第38話 領域の中へ
ただ、動じなかった。
以前までのルシアなら感情的になっていたかもしれない。しかし今日は違う。何度も対峙している相手だ。実力差が開いているとはいえ、まずは自分のスタンスを貫かなければならない。ジークハルトの言葉自体も、できるだけ耳に入れないようにしていた。その方が、平常心を保てられるからだ。
ボッ
一気に出力を上げる。
タイプ2は持久戦に向かない。身体能力のベースを上げられる分、持続できる時間は限られている。
ジークハルトは構えた。
最初に見せたルシアの動きよりも、恐らく“速い”。緩急をつけることで、視覚的な要素を取り入れていた最初の攻撃に比べ、今回は完全に静止した状態からの「動き」だ。
予測できる分、防御も取りやすい。
ベース自体が速くても、予測できるのとできないのとでは大きな違いがある。
どんな動きを見せるか——
ジークハルトなりの期待があった。ルシアには、天性の野生味がある。動きが直線的になりがちではあるが、戦いの中で修正していく能力が、他の者たちとは一味違った。
反応速度、距離感。
いくつかの要素の中で、柔軟に対応できる部分が多い。それこそ、相手の攻撃や動きに対して咄嗟に対応できる部分は、生まれ持った“才能”と言っても差し支えないだろう。大抵のファイターは、決まった「型」の中で自らのスタイルを構築していくが、ルシアにはそういったものはなかった。目の前の出来事に対して、「思考」ではなく「体」で動く。その「柔軟性」が、他の生徒たちよりも格段に優れていた。
ドンッ
直線。
——やはり
ジークハルトは、構えた状態から右側へとステップする。ベースを上げても、動きそのものの基本動作は変わらない。
スペースを開け、繰り出されるパンチの軌道を読んでいた。
避けるのは造作もないが、ただ単に避けるのではなく、ルシアの動きのレベルに合わせようとした。ファイターとしての質を上げるためには、動きのベースを上げることがもっとも肝心だが、それを扱うための多くの引き出しを持つことも、等しく重要だ。
どうすれば攻撃を当てられるか。
そのために必要なヒントを、ジークハルトなりに散りばめようとしていた。
ルシアは下半身を中心に攻撃のモーションを連結させる。
左から右。
右から下。
踏み込んだ足を交差させる。
ジークハルトの影に重なるように、左足が食い込む。地面を掴んだつま先に乗っかるように、膝が深く沈む。連動する動作の中で、上半身が勢いよく傾く。
ダッキング。
上半身を前に傾けることで、相手のパンチの軌道から頭を守る。ただし、ルシアは腕を下げていた。攻撃を避けるために屈んだのではない。攻撃の動作の中で相手の動きを予測し、スペースを作る。ジークハルトがどう動くか、ある程度は予測できた。右足を軸に移動したステップは、上半身をより近距離へと運ぶための土台を作りつつ、立体的な動作の「接点」を作っていた。
グッ
沈んだ上体を屈ませながら、前へと進む力を利用する。
ダッキングによって攻撃に角度をつける。
狙いは顔ではなく、——下。
ジークハルトの体は真横へとスライドしていた。ルシアが動いた時には、まだ始動していなかった。前へと突っ込む間際、微かにジークハルトは右足を下げていた。引き付けるだけ引きつけて、攻撃が届かないギリギリの境界上へと線を引く。
近すぎず、遠すぎず。
反面、ルシアは全力で地面を蹴っていた。出力を高めるだけ高め、踵を持ち上げる。
自分の領域の中へと、——動く。
打撃に必要なスピードと威力は、下半身をいかに連動させるかにかかっている。1つ1つの攻撃が手打ちにならないためには、しっかりと体重を乗せなければならない。伸び切った右足。跳躍するための“バネ”。蹴り出した地面の上で、土埃が舞う。一見すると、それは「突進」にも見えた。ジークハルトへと向かうための足取りは、尚も積極的な忙しさを、1つの動作の中に運んでいた。しかしそう思えたのも束の間だった。爆発的な初速の内側で、自らの動きを制御するためのステップを踏む。勢いよく前に飛び出した力をコントロールする。
そのために必要な力は、すでに下半身に預けていた。
ザザザザァ——ッ
ジークハルトの動きを予測する。どのように動くか、頭の中でシュミレートしていた。何度も手合わせをしていくうちに、それとない動きの“癖”を読み取れるようになっていた。
行動のパターンがどのように分布しているか?
ジークハルトが取る選択は?
そういった部分を、ルシアなりに分析していた。考えて動くようなタイプではないが、彼の「虚」を突こうとした。掴んだ地面を押し込むように膝を曲げる。ジークハルトの進行方向に向かって、視線を傾けた。
“タイプ1”
この日のために練習を重ねていた。
焔武装は、彼が編み出した独自の技だ。それ故にまだまだ改良の余地があり、全体的にも部分的にも、「技」としての精度を高めていく必要があった。タイプ1にしろ2にしろ、それが「完成形」であるとは言えなかった。
タイプ2に移行した状態で、タイプ1を併用させることはできるか?
ライと教室で話し合っていた。最初はイメージでしかなかったが、エネルギーの絶対量をうまくコントロールすれば、部分的により強力な“効率性”を構築することができるのではないか?
理論上は可能であるが、そのためには技そのものの熟練度や、エネルギーの操作性をより具体的に磨いていかなければならない。2をベースにしつつ、1を「動き」の中に差し込んでいく。当然、それに伴う身体へのダメージは計り知れない。より強力なエネルギーを出力するためには、それを収めるだけの「容量」が必要になる。エネルギーの出力に耐えうるだけの物理的な領域が身体の“中”に存在している以上、闇雲に強化を行うことはできなかった。
2は、あくまで準備期間を経ての強化だ。
1に比べて使用までに時間がかかる分、肉体的な強化レベルを底上げすることができる。
しかし、2の使用中にさらに負荷をかけるとなると、その分指定した場所の肉体的な組織破壊が起こり、行動そのものが行えなくなる危険性があった。
ただ、もしも、その一撃で相手を倒すことができれば——
自らの影を踏む足。
ルシアが何かしようとしていることは、それとなく察知できた。この前とはまるで違う動き。ただ単に突っ込んでくるだけではなく、モーションの中に“思考”が織り込まれている。それが単に繰り出された攻撃であるか、ある程度考え抜かれた攻撃であるかは、長年の経験によって見分けることができる。
ジークハルトの頭の中では、ルシアの動きが手に取るようにわかった。
それは実際の「動き」の位置や範囲が“正確に”予測できるというよりも、“相手が何をしたいのか”、それに際する有機的な予測であった。
相手が機械ではなく生物である場合、それがいかに合理的な行動や選択であったとしても、「感情」が介在する余地は多分にある。思考が介在する時間が1%でもある以上は、その影響を無視して行動に移行することはできない。
足を動かす時、腕を持ち上げる時、——あらゆる動作の中で、肉体と精神は連動する。
その電気的な回路は、機械が行う動作とはまた違った奥行きと”情景”を持つ。
ジークハルトは、ルシアが放つ空気感を視界の中に捉えていた。
捉えつつ、攻撃の出所を探っていた。
鋭く切り込んでくるステップ。
——その、中間に。
——シッ
息を吐く音。
ルシアは止まらない。攻撃を繰り出すモーションに「間」を持たせつつ、中間距離の点を探る。ルシアにとっての中間距離は、攻撃が届く範囲に違いはない。ただし、それがどの程度の「近さ」を持っているかは、連続する動作の繋ぎ目に“重ねて”いく必要があった。
前と後ろ。
平面と立体空間の繋ぎ合わさる場所。
「動き」は作るものではない。
相手との距離、——その呼吸の中に、自然と浮き上がってくるものだ。ルシアは狙い澄ましたかのように右腕を下げていた。
点と点。
一つのモーションへと繋がる動線。
その通り道に、「足」を預ける。
タイプ2で移動させたエネルギーを、地面の平面上に重ね合わせる。
チャンスは早々訪れない。もしも捨て身の「一撃」を繰り出すなら、“タイプ2に移行した直後”しかないと思った。戦闘が長引けば長引くほど、互いの情報は多く流出してしまう。攻撃を仕掛けたルシアにとって、相手の懐へと訪れる“機”は、決断する「一歩」の中にしかないと思った。生死を分ける境界は常に変化する。そしてその「時間」は、点と点を結ぶ直線上に常に“流転“している。しかし、一つの選択に於ける“決定力“は、決断するスピードによって大きな変遷を遂げる。連続する時間と空間の中にこそ「今」が訪れるが、同時に、その「タイミング」が失われるのは、今という位置の先端にしかないのだ。
ルシアは、その「境目」にダイブしていた。
思い切り蹴った動作の向こうに、”全てを預けて”。




