第24話 隠居ってのはそういうもんだ
力を貸してやらんこともないが、何日も店を空けるわけにはいかない。
一日や二日くらいなら同行してやらんこともない。だが場所がよくない。ケルト山岳——通称"風鏡山群"とと呼ばれるあの山岳地帯はここから1000キロは離れている。カイの飛空挺と言えど行くだけで半日はかかってしまう。しかも、行ったところでイグザスがいるという確証はどこにもない。
……俺は暇人じゃない。米を炊く必要があるし、干し肉もまだまだ仕込まなきゃいけない。何よりライルを1人にさせておくわけにもいかない。
となれば、やはり帝都か。
あそこならイグザスを知っている連中が大勢いる。とくにやつが所属していた帝国魔導技術局本部――あそこにはまだ何人か、俺の顔を知る職員が残っているはずだ。
もちろん、イグザスはあの組織をとっくの昔に離れた。しかし、完全に関係を絶っているとは限らない。技術者というのは、たいてい“後ろ暗い研究”や“未公開の理論”を共有する仲間がいるものだ。公にできない分、繋がりは逆に深くなる。
俺の知っている限り、イグザスの中でも特に信頼していた助手がいたはずだ。名前は……確か、リネ=ヴァルスト。当時は若くてまだ研修員扱いだったが、魔力運用理論に関してはすでに局内で一目置かれていた。
あいつなら、今でも帝都に残っている可能性はある。
とにかく、まずは接触ルートを確保する。
そのためには、……あまり気乗りはしないが、帝都との連絡網にアクセスする必要がある。
幸い、うちの灰庵亭は辺境といえども“郵便精霊”の通過ルートにある。定期的に商人ベロックが届けてくれる「通信結界紙」に魔力を込めれば、帝都の連絡所を通じて短いメッセージを送れる。……まあ、文字制限がきついし、返信には数日かかるが。
あてずっぽうに山を越えてイグザスを探しに行くより、まずは確度の高いルートを探る。回りくどいやり方に見えるかもしれないが、焦って行動するよりも一つずつ確実な情報を集めていった方がいい。
俺は書き終えた通信符を湯気の上がる茶碗の隣に置き、身を伸ばす。朝の光が差し込む厨房の木の柱に、焚き火の香りがまだほんのり染みついていた。
「……さて、あいつに話してくるか」
俺は湯呑を片付け、通信符を外套の内側にしまい込むと、玄関から外へ出た。
山の冷たい空気が鼻を刺す。昨日までの余熱を残す地面はしっとりと湿り気を帯びていて、焚き火の残骸の煙がまだ細く尾を引いていた。
灰庵亭の向かい、少し開けた岩場に、鮮やかな布を張った野営テントが三張り。
その前で空賊団〈風喰い〉の連中が朝食の支度をしていた。干し肉を焼き、黒パンをちぎり、スープの鍋を温めている。野営慣れした動きだが、どこか全体的に騒がしいのは団長譲りか。
その中心で例によってカイは腕を組んで仁王立ちしていた。
俺が近づくのを目ざとく見つけて、声を張る。
「お、ゼン!ようやく出てきたか。で、返事は決まったか?」
「……とりあえず、直接行くのはやめだ」
「は?」
「イグザスの居場所が確定してない以上、山岳地帯までひとっ飛びで行くのはリスクが大きすぎる。下手すりゃ三日無駄にする。だから、まず帝都経由で連絡を取る」
「……って、どうやってだよ」
「技術局の知人宛に通信符を送る。イグザスに繋がっている可能性があるやつだ」
「……お前なあ。なんでそんな回りくどいことを?」
案の定、眉をひそめて文句が飛んできた。まあ、そういうだろうとは思っていたが。
「回りくどくても、無駄足を踏むよりマシだろう。第一、俺は毎日店を回してるんだ。誰かみたいに気軽に空を飛んでられる身分じゃない」
「へいへい、またその“隠居してますアピール”かよ」
カイは黒パンを齧りながら、呆れたように言った。が、すぐに顔をしかめる。
「……このパン、昨日の残りか? 硬ぇな」
「うちで出してるパンは三日発酵だ。文句言うならスープに浸せ」
するとカイはスープの鍋から木の柄杓を引き抜き、パンを浸して無理やり押し込んだ。その間もこちらを睨んでいる。
「まったくよ……あんたってのは、昔っから一歩引いてばっかりだったな」
「その分、無駄な死傷者も出さずに済んだろうが」
「だから言ってんだよ。それはそれでいい。でもな……今回は空賊レースだぞ? 命がけのバトルが売りの馬鹿イベントだ。今さら悠長なこと言ってたら、レースに間に合わねえって」
「だからまずは情報を確保するんだ。焦って山に入って、何も得られずに戻ってきたらどうする」
「そん時は、また飛ぶだけさ」
まるでそれが当たり前だとでも言いたげに、カイは肩をすくめる。……これだから空を飛ぶ連中は困る。
「そっちはそれで済むだろうが、こっちは違うんだよ。店もある。予約もある。干し肉の塩抜きのタイミングもある」
「……塩抜きぃ?」
「放っておくと味が抜ける」
言い終えた瞬間、団員の一人が盛大に吹き出した。カイの後ろでスープ鍋をかき混ぜていた青年で、目元に走った焼き傷が痛々しいが、顔つきは穏やかだ。
「す、すみません団長……でも、“干し肉の塩抜きが優先”って……ぷっ……」
カイが振り返って鋭い目を向けるが、すでに他の団員も笑いを堪えきれていなかった。
「笑ってんじゃねえ! ゼンは本気で言ってんだぞ!」
「いや、そうなんだが……」
俺は腕を組み、深くため息をついた。
「お前らが何をどう思おうが、俺には“店を守る”って日常があるんだ。戦争でも冒険でも、終わった後に何が残るかって言ったら、最後は飯と寝床だ。俺にとっての戦場は、もう厨房なんだよ」
その言葉に、団員たちの笑いが止んだ。
しばし沈黙。鍋のスープがぐつぐつと音を立て、焚き火の薪がパキッと弾けた。
そして、カイがやや照れたように頭をかく。
「……まあ、あんたが真面目なのは、昔から知ってる」
そう言って彼女は腰を下ろすと、ぐっと腕を組んで唸った。
「わかった。今回はそっちの手順に従う。ただし、返事が来るまで、うちの連中はここで野営させてもらうぞ」
「……ああ、構わん。ただし、うちの畑に足を踏み入れたら即出禁だ。あと、店の食材は勝手に使うな。薪は自分たちで割れ。水は湧き水の方を使え。風呂はない。入りたきゃ川に行け」
「相変わらずケチだな、おい」
「隠居ってのは、そういうもんだ」
そう言って俺は背を向けた。厨房に戻って、仕込みの続きをせねばならない。通信符を送った以上、返事が来るまで数日はかかる。どうせなら、その間に干し肉をもう一度作り直しておくか。