第59話 舐めてんのかァァァ
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「おい…ッ」
声が……聞こえる
「おいってば……ッ」
聞き慣れた声。
…頭の奥から、聞こえてくる声が………
「ゴラァァァァァ!!!!!!!」
——ブホォぁッ!!!!?!!!?
暗闇の奥から突き刺さるように食い込んでくる全身全霊の“右ストレート”が、人体の弱点の一つである“みぞおち”に着弾する。
それは物理的なダメージというよりも、——かつてないほどの“衝撃”を含んだ「一撃」だったと形容したほうがいいだろう。
ダメージはダメージであり、「痛い」という事象を孕んだ一撃だったことに変わりはないのだが、そんなことも言ってられないほどの苦痛が意識の遥か後方から怒涛の勢いで押し寄せてきては、俺の感覚器官の全てを一瞬でログアウトさせた。
いや、いくらなんでももう少し加減しろよ。
犯人はわかっている。暗闇の奥から聞こえてきたその「声」は、俺にとってもっとも慣れ親しんだ声色と色調を含んでおり、——「日常」だった。
その声は快活な調子を含んでいながら、どこか――絶対に逆らってはいけない種類の怒気を孕んでいた。
「起きろって言ってんだろがァァァ!!」
「ぐほぉッ!!?」
二発目。
今度は顔面だった。しかも迷いゼロ。ためらいゼロ。
拳に宿る水霊素が、まるで俺の人生そのものを洗い流すかのように綺麗にヒットし、視界が真っ白になる。
……あ、これ死ぬやつだ。
「ま、待っ……!ちが……!」
言い訳を構築する前に、三発目が腹に叩き込まれた。
俺の口から空気と一緒に、魂が半分くらい抜けていく。
「問・答・無・用!!」
ナツキの声は、もはや怒声というより判決文の朗読だった。
「なに寝てんの? なに気絶してんの?
人の下着に魂憑依させといて、都合よく失神とかふざけてんの?」
「ちが……それは……事故で……!」
「事故でパンツに魂宿るかァ!!」
バキィッ!!
横っ腹。
いい音がした。完全に“戦闘不能判定”の音だ。
「ぎゃぁぁ!!」
床に転がる俺を見下ろすナツキは、すでに仁王立ちだった。
腕組み。足を肩幅に開き、視線は冷たい。
ああ……これは知ってる。これは“本気でキレた時のナツキ”だ。
「……説明」
「はい!!」
反射で正座した。
体が勝手に“謝罪モード”に入っている。
「い、いや、その……ギフトステップっていうスキルをコピーしてて……
それがシェイプシフトと干渉して……」
「コピー?」
「……はい」
「誰の許可取った?」
「……」
「……誰の?」
「…………」
無言。
沈黙が、俺の首を絞める。
「私のスキルを“勝手にコピーすんな”って言ったよな?」
「……はい」
「で?」
「……勝手に……しました……」
バキィッ!!
今度は頭。
思いっきりグー。
視界がぐるんと回る。
「この!!
クソ!!
変態!!」
「ちがッ!!変態じゃ……!」
「下着に魂ぶち込んだ時点で変態だろ!!ジャンル分けする余地すらねぇわ!!」
完全論破だった。
「だいたいなぁ!!」
ナツキは一歩踏み出し、俺の胸ぐらを掴む。
至近距離。
怒気と水霊素が渦巻いてる。
「今日は何だった!?」
「……クラス1との……合同演習……」
「そうだよね?」
「……はい……」
「なのに何してた?」
「……他人のスキルを……コピーして……」
「それで?」
「……暴走させて……」
「結果?」
「……仮病で……休みました……」
ドンッ!!
背中を床に叩きつけられる。
「舐めてんのかァァァ!!」
雷が落ちたみたいな声だった。
「他人のスキルを無断でコピーして、
制御ミスって、
挙げ句に人の下着に魂憑依させて、
しかも大事な合同演習を“体調不良”でバックレ!?」
「……」
「それ全部ひっくるめて何て言うかわかるか?」
俺は、震えながら答えた。
「……人生終了……?」
「信用崩壊だよ!!」
ド正論パンチだった。
もう反論の余地がない。
「いい、ライ。
スキルが強いとか特級とか、そんなのどうでもいい」
ナツキの声は低く、しかし真っ直ぐだった。
「一番大事なのは、“使い方”だって何度も言ってるでしょ?それを間違えたら、どんな能力だってただの災厄になる」
……あ。
怒ってるだけじゃない。
本気で、心配してる。
「私はさ、あんたが自分の能力を粗末に扱ってるのが一番腹立つ」
その一言で、胸の奥が締め付けられた。
「……ごめん……」
震える声で絞り出す。
「ほんとに……ごめん……」
ナツキはしばらく黙って俺を見下ろしていた。
沈黙が重い。
さっきの拳より、……よほど重い。
「……謝って済むと思わないでね?」
「……はい」
「でも」
一拍。
「ちゃんと反省して、明日の屋外演習はちゃんと来なさいよね」
俺は、思わず目を見開いた。
「……え?」
「クラス1の候補生と合同演習なんて滅多に無いんだから、体調が悪かろうがなんだろうが絶対来ること!」
「……え、マジで!? ってことはつまり、今ここで許されたってこと……?」
「許してるわけないでしょ!」
「えっ」
ナツキはピシャリと言い切ると、再び腕を組んで俺を睨みつけた。
「帳消しにもならないし、評価もマイナスからスタートだからな?」
「お、おう……」
「ついでに言っとくけど」
ナツキはキッと睨みを効かせた。
「自分の尻拭いくらい、自分でやれ」
……パンツだけに?
「もう一発殴られたい?」
「すみませんでした!!」
即答だった。
ナツキは深くため息をつき、踵を返す。
「今日はこれ以上殴らない。……その代わり」
ドアの前で、振り返る。
「次やったら、魂ごと沈めるから覚悟しといてね?」
ガチャリ。
ドアが閉まる。
……俺は床に転がったまま、天井を見上げた。
(……生きてる……)
肉体的にはボロボロ。
精神的には瀕死。
社会的信用? 瀕死通り越して仮死。
でも。
(……ちゃんと怒ってくれたんだな……)
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
…………いや、マジで命があって良かったと思う。
まだ腹の奥がジンジンする。特に最初の一撃、あれは確実に魂にまで届いた。
さっきまでパンツに憑依してたせいで、肉体と精神のリンクが微妙にズレててダメージが倍増してる気すらする。でも逆に言えば、これで済んだのが奇跡だ。
だって冷静に考えてみてほしい。
パンツ、だぞ?
よりによってパンツ。
しかも“女子”の。
いくらスキルの暴走だったとはいえ、それはもうどんな言い訳も届かない“超越的アウト”だ。
プライバシーとか羞恥とか、そういうレベルじゃない。道徳、倫理、社会的信用、信頼関係、すべてを一撃でブチ壊すほどの“事故”だったわけで。
逆の立場だったら俺、たぶん殺してる。
「事故でした」で済ませられる問題じゃない。むしろ事故だからこそ質が悪い。
だって、どこに怒りの矛先を向けていいか分からないぶん感情の収め方が難しいだろ?
……なのに、ナツキは俺をちゃんと殴って、怒って、最後には「明日の演習には来い」って言ってくれた。
それがどれだけ、救いだったか。
「……ほんと、すまねぇ……ナツキ……」
誰にも聞こえないように呟いた。
いやもちろん許されてはいない。評価はマイナスからの再スタートだし、“次はない”と明言されている。
つまり今の俺は、「留保付きの仮釈放」みたいなもので。
ちょっとでも再犯すれば、即・極刑コース確定。ナツキの拳による断罪に、情状酌量の余地はない…
それにしても──
(……なんで、バレたんだろうな……)
自室で倒れてから気がついたらナツキの前だったし、あの状況からどうやって戻ってきたのかも正直よく覚えていない。ていうか、意識が戻った瞬間に物理で叩き起こされたから、時系列すら怪しい。
でもまあ、どうせバレるとは思ってた。
いや、正確には「話さなきゃ」って思ってた。
遅かれ早かれ、さすがに今回の“事故”は自分の口からきちんと説明するべきだったし、今のタイミングで怒られて良かったのかもしれない。
──いや、良くはないけど。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
ふと天井の明かりが目に入って、視界の奥が少しだけチカチカした。
ナツキが言っていたことを、俺はもう一度思い返す。
「能力が強いとか特級とか、そんなのどうでもいい」
「一番大事なのは、“使い方”」
……ああ、そうだったな。
俺がこの力をコピーできるのは、“適応性が高い”からであって、“天才”だからじゃない。
制御を誤れば、今回みたいにただの“事故装置”になるだけ。
力を持つ責任ってのは、たぶんそれを“理解して使えるかどうか”なんだ。
(……ほんと、なにやってんだ、俺)
反省の言葉が自分の内側でリフレインする。
理屈じゃないって何度も思ったけど、理屈を投げた時点で“兵士”としてはアウトだ。
そんなことを考えていたら、ふと時計が目に入った。
夜の二十二時を回っていた。明日は、クラス1との合同演習。
(……クラス1か)
彼らは雷導兵団──連合軍最高戦力の直下部隊──への配属が見込まれるトップエリートたち。
戦績、適性、精神力、戦術理解、どれを取っても最上位クラスで、今のLCAの中でも間違いなく「本物の化け物」が揃っている集団だ。
そんな連中とクラス3の俺たちが“合同演習”できるチャンスなんて、滅多にない。
自分の実力を試す意味でも、スキルの研鑽としても、ここで何かを掴めるかどうかは今後に大きく関わってくる。
そりゃナツキが怒るのも当然だ。
俺も……つい昨日までは楽しみにしてたはずだった。
“こんなこと”がなければ。
(……クソ、情けねぇ)
俺は歯を食いしばって、ようやく上半身を起こした。
筋肉痛と打撲の痛みでうめき声が漏れるけど、それでも立ち上がらなきゃって思った。
今、俺にできるのは──
「せめて、マイナスからでも……取り戻さなきゃな……」
そう、自分に言い聞かせた。
そして。
ゆっくりと立ち上がったその瞬間──
……胃が、キリキリと痛んだ。
「………………アレ? なんか、明日……胃、死ぬ気がする……」
俺はそう呟きながら、そっと冷蔵庫に向かって“常備の胃薬”を探し始めた。
明日は、きっと地獄の一日になる。
でも。
(ナツキの信頼を……取り戻すために)
やるしかねぇだろ、俺。




