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第58話 俺の意思は一切関与しておりません



ソファに腰を下ろした彼女の体重が、じわり……と俺にのしかかってきた。


(ぐぬぬぬぬ……!! お、重いッ……! いや、待て落ち着け……! これは“ナツキのお尻の感触”なんかじゃない! これはただの“重量データ”だ! 質量保存の法則! そう、物理現象! 感触なんていう幻想に惑わされるな俺ッ……!!)


必死に自己暗示をかけるも、事実として俺の“視点”は今まさに彼女の真下に固定されている。

ソファの沈み込みに合わせてぎゅうぎゅう圧迫されるこの胸郭的感覚。

布きれであるはずの俺が、なぜか肺活量ゼロの中で呼吸困難を訴えているのだ。


(やっべぇ……! 息苦しい……! っていうか、布なのになんで息苦しいって思うんだ俺は!? これはもう物理法則どころか存在意義を揺るがすレベルだろ!?)


——いや、違う。

理屈は理解している。


「ギフトステップ=魂付与」は、付与した対象に応じた内的構造が“そのまま投影されるわけではない”。

付与した対象の構造や物的性質の形容に問わず、俺自身が持つ感覚や人格を投影し、そこから世界を体験するものだ。


(はぁ……はぁ……っ……! く、くそ、息が荒い……!)


……呼吸。

そう、俺は今「布」なのになぜか呼吸を必要としてしまっている。

魂を宿した物体は、イメージに基づいて“感覚”を補完する。つまりパンツである俺は——素材の伸縮や圧迫を“息苦しさ”として脳が勝手に換算してしまっている。


つまり。

物体に宿った俺の魂は、その材質や強度に応じて“痛覚”や“圧迫感”を自動的に補完してしまう。

鋼鉄なら鈍い衝撃、紙なら裂ける恐怖、そして布なら……そう、“伸びきる苦しさ”だ。


(……だから俺は今、パンツとして“息苦しい”んだな……!? な、なるほど、完全に理解した! いや理解したところで地獄は地獄なんだけどな!!)


耐久性を超える圧力を受ければ、当然“破れる”という痛覚が走る。

その限界を避けるために、布なりに少しでも楽な体勢へと自動調整が行われる。

それが俺の無意識の“モゾモゾ”動きとして具現化されてしまっているのだ。


(うおおおおッ……! 動くな俺! 耐えろ俺! これは緊急回避動作なんかじゃない! ただの不審者挙動だッ……!!)


だが、悲劇は起こる。

いや、起こるべくして起こった。


彼女が無造作にソファへ背を預けるたび、その重みが俺にさらなる圧迫を強いる。

逃げ場を求めて布の繊維がわずかに身をよじる。

その結果——


「……っ」


ごく微かに、彼女の喉から小さな吐息が漏れた。

太腿が上下に動き、パンツの食い込みがさらにキツくなっていく。


(お、おい……!? なんか今変な声出してなかった!? まさか今の“モゾモゾ”が……!? いやいや、そんなバカな……!?)


俺の動きは“意思ある挙動”ではない。

布きれに生まれ変わったばかり──というかそもそもどの部位で「動いてる」のかすら分かってない俺は、どう力を逃がせばいいかもさっぱりわからない状況だった。

人間なら「のけぞる」とか「体勢を変える」とか、逃げるための動作が直感的にできる。

だが、パンツという構造は……上下と左右に伸びるだけのシンプルな“布”。

逃げ場はない。

その結果、俺の全力の“もがき”は奇怪な方向へと暴走していく。


(ちょっ、待っ……! 俺はただ苦しくて体勢を変えたいだけなんだ! 決していやらしい意図は——!!)


ぎゅ、ぎゅう、と繊維がきしむ。

布の張力を必死に逃がそうとする俺の“調整”は、しかしことごとく彼女の敏感な箇所へピンポイントで圧力をかけてしまう。


「……っひ」


ナツキが不意に小さく身を震わせ、思わずスカートの上からパンツ部分を押さえた。


(や、やめろおおお!! そんな仕草されたら、俺がますます罪人にしか見えないだろおおおお!!!)


焦りすぎた俺は、逆に挙動がエスカレートしてしまう。

ちょうど水中で必死に泳ごうとする素人みたいに無駄なバタつきが増え、結果的に“余計なところ”に布圧が集中する。


「……んっ……」


再びナツキの口から漏れる声。

テレビを観ながらの何気ない時間のはずが、その表情が一瞬だけピクリと揺れる。


(ぐわああああああああ!! 違うッ! 俺は悪くないッ! 俺はただ“呼吸”を求めただけなんだああああ!!)


俺は必死に動きを止めようとする。

だがパンツとしての俺は「止まる」ことすらままならない。

繊維は伸び縮みし、腰回りにフィットするために常に微調整を繰り返す——それが布としての“本能”。

そしてその“本能的な動き”が、まるで悪魔のイタズラのようにさらなる誤解を呼んでしまうのだ。


「……っふ」


スカートの中という密閉空間。

その中心で、俺は自分の意志とは無関係に“世界最悪のマッサージ機”と化していた。


(やべぇやべぇやべぇ……! このままじゃマジで俺の精神が崩壊する……! 落ち着け、まずは呼吸を整えろ……!)


俺は必死に挙動を最小限に抑えようとする。

繊維を張り詰めるのを止めて、余分な動きを極力殺して、ただじっと耐える。

——はずだったのだが。


「……んっ」


彼女の声が、また小さく漏れた。


(はあああああ!? なんでだ!? 俺、今完全に静止したはずだろ!? いや違う……俺が“止まった”と思った瞬間、布としてのフィット感が自動調整されて……っ!!)


そう。

パンツは常にフィットする。

座った姿勢、脚を組む動作、腰を傾ける仕草……。そのすべてに“布として応える”本能的なリセットが働く。

そしてその調整が、よりによって一番センシティブな箇所へピンポイントで集約されてしまう。


(マズいマズいマズい……! 俺、これ以上余計なことしたら絶対アウトだ……! どこかに逃げ道は……!)


俺はどうにか“力を抜く方向”に意識を切り替えた。

呼吸を抑え、極限まで動かず、ただじっと存在を薄める。


……その瞬間。


ふっ。


(……!? お、おい、今の“息”みたいなやつ……まさか俺から出たのか!?)


そう、布繊維に宿った俺の魂が、張力を逃がすために“空気を吐き出した”かのような錯覚を生み出したのだ。

その“吐息”が、スカートの中でダイレクトに届いた場所は——当然、彼女にとって最も敏感なところ。


「……っひゃ」


ナツキが小さく身体を震わせた。

その表情はテレビの画面からわずかに逸れ、ほんの一瞬だけ何かを堪えるように強張る。


(ぎゃあああああああああああ!! 俺、なにやってんの俺えええええええええええええ!!? 違う! これはただの物理現象! 悪意ゼロ! 俺の意思は一切関与しておりません!! でもこれ第三者から見たら完全に痴漢だああああああ!!!)


俺はもう泣きそうだった。

息を殺せば殺すほど、余計にその“吐息”は布の隙間から抜けて彼女を刺激してしまう。

動きを抑えれば抑えるほど、布の調整は一点に集まり、結果として最悪の場所へ集中する。


(ふざけんなあああああああ!! 俺はただ呼吸したいだけだああああああ!!!)


だが外から見れば、ただ彼女がテレビを眺めているだけの平和な光景だ。

……その足元に、地獄を抱えた布一枚が存在していることなど知る由もなく。



ナツキは異変に気づく。

身を捩れば捩るほど下着が食い込んでくるような感覚は、後にも先にも今この瞬間においてが初めてであり、下半身から伝わってくる未知の感覚が彼女の思考回路を電流のごとく刺激させてしまうのは時間の問題であった。


“パンツの中に何かが入っている?”


そんな最悪な予感が彼女の脳裏によぎったのも束の間、慌ててスカートの裾を捲る。

彼女が最初に感じたのは“何かが動いている”という感覚であり、よもや“パンツ自体が動いている”とは頭の片隅にも思うことはなかった。それもそうだろう。普通に考えて「パンツそのものが動く」という発想はどんな境遇を生きた人間でも簡単には思いつかないだろうし、そういう予兆さえ普通の日常生活圏内では起こり得ないのが通例だ。とは言え“パンツの中に何かが入っている“という疑問が湧く時点ですでに非日常的であり、急を要する事態であることには変わりない。”まさか虫?!“と咄嗟の考えが頭によぎる中、慌てて手を伸ばしたのだ。さっきから恥部を刺激してくる“得体の知れない何か”。それを今すぐにでも確かめようと下着の縁に指をかける。そして、それが”地獄”の始まりだった。


ナツキは焦っていた。本当にそれが“虫”なら急いで問題を解決しなければならない。呑気にソファの上でスマホをポチポチといじりながらくつろいでいる場合ではなく、直ぐにでも除去して身の安全の確保に努めなければならない。だがライ(雷牙)はそんな彼女の挙動をよそに1人格闘していた。パンツとしての体の動かし方や息の仕方、理性と人格を保つための涙ぐましい必死の努力。目を閉じていなければならないとか匂いを感じてはいけないだとかの細心の注意はどこへやら。とにかく今の状況を突破するための最善の方法についてをことさらに考え続けていた。もがきにもがき、なんとか自由に動けるかもしれないという光明を掴みかけていた矢先だった。ナツキがスカートを捲り、下着に指をかけるまでの数秒。突然視界がひらけたように明かりが差し込み、動悸が一気に加速する。


スカートの中から視えていた景色とはまるで違う、色鮮やかな質感に彩られた世界。


ナツキはソファから立ち上がり、焦りながら下着を腰から下ろした。ライはなす術もなく、——というよりも何が起こってるかの整理が追いつかぬまま、この世界で最も神秘的で美しく、荘厳な景色を目の当たりにすることになる。



——彼は見てしまった。

いや、「見てしまった」というよりは「強制的に見せられてしまった」と言うべきだろう。



ナツキが焦った様子でスカートを捲り、パンツを腰からスルリと下ろしたその瞬間——

ライは彼女から切り離され、布としての肉体を脱ぎ捨て、ほんの一瞬だけ宙に浮いたような感覚を味わった。


(……あ、自由だ……! ついに俺は解放されたんだ……!!)


長きにわたる「布の監獄」からの脱出に思わず歓喜したのも束の間。

彼の疑似視界の先には、世界で最も“刺激が強すぎる風景”が超ド直球のアングルで広がっていた。


そう、いわゆる「真下から見上げる」という、人類史上誰も想定していない位置取り。

美しい彼女の身体のもっとも神秘的な領域が、ナツキの視界を完全に埋め尽くしていたのである。


(お、おおおおおおおおい!?!? おい神様、これはいくらなんでもサービスが過剰すぎだろッッ!!!)


脳内に雷鳴が轟き、心臓はドラムロールのごとく乱れ打つ。

視界いっぱいに広がる“禁断の聖域”は、まるで世界遺産を真下から仰ぎ見ているかのような荘厳さ。

いや、そんな例えで誤魔化すことすら不可能だ。彼の語彙力はとうとう崩壊した。


「し、神秘的……いや違う!! これは神秘とかそんな生易しいもんじゃない!! ただの直視即死級の大惨事だぁぁぁ!!!」


必死に理性を掴もうとするが、脳の処理能力は完全にオーバーヒート。

「見てはいけない」「でも見えてしまう」「いや今さら目を逸らすなんて無理」——そんな無限ループに陥った彼は、まさに絶望の螺旋階段を駆け下りていた。


その頃、ナツキはといえば——。

パンツを下ろし、じっと下半身を確認していた。


「……な、なんにも入ってない」


そう、彼女の疑念は「虫が潜んでいるのでは?」という一点に集中していた。

だから当然、ライの魂がそこに意識として存在していたなんて夢にも思っていない。

彼女にとっては「ただ下着を下ろして確かめたら、空っぽだった」というだけの話だ。


だが、ライにとっては話がまるで違う。

パンツから切り離され、真下から見上げるという歴史的事故。

しかもその対象がよりにもよって幼馴染であるナツキ。

一度本気でキレさせたら、翌朝には山の天気より変わりやすい気分で全治三ヶ月の仕打ちをくれる、あのナツキである。


(こ、これ以上は耐えられねぇ……! 俺の精神ゲージが……! いやもうとっくにゼロを突き抜けてマイナスに突入してるッ!!)


呼吸が荒くなる。

いや、呼吸というより“意識の震え”そのものが荒ぶっていた。

頭の中で鐘が鳴り響き、血管はパンク寸前。

理性という名の防波堤は完全に崩壊し、津波のように押し寄せる「刺激」が俺を容赦なく呑み込んでいった。



そして——。


「うぷっ……」


ライの視界は真っ白に弾け飛び、そのまま奈落の底へ一直線に落ちていった。

そう、彼は——失神したのだ。


(だぁぁぁめだ……これ以上の刺激は、俺の脳のOSじゃ処理できねぇぇぇ……!! 完全にフリーズだぁぁぁぁぁ……)


バタン、と頭の中で何かが倒れる音。

Windows98がフリーズした時みたいに、もう何をしても再起動するまで反応しない。

そんな状態に陥った彼は、ただただ意識の闇に吸い込まれていった。


その間も、現実世界では——ナツキが何事もなかったかのようにパンツを確認し、「虫なんていなかったか……」と胸を撫で下ろしていた。

彼女にとってはただの小さな勘違い。

だがライにとっては、人生最大級の精神攻撃を食らった地獄絵図。


(……マジで……こんな死に方、前世でも今世でも聞いたことねぇぞ……)


そう心の底から嘆きながら、彼の意識は完全にブラックアウトしていったのだった。


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