第32話 今日も機嫌悪そうだな?
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「……ねぇ、聞いた? あの人、出るらしいよ。バトルロードに」
ここは雷導育成機関 《LCA》第七区、訓練候補生たちが共同生活を送る寮の中核に位置するメインホール。
その一角には自習と情報交換のための《図書セクター07》が設けられており、静謐な空気の中にも、日々の訓練の熱が感じられる空間となっている。
ホール中央にそびえるのは、霊素昇降機 《ソーリング・リフト》。
ガラス筒状のエレベーターが吹き抜けの中層階へと緩やかに上昇していく様は、都市全体が脈動しているかのような幻想すら抱かせる。
LCAに在籍する候補生たちの多くは、将来的に“雷導兵”や“術式支援士”、“霊素研究技師”、“空域戦略オペレーター”など、雷霊素技術を柱とする国家戦力の一端を担うべく、日々厳しい訓練と試験に臨んでいる。
なかでも《TACT(戦術適応制御課)》に所属する者は、より実戦寄りの課程に身を置いており、その戦闘能力と臨機応変さから、寮内でもひときわ存在感を放つ存在だった。
かつて、《LCA》は純粋な学術研究機関として創設された経緯を持つ。
都市機能の最適化、霊素応用技術、空間航行理論、戦略情報科学など、あらゆる専門分野の基礎理論がこの場所で編まれてきた。
その名残は今も、《図書セクター》の蔵書群や学術フロアの設計に色濃く残っている。
しかし今や知の中枢だったその役割も、実戦の現場を支えるための“術理訓練施設”へと変貌を遂げつつある。
《LCA》は名実ともに、雷導兵育成の“中枢炉”として再構築されていた。
そしてその中で、ひときわ異質な存在感を放っていた訓練生――
それが、ルシア・フローレンだった。
「……彼、確か“暗殺者の家系”なんでしょ?」
エレトゥス大陸西方、港湾都市オーシャンズタウン。
その海辺の裏路地に根を張っていたのが、“フローレン家”と呼ばれる一族だった。
彼らは都市の裏社会において、半ば伝説と化した“ブルー・ダガー”という組織を中核に据え、
合法と非合法の狭間を器用に渡り歩く地下連合体を築き上げた。
暗殺、密輸、賭博、偽装輸送、資金洗浄、買収工作――政府の調査報告によれば、彼らの触手は都市の利権構造の至るところに及び、商業と暴力の両輪による“見えざる支配”を完成させていた。
現在ではその勢力も、摘発と浄化政策の波により著しく縮小している。
だがそれでも、オーシャンズタウンの一部区域では、彼らが“民間治安維持業者”として、政府の見えない部分の仕事を今も担っているという噂が後を絶たない。
その噂が活発になった背景には、近年都市部で頻発している“グール出没事件”の存在がある。
グール――
人間の姿を留めながらも理性を失い、本能のままに暴走する魔物。
かつては“霊素感染体”とも呼ばれたそれらの存在は、今や都市生活を脅かす深刻な社会問題となっていた。
その発症メカニズムは未だ解明されておらず、複数の研究機関による長年の調査にもかかわらず、決定的な成果は上がっていない。
ただ一つだけ確かなことは、グールの心臓が異常に肥大化し、血液が黒く変質し、その中に“未知の遺伝子構造”が含まれているという事実だった。
こうした状況のなか、都市の“裏”に精通する者たちの知識やネットワークは、表の政府機関では補えない現実対応力として重宝され始めている。
フローレン家の名も、またその中にあった。
そしてルシア・フローレン――
“血塗られた一族”の末子としてその名を継ぎながら、ある事件を境に家族を喪い、流転の果てに辿り着いた先が、ここ《エレクトロニア》であった。
かつての相棒、ナツキ・B・ウォッシュバーンとともに支援枠としてLCAに登録され、彼は今、新たな未来に火を灯している。
「“フローレン家”って、政府に潰されたんじゃなかったの? どうして彼が、ここに……?」
休憩エリアのテーブルに肘をつきながら、訓練生の一人が小声で呟いた。
彼の言葉に周囲の数名が敏感に反応する。視線の先には、一人静かに端末を見つめるルシア・フローレンの姿があった。
図書セクターの片隅。誰も座らない窓際の席。
他の候補生と違い、彼の存在は“人の流れ”から明らかに浮いている――だが、それは孤立ではない。むしろ、“近づけない”という印象の方が強い。
無表情の中に潜む鋭さ。戦場経験すらあるかのような動作の正確さ。
いかなる時も周囲に背を見せず、常に観察と警戒を怠らないその振る舞いは、LCAのような閉鎖された共同生活の場においてすら異様だった。
そして、誰もが知っていた。
ルシア・フローレンが、入所直後のシミュレーション戦で上級候補生を“瞬殺”したという噂。
戦術演算室で行われた模擬戦は、本来なら新人の測定レベルに過ぎないはずだった。だがその記録は閲覧制限付きの“要監視対象ログ”に指定され、詳細は今なお封鎖されているという。
「……でさ、見たことある? あの目つき。まるで“人間”を見てないって感じ」
「そう。あいつだけさ、何か……ズレてんだよ。常識がねーっつーか」
それは単なる訓練生同士の戯れ言ではなかった。
ごく一部の講師陣、そしてTACTの上位関係者たちは、彼の“霊素適合率”に異常な数値があることを把握していた。
正規測定装置では検出不能とされる、特殊な雷霊素波長への共振傾向。
極端に強い神経伝導応答。
そして、極低睡眠周期下でも安定した精神波動――
それらはもはや“訓練生”というよりも、管理と観測を前提とした“実験体”と呼ぶべき性質を帯びていた。
彼がかつて《適合化棟》で、何らかの“特別措置”を受けたのではないかという憶測は、LCA内でも水面下で囁かれている。
だが、ルシア本人は何も語らない。
その目が向いているのは、仲間でも、名声でも、栄誉でもない。
ただ――
過去を清算し、生き延びるための“道”だけだった。
必要なものだけを見据え、不要なものは切り捨てる。
彼にとってはこの施設も、修練も、国家の体制すらもただの“通過点”に過ぎない。
その歩みに感情を乗せる余地は、とうの昔に失われていた。
そんなルシアに、ひとりだけ平然と話しかける奴がいた。
「よう、ルシア。今日も機嫌悪そうだな」
気さくに声をかけてきたのは、《TACT》課クラス3所属の――ライだった。




