第43話 まさかとは思うけど
「……ゴホッ、ゴホッ!」
咳き込みながら、肺に戻ってくる酸素を無理やり掴もうとした。
肋骨の奥が軋んでる。最悪ヒビいってるかも。痛みと呼吸がリンクして、数秒先の判断すら霞んで見えるほどに思考がブレる。
(くっそ……なに、今の)
やっぱりおかしい。
レザックの動き。金属粒子の軌道。どれもが“能力の範疇”を逸脱している。
(……無重力状態を逆手に取った?)
一瞬そう考えたが、すぐに否定する。
私が空中に展開していたのは半径5メートル程度の無重力球体。
いわば、3次元空間上の“浮遊球域”。
あのリングが跳躍した距離はそれをはるかに超えていた。
最短でも十数メートル、下手をすれば数十メートルの垂直上昇。
(その距離を、どうやって?)
確かにレザックの分裂体は、サイズや密度を自由に調整できる。
超微細化して空気よりも軽く――例えば霧のような拡散状態にすることも理論上は可能だろう。
だけどそれを“あの速度”で一極集中させるには、
空間内の圧力・流体抵抗・磁場環境すべてを制御できなきゃ無理なはず。
(いや、待って……)
レザックの能力が“自己金属変質”に限られているという前提――
それがすでに間違っていたとしたら?
彼が自らの肉体内部で、微小な磁場あるいは電磁ネットワークを生成できるとしたら――
話は変わってくる。
例えば分裂体同士を帯電させて局所的に引力や斥力を発生させれば、磁気圏のような浮遊制御フィールドを自前で構築することは理論上可能。
(つまり……彼の金属体は“単体”じゃない。情報連携と移動制御を可能にした、集合型ネットワーク構造なんだ)
金属――
あらためて考える。
金属とは“自由電子の流動性を持つ”物質。電磁波への反応性が高く、周囲の環境によって性質が劇的に変わる。
(だとすれば“彼自身がアンテナであり、導体であり、制御装置”でもあるってこと?)
脳が熱くなる。
思考が高速で渦を巻きすぎて視界がフラつく。
(……あーもう、考えすぎて、こんがらがってきた)
「この無重力空間はいつまで続くんだ?」
「なんで教えなきゃいけないのよ」
「そうか。でも足元には気をつけた方がいいぞ?」
(……は?)
言い終わるよりも先に、足元で――“何か”が蠢いた。
地表を這うように揺れる影。視線を落とした刹那だった。芝生の隙間から銀色の線状物が――ぬるりと、まるで生き物のように姿を現した。
液体金属――
蛇のように細長く変形したその金属体が、勢いよく私の足首へと巻きついてきた。
冷たく重く、粘性のある質感。
一瞬のうちに関節部分をガッチリとロックされる。
逃れようと足を引き上げようとするが――びくともしない。
(なにこれ……!)
足に巻きついた金属は地中に向かって何本もの“根”を張っていた。
それらは地面の土壌と複雑に絡み合い、まるで地面そのものと融合しているかのように見える。
おそらく表面からだけじゃない。地下に広がる分裂体がネットワーク状に絡みついて、クロエの動きそのものを“構造レベル”で封じ込めている。
(重量は――数百キロ……いや、それ以上?)
それが地面に固定され、クロエの体を“地表ごと縫い止めている”状態。
しかもただの重さじゃない。内部構造が変化し続けていて、加重と拘束を同時に加えてきている。
……ふざけないでよ
こんなんで私を止めようって?
質量を武器にして、重力使いを足止めしようなんていい度胸してんじゃん。
(こんなもの、振り払うまでも――)
《無重力球(ゼロ=グラヴィティ)》は単一座標に作用する“点”じゃない。重力のベクトルを球状に展開して、空間そのものの慣性構造を書き換える領域支配型。意識を向けた瞬間、空間の「底面」が反転する。
つまり――
意図さえあれば、私はあらゆる方向に“落とす”ことができる。
そう言いかけた、その時だった。
レザックの本体が中央で一度、球状に収縮する。金属の質感を帯びた身体がまるで呼吸を止めるかのように“圧”を凝縮させ、次の瞬間——爆発的な粒子放射が起きた。
四方八方に飛び散る無数の銀色粒子。一つ一つは極小だけど、空間の構造を知っているかのような広がり方をしていた。まるで最初から「ここを満たす」と決めていたかのような、隙のない散布パターン。
飛散方向は——上空。
粒子は上昇軌道に乗り、演習ドームの上部天井付近で静止。そこで速度をゼロに落としながら、次は水平面上に広がりはじめる。
まるで“天井”を描くように、銀の膜が空を覆っていく。
その構造は正確無比で、物理的な『面』というよりも、空間に貼り付いた銀の網膜のようにフィールド上部を“封じる”。
(……上空封鎖? 経路を——潰す気か)
脱出ラインの封殺。
クロエにとって上空は最も得意とする運用軌道。その経路を塞ぐという行為は、自らの機動優位性を真っ向から否定されるのと同義だった。
しかもこの配置……
(……なるほどね)
単なる拡散ではない。これは封印構造だ。
レザックは“閉じ込める”つもりだ。重力操作を軸とする自分のスタイルを無重力圏へと押し込め、空間そのものを牢獄に変える気だ。
金属粒子の群れが空を網目のように編み込んでいく様子は、まるで彼自身が“空間の意志”に成り代わったかのようだった。
……まさか、ここまで“質量”を仕込んでたとはね。
あの粒子量、目視だけでも数万単位。
人一人分の体積なんてとうに超えてる。
理屈としては理解できる。
もしレザックの能力が金属の“形状・状態・密度”を自由に再構築できるものであるとすれば、同じ体積でも数倍、数十倍の“質量密度”を持つ構成に変化させることが可能なはずだ。
g/cm³(密度)
たとえば通常の鉄が7.8、鉛が11.3とするなら、レザックが扱っているのはそれを遥かに超える密度構成体。
仮に1cm³あたり50〜100gの密度を持たせているとすれば、肉体由来の体積でありながら、“鉄球数百個分”の物量を粒子化して空中に放出できるという計算になる。
ただし――問題は、そこからだ。
金属粒子を空中にばら撒くという行為自体は理屈で片づけられる範疇にある。液体金属の性質と空間制御能力を掛け合わせれば、拡散パターンを形成すること自体は不可能じゃない。
重要なのは、それを“どう動かしているか”だ。
撒かれた無数の粒子たちはただの漂う残骸ではなかった。まるで一つの神経網に繋がれたように驚くほど精密に、連動的に動いていた。無作為に散ったはずの金属片は空中に見えない“意図”のもとで再編成され、幾何学的な立体構造を構築しはじめていた。それは粒子というよりも、一つの巨大なネットワークの中に紡がれる「情報体」だった。
見上げれば、空には複数の層からなる金属結界が形成されつつある。円環を描くようにして広がり、まるで蜘蛛の巣のように網目状の分布を取っている。しかも粒子同士は常に一定の距離を保ちながら動いている。流動しているのに散らばりがない。明確な規則と秩序があるのだ。
それだけの粒子を、一体どうやって?
人は頭の中で複数のタスクをこなすことができるけど、こなせるタスクの量にも限界がある。2人の話を同時に聞くことはできても、10人の話を同時に聞き、その内容を正確に聞き分けることなんてできない。
というか、そもそも…
クロエが空中に展開していた“無重力領域”――
その重力因子が除去された完全中性空間の「内側」に、レザックはいた。
すべての物質は、常に何らかの重力場に影響されている。
我々が“歩く”ことを当然と思うその瞬間でさえ、地球規模の重力圏という“楔”に縛られた動作にすぎない。
飛ぶ、跳ねる、落ちる。どれも重力があって初めて成立する“制御された運動”であり、
逆に言えば、重力から解放されることはすなわち――その制御基盤そのものを失うことを意味する。
無重力とは、慣性だけが支配する「浮遊する死角」だ。
足場を失い、軸を失い、視点を固定するものが何もなくなる。
“上下”という概念すら曖昧になるその空間で、本来なら誰もがほんの僅かな移動すらままならなくなるはず。
ましてや、彼のような物質制御型――
液体金属を操るには、緻密な接地感覚と外部力との連動が不可欠なはずだった。
それなのに。
レザックはその“重力拘束の欠落”から、完全に逃れた状態で自在に動いていた。
まるで無重力下でこそ本領を発揮するかのように――。
そして驚くべきは、やはり彼が操る金属粒子たちの“振る舞い”だった。
無数に散布された極小のメタルフレーク――それぞれがまるで独立した意志を持つかのように動き、軌道を形成していた。
拡散しながら、再編し、螺旋状に組み上がり、波紋のように広がる制御波形。
単なる質量操作でもなければ、統一指令による物理制御でもない。
――あれは群体制御だ。
数と範囲において、彼はもはや一介の候補生同士が織りなす「一対一」の戦闘レベルを超えていた。
空中に浮かび上がることも、無重力空間から難なく抜け出すことができたのも、常識じゃあり得ない。仮に無重力空間から抜け出そうとするなら、空間に糸でも張り巡らせて移動するか、フィールドの周りに杭を刺し、その支点に紐をつけて体を支える必要がある。背中に機動用のジェットを背負うのもアリ。生身じゃ動けないはずなんだ。思うようには、絶対に。
…でも、待てよ。
空間に“糸”?
さっきも思ったけど、空間内に強力な磁場があれば、「無重力」という条件を無視して自由に動くことができるはず。空間内ってゆーか、フィールド全体にその「場」があれば。
まさかとは思うけど、二ニーのやつ…
足の拘束を無理やり外し、襲いかかる無数の粒子を避けていく。
鬱陶しいなぁ
粒子群は、あたかも意志を持ったかのようにフィールド周縁をなぞるように展開していた。明らかに“ラインアウト”を意識した動き――つまり、演習のルールを逆手に取って私の行動範囲を物理的に“狭めにかかっている”。
ルール上、フィールドの境界を越えた瞬間に失格。その“圧力”を逆用して、粒子はフィールド縁ギリギリを滑るように飛行していた。下手に外側へ逃げれば自滅のリスクを強制される。だからこそ中央から大きく逸れられない。
端へ近づくほど、私の動ける立体空間は狭くなる。逃げ道の“厚み”が削られていく。だから私は意識して中央の高度座標を死守した。水平方向だけじゃない。高度も加味し、粒子の“移動可能空間”を縦横無尽に使わせることであえて無駄な軌道を踏ませ、攻撃効率を削ぎ落とす。
それでもすべての回避は叶わない。被弾覚悟で受け流すしかない攻撃もある。
ただこれは“演習”だ。実戦ではない。相手は命を奪うつもりで攻めてきているわけじゃない。
本気で潰すつもりなら、あの金属粒子はもっと高速で鋭く、拡散じゃなく直撃に全振りしてきていたはずだ。攻撃の密度も誘導精度も――まだ抑えてる。だからこっちも手加減する義理はない。
粒子自体を弾くのは難しくない。雷霊素の位相を一時的にずらし、局所的な磁場干渉で拡散させるだけだ。いっそこの場で全てを受け切って見せることもできるだろう。だけど――
……私の目的は“迎撃”じゃなくて、“捕獲”。
あの金属片の群れが全てレザックの“分裂体”だとしても――
それはあくまで“本体が生み出した延長”に過ぎない。つまり、今ここに存在するのは“影”。
狙うべきは、あくまで“源流”。
だからこそ——
この前教科書に載ってたな、そういえば。
「金属」は磁場の影響を受けるが、磁性を持つ金属にも種類がある。例えば鉄。鉄はもっともポピュラーな金属だけど、磁石の素材としても広く使われている。鉄は磁壁が移動しやすく、強磁性体の中でも軟磁性体であることが特徴だそうだ。純粋な鉄は磁石を離すとすぐにその性質を失うが、炭素などほかの原子が含まれていると、わずかながら離したあとも磁化した状態が続く。
磁石に金属がくっつくのは、磁石の磁力によってその金属も磁石になることが要因だ。金属には多くの種類があるが、磁石につく金属の種類は意外と少ない。金や銀、銅やアルミは磁石にはつかない。これは、反磁性体と呼ばれる物質の性質による。
何が言いたいかっていうと、「磁場」を生み出す源は基本的に電流しかなく、電流が作り出す「場」として、磁気的現象を定義しなきゃならないってことだ。
磁場を発生させるにはいくつか方法があるが、少なくとも、磁性を持つ金属を自由に動かすだけの磁力が必要になるには、フィールドの中に巨大な磁石を設置するか、コンデンサ等に蓄えた電流を瞬間的に放電して短時間だが強い磁場を得るパルス磁場などがある。
条件が合わない。
レザックが磁石を体内に結合させていたとしても、強力な磁場そのものを発生させるためには新幹線並みの電力が必要になる。
雷属性――しかもクラス3レベルのサポーターが近くにいない限り、諸条件を満たすことは不可能だ。
“一部の方法”を除いては。
二ニー・ホワイト。
彼女は磁気圏と呼ばれてて、彼女独自の電磁場を操作・生成することができる。
強力な磁場を展開することで、磁力に関係する物質をコントロールすることが可能だと豪語していた。実際に何度も戦ったことがある。喧嘩を売ってくるのは、いつも彼女なんだけど。
演習場でのルールや規則は基本的に対戦者同士の二者間、——つまりフィールド内の行動を前提に定められているケースが多い。例外は「フィールド外」でのこと。対戦者同士の戦いの中でフィールドに侵入してくる人がいたら(そんなバカはいないが)、それはルール違反だし、対戦中に外部から情報を得ることも基本は禁止されている。
タブーなのは、“外部の人間が演習中の生徒に能力的な補助をする”こと。
能力のコントロールを学んでいる未熟な候補生たちにとって、外部からの能力の供給は危険な状況を生んでしまうケースがあるため“もっとも重いルール違反”とみなされている。
バレたら即刻退学…とまではいかないが、長期間の謹慎処分は免れない。現に半年間学校中の清掃をやらされた先輩もいた。
魔力や能力をうまく使いこなせない後輩を助けようと、観客席から援護したせいで。




