬だけ“戦場の狩人”だった頃の面影を見た。
「こっちだ。獣道を逸れるなよ」
「へいへい、堅物案内人さんよ」
いつも通りの皮肉混じりの返事に、少しだけ笑いが漏れた。
――戦いは好きじゃない。もう飽きるほどやった。
けれどこうして誰かと肩を並べて歩く時間が、それほど嫌いじゃない自分にふと気づく。
「……ゼン」
「なんだ」
「いつかまた、ウチの船で一緒に旅をしねーか?」
「嫌だ。うるさいに決まってる」
「だよな~~!!」
枯骨の谷に、短く笑い声が響いた。
音はすぐに灰と木々に吸い込まれ、再び静寂が戻る。
さて――本命に近づいてきた。
この先に例の“足跡”が残っていれば、狩りの準備は整う。
奴と会うのも数週間ぶりだな。
…会えるかどうかは運も絡むが、今日はいい「狩り」ができそうだ。




