第69話 疾雷の閃姫
「勝負あり!」
戦況を見守っていた審判団の1人がゲーム終了の合図を告げる。
青い弾道が空中をかけ走った時、——ただ、緩やかに落下していく相手の姿がそこにはあった。身体を撃ち抜かれ、戦闘不能に陥った相手の姿が。
地面へと落下しようとしていた相手をリオンがキャッチし、地上へと運ぶ。
倒れた相手をそっと抱きかかえつつ丁寧に地上まで降りていくその姿には、敵としてではなく“同じ候補生”としての敬意がにじんでいた。
やがて相手は目を開け、状況を察して眉を動かす。言葉はなかった。けれど、差し出されたリオンの手を彼はしっかりと握り返した。
互いに言葉を交わすでもなく、その握手は――技を尽くした者同士の静かな称賛の証だった。
その姿を見て、ようやく胸の奥に詰まっていたものが吐き出された。
「……ぷはぁ……」
誰ともなく、声が漏れる。
「……なんて緊張感だよ……心臓、張り裂けるかと思った……」
「ずっと固まってた……呼吸するの忘れてたくらい……」
誰かがそう呟くと、あちこちから「わかる」「マジで」と小さな声が重なる。
それほどに――圧倒的だった。
…ほんと、息するの忘れてたくらいだ。
戦いの全てが“術式”の概念を超えていた。
演習場にはなおも水と風の残響が残っている。だが、それらも次第に静まり始めていた。
霧のように漂っていた水滴が空へと溶けていき、やがて太陽の光が演習場全体に降り注ぐ。光の粒が霊素の名残と混じり合い、虹のような帯を描いて空間を満たす。蒸気がふわりと舞い上がり、まるで舞台の幕がゆっくりと閉じていくようだった。
少しずつ“日常”の空気が戻ってきた頃、ミレイ教官がゆっくりと前へ歩み出てきた。
「さて――みんな、今の試合。どうだった?」
その一言に、場の空気が再び静まる。候補生たちは誰もが言葉を失っていた。けれどその沈黙は理解の放棄ではなく、“咀嚼”の時間だった。
「あれが、《クラス1》同士の戦いです」
ミレイの声はいつになく真剣だった。普段の冗談まじりの軽快な語りとは違い、言葉に重みがあった。
「力と力がぶつかるだけじゃない。“属性”や“魔力”の大きさだけでもない。“術式”や“特性”――その全てをどう運用し、“空間”そのものをいかに制御するか。術者の戦いとは、本来そういうものです」
彼女の指先が演習場の中央をゆっくりと示す。そこにはまだ霊素の余韻がわずかに残っていた。さっきまで水と風が命を持って暴れまわっていた“戦場”の名残。
「例えばリオン。アイツは《水属性》に属するけど、それだけじゃない。魔力の出力・特性・術式運用――すべてを複合的に組み合わせて、相手の『動き』と『戦略』を封じていた。属性の“優位”だけでは、あそこまではできない」
そして何より――
「“戦場”を作っていたのは、リオンだった」
誰かが小さく息を呑んだ。そう、単に魔法を放っていただけじゃない。リオンは【環境そのもの】を作り変えた。空間をねじ曲げ、水を媒介に霊素を組み替え、術式の“位相”すら再構成していた。
「魔力とは“出す”ものじゃない。“扱う”ものです。属性とは“選ぶ”ものじゃない。“馴染ませる”ものです」
ミレイは一歩、そしてまた一歩と、霧の晴れた大地を歩いていく。
「術者として、あの領域に至るには時間が必要。けれど、“目指す先”を知らなければ、いつまで経っても力は扱えないまま終わる。今の戦いを見て、『すごい』だけで終わらせるな」
彼女の視線が、雷牙たちに向けられた。
「“見る”ってのは、受け身じゃない。“学ぶために見る”ってこと。あの一戦の中に、いくつものヒントがある。どうすれば相手より一歩先を読めるのか。どうすれば魔力を『戦い』に変えられるのか。それを“考える”のが、今のあんたたちの仕事だ」
雷牙はぎゅっと拳を握った。思わず前傾姿勢になりそうなほど、体が勝手に反応していた。今の戦いがただの“バトル”じゃなかったことが、体の奥から理解できていたから。
「雷牙、ナツキ、ルシア。ノックスも。ミヤ、ストライヴ。あんたたち全員、もう初級者じゃない。中等適性も超えて、もう“選ばれた側”なんだよ」
――選ばれた。
その言葉に、ほんの少しだけ肩が引き締まる。
「次の演習では、あんたたちもきっと『視られる側』になる。今のうちにたくさんの“視点”を持っておけ。それがいずれ、あんたたちの“武器”になるから」
教官の声が静かに締めくくられ、雷牙たちはそれぞれに思い思いの表情で立ち尽くしていた。
そんな中。
「次の試合の準備を!」
審判団のひとりがそう声を上げると、再び演習場に緊張が走った。空気が少しだけ張り詰め、霧のように漂っていた霊素がすっと引いていくのがわかる。戦いの幕が再び上がるのだ。
「次の対戦は――クラス1、ヨーダ・カーティス。対するはヨナリア島王国支部、クラス1・“轟木ひかり”」
名前が読み上げられると同時に、観客席の候補生たちが一斉にざわついた。
「ヨーダ先輩か…」
「ついにあの人の番か…」
「筋肉先輩、頑張ってくださいっ!」
ひときわ元気のいい声が混じった。
フィールドの端からゆっくりと歩いて現れたのは、エレクトロニアの候補生たちにとって馴染みのある大柄な男――ヨーダ・カーティス。
――全身を包む、鉄のような存在感。
漆黒の訓練用戦闘服の上から肩と胸元に岩を模したような魔導装甲をまとい、身の丈を優に超える長槍を携えていた。彼が一歩踏み出すたび、大地がごく僅かに震えるような錯覚すら覚える。
「よっ、後輩たち。しっかり見ててくれよ」
近くにいた雷牙にだけ、小さく笑いかける。
ヨーダ・カーティス。雷属性を文明基盤とするエレクトロニアにおいて、数少ない“岩属性”の高位適合者としてその名を轟かせる存在であり、雷牙たち後輩からは親しみを込めて「筋肉先輩」と呼ばれている。
が、実際の彼はその見た目とは裏腹に、物静かで柔らかな口調を崩さない。無駄に騒がず、冗談もあまり言わない。笑う時も「ふ」と声にならない呼吸だけで笑うような寡黙な男だった。
彼の“強さ”は、魔力量の豊富さよりも大地との“繋がり”にある。
ヨーダの術式は単に地を砕くのではない。地脈に流れる霊素を感じ取り、それを“地ごと”制御することで相手の動きを寸分違わず封じ込める。攻撃も、防御も、拘束も――そのすべてが“地を支配する”という一点に集約されていた。
エレクトロニアの候補生の中でも、“局所制圧力”に関してはトップクラス。
彼の足が着いた場所、それは「自分の領域」になるのだ。
「けど、相手の姿が――」
ミアが不思議そうに首を傾げる。そう、もう一方の対戦者――ヨナリア島王国の候補生の姿が、いまだ見当たらなかったのだ。
「また…アイツか」
溜め息を吐いたのは、ヨナリア支部のリーダーである八雲だった。
「ほんとあいつは……申し訳ありません。すぐに探して連れてきますので」
審判団へと深々と頭を下げる彼の姿に、ヨナリアの他のメンバーたちも顔をしかめている。
「またどっかで立ち止まってんじゃないか?」
「市場で屋台漁ってたらしいぜ?」
「まさか迷子とか言わねえだろうな……」
小声で囁かれる中、八雲は顔を覆い、声を押し殺したように言う。
「“自由人”にも限度があるぞ、轟木……!」
その名前に、その場に居合わせていたネムス支部のメンバーの1人はハッとした。
「轟木……って、あの……?」
「うん。“疾雷の閃姫 (しつらいのせんき)”」
そばにいた水無瀬 雪音が小さく呟いた。彼女の声は静かだったが、その響きには一種の緊張が含まれていた。
「異名まであるのかよ……」
ルシアが口を開き、雷牙とノックスが顔を見合わせる。
「聞いたことある。ヨナリア支部の中でも“規格外”って……」
「でも、それにしちゃ……遅刻ってレベルじゃねーぞ」
と、そこで。
「おーい! 来たぞ!」
ノックスが空を指差して叫んだ。
視線を上げた先――青空を切り裂いて、一頭の雷龍が飛翔していた。
その背中には、風を切るようなシルエット。
そして、龍の背から一人の人影が躍る。
「ってわあああああ!! 飛び降りた!?」
ルシアが叫ぶ。
疾風のような軌道を描いて、空から降ってきたのは――
鮮やかなオレンジ髪をなびかせた少女。
訓練服の上に羽織った黒いショートジャケット、首元に巻いた赤いスカーフ、そして、雷牙たちよりも明らかに長身で大人びた佇まいを放つ彼女は、笑いながら軽やかに着地した。
「わりぃわりぃ! 遅れたぜ!」
声は澄んでいて、強く、そして飄々としていた。
ヨナリア島王国・クラス1候補生――轟木 ひかり。
彼女が現れた瞬間、まるで演習場の空気が別物になったかのように乾いた風が吹いた。
「試合時間だぞ!」
八雲が叱責の声を上げるが、ひかりは悪びれる様子もなく笑って、
「堅苦しいこと言うなよ、八雲っち」
と言って彼の頭をポン、と軽く叩いた。
「さーて、準備すっかねー!」
ひかりが両腕を伸ばしてのびをする。まるでこれから戦うという緊張感が一切ないその仕草に、雷牙たちは口を開けて呆気に取られていた。
「……大丈夫なんすかね?」
「むしろ大丈夫なのはこっちじゃないかもね」
雪音が雷牙の耳元で囁く。
「“ああ見えて”、あの人、エース級の実力あるから。怒らせない方がいいよ?」
と、再び演習場に審判の声が響く。
「第二試合――ヨーダ・カーティス vs 轟木ひかり、開始準備に入ります!」
その瞬間、土の底から震えるような雷の息吹が響いた。
ヨーダは静かに、だが確実に槍を構える。
ひかりは笑ったまま手のひらをかざして、雷を帯びた風を“鳴らす”。
二人の“本物”が、今向き合った。




