第25話 騒がしい厨房
それからしばらくの間、やけに騒がしく——どこか懐かしい日が続いた。
「おいゼン!こいつはどこにしまうんだよ!?」
「そこに棚があるだろ?ちゃんと順番通り置けよ?」
「順番通りぃ!?奥から詰めていきゃいいだろ!」
「ダメだ。動線ってもんがあるんだ。適当に置かれたら困る」
「…なんだよ動線って。こんな狭苦しい厨房で動線もクソもあるかよ!」
「ちゃんと考えて設計してるんだ。ガサツのお前にはわからんだろうがな」
「なんだとテメェッ!!」
……なんでこんなことになってるかというと。いや、説明するのも面倒だな。
帝都から連絡が帰ってくるまでの間、「暇だし、ちょっとは手伝ってやるか」とカイが言い出したのが始まりだ。
最初は皿洗いだけを頼むつもりだった。だが、洗い物中に器を二枚割ったあたりからおかしくなり、「だったら食材の搬入を……」と頼んだら、勝手に野菜の根を切り落として捨てた。
「使うんだよそれ!出汁に!」
「は?なんでこんな汚ねえ根っこ使うんだよ!」
「旨味は根に出るんだよ!」
「なにその理屈ぅ!?料理人って変態ばっかかよ!」
「その変態の料理食ってうまいって言ったのはお前だろうが!」
「それはそれだ!」
……というような会話が、今日に至るまでずっと続いている。
厨房というのは、本来静謐と集中の空間であるべきだ。だが、カイがいるだけでそれは完全に崩れる。
彼女の声は大きい。動きは派手で、足音は雷鳴のよう。そして何より、余計な口が多い。
「ほらよ、野菜、切っといたぞ」
「……斜めだな」
「はあ?」
「全部、斜め。俺はこの料理に必要なのは“均等な火の通り”だって言ったろ」
「いや、斜めの方がなんか……かっこよくね?」
「かっこよさは皿に盛るときに考えろ。火にかける前にデザインしてどうする」
「お前、ホントに細かいなあ……戦場じゃそんなん気にしなかっただろ?」
「戦場じゃ、飯は生きるための燃料だ。でもここは違う。“旨い”のためにやってんだ」
カイは包丁を置いて、しばらく黙って俺の手元を見ていた。俺は、刻みネギをひたすら細く、均一に切り揃えていた。片刃の薄刃包丁で、一ミリのズレも許さない。
「……昔のお前、こんな顔してなかったよな」
ぽつりと、彼女が呟いた。
言葉に詰まった俺は包丁の動きを止め、柄に手を添えたまま返す。
「昔の俺は、料理らしい料理をほとんどしたことなかった。食うか食わされるか、そんな日々だったからな」
「今のお前の方が……なんつーか、“生きてる”って感じするわ」
そう言ってカイは皿を一枚、ふきんで丁寧に拭き始めた。
……珍しい。
その姿に思わず笑いそうになったが、俺も黙って刻みを再開した。
厨房の空気が、ようやく落ち着いたかと思った矢先。
「うわあああっ!?熱っ!!」
「だから言っただろ、その鍋はまだ熱いって」
「なんで見た目でわかんねえんだよ、熱々だなんて!」
「感覚を磨け」
「精神論かよぉぉ!!」
やっぱりダメだこいつは。
俺は深くため息を吐き、布巾を取り上げて彼女の手を冷ましながら言う。
「もういい、休んでろ。朝の仕込みは一人でやる」
「ぐぬぬ……くそ、また負けた気がする……!」
「最初から勝負じゃない。厨房は戦場じゃないって言ってんだろ」
「私にとっちゃ、こっちの方がよっぽど過酷だ……」
そうぼやきながら、カイは野営テントの方へ戻っていった。後ろ姿は堂々としているくせに、どこか背中がしょぼんとして見えるのは気のせいか。
厨房に静けさが戻る。やっと、いつもの空気だ。
だが、どこか物足りない気がするのは……まあ、気のせいだろう。
店の営業が始まる頃には、〈風喰い〉の団員たちが周囲の整備を手伝っていた。
看板の掃除、薪の補充、湧き水のタンク補給。どれも俺がいつも一人でやっている仕事だが、人数がいれば早いものだ。
それを団長が率先して手伝おうとしないのがまた、らしいというかなんというか。
「なあゼン、うちの連中使っていいか?」
カイが店の戸口から顔を覗かせて言う。
「使っていいが、指示には従わせろ。勝手に材料触ったら怒鳴るからな」
「はーい、みんな聞いたー? ゼン親父の言うことは絶対だってさー!」
「親父って呼ぶな」
「はーい、ゼン“兄貴”ー!」
「やめろ」
「じゃあゼン“師匠”?」
「殺すぞ」
「はいはい、じゃあゼン“料理長”で」
「それはちょっと……いや、やっぱりやめろ」
――やかましい。
でもまあ、こういう日が一日くらいあってもいいか。
通信符の返事はまだ届かない。だがその代わりに、今日の“厨房”は、少しだけ賑やかで、少しだけ温かかった。