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第62話 雷脊の街へ



タルシス山脈がその全貌を現したのは、午前十時を少し回った頃だった。


視界の端に差し込む陽光が車窓の内側を透過し、鋼鉄と霊素の軌道上を走る列車の輪郭を薄く浮かび上がらせていた。遠く、幾重にも重なり合う尾根が雲海を突き抜け、まるで世界そのものの背骨のように天を支えている。


その峰々は剥き出しの雷磁岩と霊素帯を纏い、ところどころには雲が刺のように引っかかっていた。白い絹布を裂いたような霧が山肌を這い、稜線の至るところに“光の瘢痕”が見える。かつて雷霊素が暴走し、天と地を繋ぐ巨大な術式が実行された痕跡。そこにはまだ“戦争”が生きていた。


列車が速度を緩めて進路を南西に取ると、車窓の向こうにオルトラ・ベイスの姿が現れた。


最初に見えたのは、都市の上空を旋回する監視ドローンの編隊だった。陽光を反射するその金属光沢はどこか鳥の群れを連想させるが、鋭い軌道の交錯はむしろ“狩人”のそれに近い。続いて視界に入ってきたのは、広大な多層都市。かつて鉱山労働のために築かれた段丘構造の街であり、いまやLCAの前哨都市として機能する都市型鉱山基地だった。


列車が《オルトラ・ゲート》と刻まれた終着駅に滑り込むと、その構造の全貌がゆっくりと姿を表す。駅舎の外壁は厚い雷導装甲で覆われており、半ば地下に潜った構造はこの地の“地盤の不安定さ”を雄弁に物語っていた。


候補生たちが列車から降り立つと、迎えに来た霊導兵の一団が無言で彼らを誘導した。雷霊素の結晶を模したスキャナーゲートを通過し、霊素検査を受ける者たちの顔に初めてわずかな緊張の色が差す。これより先は、演習地帯——“本物の戦場”の残響が残る場所だ。


駅構内を抜けると、空気の質がはっきりと変わった。

湿り気を帯びた冷気の中に微量の金属臭と焼けた霊素の残滓が混じる。都市特有の排気とは違う、地盤の奥から滲み出すような匂いだった。足元の舗装路には過去の崩落を補修した痕跡が無数に残り、継ぎ接ぎされた雷導プレートが不規則な模様を描いている。遠くでは掘削機の低い駆動音が絶え間なく響き、都市がいまなお“掘り進められている途中”であることを否応なく意識させた。



オルトラは、まるで階段状に刻まれた鉱石の都だった。


眼前に広がる都市の輪郭は、雷霊素処理施設と住居区画が同じブロック内に混在し、吐き出される蒸気と導雷管の奔流が、都市そのものを“生きている機械”のように見せている。各層の外縁には《誘雷灯》が設置され、夜には螺旋状に光を灯すという。視覚的な美しさの裏には、かつてこの地を襲った雷素震動から街を守るための絶え間ない霊導調整の仕組みがある。


上層に向かう途中、候補生たちは車窓から遠くリンドブルム鉱山の霊素塔群を見た。山の中腹を縫うように配置されたそれらはまるで天へ祈るために組まれた巨人の指先のようで、自然と技術、戦争と再生、その全てを象徴する風景だった。


都市の最下層に位置する《労働層》では、炭の匂いと油の焦げた空気が混ざり合い、褐色の制服を着た鉱員たちが黙々と作業を続けていた。少年少女たちが通るのをちらりと見やりながらも、誰も何も言わない。その眼には、“若者たちが訓練で済むように、俺たちは実戦を生きてきた”という、名もなき誇りが宿っていた。


駅から演習区画へと続く《雷導トラム》に乗り換えた候補生たちは、次第に喧騒の届かない高度へと運ばれていく。車窓の外では段丘都市の階層が一層ずつ下へと沈んでいき、代わりに岩山の赤錆色と霊素灯の淡い輝きが周囲を支配していった。


この街には過去の“死”が未だに脈動している。

だが、それでも人はここに“灯り”を点け続けている。


風に揺れる配線、雷導素の唸る音。


そのすべてが、都市そのものの“呼吸”のようだった。高地特有の薄く鋭い気流に雷霊素の粒子が混じり合い、目に見えぬ軌跡を描いて稜線を滑っていく。岩の裂け目からは微かに青白い光が揺れていた。霊素噴出孔。そのいくつかは未だ安定しておらず、時折霧のような光煙を立ち上らせては、空の色を濁らせていた。


タルシス——。


霊素の地殻が噴き出し、雷の文明が生まれた場所。

“雷導”という名のすべてが、この山から始まった。


「この大地が、俺たちの足元を支えてるのか……」


思わず呟いた言葉は、誰にも届かないまま風に流れていった。


かつての歴史の授業が、ふと脳裏に蘇る。

雷導連邦——エレグラフィア。

表向きは平和と再建の象徴。だがその実態は、都市そのものが“兵器”として機能する見えない戦場国家だった。


エレクトロニア。ネムス。セリファス。

そして今、彼が踏み込もうとしているのが、その中核を成す重工業圏——オルド=ハイアス連邦。


霊磁鉱と雷素鉱脈に支えられたこの連邦は、エレグラフィアにおける「素材の心臓」とされる。

だがその心臓は、常に鉄と油と爆ぜる雷の轟音に包まれている。戦争の最前線ではない。それでもこの地は、いつの時代も戦争の「根」だった。


雷牙は霧の向こうに見える連なる山々の輪郭に目を凝らす。


切り立った稜線。幾重にも折り重なる黒岩。

空に伸びたその姿は、まるで世界を背負った巨人の背骨のようだった。


(だから、タルシスは“雷の脊椎”と呼ばれるのか……)


彼の記憶の中で、教官リアナの声が蘇る。


“この山には、文明そのものの設計図が眠っている。

 都市も術式も、すべては大地の雷脈から始まったのよ”


雷霊素——それは単なるエネルギーではない。

意識に反応し、術式に共鳴し、記憶すら干渉するこの“力”はまさに文明の血液であり、神経であり、時に“毒”でもある。


雷導兵とはその「毒」を制御し、形を与える者たち。


だが本当に、“使う側”なのか?


——それとも、文明という雷霊素構造の中で、俺たち自身が“使われる”側なんじゃないのか?


「力は天賦にあらず。適応は責任である」


雷導適性訓練(LCA)の理念。

力を誇るな、使い方を誇れ。

……だが、それがどれだけ正しいと信じようとしても、現実にはあまりにも多くの都市が“戦争の準備”として設計されていた。


街が兵器であるという事実をどれだけ言い換えても、その刃の向かう先は変わらない。


窓の外、山肌に刻まれた旧戦争の爪痕が目に映る。

爆撃で抉られた地層。崩れかけた霊素塔。

雷導炉の残骸が、今も土中に半ば埋もれていた。


それでも、街はここにある。

人が住み、食べ、働き、訓練し、そして——また、戦うために生きている。


(こんな場所で、文明は“生きてる”って言えるのか……?)


雷牙の思考は、ふとそこで止まった。


いや、違う。


ここは“死んだ”場所じゃない。


死んだふりをしながら、“次”の目覚めを待っているだけだ。


静かすぎる山脈。朽ちかけた雷導塔。

それでも時折、空に微かに走る稲光のような予兆。


——雷は、眠らない。


それはこの世界における、唯一の真理かもしれなかった。


(……じゃあ俺は、その“雷”の中で、どう生きる?)


「戦士じゃなくてもいい。支える者になれ」


訓練所の壁に刻まれていた標語が、今ようやく意味を持ち始めていた。


霊導トラムは大きく軋みを上げ、山の中腹にある演習地前管制区画にゆっくりと滑り込んでいく。

車両の振動が止むその瞬間まで、雷牙はじっとタルシスの峰々を見つめていた。


風が鳴っていた。

それはまるで誰かの囁きのように、岩壁を滑っていった。


「雷は、まだ終わってない」

そんな声が、確かに聞こえた気がした——


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