第23話 知らない味を求めて
…しかし、カイのやつめ。また面倒な仕事を押し付けて来たものだ。
わざわざ俺に頼みに来なくても、他に有力な情報を持つやつなんていくらでもいるだろうに。
こんな山奥に押しかけてイグザスに会わせろなどと、ずいぶん回りくどいというか、計画性に欠けるというか…
ゼンは朝の炊飯を終えた後、囲炉裏の火を細めて湯を沸かし、湧き水で淹れた茶をすすりながらなおも頭を抱えていた。
(断る理由はいくらでもある)
第一に、俺はもう“誰かのために動く人間”じゃない。
第二に、イグザスが本当に今も生きているかどうかも定かではない。
第三に、仮に生きていたとして、会って話をするにはそれなりの労力が必要だ。
魔導空路は使えない。カイから聞いたあの山岳地帯の地形は極端に魔力が乱れている上、天候も不安定だ。
地上から徒歩で向かうとなれば、峠を三つ越える必要がある。飛空挺で近場まで行けたとしても、1日や2日で済む話ではないだろう。
(……だが)
俺は、昨日カイが置いて帰った『幻食材交易録・空路版』の表紙をちらりと思い浮かべた。
冊子は今食堂奥の納戸の天井梁の上に放り投げてある。目に入るたびに気が散るからだ。
だが、気が散るという時点で、すでに俺の中のどこかが傾いていることを胸の奥で感じてもいた。
「……霜雪ヒレ茸、な」
雪解けの頃、標高3000以上の岩場にしか自生しない幻の茸。
火を通すと周囲の香気を巻き込んで“記憶の味”に変化するという。
あの食材を、もし炊き込みご飯に使ったら――
いや、干し肉と合わせてスープに……
あるいは、白蜂蜜を使った甘味との組み合わせも……
「……はあ」
気づけば、頭の中がメニュー設計でいっぱいになっていた。
俺は額を押さえて嘆息する。
「またこれだ……」
剣の振り方は忘れても、鍋の振り方は忘れない。
そんな冗談を言われたことがあるが、あながち間違いでもないのかもしれない。
俺はもう戦うことをやめた。組織も名誉も、全部放り投げた。
ただ手の届く範囲の誰かに、あたたかい飯を出せればそれでよかったはずだ。
それが今じゃどうだ。
すっかり忙しくなった厨房だけにとどまらず、幻の茸だ、空賊レースだ、旧友の技師探しだ――まったく、半年前はこんなんじゃなかったのにな…
厨房の片隅に腰を下ろし、湯呑を手にぼうっと焚き火の残り香を嗅ぐ。
(イグザスに会う意味は、たしかにある)
昔の記憶。あの戦場の夜。ノクティリカの甲板で、肩を並べて見上げた星空。
無言で茶を差し出してくれた、あのささやかな気遣い。
……いや、違うな。
あいつが今どんな飛空挺と向き合っているのか――それをこの目で見たいのかもしれない。
そして何より。
俺は“まだ知らない味”に弱い。
それがどんな手間でも、どんな面倒でも、今までに味わったことのない素材が手に入るとなれば……心が動かないわけがない。
(本当に、性分ってやつは変えられないな……)
俺は立ち上がり、納戸の梁から冊子を引っ張り下ろす。
ぺらぺらとページをめくれば、そこに記された幻食材たちの絵図が次々と目に入ってくる。
霜雪ヒレ茸、アマリア白蜂蜜、紅雷貝、天火の燻魚、月影トリュフ――
どれも一度は聞いたことがあるが、実際に手に入れたことなど一度もない。
しかもそのすべてが、“調達可能”と記されている。
……カイの口ぶりが本当なら、の話だが。