第72話 狙いは一点
ひかりは前屈みの姿勢になりながら、足元の地面に右手をついた。
“電気”
ひかりの属性は雷だ。エネルギーを電気に変換することができ、あらゆる電磁場や電子経路と相関的な関係を持つことができる。
地面に手をついたまま、地中に電流を迸らせた。電流は枝のように分かれながら、地面の中へと駆け走る。この世のあらゆる物質は電気を通す。ただしゴム・木・ガラス・プラスチック・紙・陶器などは絶縁体と呼ばれ、電気または熱を通さない物質も存在する。これらは実際上は電気伝導率、または熱伝導率が十分小さいものを指す。不導体ともいう。
電気や電波が空間を移動する速度(電気が伝わる速度)は、秒速30万km。しかし電流の速さ(自由電子の平均の速さ)は秒速 0.63 mm であり、かなりゆっくり動いていることがわかる。電流の速さは意外と遅いのだが、固定電話の通話は一瞬で伝わるし、部屋の照明もスイッチを入れればすぐに点く。こういった事象を見ると、矛盾するように感じてしまうかもしれない。
が、「電流の速さ」と「電流の増減(電気信号)が伝わる速さ」は実は別物なんだ。
電気伝導に関わる速度は、分別すると以下のようなものがある。
・電界変化の伝わる速さ(=光速)
・電子の速度(=フェルミ速度、約1000 km/秒)
・電子の平均速度(=流動速度 電流に比例 0.1mm/秒/A 程度)
・フィーダー線や同軸ケーブルを通る高周波信号の速度(光速の数十%程度)
電流の速度を考える時に、「電流の速さ=電流の流れる速さ」と考えてはいけない。
「電流の速さ=電流の伝わる速さ」と考える事の方が分かり易い。
「電流の伝わる速さ」というのは、光速と同じと考えられている。
なぜ「電流の伝わる速度」が光速と同じ速さになるのか。電子は原子核の周りをグルグルまわっているが、何かの拍子でその軌道から飛び出してしまう。電子が1個抜けた原子はプラスの電荷を帯びて、飛び出した電子は『自由電子』と呼ばれ、マイナスの電荷を帯びる。さらに、束縛から放たれた自由電子は電子を失った別の原子と結合するが、全ての自由電子がマイナスからプラスの方向にきっちり隣にズレていく訳じゃない。
通常はランダムに近くの原子に結びつくが、電圧に引かれることによって、ランダムの中でもマイナスからプラスの方向に飛び出す自由電子が割合として増えるようになる。このような状況の中で、電子の移動速度自体は『光速の200分の1程度』になるが、平均移動速度となると、『0.075mm/秒』と言われている。
電流の速さは“電場電位の伝達速度”のため、その材質中の光速とみなされる。
即ち、真空中の光速の比誘電率の平行根分の一になるが、自由電子を持つ金属の場合は比誘電率は1と考えて構わないので、電流の速度も光速と同じと考えて構わない。
「電流」の定義は「電荷の流れ」であり、(単位長さ当たりの)電荷の大きさとその電荷の速度ベクトルの積が電流ベクトルであるということに違いはない。単純に1つの電荷が速度を持って移動していても、それは電流になる。その場合は電荷の速度の大きさがそのまま電流の速さに比例する。その電荷自身が目的地に着くまで、そこには電場の変化は先に到達していても移動電荷が存在しないためだ。
電荷が動かなければ電流にはならない。
「電流」というのは電荷が流れる現象であり、「電流の速さ」は、それを担っている電荷そのものの速さではなく、その「電流という現象の伝わる速さ」であり、これは即ち「電気エネルギーの伝達速さ」を意味している。
電流は電圧の高いところから低いところへ流れる。流れる電流は電流経路間にある抵抗値が低いほど大きくなる。つまり、電流は抵抗の低い方へ流れようとする。仮に地面に電気を流そうとするならば、地面の物質としての電気抵抗を考えなければならない。
地面の抵抗はいったいどれくらいなのか?
抵抗値を算出する式はR=ρ・ℓ/S(ρ:低効率/ℓ:長さ/S:面積)。
地面はS(面積)=∞と近似できるため、抵抗値は限りなく0に近づく。
地面の抵抗がほぼ0ということは、電流は地面に流れやすいということになる。
ひかりにとって「地面」とは、電子を自由に動かせる「場」でもあった。
もちろん、地中の性質によってはこの限りではないが、フィールドの地面を電流回路の一部としたひかりは、即座に相手の「居場所」を突き止めようとした。
生物や物体から発せられる微弱の“電磁波”。ひかりは視界だけでなく、可視光線の波長を大きく超える電磁波を視認できる。 カーティスの生態情報を、地面を通じて接続&受信しようとしていた。魔法流域をどれだけ拡大しようとも、生体としての「核」はある一点に存在しているためだった。
バチバチッ
敵の位置、場所、範囲。
あらゆる情報が脳内へと駆け巡り、フィールドの全域はひかりの「知覚領域」そのものになる。ただ、問題はあの砂嵐をどうするかだった。カーティスの位置情報を掴めたとしても、あの「壁」を掻い潜らなければ話にならない。
カーティスが次にどう動くのか。
その行動の起点になるものがなんであれ、無闇に突っ込むのは得策じゃないと思った。
だけど——
ドンッ
激しい電流を帯びたまま、ひかりは嵐の中心へと舵を取った。
カーティスの魔法流域の真っ只中へ。
それが正しい選択だったかはさておき、砂嵐はひかりを迎え撃つ。霧状に膨れ上がっていた粒子の流れは、迎撃方向に密度を深めてその「隙間」を狭めていった。
砂塵は垂直方向に回転する。
回転軸の中心に近い場所ほど、その速度は肥大化し、濃い体積を帯びていく。
岩石流
カーティスの最も得意とする技だった。
高密度の砂やその粒子を自由に動かしながら、その空間内において岩の「流れ」を形成する。彼自身は「それ」を地脈と呼ぶ。地層に流れる土や石の化学的な組成を操作しながら、岩石の「中」にある堆積物を一時的に分解し、固結した状態を解除する。
イメージは「紐」だ。
岩石にもいくつかの種類があるが、例えば『堆積岩』と呼ばれるものは、既存の岩石が風化・侵食されてできた礫・砂・泥、また火山灰や生物遺骸などの粒(堆積物)が、海底・湖底などの地表に堆積し、続成作用を受けてできた岩石を指す。
カーティスはこれらの岩石組織の変化過程を“解き”、一時的に「続成作用が及んでいない領域」へと戻すことができる。
地面とその地層との相関的なネットワーク。
それはまるで結ばれた紐を一度ほどき、また結ぶことができる繊維質のようだった。
ひかりは全身にスパークを帯びる。
両腕には逆立つ電子と、エネルギーが。
空気中に舞い上がる砂。
カーティスが発生させた砂嵐は、いわば「粒子の雲」だ。ひかりはそのフィールドの「環境」を逃さなかった。砂粒などの微細な粒子が互いに衝突しあうと、電荷が蓄積する。
『大気電気』
それは、惑星大気中におこる電気現象だ。
気象電気とも呼ばれるが、大気中には発電作用を伴うさまざまな気象擾乱がある。たとえば雨滴や雪片はいずれも多少の電荷を帯びている。砂嵐の砂塵は、強く帯電する。ひかりは大気中に蓄積した電荷を散りばめながら、空気中に電気が移動できる「範囲」を多方向へと拡張していた。
『サンド・ストーム』は、いわば“動く岩”だ。
それ自体がすでに巨大な壁そのもので、また、堆積した地層そのものでもある。
カーティスの術式流域内に於いて正面からぶつかり合うことは、この場面においては好手ではなかった。
それはひかりも理解していた。
ただ、ひかりの持つ“脚力”は、一瞬で相手との間合いを詰めるだけのスピードがある。
この場面における相手の心理状況。
そして、ひかりの「脚」。
——次にどう出るのか
間合いの内側に掠める殺気が、ほんのわずかな隙間に蔓延る。
前進する被写体と、影。
動き出した時間の流れの中で、カーティスの感情の“内”にある微弱な電磁波の流れを察知し、正面からの攻撃に転じていた。
魔法流域の位置と「流れ」を誘導していた。
岩そのものの持つ部分的な密度、——その、複合的な体積の“量”をコントロールしようとして。
さっきも言ったように、術者が一度に出力できる魔法量には「上限」がある。
カーティスが展開していたサンド・ストームは、影響を与える範囲が広範囲だったとしても、部分的な粒子の密度や魔力量は散漫化しており、領域自体も無限じゃない。
それは単位時間あたりの質量流量や運動幅にも同じことが言え、魔法流域の「部分」によっては、砂嵐の密度の高低差が存在している。
ひかりが誘導したのはカーティスの「意識」だった。正面から突っ込むと“見せかけ”、敵の防壁の向きや濃度を調節する。
“攻撃箇所を絞らせない”
空気中に展開した電気経路を使って、ひかりはすでに多方向への移動が「可能」だった。
上空からも、——背後からも。
ひかりはカーティスの魔法流域の強弱、すなわち砂塵の質量や密度の変化をあらゆる角度から知覚している。カーティスはひかりの攻撃に備えて、全方向への防御網を張り巡らせていた。
ただそれは同時に、“そうせざるを得ない”状況でもあった。
電磁球——
蓄電させた電気エネルギーを空気中に解き放つ。電界変化の渦中にある砂塵の周りは、すでにひかりの『足場』だった。多方向からの電撃。ひかりの放ったスパークショットは、周りに飛び交う石や鉱物を「弾丸」としながら、強力な電磁気力で放つ“電気砲”だった。
空間の全てを使った立体的な銃撃。
——すでに、死角からの攻撃を可能にしていた。
意識の及ばない範囲へと。
ひかりは近づく。
カーティスの術式流域の“表層”へ。
バリバリバリッ
砂塵は電気を帯び、雷が疾る。
大気中を覆う砂の渦は、それでも尚巨大な風を催しながら肥大化していた。
マジックスキャナー
ミレイ教官が渡してくれたサングラスだ。
この『メガネ』は、赤外線センサーのように一部の可視光線のみをキャッチし、それを電気信号に変えて取り出す。仕組みは少し違うが、理屈としてはおんなじだ。砂嵐の中に入ったひかり先輩を見るために、急いでメガネをかけた。そこにはフィールドに広がる魔力と、その流域の端々に浮かび上がる『立体的な映像』が。
「うわッ」
ひかり先輩は砂嵐の中を縦横無尽に移動していた。
その範囲は広く、縦横奥行き、——その“全て”を使っていた。
砂嵐の根本、渦が発生している地面の中心には大きな魔力の源があった。
カーティスの居場所。
そこに彼がいる。
空中を走りながら、その“中心”を軸にする全方位への機動。
狙いは“一点”だった。
一点に向かって、電撃を集中させていた。
遠く。
より、近く。
カーティスはサンドストームの範囲を狭める。
教官は言った。
カーティスとの戦いで最も重要になるのは、“攻撃の頻度”。
ひかりの選択は間違いじゃなかった。
これは推測だが、サンドストームの本当の狙いは、「時間的な猶予」を生むためじゃないか?
それはカーティスの特性が、時間の経過に応じてその能力値を引き上げるためだった。
問題は、それを“いつ”発動するのか。
空中を走る。
ステップする。
3次元空間内に於いて、先輩は蜘蛛の糸を張り巡らせたように自由に“翔ぶ”。電気経路を通じて移動するその姿は、光を帯びた一羽の鳥が光速の中を遊泳しているようでもあった。
まるで、火花だ。
バチバチとスパークが空間のあちこちに弾けながら、目まぐるしい勢いで光が動く。
砂嵐の中心で無数の残像が飛び交いながら、その「波」が、空気中に溢れていた。
相手の“逃げる“隙など、与えないように。




