第64話 タルシスの風
タルシスの風は、地表のあらゆる音を削ぎ落としていた。
空は高く、雲は裂けるように水平線を這い、霊素の揺らぎが見えない光の波として風景の輪郭を微かに揺らしていた。
雷牙たちがたどり着いたのは、鉱山クレーターの南端。
そこにはすでに複数の候補生部隊が展開し、それぞれの術式構成と戦術行動を始めていた。
広大な平坦地に点在するのは人工的に設けられた遮蔽物、残存した採掘機材、簡易バリケードに偽装された演習障害群。
かつての霊素採掘施設を“そのまま演習場として転用”したこの場所は、戦術実験と環境適応訓練を同時に行うために特化されていた。
岩肌には今も雷素の痕跡が淡く残り、場所によっては高密度の霊素濃度が局所的な“魔導過飽和”を起こしている。
それこそが、ここが選ばれた理由だった。
この日行われる訓練は単なる模擬戦ではない。
それは「LCA統合適性演習(Unified Conductor Trial)」。
雷導連合の各支部・本部から選抜された高適性候補生たちによって行われる、大陸規模の連携強化・教育水準均衡化のための合同演習だった。
政治的には、こうした演習が意味するのは「均整化」である。
各地の教育課程・術式体系・戦術理念に差があることは、平時は“多様性”として許容されている。
だがいざ有事となれば、その差は統制の欠如に直結する。
ゆえに統合演習は、単に能力の計測や競技ではなく、「雷導連合という“ひとつの軍”としての整合性を証明する」場であり、同時に文化的背景の異なる候補生たちの“思想の接続”を促す精緻な外交装置でもあった。
「……なるほどね。ここなら、どんな規模の術式も“抑えずに”撃てるってわけか」
ナツキが、展開される模擬戦の光景を眺めながら呟く。
彼らの視界に広がるのは、まさに“小規模な戦争”そのものだった。
霊素投射砲が仮想標的に命中し、反応魔導壁が白く閃く。
空中では風属性の機動兵が高速軌道を描き、水属性の結界が爆発的な冷却障壁として応酬を受け止める。
「クラス1の連中は、こういう“舞台”じゃないと全力を出せねぇからな」
ルシアの言葉は、どこか納得を含んでいた。
エレトゥス本部のクラス1――それはもはや「兵士の卵」ではなく、国家による戦術兵器育成の最前線とも言える存在だ。
最大魔力量・霊素出力・精神干渉適性・複合属性対応力――そのすべてが、常人の限界を軽々と超えている。
そんな彼らが本気でぶつかり合えばどうなるか。
一般的な演習場では“環境そのもの”が耐えられない。
だからこそ、ここリンドブルム鉱山のような、すでに“高出力霊素反応を前提に設計・補強された地盤を持つ場所”が選ばれるのだ。
「……でも、単に“強いかどうか”を見てるわけじゃない」
戦術支援課・クラス3のストライヴがふと口を挟む。
彼の視線は戦いではなく、それを支える補給ラインや後方連携演算班の動きに向いていた。
「誰とどう連携できるか。違う考え方の奴と、どこまで協調できるか。それが“本部の狙い”だよ」
それは、彼が戦術支援課に所属する者として培ってきた観点だった。
一方で、ヨナリア島王国の候補生たちは演習の様子を無言で観察していた。
雪音が腕を組んだまま言う。
「出力が高いのは確かだけど……“型”にこだわりすぎてる。術式はもっと、“流れ”の中で選び取るものだよ」
「その“流れ”を制御するのが難しいのさ。……中央の術式は、“正解”を先に構築する前提で組まれてる」
蘇芳の返答には、どこか歯痒さが混じっていた。
彼の術式観――すなわち「霊素とは感応の記憶であり、祈りは選択である」という哲学は、こうした“演算偏重型”の術式展開とは根本的に異なる。
それでも、今この場は各々が互いの“差異”を知るためにある。
中央本部、ヨナリア支部、そしてネムス平原、ラシディア地下区、フロム海峡の機動航空団。
この演習地に集ったのは、すべて“異なる文脈”を持つ雷導兵候補生たちだった。
雷牙の瞳が、演習の空を追っていた。
彼の心には、まだ答えが出ていない。
“誰かになれる”ことの意味、“自分の型を持たない”ことの不安。
けれど、今こうして集まった彼ら候補生たちは、それぞれが“違う理想”と“違う恐れ”を抱えてここにいる。
そしてその違いを越えられるかどうかが、これからの世界における“連合”の意味を決めるのだ。
空を走る一条の雷。
それは演習用の模擬雷撃だが、どこか象徴的だった。
“違う属性が交わる”ことでこそ、雷はその力を増す。
ならば、人間もまた――同じだ。
交差する霊素、重なる理念。
今この瞬間、戦いの音はただの訓練ではなく、“世界の試験音”として鳴り響いていた。




