第70話 大地vs雷
観客席の空気が張り詰めていく。
雷牙たちを含む見学中の候補生たちが、無言のまま視線をフィールドへと集中させていた。
さっきまでのリオンの試合とはまた異なる気配。じわじわと足元からせり上がるような――重さ。重力そのものが密度を変えたような空間の圧縮が、胸の奥をゆっくりと押し潰すように広がっていった。
「……なんか、空気が違いますね」
「ヨーダ先輩の術式がもう発動しかけてる……?」
ミラとノックスの会話が、かすかに聞こえてくる。
ヨーダ・カーティス。地を操る男。
彼の霊素核は「土」と「岩」、すなわち“地殻層”に近いエネルギー波を内包しており、本人が明確な動作を取らずとも、足元の霊素場が自然と“応答”を始めるのだ。
そのため彼が演習場に立つだけで、周囲の霊素が低く唸りを上げる。
いわばそれは「足元の世界が、彼に従っている」ということ。
対する“轟木ひかり”は、その逆。
地に縛られず、雷と風を身にまとう、空を駆けるような女だった。
「まるで、“固定された世界”と“自由な世界”の対決って感じだね……」
ナツキの呟きに、ルシアが頷く。
「ヨーダ・カーティスは足場と地形を支配する戦い方。一方で轟木ひかりは、速度と即応を武器にする典型的な反応型。属性相性の差は少ないけど、戦術の組み立て方がまるで違うわ」
雪音は腕を組んだまま、ため息混じりに言った。
「本気のカーティスは……誰も“動かせない”と聞いてる。ただ、ひかりが唯一、そういう“固定概念”を突き崩す奴になるかもね」
「自由人の反骨精神ってやつですか?」
雷牙の皮肉交じりの言葉に、八雲は苦笑した。
「まぁね。――でも、油断したら、間違いなく潰されるよ?」
その言葉が、霊素の風に乗って消える。
そして。
「第二試合、始め!!」
審判の宣言と同時に、演習場に再び“雷の音”が鳴り響いた。
――ダンッ
開始早々、轟ひかりは相手に向かってダッシュを試みる。土埃が上がると同時に跳ね上がった体。グンッと下半身から解き放たれた脚力が、地面の影を引き離す。
先手必勝。
さっきの試合で先輩が教えてくれた言葉だ。最初の攻撃が勝敗のカギを握る。それには「スピード」と「タイミング」が、もっとも重要になると
ゴォッ
背中まで捻れた肩甲骨の可動域。その深層からバネが弾けるように右の拳が滑走する。それは「殴る」というより、「撃ち出す」に近かった。
拳の軌道に走った雷霊素が、細かく空気を裂く。
圧縮された霊素の気流が皮膚に纏わりつき、音速に近い重圧をまとって――
直撃する。
カーティスの顔面へ。
――ヒット。
音が遅れて鳴る。
拳が触れたかと思った瞬間、地面が“鳴いた”。
硬質な肉体と拳のぶつかる音ではない。
「大地ごと、響くような“衝突”の音」。
打撃の衝撃が空気を揺るがし、乾いた地に波紋のような衝撃波を伝える。
雷牙は思わず息を呑んだ。
(近い……っ! 距離が……)
とても演習場の初手とは思えない密着戦。
いや、密着どころではない。
ひかりの拳が触れた瞬間には、すでに彼女の重心は“次の攻撃”に移っていた。
攻撃の狙いも角度も、すべてが正確。
見れば、カーティスはまだガードの姿勢すら取れていない。
構えた長槍の先端は――
地面に向けたまま、微動だにしていなかった。
――これなら、いける。
ひかりの瞳が鋭く光る。
瞬間、霊素が爆ぜた。
だが――
「……ん?」
何かがほんの一瞬、身体の奥で引っかかった気がした。
拳の感触。
手応えは確かに“触れた”。それなのに――
「動いてない……?」
カーティスの身体が、揺れていなかった。
顔に拳を受けたはずなのに、首ひとつ肩ひとつブレていない。
まるで、“岩”。
雷牙たちが戦場の遠くから見つめる中、その違和感が徐々に現実の形を取っていく。
「おい……今の、入ってたよな?」
「拳が……当たってた……よな?」
「いや、でも、カーティス先輩……」
動かない。
動じない。
そして――壊れない。
それが“ヨーダ・カーティス”という男だった。
その瞬間、演習場の空気が変わった。霊素が静かに、深く、地の底へと沈み込むように――“重く”なる。
ひかりの拳は確かに命中していた。
だが、“届いて”いなかった。
なぜなら――
『サンド・ウォール』
瞬間的に弾ける土の破片が、ひかりの視界の前に散らばった。右手はカーティスに届いていない。にも関わらず強烈な接触音が響いたのは、地面から飛び出た「岩」の壁が、相手の前方を包み隠すように展開されたからだ。
いくつもの土の粒子を押し固め、1つの「岩石」として構築した頑丈な壁。その強度は見た目以上に強固だった。少なくとも、ひかりの放った右ストレートを防ぐ程度には。
「しゃらくせぇ!」
防がれた一撃をものともせず、左右のパンチを繰り出す。サンド・ウォールの表面は乱雑で、数種類の土や石が混ざり合ったようにデコボコしていた。1つ1つの粒子が肉眼で識別できるほどだった。不揃いな粒同士が、無理やり同じ箇所に寄せ集められたかのような。
ドドドドドッ
地面と接触するスニーカー。途中大きく振りかぶるモーション。ひかりの手は休まる気配もなく、猛烈な勢いで一撃を浴びせ続けていた。パラパラと飛散する粉塵。インパクト時の波の振動。相手の作り出した壁は目まぐるしい速度で変形を繰り返していた。地面から湧き上がる土が、水の流れのように滑らかな曲線を描きながら。
その「幅」に際限はなく、可動域が広い。カーティスの周りだけ地面が“水の上”のようだった。触ればほどけてしまいそうな、そんな“繊細さ”で。
「カーティスの「体」に触れるには、場所が悪すぎる」
「え?」
「カーティスの術式は地属性。砂や石、土は、彼にとっては武器にもなるし防具にもなる」
先輩が言うように、カーティスの足元には自由自在に変形する「土」があった。それを土と言っていいのか砂と言っていいのかはわからない。硬く、重い。それでいて軽やかで、——かつ…
その「状態」を、どう形容するのがいいのだろう。ひかりの攻撃が命中するたびに乾いた音が響く。壁はどんどんぶ厚くなっていった。「体積」を大きくしているというよりは、より「密度」を濃くしていった。時間の経過とともにその「変化」と奥行きの“深さ”が増大していく。
際限なく回転する壁の「繊維」。
密接に絡み合っていく無数の粒。
ザッ
ひかりは一歩引き、タメの動作を取る。その間にも壁は肥大化しているが、躊躇はなかった。反動をつけての一撃。足が前方に動いて接地し、止まる。その拍子に地面が凹み、膝への重心の移行とそのスピードが“押し上がった”。
ドッ——!
拳と壁が接触するや否や、壁が吹き飛ぶ。
——いや、すれ違い際にほんのわずかな違和感が走っていた。
ひかりの繰り出した一撃が砂埃を巻き上げると同時に、地面がうねったような動きを見せた。壁を形成する「表面」ではなく、その真下。平面上の面積。2人が相対する領域内の【対角線】で。
「チッ」
そうだ。
カーティスが地属性を自在に操る高位術者なら、自分自身が「土」になることも可能なはずだ。違和感の正体は「足元」にあった。壁が破壊される間際、脈動する砂の粒子が空間の“中”に揺らぐ。
ひかりの右腕が伸びきった先。
その先端が滑らかな輪郭の表層を穿ちながら、砂粒で覆われた塵の模様を変えていく。
線が綻ぶ音。
前方へと押し流れる弾力。
より「前」に、カーティスの「近く」へと前進する一歩。その方向に横断する影が、僅かな隙間もなく覆い被さっていた。すれ違い際に確かな“質量”を伴っていた。カーティスの、「刃」が。
ドッ
ひかりの体を貫く岩の先端。それは細く鋭く、地面から手を伸ばすように“生えていた”。
棘。
さながらその形状は、地面から飛び出した「針」だった。平らな地面が嘘のように変形していた。2人の周囲を取り囲む土や砂の“表面”が、手や足を持つ一つの生き物みたいに、うねうねと蠢いていた。
後退するひかり。足元から現れた不意の一撃。回復魔法を駆使しながら、地面と一体化している相手を見ていた。“土そのもの”になり、形らしい形を伴っていない不安定なその姿を。
「ね?だから言ったろ?」
「ね、じゃなくて、こんなのずるくないっすか?」
「何が?ひかりも予測してたとは思うよ?その上で突っ込んだんだ。カーティスが動くよりも早く展開する。結果、間に合わなかったけどね」
カーティスの姿は元の色や輪郭を失っていた。と言うか、作りかけの土人形みたいだった。皮膚はバラバラと落ちる無数の砂で覆われながら、常に流動し、”動いている“。結合と分離を繰り返しながら、かろうじて”人の輪郭”を保っていた。砂時計の底に溜まっていく、ゆるやかな曲線の山みたいに。
足は地面と繋がっていた。その境界線はすごく曖昧だった。どっちが本体なのかがわからないくらいだった。上が本体なのか、下が本体なのか。
「来るぞ」
隆起する地面。敵の攻撃を被弾し、後退した先輩の隙をつく。何本もの岩の「槍」。凝固する砂粒の分子。
ボッ
ボッ
ボッ
鋭い切先が、次々と地面の底から現れる。交錯する影が、入り乱れるように織り重なっていく。
波。
まるで海の水面を見てるみたいだった。ゆらゆらと揺蕩う水面の上で、時折、白い水飛沫を立てる渦。
…いや、これは「水面」というより——




