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第60話 何ボーッとしてんだ




「ハハハッ!それで顔に痣できてんのかお前」


朝の点呼が終わった後、寮の廊下でルシアが俺の顔を見ながら遠慮なく笑い飛ばした。


頬に残った青痣は言うまでもなく昨日の“制裁”の痕だ。

そりゃあナツキにとっては“正義の鉄槌”だったわけだし、全力で殴る理由もある。


「マジで、“ナツキ姐さん”の拳は効くなぁ。つーかお前さ、そもそも――なんでパンツに魂ぶち込んでんの?」


「……うるせぇよ。俺だって好きでやったわけじゃねぇ。事故だ、事故!」


「ハイハイ、“事故”ね。あーあ、言い訳としては100点中マイナス5億点だけど、まぁ俺は信じてやるよ」


ルシアは飄々と肩をすくめる。

その態度にムカつきつつも、実のところ気楽に話せるのはこいつくらいだ。


そもそも原因の半分はこいつだ。

昨日、俺の部屋に入り浸って、あの場違いなエロ本なんて置いていきやがって…。

よりによって“肌色多めの異世界美少女特集”とかいう表紙が眩しい一冊。

気がつけばページを捲る指が止まらなくなってて、脳内は見事なまでのユートピア。妄想爆発、理性崩壊。

あんな状態で集中力を要するスキルの調整作業なんて無理に決まってるだろ。


まあ、仮病報告をごまかしてくれたのはありがたかったけど。

ルシアがいなきゃ、今ごろ俺はスキル暴走者として報告されて別室送り確定だったろうしな。


「にしても、よく殺されなかったな」


「マジでそれな……」


思い出しただけで胃のあたりがキリキリと痛む。

あのときのナツキの目ときたらもう……

無表情なのに怒気が霊素の波みたいに肌を撫でてくるあの感覚。

琥珀の瞳に浮かぶ静かな怒りは氷山みたいに深くて、ただただ怖かった。

あれはもう怒りというより“怒気のバフを全振りしたデバフ持ちボス”って感じで、こっちの理性とHPがゴリゴリ削られていった。

あのときほど「もう無理です」って脳内会議が満場一致だったことはない。


しかも今朝は一言も喋ってくれなかったし、目も合わせてくれない。

廊下ですれ違ったときも、俺の存在なんて空気みたいにスルーされた。

そりゃあ当然だ。3発ぶん殴られたぐらいで終わるわけないし、むしろあれは“開始の合図”みたいなもんだ。


ナツキの中では怒りゲージがいまだフルチャージ状態で、再開ボタンをいつ押してもいいぞって感じだと思う。

ちょっとでも変なこと言った瞬間、またプロボクサー顔負けのメテオストライクが降ってくる。


「……もう一回、直接謝った方がいいかな」


思わず漏らした独り言に、ルシアがふと視線を上げた。


「それ、お前が言うとはな」


「は?」


「いや、だって。ナツキに怒られてまともに謝ったことねーだろ」


「……バカなことしたときはちゃんと謝らなきゃだめだろ」


「へぇ。ずいぶん成長したじゃん、“パンツ人間”」


「……お前、殴るぞ」


「あはは、冗談だって」


からかうような口調の裏に、どこか柔らかい空気が混じっていた。

ルシアなりに励ましてくれてるのかもしれないが、たぶん八割くらいは面白がってるだけだ。

それでも笑いに変えようとしてくれる分、変に気を遣われるよりはマシかもしれない。


…だとしても、やっぱりナツキにはちゃんと謝らなきゃいけない。

言葉にして頭を下げて、許されなくても伝えるべきことがある。


今日もどうせ一緒に行動する。

逃げ続けて済むような相手じゃないし、何より――ナツキの信頼を、俺は絶対に失いたくないからな。




朝礼を終えた俺たちは、引率教官のビルネス中尉に連れられて合同演習のための移動を開始した。


目指すは、エレクトロニア中環層にある鉄道結節点m 《デルタ・ゲート》。

そこから演習用軌道列車に乗り、訓練専用区画へと向かう。


街の通勤ラッシュを避けるための候補生用のルートが整備されているとはいえ、道中はそれなりに混雑していた。

無数の霊素広告が空中に浮かび、雷導マナレールが音もなく空を滑る。どこを見ても“都市”だという現実が肌に貼りついてくる。その中を十数人の候補生たちが列を組んで進むのは、少しばかり異様な光景だった。


「で? ちゃんと謝ったか?」


隣を歩くルシアが、口元を緩めながら小声で聞いてきた。


「……まあな。一応、言葉にはした」


「ふぅん。それで? どうだった?」


「無視された」


「やっぱりか」


…コイツ。わかりきってたくせにニヤついている。その顔には“やれやれ”と“面白くてたまんねぇ”が半々に詰まってた。


ま、ルシアが笑ってるうちは平和って証拠だ。コイツのセンサーは意外と正確で、戦場の空気が変わると真っ先に黙るタイプだからな。だから今は、そう――まだギリギリ日常圏内だ。


「ちょっとだけ……目が合った気はしたけど」


「……まあ、お前が本気で謝ったなら、ナツキのことだから伝わってるさ。あいつ、そういうとこはちゃんとしてるし」


歩きながら、俺はちらりと後ろを振り返る。


少し後方、別の班列に紛れて歩くナツキがいた。

いつもなら俺たちのすぐ隣を歩いているはずの彼女は、今日は女子連中に囲まれてなにやら楽しそうに談笑している。


笑顔も声も普段通り。いや、むしろ普段よりちょっとだけテンションが高いくらいかもしれない。

けど、それが“わざと”だってことくらい俺にも分かる。


俺を避けてる――というより、“なにもなかったフリ”を全力でやっている。

女子特有の「察してよ」ってやつじゃなく、もっと実務的なスルースキル。あえて話しかけず、でもちゃんと場には馴染んでいるあたりはさすが“ナツキ”だ。やることが徹底してる。


……まぁ、昨日の今日だしな。


とはいえ、ちょっと胸のあたりがモヤモヤするのもまた事実で。



……それにしても。


視界の中で、金属の高層ビルが連なる風景を見上げながら“雷牙”としての俺は不意に“ライ”としての記憶がざわつくのを感じていた。


(……昔、ナツキとルシアと、よくこうやって並んで歩いてたな)


あれはまだ、雷導適性検査に通って間もない頃だった。


訓練施設の帰り道。

食堂で買ったおにぎりをナツキが半分こしてくれて、ルシアがそれを無言で受け取りながら俺は「いいなあ」とぼやいていた。


「自分で買えばいいじゃん」とナツキに突っぱねられて、

「じゃあ俺のも半分やる」とルシアが中立的に分配して、

最終的に三人とも腹が減って終わった、あのくだらない夕方の記憶。


俺たちはまだ“兵士”じゃなかった。

ただの、訓練に必死な子供だった。


ルシアが泣いた日もあった。

ナツキが怒った日もあった。

俺が逃げた日も、きっと。


でも、あの頃の三人はたしかに“仲間”だった。


(……ナツキは、覚えてるのかな)


あの頃の空気を思い出していた。

足りない夕食、くだらない言い争い、そして一緒にいた時間。

あの夕方が、いつの間にかもう取り戻せない“過去”になっていることに、今さらながら気づく。


「おい、何ボーッとしてんだ。足元見ろ、段差」


「うおっ、危ね」


ルシアに肩を引かれて、電磁昇降路の段差を乗り越える。


「ちゃんと前見て歩けよ。頼むから演習前に死なないでくれよ?死にかけてる信頼度がゼロ未満まで落ちるからな」


「……サンキュ」


「どういたしまして」


そう言って笑ったルシアの顔は、少しだけ昔のままだった。


駅が近づいてくる。


デルタ・ゲート。巨大な霊素制御アーチが頭上を包み込むようにして展開し、霊素に反応するマナ認証パネルが俺たち候補生のIDを次々にスキャンしていく。


構内には、すでに別班の候補生たちの姿があった。見慣れない制服を纏った一団。黒を基調としたタイトなコートに、白銀の縁取り。左肩に雷導兵団の象徴である双雷紋章。腰には戦術デバイスと共鳴バッジが固定され、全体の仕立ては動きやすさと権威を両立させたミリタリー・フォーマル。


それが——クラス1。


雷導中央育成局(LCA)の中でも、成績・適性・精神安定性すべてにおいて最高評価を受けた“実戦直結の精鋭部隊予備群”。

訓練段階にして既に兵団配属を想定された候補生たちであり、彼らは常に“見る側”ではなく“見られる側”として存在していた。


「あれが……」


隣のルシアが低く呟いた。

さっきまで冗談めいていた彼の目も、無意識のうちに“距離”を測るそれに変わっていた。


黒銀の制服が並ぶ中、ひときわ目立つ金髪の青年がいた。



■■■ クラス1候補生 ──


◆ アルフォンス・ゼグナール

・年齢:18歳

・属性:雷・金属(複合)

・スキル:《テンペスト・カスタム》

 → 機械部品と雷霊素を瞬時に再構成し、自律型戦術ユニットを戦場で展開可能。

・性格:冷静・自信家・理論派

・評価:戦術指揮適性S、共鳴適応度A+

・通称:「兵団の若き設計士」


彼は端正な顔立ちと、作り物のように整った金髪を持ち、静かな所作で仲間に指示を送っていた。

隣に立つ女性の候補生と目が合うと、軽く顎を引くだけで意思を伝えていた。



◆ セリア・フロスト

・属性:氷・風

・スキル:《エア・ロック・ブレイク》

 → 空間内の湿度と気流を凍結させ、対象の動きを封じる広域拘束術。

・外見:銀白のショートカットに、片目に装着された透霊ゴーグル。

・性格:無表情・沈黙型。だがアルフォンスとの連携時のみ高い動作率を発揮。



そのほか、筋肉質な男装風の少女や、見た目だけで圧が違う雰囲気の連中が揃っている。


クラス3の俺たちと並ぶと、その差は歴然だった。


(……同じ“候補生”とは思えねぇな)


たしかに、実力差があるのは当然だ。俺はスキルの暴走で信用を落としたばかり。

向こうは選抜訓練を何度も突破し、LCAの中でも評価を受けた存在たち。


近くにいた同じクラスメイトのシュウ・クラヴァートも、「……あいつらは、ちょっと別格」と呟いていた。


緊張の空気が流れる中──その中の一人が、こちらに向かって歩み出た。


男か女か、一瞬では判別しづらい中性的な顔立ち。

肩まで伸びた深緑の髪を一つに束ね、鮮やかな翠の瞳がこちらをまっすぐ射抜く。


クラス1の中でも特に“異質な気配”を纏ったその人物は、笑みを浮かべながら俺の目の前まで来て——


「君が、噂の“特級スキル”持ちの生徒かな?」


そう言って、不敵な笑みを浮かべた。


「“パーフェクト・コピー”——だったっけ?」


霊素の波が、静かにざわめいた。

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